第24話
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ガロム・ザグの身体が、放り捨てられるように解放された。
「……何の、つもりだ? ベルクリス・ゴルマー……」
鎖による拘束を解かれたガロムが、自身の牙剣を拾い上げる。
それをベルクリス・ゴルマーは、妨げようとしない。
「お前と戦う理由はないけどなぁガロム君。そっちの悪役令嬢とは……まあ、理由もなく殺し合いをする間柄でな」
鎖を、ベルクリスは威嚇の形に振り回した。棘のある鉄球が、轟音を立てて旋回した。
「シェルミーネ・グラーク……お前、こんな所で何をしている?」
「ここレグナー地方は元々、グラーク家の所領。取り戻す画策を、進めているだけですわ」
シェルミーネは答え、問いを返した。
「貴女こそ今、何をしておりますの? 花嫁選びの祭典、その栄えある出場者が」
「笑えばいい。見ての通り、流れ者さ。腕っ節で日銭を稼ぐ生き方、悪くない」
「……もう少し、雇い主を選んではいかが? 貴女の、その馬鹿力。活かしようは、いくらでもあると思いますわよ」
「世のため人のために働け、とでも?」
ベルクリスが、牙のような白く鋭い歯を見せた。
「あたし今ちょっと、なあ……他人のために何かしようって気が、失せてる最中なのよ」
「人間不信、ですのね」
シェルミーネは言った。
「ボーゼル・ゴルマー侯爵は……領民の裏切りが原因で敗れ、戦死なさったと聞いておりますわ」
「南の方は、貧しい奴らが多くてな」
ベルクリス・ゴルマーの出身地レナム地方は、ヴィスガルド王国の南部にある。
「親父は親父なりに、そいつらの事を考えて叛乱に踏み切ったわけだが……まあ民衆って連中にとっちゃ、ありがた迷惑だったんだろうさ」
ベルクリスは無理矢理、微笑もうとしているようだ。
「別にいい、よくある事だ。多分な……ともかく親父が死んで、あたしは風来坊。合わせる顔なんてあるわけないんだけど、ちょっとアイリの顔が見たくなってさ。別に話なんか出来なくたっていい、アラム王子と幸せに暮らしてるとこ、一目見れたらって思ってな。裏通りの方から、王都へ入ったんだ」
叛乱貴族の血縁者である。
王都ガルドラントへ、正門から堂々と入るわけにはいかないだろう。
「……アイリってさ。子供、生まれたんだよな?」
「ええ……」
「アラム王子と一緒に、王宮の露台でさ。赤ちゃん抱いてニコニコしてたよ、アイリの奴……ああやって民衆に愛想振りまくのも、王族って連中の仕事なんだろうな。アイリも、そんなのの仲間入りしちまったわけだ」
豊麗な巨体を震わせて、ベルクリスは笑っている。
いや。激怒している。
「…………おい、ふざけるなよ」
「私が?」
「ありゃ偽物だぞ。騙せるとでも思ってるのか、どこのどいつか知らないが」
本物のアイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃は、不倶戴天の敵である悪役令嬢に看取られ、亡くなったのだ。
「この国がさ、何でアイリの偽物なんてもの用意しなきゃいけない事態に陥ってるのか……まず、そこから調べなきゃいけないんだけど金が無くてな。さっき言ったように、親父譲りの腕っ節で日銭を稼がなきゃならないんだが」
「残念。貴女のお雇い主は、私が殺してしまいましたわ」
「そうみたいなので、日銭の代わりにガロム君をもらって行く」
「行かせるとでも?」
「お前から許可をもらおうって気はないんだよ悪役令嬢」
シェルミーネは軽く、後方へ跳んだ。
凄まじく重い風が、眼前を通過した。鉄球だった。
「ガロムさん、どうか手をお出しにならないで」
動きかけたガロムに、シェルミーネは声を投げた。
「これは令嬢同士の、やんごとなきお遊び。殿方が割って入るものではありませんわ」
「シェルミーネ様……」
「世迷言に捉われる事はないぞガロム君、加勢してやりな」
ベルクリスが、鎖を振るう。
「私は、そのためにお前を解放してやったんだからな。そう、何度でも捕まえるために!」
重い風が、吹き荒れた。
轟々と、空気の裂ける音は聞こえる。だが、目には見えない。
目視不可能な速度で、左右2つの鉄球が襲い来る。
デニール侯爵の、のたのたと無様に蠢くだけの触手とは、わけが違う。
まさに不可視の流星であった。
シェルミーネは、左手で魔力を撒いた。
拡散した魔力の光が、半球形の防壁となってシェルミーネを覆う。
そこへ、不可視の流星が激突する。
光の防壁は砕け散り、キラキラと散った大量の破片が、そのまま刃となった。
鋭利で細かな光の刃が無数、ベルクリスに向かって一斉に飛翔する。
全て、粉砕された。
剛力令嬢の巨体を螺旋状に取り巻いた、鎖によって。
粉砕された刃が、今や弱々しい光の粉末に変わって、頼りなく漂う。
「小賢しさに磨きがかかってるぞ悪役令嬢!」
ベルクリスが、左右の鎖を蛇のように躍動させた。
防御の螺旋が、攻撃のうねりに変わっていた。
2つの鉄球が、目視可能速度を超えて乱舞する。
暴風を巻き起こしながら、シェルミーネを猛襲する。
その暴風が、弱々しく消えゆく光の粉末を蹴散らした。
蹴散らされ、微かに煌めく光。
見えた、とシェルミーネは思った。
光の粉末の揺らめきが、不可視の流星の動きを教えてくれた。
踏み込んで行く。
