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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第28話

 意外なほど、怒りは湧かなかった。


 最大の憤怒は、もはや経験済みである。

 アイリ・カナンを抱き上げて看取った、あの時に。


 比べれば。

 アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃の偽物など今更、見せられたところで、腹立たしさも起こらない。


 むしろ褒めてやっても良い、とシェルミーネ・グラークは思っている。

「実に、上手く化けたもの……大したものですわ」


 王宮の露台に立ち、愛おしげに赤ん坊を抱く、若い母親。民衆に向けられる笑顔。

 遠目には確かに、花嫁選びの祭典の優勝者アイリ・カナンである。他の誰でもない。


 赤ん坊は、もしかしたら人形かも知れない、とシェルミーネは思った。

 本物のフェルナー・カナン・ヴィスケーノ王子は今頃、ドルムト地方ジルバレスト城で、兄アルゴ・グラークを馬にでもしているところであろうか。


 今、王宮の露台上にあるのは、偽りの母子の姿である。

 そして。その傍らに立ち、鷹揚に微笑みながら民衆に手を振る、1人の青年。

 アイリ妃の夫にして、フェルナー王子の父親。


「アラム王子……」

 建物の陰でシェルミーネは、届かぬ声を発した。


 ヴィスガルド王国、王都ガルドラント。


 王宮を見上げ、露台に立つ王太子夫妻に歓声を送る、群衆の中。

 シェルミーネは薄茶色のマントを羽織り、フードを目深に被って、美貌を隠している。

 王都の民に、顔も名前も知られた身である。


 2年前、王国で最大の憎悪を集めた悪役令嬢が今こうして人混みに潜んでいると言うのに気付きもせず、脳天気に騒ぎ立てる王都民の群れ。

 押し退け、掻き分け、露台に近付いて叫ぶ。


 そんな事をしたところで、気の触れた狼藉者として扱われるだけだ。シェルミーネも、理解はしている。

 何より現在、自分たちのために便宜を図ってくれているレオゲルド・ディラン伯爵の身に、災いが及ぶ。


「アイリさんが……死にましたのよ。ねえ、アラム王子……」

 その言葉を、しっかりと伝えるためには、アラム・ヴィスケーノ王子と1対1で会話の出来る状況を作らなければならない。


 同じくマントとフードで容姿を隠した兵士ガロム・ザグが、小声を発する。

「……シェルミーネ様、お気付きですか?」

「ええ……大勢、いらっしゃいますわね」


 露台上の王太子夫妻に歓声と喝采を送る、王都の民。

 その群衆のあちこちに、王宮警護の兵士たちが潜んでいる。騒ぐ民衆に化けている。

 全員、手練れである。

 今ここでシェルミーネが行動を起こしたところで、容易く阻止されるだろう。


「アラム・ヴィスケーノ殿下の声望は、日に日に高まってゆくばかりでな」

 レオゲルド・ディラン伯爵が言った。

 今はシェルミーネもガロムも、近衛騎士レオゲルドの従者といった体である。


「やはり、ボーゼル・ゴルマーの叛乱を鎮圧した功……それが大きい。加えて、それを誇るでもなく驕り昂る事なく、謙虚な姿勢を見せ続けている。恐らく、意識的にな」

「次期国王たるにふさわしい好人物として、振る舞っておられる……と。まあ当然ですわね」

「アイリ・カナン妃殿下もまた、夫を支える良き奥方の姿を、こうしてお見せになる」

 言いつつもレオゲルドは、露台上の王太子夫妻を見ようとしない。


「良き国王、良き王妃……その姿を、民に示し続けねばならぬ方々よ」

「……わかっておりますわ、そのような事」


 隣にいるのが偽りの妻子であると、アラム王子が知らぬはずはなかった。

 妻アイリよりも、息子フェルナーよりも、重く扱わねばならぬ何かを、王太子アラムは背負ってしまったのだ。


(それが何であるのかを……私が納得するよう、語ってご覧なさいませね、アラム王子)

