第27話
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レグナー地方から王都ガルドラントへ向かうならば、ここアドラン地方を横断して行くのが最も近い。
王都に近ければ近いほど都会的というわけでもなくアドランは、ヴィスガルド王国最西の辺境ドルムトと比べても遜色なきほどに山深い地であった。
近衛騎士レオゲルド・ディラン伯爵率いる王国正規軍は現在、進軍のため最低限の整備がされた山道を通り、王都へと向かっている。
右手は、鬱蒼たる山林。
左手はいくらか開けており、山か丘陵か判然としないものを、こうして歩きながら一望する事が出来る。
山でも丘陵でもない。
植林された、巨大な人工物である。
年月を経て、今や完全に、山々の風景の一部と化していた。
「あれが……」
シェルミーネ・グラークは呟いた。
「アドランの帝国陵墓……歴代の、皇帝の方々が埋葬されていらっしゃるという」
「全員、ではないがな」
馬上で、レオゲルド伯爵が言った。
シェルミーネの立場は現在、兵士ガロム・ザグ共々、傭兵のようなものである。
王国正規軍に協力する流れ者の剣士として、近衛騎士団の指揮下に入る。
その形で、レオゲルド伯爵は同行を許してくれた。
このままガルドラントへ向かい、到着後も便宜を図ってもらう事になる。
「あの陵墓は現在、唯一神教会の管理下にあり、立ち入る事は出来ない。埋葬されているのは、主に帝国後期・末期の皇帝たちであるという……シェルミーネ嬢。貴女はよくぞ、徒歩で我らの行軍について来られるものだな」
「グラーク家は、そういう家風ですのよ。か弱い令嬢である私を、まるで特別扱いしてくれませんわ」
騎馬を勧められたが、シェルミーネは断った。
ガロムと共に今は歩兵として、騎兵隊長レオゲルドに随従している。
ガロムは、ただ黙々とシェルミーネの前を歩いていた。
「あの陵墓には」
レオゲルドは、なおも語る。
「……帝国で最も曰くのある人物が、埋葬されている。一応は皇族扱いであるようだ」
「聞いた事ありますわ……皇母ヴェノーラ・ゲントリウス陛下。帝国最後の、実質的支配者」
帝国滅亡の原因として五百年後の今もなお、悪名を馳せる女性である。
「かの皇母に関して、シェルミーネ嬢はどれほどの事をご存じであるのか」
「……恐るべき、魔法使いであられたとか」
魔法令嬢ルチア・バルファドールを思い出しながら、シェルミーネは答えた。
「その魔力と美貌と才知を駆使して国政を壟断し、暴君として君臨。恐怖政治の限りを尽くした後、叛乱者アルス・レイドックに討たれ、帝国滅亡そしてヴィスガルド建国に至る……と。私は、そう習いましたわ」
「近年の調査で、わかってきた事が様々ある」
レオゲルドの口調が、いくらか重くなった。
「ヴェノーラ・ゲントリウスは……花嫁選びの祭典で、皇妃の座を勝ち取ったのだ」
「花嫁選びの……」
陵墓を、シェルミーネは見つめた。
「祭典を勝ち抜き、皇帝の妃となって位人臣を極め、やがて政権を握る……思いのままに、専制政治を……」
息を、飲んでいた。
「まさしく、それは……悪役令嬢の完成形、ですわね」
「それ、そのように憧れてしまう。夢を、野心を、抱かせてしまう」
レオゲルドが言った。
「平民が位人臣を極めるような事など、あってはならぬと。そのような話にも、なってしまうのだ」
「貴方ご自身は、どうお考えか。今や一兵卒に過ぎない小娘が、近衛騎士たる殿方に……伺っても、よろしくて?」
レオゲルドの方を見ずに、シェルミーネは訊いた。
見たら睨んでしまいそうだ、と思ったからだ。
「アイリ・カナンは、民に要らぬ野心を抱かせる存在……故に、この世に在ってはならなかったと。そう、お思いに?」
「……平民の娘が、王侯の世界に足を踏み入れる。それはな、命の危険が高まるという事なのだ。理不尽に思うであろうが仕方がない、そういうものだ」
アイリ・カナンは、花嫁選びの祭典を勝ち抜いたから死んだ。
レオゲルドは、そう言っているのか。
