第3話
●
戦が起こった、という。
ヴィスガルド王国南部。
レナム地方の領主ボーゼル・ゴルマー侯爵が、王家に不満を抱く地方貴族たちを糾合し、叛乱を起こした。
アラム・ヴィスケーノ王子が、討伐軍を率いて出陣し、これを鎮圧したという。
愛妻アイリ・カナンとの間に子供が生まれたばかりのアラム王子を、容赦なく戦争に行かせる。
王族だからとて特別扱いはしない。
それを国民に見せつけるためだけの出陣だったのではないか、とシェルミーネ・グラークは思っている。
叛乱が、ここドルムト地方にもう少し近い場所で起こっていたら。
グラーク家も、叛乱鎮圧に駆り出されていたのだろうか。
自分はアラム王子のもとへ馳せ参じていたのだろうか、ともシェルミーネは思う。
ドルムト地方は、ヴィスガルド王国最西端の地である。
ボーゼル・ゴルマー侯爵が叛乱を起こした南部の地から、遠く離れている。
ドルムトより西は王国領ではない。
獣人その他、人間ならざるものたちの棲まう人外の魔境だ。
そこから獣人の群れが流れ出し、ドルムトの民を脅かす。
日常茶飯事であった。
日常茶飯事としてグラーク家は、民衆を脅かす人外のものたちと戦ってきたのだ。
ドルムト地方の、領主として。
現領主オズワードの代で、グラーク家は最盛期を迎えた。
ドルムトを含む7つの地方を領有し、その権勢は王家に匹敵すると言われていた。
それが2年前、ドルムト以外の全ての領地を没収された。
領主令嬢シェルミーネ・グラークの、花嫁選びの祭典における凶行が原因である。
数日間、シェルミーネは収監された。
リアンナ・ラウディースを殺したのは自分である。
裁判では、それのみを言った。
だが結局、シェルミーネは釈放された。
証拠不十分、というのが理由である。
司法としては証拠不十分であっても、国民にとってシェルミーネ・グラークは殺人犯であった。
平民の希望アイリ・カナンを虐め抜いた悪役令嬢が、結局のところアイリに勝てず、凶行に及んで自滅する。
そのような物語が、民衆の中に出来上がってしまったのだ。
その筋書きでなければ、暴動が起こりかねない。
それほどまでに、花嫁選びの祭典は民を熱狂させた。
物語の最後で、悪役令嬢は何らかの罰を受けなければならない。
無罪放免では、民は納得しない。
だから、悪役令嬢を生み出した大貴族グラーク家に、所領没収という罰が下されたのだ。
それで果たして民衆が納得してくれたのかどうか、シェルミーネにはわからない。
また、ドルムトからやり直せば良い。
父オズワードは、それだけを言った。
王家との繋がりを作り損ねた娘を、責める事もなかった。
誰も、自分を咎めようとしない。
繁栄を阻害された、ドルムトの民さえも。
「……お馬鹿しか、おりませんわね」
良く言えば自然豊かなドルムトの大地を、丘陵の上から見下ろし見渡しながら、シェルミーネは呟いた。
若き兵士ガロム・ザグが、近くに控えている。
歩兵用の簡素な甲冑をまとう身体は、大柄ではないがガッシリと鍛え込まれていて頼もしい。
傷跡のある顔面は一見、凶暴そうではある。
武術の稽古ではなかなか容赦なくシェルミーネを叩きのめしてくれる彼も、言葉では咎めてくれない。
獣人の群れに襲われていた老人と少年を、村に送り届けた、その帰り道である。
「恐れながら」
同じく丘陵の上から、ドルムトの広大な森林地帯を見下ろつつ、ガロムが言った。
「馬鹿しかおらぬと仰せですが、俺はシェルミーネ様も相当なものだと思います」
「…………言うようになりましたわね、貴方も」
「誰が信じると思うんですか、あんな話を」
昔からシェルミーネの言葉を何でも馬鹿正直に信じてくれた純朴な少年兵ガロム・ザグが、こんな事を言うようになってしまった。
「格下の令嬢に、人殺しを命令する……貴女が、そんな回りくどい事するわけがありません。やる時は御自分の手を汚します、シェルミーネ様は」
「……そうしてやろうと何度、思った事か知れませんわ」
アイリ・カナンを、シェルミーネ自身の手で始末するのは容易い事であった。