目に見えぬ鉄球を、鎖を、かわしながら。
「何……っ……」
息を呑むベルクリスの、傍らにシェルミーネはすでにいる。
至近距離から、斬撃を見舞ってゆく。
細身の刃が、魔力の光を帯びたまま、ベルクリスの首筋に向かって一閃した。
光まとう刃が、しかし鎖にぶつかり、止まった。
ベルクリスが、両手でまっすぐに鎖を引き伸ばしている。自身の首筋を、守る形にだ。
その防御が、シェルミーネの斬撃を弾き返した。
弾き返された剣を、即座に別方向から打ち込んでゆく。
かわされた。
ベルクリスは、後方へ跳んでいた。
空振りをした刃が、空中に斬撃の弧を残す。
その弧が、光の刃となって飛んだ。発射された。ベルクリスの回避を、高速で追尾した。
鎖が唸り、鉄球が流星となって、光の刃を粉砕する。
その間シェルミーネは、立て続けに剣を振るっていた。
空中に、いくつもの斬撃の弧が描き出され、一斉に発射される。
ベルクリスが、鎖を振るった。
飛翔・襲来する光の刃を、ことごとく鉄球で粉砕していた。
「こんなもので……!」
ベルクリスの声が、そこで凍り付いた。鎖を操る剛腕の躍動が、止まった。
凹凸のくっきりとした巨体が、硬直していた。
「……一勝一敗、ですわね。お互いに」
至近距離から、シェルミーネは微笑みかけた。
光まとう剣の切っ先を、ベルクリスの喉元に突き付けながらだ。
「お前…………!」
「飛び道具を大量に放てば、貴女はそれらを鎖鉄球で打ち砕く。鉄球の動きを、ある程度は私の思い通りに導く事が出来る。そうなれば、かわして踏み込むのは容易……と言うほど容易ではありませんけれど、ほら出来ましたわ」
あと1歩、踏み込んでいれば、光の剣先はベルクリスの喉を刺し貫いていただろう。
今からでも、それは出来る。
だがシェルミーネはそれをせず、剣を下ろして後退した。
「……どういうつもりだ、悪役令嬢」
ベルクリスの、声が低い。
「あたしに……ひとつ、貸したつもりか……っっ!」
「正直にお答えなさい、剛力令嬢」
獰猛な美貌に怒りが満ちてゆく様を、シェルミーネは正面から見据えた。
「アイリさんは……間違いなく、偽物でしたのね?」
それを誰よりも知るのは、自分シェルミーネ・グラークである。
「訊いてどうする、何のつもりだ貴様一体……!」
「借りたつもりでいるなら、私と会話をなさい。それで貸し借りは無しにして差し上げますわ」
「…………偽物だ。間違いない」
「アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃の御身に、一体何事が起こったものか。貴女なりに、何か調べ上げた事はありますの?」
ルチア・バルファドールは、アイリを乗せた馬車がドルムト地方へ向かったところまで掴んでいた。
「……何も、掴めちゃいない。あたしもな……知っての通り、のんびり探し物や調べ事なんて出来る状況じゃないからな」
「ボーゼル・ゴルマー侯爵も、罪な事をなさいましたわね。あまり頭のよろしくない御息女を1人、遺してしまわれて」
「ぶち殺すぞ貴様。まあいい、親父のせいにする気はないさ。あの叛乱……王国軍の兵隊どもを一番多く殺しまくったのは、あたしだからな」
「貴女が叛乱軍の先頭に立つ。王国正規軍の方々にとっては、この上ない悪夢ですわね」
「やる気満々だったよ、あたしは。何しろ戦場で、アラム王子に会えるかも知れないんだからな」
叛乱討伐軍を率いていたのは、アラム・ヴィスケーノ王子である。
「ま、結局は会えなかった。あたしが前線で暴れてる間……親父が、別働隊の奇襲を喰らって死んじまったからな。その別働隊を率いてたのがアラム王子だって話もある。ともかく、あたしは生き延びた。生き恥を晒しながらでも、やらなきゃならん事が出来た」
ベルクリスの白い歯が、毒牙の如くギラリと光った。
「……アイリの奴、どこ行っちまったんだろうな? 偽物を用意しなきゃならん状況ってのは何だ、一体」
「さあ……」
「アイリが、王宮からいなくなった。それと時を同じくして……嫌われ者の悪役令嬢が、何やら世直しの真似事をしている。無関係とは思えないんだが、言いがかりかな?」
「言いがかりでも私、一向に構いませんわよ」
シェルミーネは、微笑んで見せた。
「そう……貴女、アイリさんをお捜しですのね」
「何か知ってるなら教えてくれないか。こいつで頭かち割られる前に、さ」
「貴女、私を疑っておりますのね。素敵」
悪役令嬢は、疑われてこそ。
シェルミーネは、そう思う。
「そう、お疑いの通りですわ。身の程知らずの平民娘アイリ・カナンはね……私が、殺害いたしましたのよ」
「ほう……」
ベルクリスが、鎖を振るおうとする。
シェルミーネは剣を構え、踏み込もうとする。
双方、そこで動きが止まった。
「……もう、やめましょうシェルミーネ様。こんな事は」
令嬢2人の間に、ガロムがいた。
右の牙剣をシェルミーネに、左の牙剣をベルクリスに、それぞれ向けている。
「誰も、騙せはしませんよ。貴女の嘘では」
「ガロムさん貴方は!」
主家の令嬢の怒りを、ガロムは無視した。
「聞け、剛力令嬢。アイリ・カナン王太子妃に関してはな、俺たちも色々と調べなきゃならん。シェルミーネ様にしても、お前と殺し合いなんかしてる場合じゃないんだよ。だから……頼む。力を貸してくれ、ベルクリス・ゴルマー」




