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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第29話

 身の危険は、ずっと感じていた。


 あのシグルム・ライアット侯爵と懇意にしていたからだ、とクルバート・コルベムは思っている。

 旧帝国系貴族の中で、シグルム侯は随一と言うより唯一の、傑物であった。


 コルベム家を含む旧帝国貴族という勢力は、今や、ヴィスガルド王国全土を蝕む害虫の群れであった。

 地方領主として各地に赴いた者たちが、民衆を虐げ搾取を行い、不正に得た税収をゴルディアック家へ貢ぐ。

 この貢ぎが多ければ多いほど、旧帝国系貴族としての序列は上がる。


 ゴルディアック家は、旧帝国系貴族筆頭と言うべき家柄で、ヴィスガルド王国打倒そして帝国復活のための軍資金、という名目で貢ぎを集めている。

 怪しいものだ、とクルバートは思っている。

 ゴルディアック家は、ただ私腹を肥やしているだけではないのか。


 その疑念が、どうやらゴルディアック家に伝わってしまったようである。


 数年前に1度、明確な形で命を狙われた。

 刺客であろう複数の男たちに、襲撃されたのだ。


 その時、クルバートを助けてくれたのが、シグルム・ライアット侯爵であった。

 左右2本の剣を嵐の如く振るって単身、刺客たちを撃退してくれた。


 彼は、クルバートに言った。

 私が、貴方の力になる。だからもう、おやめなさい……と。


 シグルム侯は、知っていたのだ。

 旧帝国系の地方貴族たちが、ゴルディアック家に税収を貢ぐ。その流れを管理しているのが自分・税務官クルバート・コルベム伯爵である事を。


 何の事はない。

 自分もまた旧帝国系貴族という害虫の1匹として、王国の民に害をなしていたのだ。


 ゴルディアック家に尽くす事によって、コルベム家は序列を上げ、栄華を得た。

 ゴルディアック家に刃向かい、生き延びる機会があったとすれば、シグルム・ライアットの存命中のみだ。


 彼は、死んだ。

 毒殺されたという無惨な屍も、クルバートは目の当たりにした。


 希望は、失われた。


 もはや税務官として、旧帝国系貴族の不正に加担し続けるしか、クルバート自身にもコルベム家にとっても、生存の道はなかった。

 だが結局、1度でもシグルム・ライアットに与した者を、ゴルディアック家が許すはずはなかったのだ。


 クルバートは今、貴族の装いを捨てて襤褸をまとい、貧民の身なりで、王都ガルドラントの裏通りを走り回っている。まるで溝鼠のように。

 数日前からだ。


 妻子の身の安全は、とある人々に一任してある。

 ゴルディアック家と正面から対峙出来るほどの勢力ではないが、クルバートの家族くらいは守ってくれる。


 息が、切れていた。

 走り回っていたつもりが、いつの間にか歩いている。弱々しく震える足取り。


 脚力も心肺も、限界であった。

 37歳である。若くは、ない。身体を鍛えてなどいない。武芸の類に関しては、貴族として一通りの嗜み方しかしていないのだ。


 裏通りの、特に日の当たらぬ区域である。

