第26話
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レオゲルド・ディラン伯爵。
ジグマ・カーンズ元伯爵。
本来ならば、討伐する側される側という関係にある両名の、会談が実現した。
別に自分が導いたわけではない、とシェルミーネ・グラークは思っている。
だが2人ともシェルミーネを仲介者のように扱い、同席を求めてきた。
レグナー地方、ゲルグリム山。
山塞の中核たる砦の一室で、3名が卓を囲んでいる。
ジグマは、負傷した身体に無理矢理、甲冑をまとっているようであった。
「よくぞ……」
激痛を押し殺した声、である。
ベルクリス・ゴルマーの鉄球を喰らったのだ。軽傷であるはずが、なかった。
「賊徒の巣窟へ、近衛騎士たる御仁が……よくぞ単身、乗り込んで来られたもの。そのお命、わざと我らに奪わせて……もはや言い訳も出来ぬ本格的な叛乱討伐へと、事を進めてゆくおつもりか」
「私はな、面倒事を片付けるために来たのだよ。ジグマ・カーンズ卿」
率いて来た近衛騎士団を、レオゲルドは砦の外で待機させた。
騎士たちの反対を振り切って単身、叛乱軍首魁との会談に臨んだのだ。
ジグマもまた人払いを行い、配下の民兵たちを砦の外へ出した。
だからシェルミーネも現在、兵士ガロム・ザグを伴っていない。
この部屋には、3人しかいない。
敵対し合う大人の男性2人を、まるで仲立ちするような格好で、シェルミーネは両者の間にいた。
「この場で私を討つか、レオゲルド・ディラン伯爵」
苦しそうに、ジグマは微笑んだ。
「面倒事を片付けるには……確かに、それが最も手っ取り早かろうな」
「させませんわよ、無論」
シェルミーネは言った。
「ジグマ卿は剛勇無双なれど、今は手負いの身……私が、代わりに戦いますわ。令嬢のお遊びとして武芸を嗜むだけの小娘が、近衛騎士団の殿方に勝てるわけはありませんけれど」
「……私が貴女に、勝てるわけはない。だから、そんな事はしない。言ったはずだ、面倒事を片付けるとな」
レオゲルドが、そこまで言って黙り込んだ。
砦の外では今頃、近衛騎士団と民兵部隊が、一触即発の状態に陥っているかも知れない。
そうなったらガロムに収めてもらうしかない、とシェルミーネは思う。争い事の仲裁が、彼は少なくとも自分よりは上手い。
「……この地の領主デニール・オルトロン侯爵は、領主の責務を放棄して逐電・逃亡し、行方を絶った」
レオゲルドが、わけのわからぬ事を言い始めた。
「王国としては、領主の地位を剥奪せざるを得ない。後任の領主を今、この場で決めねばならぬ。その権限を私は、ログレム・ゴルディアック宰相閣下より賜ってきた」
貴金属の硬貨、のようなものを、レオゲルドは卓上に置いた。
硬貨ではない。徽章である。
ヴィスガルド王国の印……勇壮なる甲冑騎士の姿が、鋳造されている。
シェルミーネの父、ドルムト地方領主オズワード・グラーク侯爵も、これと同じものを身に付けている。
王国より正式に任ぜられた、地方領主の徽章であった。
「それを付けろ、ジグマ・カーンズ元伯爵。いずれ爵位も戻る」
「…………貴殿は、何を言っているのだ」
「同じ事を何度も言わせるな。私は、面倒事を片付けに来たのだ」
「お待ちになって……」
シェルミーネは思わず、卓を叩いてしまいそうになった。
「ジグマ卿が正式に……この地の、領主に……? それが最も、面倒のない方法であるとでも……いえ、確かにそうかも知れませんけれど」
「貴女がたグラーク家の代官として、ここレグナー地方を長らく統治してきた実績と経験。ジグマ・カーンズ元伯爵をおいて他に、領主たる人材がいるとも思えぬ。それで良いではないか。そうする事で一体、誰が困ると言うのだ」
