第25話
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馬蹄の響きが、聞こえて来た。
騎馬の軍勢が、近付いて来ている。
ヴィスガルド王国、レグナー地方。
領主デニール・オルトロン侯爵率いる王国地方軍本陣に、シェルミーネ・グラークはいる。
ベルクリス・ゴルマーと、対峙している。
両者の間に兵士ガロム・ザグが立ちはだかり、令嬢2人の殺し合いを阻止しているところだ。
「随分と、訓練された騎馬隊……」
ガロムが言った。
「……シェルミーネ様、これは」
「ええ……王国正規軍、ですわね」
いくつもの天幕の向こう。
地平の彼方で土煙が立ち上り、旗が揺らめいている。
建国王アルス・レイドック・ヴィスケーノを描写したものと伝わる、勇壮なる甲冑騎士の姿が描かれた旗。
紛れもなく、ヴィスガルド王国正規軍である。
ここレグナー地方では現在、旧領主グラーク家の代官であったジグマ・カーンズ元伯爵が、叛乱に近い事態を引き起こしている。
現領主デニール・オルトロン侯爵が、その鎮圧に失敗し続けているのだ。
正規軍が王都より派遣されて来るのは、まあ当然であった。
アラム・ヴィスケーノ王子が、来てくれたのか。
そんな事を、やはりシェルミーネは考えてしまう。
「……お退きなさい、ベルクリス」
細身の剣を鞘に収め、シェルミーネは言った。
「貴女は、ここには最初から居なかった。そういう事にしておきますわ」
「……王国軍の連中が来るなら、あたしの身柄を確保しといた方がいいんじゃないのか」
ベルクリスは言った。
「叛乱貴族の血縁者を逃がした、庇った、なんて話になったら……お前個人の問題じゃ済まなくなるぞ。お前の実家を巻き込んでの面倒事に」
「貴女の身柄を確保? ふん。夢のようなお話をしている場合ではなくてよ」
シェルミーネは、嘲笑って見せた。
「王国正規軍の方々に貴女、大人しく捕縛されて下さるの?」
「ふふん、さあな」
「……人死にが出ますわ、間違いなく」
「人死には、嫌か。悪役令嬢らしくもない」
「人死には……アイリさんが、嫌がりますわ」
「…………」
ベルクリスは何も言わず、眼光を向けてきた。
シェルミーネは、ただ見つめ返した。
土煙と旗が、近付いて来る。
ベルクリスが、やがて言った。
「……お前はどうするんだ、悪役令嬢。ここに残って、王国軍の連中相手に何か話つけようってのか」
「ジグマ卿に何もかも押し被せてしまう、わけには参りませんもの」
負傷中のジグマ・カーンズが、このままでは叛乱者として処刑されかねない。
何しろ、正式な領主であるデニール・オルトロン侯爵を、シェルミーネが殺害してしまったのだ。
「……ひとつ、言っておく」
ベルクリスが背を向け、言った。
「今から来る王国軍の連中に、お前らが捕縛でもされたら……あたしが助けてやる。お前らが迷惑がっても関係ない、あたしは暴れるぞ。結果、人死にが出る。そうならないように、ま、せいぜい上手く立ち回ってみろ」
鎖を束ねて担ぎ、立ち去って行くベルクリスが、1度だけ振り向いて微笑んだ。
「……またな、ガロム君」
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私の真似を、しようと思うな。
父シグルム・ライアットは、常々そう言っていた。
私がこうして2本の剣を操る事が出来るのはな、左右それぞれの手を同じように扱える、生まれもっての体質によるものだ。運の良し悪しでしかない。
メレスよ、お前は両手で1つの剣を振るえ。
お前には、それが向いている。その戦い方を極めるのだ。
父の、その言葉に、メレス・ライアットは従うしかなかった。
どう鍛えても自分には、父のような二刀流の技量は身に付かない。
それが、わかってしまったからだ。
稽古の際、メレスは親友アラム・ヴィスケーノ王子と2人がかりで、父に斬りかかった。
左右それぞれの剣で、父は両名を同時にあしらって見せたものだ。
メレスにとってもアラム王子にとっても、シグルム・ライアットは師匠であった。
父は、もういない。
貴族として、ここヴェルジア地方の領主として、メレスは独り立ちをしなければならないのだ。
領内の、巡回の途中である。
馬上からメレスは、その古城の禍々しき威容を、じっと見やった。
ゲンペスト城。
城内に満ちていたエンドルム家の怨念は、魔法令嬢ルチア・バルファドールが全て持ち去ってくれた。
だから安全な場所になった、わけではない。
現在も、領民の立ち入りは禁じてある。封鎖を施し、見張りの兵士も配置してある。
ゲンペスト城。