 人通りは、ない。


 いや。あちこちの建物の陰から、いくつもの人影が飛び出して来ていた。


 マントとフードで正体を隠し、白刃を閃かせる男たち。

 短めの剣を抜き構えた、刺客の一団である。


 誰が放った刺客であるか、訊いてみるまでもないとわかっていながら、クルバートは叫んでいた。

「な、なな何者だ! お前たちは何故、私を殺そうとするのだ……」


 本職の殺し屋たちである。余計な口は、きかない。様々な方向から、クルバートを切り刻みにかかる。

 切り刻まれる寸前。


 獣が、飛び込んで来た。クルバートには、そう見えた。

 猛獣の牙が、刺客の1人を噛み砕いた。人体の破片が、飛び散った。


 肉食獣の顎骨を、棒状に引き伸ばしたような形状の武器。

 左右2本、そんな得物を振り回す1人の男が、刺客たちを横合いから襲撃していた。

 牙剣。実戦で使いこなす剣士を目の当たりにするのは、クルバートは初めてである。


「……税務官、クルバート・コルベム伯爵か」

 刺客たちと同じく、マントとフードで正体を隠した男。問いかける声は、若い。

 牙剣を振るう動きは、まさに喰らいつく猛獣だ。


 同じ二刀流の剣士であったシグルム・ライアット侯爵と比べてしまうと、洗練されていない、荒削りな戦技であるのは否めない。

 それでも、剛勇である。


 斬りかかった刺客の1人が、牙剣の一撃で脳漿を噴射した。首から上の原形を、失っていた。

 別方向から白刃を閃かせた刺客数名が、荒れ狂う牙剣に叩き潰され、路面に倒れ伏し、様々なものをぶちまける。


 血まみれの牙剣2本を両手で休ませ、その若者は、クルバートを背後に庇った。


 生き残った刺客たちが、逃げ去って行く。

 遠ざかる足音を呆然と聞きながら、クルバートはようやく答えた。

「……いかにも、私がクルバート・コルベムだが。税務官の職も、伯爵位も、とうの昔に剥奪されているであろうな」


「派手に命を狙われてくれたおかげで、あまり探し回らずに済んだ」

 若者が、ちらりと振り向いた。

 フードの下で、厳つい顔に傷跡が走っている。

「ガロム・ザグという。レオゲルド・ディラン伯爵の、手の者だ。あんたの身柄を確保させてもらうぞ」


「レオゲルド・ディランだと……そう、か」

 事情を、クルバートは即座に理解した。


「……浅はかな男だ。私の身柄など押さえたところで、ゴルディアック家の急所を掴んだ事にはならん」

「ほう。レオゲルド伯爵は、浅はかな男か」

 ガロム・ザグは言った。

「そんな人物でも、あんたの庇護者にはなれると思うぞ。選り好みをしている場合じゃない、あんたは一刻も早く誰かに守ってもらうべきだ。悪い事は言わん、レオゲルド伯に頼れ。俺と共に来い」


「……レオゲルド・ディランはな、この王国の最高権力者2名に取り入って、両者を利用したつもりになっている愚か者よ。あれでは、いずれ双方から疑いを受け、殺されるぞ」

 まだ礼を述べていない事に、クルバートは気付いた。


「ガロム・ザグ、助けてくれた事は感謝する。そなたもな、それだけの腕があるなら仕える相手は選んだ方が良い。どうだ、私と共に来ないか。勇士にふさわしい主君を紹介出来る」