最も困る人間は、すでにこの世にいない。シェルミーネが殺してしまった。
ジグマが、呻いた。
「……私は叛乱者、逆賊であるぞ」
「ほう。レグナー地方では現在、叛乱が起こっているのか。確かに領主デニール・オルトロン侯爵より、そのような訴えが届いていたようではある……が、我らがこの地に到着した時には、デニール侯はすでに行方知れずであったのだ」
「レオゲルド卿! 申し上げたはずですわ、デニール侯爵は私が……」
「屍も、殺人の痕跡も、見つからぬのだよシェルミーネ嬢。貴女が領主を殺害したところを、目撃した者もいない」
何人もの兵士が、目撃しているはずであった。
「ただ、珍妙な証言をしている兵士が何名かいるようだ。巨大な魔物が出現し、自分たちを襲ったが……シェルミーネ・グラーク嬢が助けてくれた、と。かの悪役令嬢が、魔物を討伐してくれたと。まあ、そのような事もあろう」
言いつつレオゲルドが、軽く見据えてきた。
「……自分が、誰かを殺した。貴女のその自己申告が、どれほど信用に値せぬものかを私は知っている」
「そのような……」
「ともかく。領主の任を放棄して失踪するような者の訴えなど、受理する事は出来ぬ。ジグマ卿、その徽章を身に付けろ。貴公に拒否権はない。これにて面倒事は終わりだ」
「……それが、通ってしまいますの」
「私はなシェルミーネ嬢。この王国の最高権力者2名と、そこそこは懇ろな人間関係を築き上げているのだよ。大抵の事は、通ってしまう」
ヴィスガルド王国の、最高権力者。
国王エリオール・シオン・ヴィスケーノ、ではないだろうとシェルミーネは思った。
王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵。
それに先程、レオゲルドの口からも名前が出た、王国宰相ログレム・ゴルディアック。
この両名と、どう関わるか。どう繋がるか。
それは王国貴族にとって、死活問題にも等しいという。
父オズワードは、この両名とはしかし距離を置いているようであった。
「そういうものだ。悪役令嬢を名乗るのであれば、まあ理解はしておくのだな。さて」
レオゲルドが無理矢理、議題を変えてしまった。
「もうひとつの面倒事も、片付けてしまおう。シェルミーネ嬢、私の息子から何かを預かって来られたという話であったな?」
「……お父君に、便宜を図っていただくようにと。ブレック・ディラン殿は、そうおっしゃいましたわ」
ドルムトから、ここまで持参したものを、シェルミーネは差し出した。
書簡の入った、筒である。
それをレオゲルドは受け取った。
筒の中身を取り出し、広げ、黙読を始める。
彼の息子であるブレック・ディランが現在、ドルムト地方領主オズワード・グラーク侯爵のもとで療養中である。
負傷した息子からシェルミーネが預かって来た書簡を、レオゲルドは幾度か読み返しているようであった。
「……便宜を、か」
呟いている。
「息子に関しては、お礼を申し上げておこう。少なくとも、あやつの命に見合う程度の事は……シェルミーネ・グラークよ、貴女のために私はしなければなるまいな」
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花嫁選びの祭典。
何という、百害ありて一利もなき催し物であった事か、と王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵は思う。
「民衆の娘を王族に、など……御伽噺に、とどめておくべきとは思わぬか」
ヴィスガルド王国、王都ガルドラント。
最も風光明媚なる一角に建てられた、私邸である。
豪奢な寝椅子に肥満体を沈めながら、ベレオヌスは庭園を眺めていた。
1人、客人を迎えている。