「アイリ・カナン・ヴィスケーノ妃殿下が……あるいは王侯の栄華を求めるだけの小娘であれば、危険視される事もなかったであろう。だが、あの方はあまりにも高潔であられた。出会う者ことごとく味方に引き入れてしまう何かを、お持ちであった。味方を集めて何かをする、などという意思の有る無しに関わりなくな」
危険視された。
だから、殺されたのか。
そこまでは、レオゲルド伯爵は語ってはくれないだろう。
何が、アイリを死に追いやったのか。
おぼろげな何かが、見えてきたようにシェルミーネは感じた。
はっきりしたものを見るためには、王都の中枢に近付く必要がある。
宰相ログレム・ゴルディアック。
王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ。
この最高権力者両名と繋がりを持つレオゲルド伯爵とは、良好な人間関係を維持しなければならない。今は、まだ。
「……花嫁選びの祭典は」
レオゲルドは饒舌である。
胸の内に秘めておけぬものを抱えているのかも知れない、とシェルミーネは思った。
「我ら旧帝国系貴族が、ヴィスガルド王家を乗っ取るための催し物であった」
「はっきり、おっしゃってしまわれますのね」
「そのために多数、送り込まれた旧帝国系貴族の令嬢たちを……シェルミーネ嬢。貴女とアイリ・カナンが、ことごとく蹴落としてしまった。痛快ではあったかな」
「審査を、随分と公正にしていただきましたわ」
シェルミーネは言った。
「……かの祭典。旧帝国系のご令嬢方が勝ち残るよう、取り計らう事も出来たのでは?」
「2年前の、花嫁選びの祭典。運営の全てを取り仕切っていたのは、シグルム・ライアット侯爵という人物でな」
「メレス侯爵の、お父君……」
故人である。
国政において、ログレム宰相と双璧を成す、とまで言われた人物だ。
「シグルム侯は……旧帝国系貴族の中でも、異端と言うべき硬骨漢であった。祭典における審査は厳正を極め、旧帝国系貴族の令嬢たちに対しても容赦がなかった。だから、まあ裏切り者のような扱いを受けてはいたようだ」
祭典終了と時を同じくして、シグルム侯爵は亡くなった。
毒殺であった、とシェルミーネは聞いている。犯人は不明であるという。
裏切り者として始末された、という事なのか。
「つまり、どういう事なのかという話だが」
レオゲルドは、苦笑したようだ。
「私を含め旧帝国系貴族という者どもは、ヴィスガルド王家ヘの敵意に駆られて様々に悪巧みはするものの、決して一枚岩ではないという事だ」
馬上から、レオゲルドは陵墓を見やった。
「花嫁選びの祭典に関しても、そうだ。旧帝国系貴族の中には、あれの開催に反対した者も実は少なくはなかった。何しろ、帝国に滅びをもたらした催し物だからな」
「……最強の魔女ヴェノーラ・ゲントリウスを、皇族に引き入れてしまった祭典。ですものね」
「帝国最後の、花嫁選びの祭典。その優勝者ヴェノーラ・ゲントリウス。共に、私に言わせれば帝国の滅亡そのものだ。災厄の象徴だ」
片手でレオゲルドは、唯一神への祈りの印を切った。
「しかし旧帝国系貴族の中には……ヴェノーラ妃を崇拝する一派が、存在するのだ。力の象徴として、な」
ヴェノーラ・ゲントリウスは、1人の皇子を出産した。
それが帝国最後の皇帝マルスディーノ・ゲントリウスで、ヴェノーラ妃は彼の後ろ盾として大いに権勢を振るった。
皇帝マルスディーノは、ほとんど母の傀儡であったようだ。
現在あまた存在する、旧帝国系貴族。
彼らの先祖の中には、暴君ヴェノーラ・ゲントリウスに媚びへつらって生き延び、家名を保った者も、少なくはないはずであった。
「今なおヴェノーラ妃に頭の上がらない方々……ですのね」
「王都には、そのような者たちもいる。様々に面倒な思いをする覚悟は決めておくのだな、シェルミーネ嬢」
面倒な思いをする、程度では済まないだろう。
シェルミーネは思う。
花嫁選びの祭典。仮に、自分が優勝をしていたら。
アラム・ヴィスケーノ王子を、上手く尻に敷く事が出来たであろうか。
次期国王の母親として、権勢を振るう事など出来たであろうか。
古の悪役令嬢ヴェノーラ・ゲントリウスの如く、権力を握る。それが、出来ていたら。
(アイリさん……貴女を、守る事も……私、出来ましたの?)