「……残念ながら俺も、選り好みの出来る立場ではなくてな」

 言葉と共にガロムが、鋭い視線を向けてくる。


「なるほど……あんたはあんたで、頼るべき相手をすでに確保してあるのか」

「私の妻子を、その方々に預けてある」

「その方々とやらに関しても、レオゲルド伯爵に全て話してもらおうか」


 牙剣が、突き付けられてきた。

「何度でも言うがクルバート殿、あんたに選り好みは出来ない。俺と一緒に来てもらうぞ」

「ぐっ、レオゲルドめ……」

 クルバートは後退りをした。

 背中が、塀にぶつかった。


 ガロムが、表情を緊迫させた。

 再びクルバートを背後に庇い、左右の牙剣を構える。


 複数の人影が、よたよたと足取り弱く、近付いて来たところである。


 逃げ去った刺客たちが、戻って来ていた。

 マントの下で、肉体がメキメキと痙攣している。


「あ……ああ、あぁあああああ……」

 フードの下から、苦しげな声が漏れる。

 声帯も、気管も、おかしな感じに震えているようだ。

「た……たたたすけて……」

「助けて……くれぇえええ……」


 いくつもの痙攣する身体が、言葉に合わせ、跳ねた。

 跳躍。

 捻れ歪んだ彼らの四肢が、壊れた人形を思わせる躍動を見せる。


 捻じ曲がった手に握られた剣が、様々な方向からガロムを、クルバートを、猛襲した。

 物理法則に反した、いびつな襲撃。


 その全てを、ガロムは牙剣で粉砕していた。

 猛獣の牙が、歪んだ刺客たち片っ端から噛み砕いた、ように見えた。


 壊れた人形のような、捻じ曲がった肉体の群れが、ことごとく牙剣に叩き潰されて路面や塀、建物の壁に、ぶつかり貼り付いた。


 拍手が、聞こえた。

「お見事。これほどの戦士を、手駒として隠し持っておられたとは。レオゲルド・ディラン伯爵、侮り難しと言えよう」


 闇が喋った。一瞬、そう見えた。

 暗黒そのもののような人影が、現れたと言うより、いつの間にかそこにいた。


 闇色のローブ身を包んだ、恐らくは男。

 フードの奥に陰影を溜め、その中で冷たく禍々しく眼光を灯している。


 枯れ木のような両手で拍手をしながら、その男は言った。

「ガロム・ザグと言ったな。しかし貴公に、税務官殿の身柄を渡すわけにはゆかぬ……クルバート・コルベム伯爵、私と共に来い。王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ殿下が、貴公をお守り下さるであろう」

「王弟……ベレオヌス、だと……!」


 この世で、最もおぞましい人名であった。

 旧帝国系貴族の面々にしても、あの男に比べたら、いくらかはましというものだ。


「貴様もか、ジュラード……ゴルディアック家に仕える身でありながら、王弟ベレオヌスとも誼みを通じ、何を企む!?」

「私は、ログレム・ゴルディアック宰相閣下の潔白を証明して差し上げたいだけだ。クルバート殿、貴公ならばそれが出来る」


「何やら、込み入った話のようだが」

 ガロムが、クルバートを背後に庇ったまま、ジュラードと対峙した。

 片方の牙剣で、刺客たちの捻じ曲がった屍を指し示す。

「……あんたの仕業か、これは」


「雑魚どもではあるが、私の魔力で若干の強化を施してやれば……貴公には勝てるのではないか、と思ったのだ。甘かった」

 ジュラードの片手が動いた。

 枯れ木のような五指が、雷鳴と光を発した。電撃だった。

「手強い相手は、やはり私が自ら排除せねば……な」


 迸った電光を、ガロムは牙剣で防ごうとしたようだ。

 無謀、としかクルバートには思えなかった。


「ぐぅっ……!」

 電光をまともに喰らったガロムが、全身から白煙を発しながら吹っ飛び、塀に激突する。肉の焦げる臭いが、漂った。


「ほう、生きているとは……」

 ジュラードが、感嘆している。

「魔法攻撃を、精神力で防御する術を心得ているようだな。惜しい人材ではある……が、とどめを刺しておく必要はありそうだ」


 枯れ木の枝を思わせる片手が、再び雷鳴と電光を発した。

 焦げ臭い白煙をまとったまま倒れて立てぬガロムを、直撃する寸前。その電撃光は、砕け散った。


 光を帯びた刃の一閃が、ジュラードの電光を打ち砕いていた。


「む……」

 フードの下、陰影の中で、ジュラードは軽く目を見張ったようだ。


 細身の人影が、そこに佇んでいた。

 しなやかな身体に、質素なマントが巻き付いている。首から上もすっぽりとフードに隠され、素顔が見えない。


 ただ、女性であろうという事は何となく見て取れる。

 淡く発光する細身の長剣を、優美な右手で力みなく握り構えた、女剣士。


「……お手柄ですわね、ガロムさん」

 フードの下の、美しい容姿が、容易く想像出来る声であった。

「人探しの地味な探索作業、貴方に一任して正解でしたわ。派手な部分は、私が独り占め致しますわよ」

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