闇色のローブに身を包んだ、恐らくは男。フードを目深に被り、陰影の中に眼光のみを灯している。
いくらか遠慮がちに寝椅子に腰掛け、その不吉な眼差しをベレオヌスに向けてくる。
フードの下には、どの角度から光を当てても陰影が渦巻いているように思える。
無礼であろう、素顔を見せよ。
そう命ずる事が、ベレオヌスは何故か出来なかった。ヴィスガルド王国の、実質的な最高権力者であるはずの自分がだ。
「かの祭典は、帝国時代に行われていたものの再現……」
闇色のフードの下、陰影の中から、声が流れ出す。
「言うなれば、帝国の亡霊のようなものでございましたな。王弟殿下」
「隙あらば、亡霊を呼び起こそうとなさる方々がおられる」
旧帝国系貴族。
そこまでは、ベレオヌスは言わずにおいた。
この黒衣の男が仕えているのは、旧帝国系貴族の筆頭とも言うべき人物なのだ。
花嫁選びの祭典には、旧帝国系貴族の令嬢たちも大勢、参加した。
全員、ことごとく脱落した。
そこは、そこだけは、アイリ・カナンとシェルミーネ・グラークに感謝するべきであろう、とベレオヌスは思う。
ヴィスガルド王家の血と、旧帝国系貴族の血が、混ざり合わずに済んだのだ。
建国王アルス・レイドック・ヴィスケーノの時代から、およそ五百年。
国王の花嫁が、旧帝国系貴族から選び出される事はなかった。
旧帝国系貴族が、国王の祖父として権力を握る事態を、ヴィスガルド王家は徹底的に避けてきたのだ。
この度も危うく、その事態は避けられた。
だが。その結果として王太子の花嫁となったのが、平民の娘である。
「由々しき事態である……民が、身の程に合わぬ夢を見てしまう。それは結局、民に不幸をもたらす事になるとは思わぬか、ジュラード殿」
ジュラードという名前以外、一切を明かそうとしない黒衣の男が、その言葉に応えた。
「アイリ・カナン妃殿下は……民衆に、夢を与え過ぎてしまわれましたな」
「あれは、いかん。民はな、ささやかな目先の幸福のみを追いかけておれば良いのだ」
「我が主……宰相ログレム・ゴルディアック侯爵も、同じ事を申しておりました」
「ふむ、宰相閣下が」
このジュラードという男が、いつから宰相ログレム・ゴルディアックに仕えているのか、ベレオヌスは知らない。
宰相の懐刀として、このように王弟公爵の私邸にも出入りをしている。
先日のように時折、降霊の秘術を用いて、生者の知り得ぬ情報を入手してくれる事もある。
「ジュラード殿……本日こうして貴公をお招きしたのは他でもない。宰相閣下に関し、つまらぬ噂を耳にしたものでな。つまらぬ噂でしかない事を、保証していただければと思うのだ」
「レグナー地方からの税収の一部が、ゴルディアック家の私財に流れ込んでいる……という、例の噂にございますな」
闇色のフードの下で、眼光が怪しく燃えた。
「デニール・オルトロン侯爵のみならず……旧帝国系地方貴族の方々が、不正なる搾取を行い、ゴルディアック家に貢ぎを行っていると。確か、そのような噂でございましたか」
旧帝国系貴族、最大の名門たるゴルディアック家が、不穏な財を蓄え、政変の準備をしている。
ログレム宰相を失脚に追い込むための、糸口となる噂である。慎重に扱わなければならない。
「取るに足らぬ噂話である、と私は思いたいのだ」
「……調査いたしましょう。私が、ゴルディアック家を」
ジュラードは言った。
「我が主ログレム宰相には、実のところ……臣下たる私の目から見ても、いささか怪しい部分が無いわけではありません。取るに足らぬ噂話でしかないと、私も信じたいものです」
「よろしく、お願いする」
そう容易く失脚をしてくれるほど、甘い相手ではない。
それは、ベレオヌスとて理解はしている。
さしあたっての目的は、1つ。
このジュラードという男を、こちら側に引き込んでおく事だ。