その城内で先日メレスは、1人の剣士と戦った。
二刀を振るう、黒衣の騎士。
メレスを、それにシェルミーネ・グラークを、左右それぞれの剣で圧倒してくれた。
息子と王子を同時にあしらった、シグルム・ライアット侯爵のようにだ。
シグルムは死んだ。
その屍を、メレスも目の当たりにしたのだ。
腐敗していた。
シグルム・ライアットの死体だと、言われなければわからなかった。
父シグルムの服を着た、腐乱死体。
王宮の、ほぼ森林とも言える庭園の片隅で、発見されたという。
毒殺されたのだ、と言われた。短期間で肉体が腐敗する毒物。
何者による犯行かは、明らかになっていない。
少なくとも、息子であるメレスには知らされていない。
やがてメレスは嫡子として、ライアット家の家督を継ぐ事となった。
そして、ここヴェルジア地方の領主に封ぜられた。
やはり、王宮から遠ざけられたのだろうか。
軽く、メレスは頭を横に振った。
あの黒騎士は、兜と面頬で完全に素顔を隠していた。
訳あって、そうしなければならなかったのだろう。
「そんな人物の正体を、今この世にいないはずの人間と結びつけてしまうのは……愚かしい勘繰りというもの、か」
まるで巨大な墓碑のようでもあるゲンペスト城を、メレスは見つめた。
シグルム・ライアットの墓は、王都ガルドラントの唯一神教会中央大聖堂にある。
ゲンペスト城の地下では、そのように墓地へと埋葬される事なく放置された死者が、床に剣を突き刺している。
地底深くにある何かを、己の屍を蓋として封印し続けているガイラム・グラーク侯爵。
その何かを、かつてヴェルジア地方の領主であったグラーク家は代々、先送りにし続けてきたのだ。
「死にゆく人々は……様々なものを、お墓の中へと持って行ってしまう」
メレスは、馬を走らせた。息抜きも同然の巡回は、そろそろ終わりだ。
地方執政府リーネカフカ城へ、戻らなければならない。仕事は山積みである。
「おかげで、この世に残された我々は大いに難儀をしておりますよ父上。それに、ガイラム・グラーク侯爵閣下」
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王国正規軍を率いて来たのは、万人が思い浮かべる『立派な騎士』の姿が実体化を遂げたかのような人物であった。
年齢は40代半ば。力強い体格に、豪奢な甲冑が似合っている。中身が、甲冑に負けていない。
メレス・ライアット侯爵と、どこか感じが似ている。
心身共に立派な貴族である、という事だ。
「近衛騎士団所属、レオゲルド・ディランという」
名乗られたので、こちらとしても身分を明かさねばならなくなった。
「流れ者のシェルミーネ・グラークと申します。こちらはガロム・ザグ殿、私の頼れるお友達ですわ」
跪くシェルミーネの、斜め後方で同じく跪いたまま、ガロムは無言に徹する事にした。
指揮官レオゲルド・ディランの周囲には何名もの王国騎士が油断なく控え、跪くグラーク家の主従を見据えている。
率いられて来た王国正規軍の兵士たちが、シェルミーネとガロムを取り囲んでいる。
両名とも、今から尋問を受ける事になる。
尋問の流れ次第では、この包囲を力で破り、脱出しなければならなくなる。
「シェルミーネ・グラーク嬢。どうか、顔を上げてもらいたい」
レオゲルドが言った。
「……直接、お会いするのは初めてですな」
「私を……ご存じ、ですの?」
「花嫁選びの祭典は、実に楽しめた。貴女のおかげだ、悪役令嬢殿」
レオゲルドの笑みは、いくらか暗い。
「……今もはやグラーク家の所領ではない場所に、グラーク家の方がおられる。いささか不穏ではある。貴女がここで何をしているものか、我らは知らねばならぬ」
「叛乱ですわ」
シェルミーネがまた悪い癖を出し始めている、とガロムは思った。
「御領主デニール・オルトロン侯爵閣下が、そこに先程までいらっしゃいましたけれども……私がね、お命頂戴いたしましたのよ。これでレグナー地方は私のもの、と思っておりましたのに貴方がたが来てしまわれて。まったく世の中、思い通りにいかないものですわね」
「デニール・オルトロンの失政が原因で、この地では今、叛乱に近い事態が生じている」
レオゲルドが言った。
「叛乱勢力の統帥ジグマ・カーンズ元伯爵を……貴女は庇っている、おつもりか」
「ジグマ卿は無関係ですわ。私が」
「誰も彼も庇おうとするのは、おやめなさい。それは決して美徳ではない」
レオゲルドの口調が、静かな厳しさを帯びる。
「リアンナ・ラウディースの件のような事は通用しない。真実のみを語ってもらうぞ、悪役令嬢……それが結局、より大勢の人々を救う事になるのだ」