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「そう……ベルクリスの奴、生きていたのね」
叛乱者ボーゼル・ゴルマーの娘。
生死不明であった剛力令嬢の生存を、ルチア・バルファドールは、まだ自分の目では確認出来ていない。
アドラン地方。
断崖の頂からルチアは今、行軍中の王国正規軍を見下ろしている。
シェルミーネ・グラークがいた。
あのガロム・ザグという若い兵士と共に、隊長らしき人物を護衛している。
「どうどう、クルルグ」
傍らに立つ獣人の若者が、にゃーん……と闘志の声を発している。ルチアは、なだめた。
「あのガロム君と、決着をつけたいのね? まあまあ、先の楽しみにしておきなさい」
「……いかが、なさいますか。お嬢様」
白色のマントに身を包んだ男が、跪いて指示を仰いでくる。
フードは、被っていない。
痩せた、初老の男性の素顔が、明らかになっている。
「ベルクリス嬢と、接触をなさいますか?」
「そうねえ。あいつと話したい事、山ほどあるけど……今は、やめておきましょう。好きに暴れてもらうわ」
マントとフードで完全に正体を隠した白装束の者が、あと4名、ルチアの周囲に控えている。
フードを脱いだ初老の男に、ルチアは労いの言葉をかけた。
「ご苦労様でした、イルベリオ先生。実験は、上手くいったようね」
「さあ……それは、どうでございましょうか」
言いつつイルベリオ・テッドは、枯れ木のような片手で、光の塊を掲げた。
闇よりも暗い、光。
かつてゲンペストを満たしていた、エンドルム家の怨念の集合体である。
「デニール・オルトロン侯爵は……シェルミーネ嬢によって、容易く滅せられてしまいました。お嬢様、貴女であれば今少し、強力な怪物をお作りになれたのではと思いますが」
「うふふ、おだてないで。私、先生より凄いものなんて作れないわ……我が師、イルベリオ・テッド。私は貴方の、不肖の弟子よ」
そびえ広がる帝国陵墓に、ルチアは眼差しを向けた。
「……バルファドール家の連中は、最低だったわ。帝国の栄光がどうの誇りがどうのと、過去の遺物にすがる事しかしない。重苦しい懐古主義が、バルファドール家には泥沼みたいに渦巻いていた。泥沼みたいな空気の中で私、年がら年中うんざりしてたわ。そんな時に先生、貴方に会えた。貴方は私に……ヴェノーラ・ゲントリウスの黒魔法を、教えてくれたわ」
「ヴェノーラ妃が独学で作り上げた黒魔法を、我ら一派は五百年に渡り、受け継いで参りました」
「私……あの人みたいに、なりたい……」
陵墓に眠る、名のみ知る人物を、ルチアは見つめた。
当然、姿など見えはしないが、それでも見つめた。
「あの人が、帝国をめちゃめちゃにしたみたいに……私、この国に思いきり酷い事したい。アイリを殺した、この国に」
シェルミーネ・グラークは、レグナー地方の民を、結果として救った。
領主殺害の咎をジグマ・カーンズに押し付け、逃げる事も出来たはずだが、それをしなかった。
「そう……よね、悪役令嬢。あんたは結局、格好つける事しかしない」
こんな断崖の上からでは届かぬ声を、ルチアは発した。
「格好つけるしか能のない奴に……アイリを殺す、なんて……出来るわけ、ないのよね」
もはや、するべき事は1つしかない。
「本当にアイリを殺した奴を、見つけ出す。その過程でヴィスガルド王国は……そいつもろとも、滅びる事になる」
ちらり、とルチアは視線を動かした。
白装束の4名とは、いくらか距離を置いて佇む、暗黒色の甲冑姿。
ルチアは、声を投げた。
「貴方にとっては、この国を裏切る事になる……構わないわよね? 貴方が、この国に裏切られたんだから」
黒騎士は、何も応えなかった。