 その言葉も、ここで口にしたところでアラムには届かない。


 もはや、ここにいる意味はないだろう、とシェルミーネは思った。


 何者かが人混みに紛れ、近付いて来た。

 レオゲルドの傍らで、何事かを囁いている。報告であろう。


「行方知れず……か」

 そんな事を呟きながら、レオゲルドは目を閉じた。


 すぐに、その目は開かれた。視線が、シェルミーネに向けられる。

「失踪した、デニール・オルトロン侯爵の事だが」


 レグナー地方の領主、であった人物だ。

 彼を『失踪』へと追い込んだのは、シェルミーネである。


「レグナー地方において、民に不正な重税を課していた。私腹を肥やすため、と思われていたが……」

「私腹を肥やす……貴族が搾取を行う理由に、それ以外のものが?」

 嘲笑うように、シェルミーネは言った。

「……まあ、グラーク家もね。仁君とは程遠い政治をしておりますから、あまり偉そうな事を申し上げるわけにも参りませんけれど」


「私腹を肥やすならば、まだましと言える。デニール・オルトロン、のみならず旧帝国系に属する地方貴族の大半はな」

 おぞましげに、レオゲルドは言った。

「民から搾取し、不正に貯えた財を……ゴルディアック家に、貢いでいるのだ」


「ゴルディアック家……宰相ログレム侯爵閣下の?」

「うむ。旧帝国系貴族の中でも、家格においては最高位と言える名門よ」


「貢ぐ、とは……賄賂の類とは、意味合いが異なりますの?」

「軍資金よ。ヴィスガルド王国打倒、そして帝国復活のための」

 レオゲルドは、天を仰いだ。


「……我ら王国貴族の間で、公然の秘密となっている事柄だ。旧帝国系貴族が軍資金を貯め、叛乱の機会を窺っている。その資金を管理しているのがゴルディアック家である、と」

「もちろん、証拠などありませんのね?」

「仮に、ログレム宰相の失脚を狙う者がいるとするならば……その者は、この疑惑を徹底的に追及し、証拠を固めねばならないであろうな」


 このレオゲルド伯爵は、どうであるのか。


 王国最大の権力者、宰相ログレム・ゴルディアック侯爵と王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵。

 この両名と懇ろな関係にある、とレオゲルド本人は言っていた。


 だが。裏切って、のし上がる事が出来るのならば。

 宰相あるいは王弟、どちらかの弱みを握る事が出来るのであれば。


 その程度の野心はあって当然であろう、とシェルミーネは思う。

 ただ、口に出して確認するような事ではない。


 それよりも。レオゲルドは何故、このような話を聞かせてくるのか。

「証拠を固めるには、税務に携わる者の協力が必要不可欠だ。地方で搾取されたものが、いかにしてゴルディアック家の蔵に流れ込んで行くのか……それを知る者、その流れを管理している者の、身柄を押さえなければならない」


「見えて参りましたわよ、レオゲルド伯爵閣下」

 シェルミーネは言った。

「先程の、行方知れずという御言葉……税務に携わっておられる、どなたかの事ですわね」

「クルバート・コルベム伯爵。有能な税務官で、ログレム宰相の信任も厚い」

 すなわち、税として徴収されたものをゴルディアック家へ流し込むには適任と言える人物……とまでは、レオゲルドは言わない。


「このクルバート伯爵がな、私がレグナー地方で貴女やジグマ・カーンズと話をしていた頃に、行方知れずとなった。今のところ、死体も見つかっていない」

「宰相閣下による口封じ、という可能性も?」

「それならば、むしろ死体が発見されているだろう。死因も用意されているはずだ。事故死であれば事故現場が、殺人であれば犯人が、抜かりなく仕立て上げられている」

 ログレム宰相が今頃それに取り掛かっていない、とは限らない。


 そうではなく、クルバート伯爵が存命のまま姿を消し、それが己の意思によるものではないとしたら。

 宰相ログレム・ゴルディアックの失脚を狙う何者かが、拉致に等しい形で身柄を押さえにかかっている、のであるとしたら。


「王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵閣下……」

 シェルミーネは、人名を呟いた。

 レオゲルドは、否定も肯定もしない。

「我ら近衛騎士団は、官憲でもある。不正が行われているのであれば捨て置けぬ、暴かねばならぬ……クルバート・コルベムの身柄を、確保したい」


「それを私にやれ、とおっしゃるのね。よろしくてよ? お引き受け致しますわ」


 いざとなれば切り捨てて、知らぬ存ぜぬを押し通す事が出来る。

 レオゲルドにとって、シェルミーネとガロムは、そのような戦力なのだ。


「人捜しはね、こちらのガロムさんが得意中の得意ですのよ」

「そんな事は、ありませんが……」

 ガロムが言った。

「……シェルミーネ様が、そのようにおっしゃるなら」


「よろしく頼む、シェルミーネ嬢。ガロム殿」

 レオゲルドが、頭を下げた。

「旧帝国系貴族が、王国転覆のため不正な蓄財を行っている……長年に渡る疑惑、私は証拠を掴みたい」


 掴んだ後は、どうするのか。

 王国最高権力者の失脚に繋がり得るものを、このレオゲルド・ディランという人物は、どう扱うつもりであるのか。


 官憲を司る者として、正当な法の裁きを行うだけか。

 それとも。宰相ログレムに、何かしら脅迫同然の交渉を持ちかけるのか。

 上手くすれば、最高権力者2名を出し抜いて、レオゲルドが王国の頂点に立つ事も不可能ではない、のではないか。


 思った事を、シェルミーネは口には出さなかった。

「レオゲルド伯爵には……お世話になりますもの、ね」

 ただ、そう言っただけである。


 旧帝国系貴族による不正行為に関わっている、かも知れない税務官が、謎の失踪を遂げた。

 捜し出し、身柄を確保する。

 それはシェルミーネにとっては、宰相あるいは王弟といった、王国の中枢にいる人々への手がかり足がかりとなる。


 アイリ・カナンを殺した何者かに、近付く事が出来るのだ。

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