先程の獣人よりも、簡単に殺せる。
人目につかぬよう実行する機会が、今思えばいくらでもあった。
それを結局しなかった理由は、シェルミーネ自身にもわからない。
シェルミーネが実行しなかった事を、しかしリアンナ・ラウディースは決行した。
それを、シェルミーネは止められなかった。
止める事は、いくらでも出来たはずなのだ。
取るに足らぬ取り巻きの1人として、リアンナを放置していた。
もっと話す事は、出来たはずだ。
彼女の心がどれほど追い詰められていたのか、自分は知ろうともしなかった。
何の事はない、とシェルミーネは思う。
結局のところ、自分がリアンナを死なせたようなものだ。
グラーク家は大幅に所領を削られ、かつての勢力を失った。
ラウディース家に救いの手を差し伸べる事も出来ない。リアンナの最後の願いを、叶えてやれない。
花嫁選びの祭典。
あんなものさえ開催されなければ、リアンナは死なずに済んだのだろうか。
あの祭りは、大勢の人間の運命を変えた。
リアンナ・ラウディースにアイリ・カナン、自分シェルミーネ・グラーク。
それに、アラム・ヴィスケーノ。
思えば彼は、飾り物のような王子であった。
聡明な若者ではあったが、政治的な実績は皆無。
ただ容貌と人格で、ひたすら民に愛される。そんな青年であった。
祭りの景品としては、うってつけの人物であったのだ。
花嫁選びの祭典は、王国内の経済を大いに動かした。
それこそが祭典を開催した側の狙いであり、アラム王子は、祭りを盛り上げる景品の役割を立派に果たしたと言って良い。
悪役令嬢の妨害に負けず、見事に祭典を勝ち抜いた平民娘と、幸せな結婚をする。
そうして、民に幸せな気分をもたらす。
「……良いお仕事をなさいましたわね、アラム王子」
充分だ、とシェルミーネは思う。
民衆に幸せを見せるのが仕事の、あの王子に、過酷な事をさせてはならない。
なのに、アラム王子は戦争に駆り出された。叛乱討伐軍の総大将に、祭り上げられたのだ。
生まれて間もない息子と共に、アイリは一体いかなる思いで夫の帰りを祈っていたのか。
幸いにしてアラム率いる討伐軍は大勝利を収め、ボーゼル侯爵の叛乱は鎮圧された。
その報賞のような形で、アラム・ヴィスケーノは王太子となった。
王位継承を認められたのだ。
結局は実績作りでしかなかったのではないか、とシェルミーネはどうしても思ってしまう。
もはや自分には関係ない、とシェルミーネは思い直した。
自分はもはや、アラム王子ともアイリとも関わりを持ってはならないのだ。
眼下に広がる森林地帯を、シェルミーネはただ見つめた。
森だけではない。村々が、点在している。農地も見える。
全てが、森林に呑み込まれつつある。そう思える風景であった。無論、森を侵蝕しているのは人間の方なのだが。
森林を切り開いて耕地にする計画も、持ち上がってはいるらしい。
ただ収穫が見込めるのは数年先だ。
森から得られるものを捨ててまで、行うべき事かどうか。領主オズワード・グラークの考え方次第である。
ともかく、シェルミーネは目を凝らした。
森の中に、おかしなものが見えたのだ。
野の獣、ではないものが走っている。
木々のまばらな所を選んで、それでも木にぶつかりそうになりながら、転倒しそうになりながら、土煙を蹴立てている。
馬車、であった。
2頭の馬が、今にも倒れそうになりながら、車輪付きの巨大な箱を引いている。
かつては豪奢な馬車であったのだろうが。今や壊れかけの箱であった。あちこちが破損し、何本もの矢が突き刺さっている。
貴人の馬車、であるとしたら、中にいる貴人は無事なのか。
この様子では矢を受け、負傷しているかも知れない。
御者席で手綱を握っているのは、1人の若い兵士である。
着用している鎧兜は、ガロムが身に付けているものよりもずっと立派な物だ。もしかしたら騎士階級かも知れない。
「……追われていますね、あの馬車」
ガロムが言った、その時には、シェルミーネは丘陵を駆け下りていた。