第22話
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2年前。
花嫁選びの祭典には、ラウディース家やバルファドール家といった、旧帝国系貴族の令嬢たちが大勢、参加していた。
うち誰かしらが優勝して、アラム・ヴィスケーノ王子と結ばれてくれれば。新たに王子でも生んでくれれば。
旧帝国系貴族が、新たなる国王の祖父母の一族となる。
ヴィスガルド王家は、やがて由緒ある帝国の血筋に支配される。
花嫁選びの祭典は、その機会であったのだ。
だが結局、旧帝国系貴族の令嬢たちは誰も、アラム王子の花嫁には選ばれなかった。
ルチア・バルファドールもリアンナ・ラウディースも、ことごとく脱落した。
「役立たずの小娘どもが……!」
ヴィスガルド王国、レグナー地方。ゲルグリム山、山麓の原野。
賊徒討伐軍の本陣にて、領主デニール・オルトロン侯爵は怒りに震えていた。
豪奢な甲冑が、小刻みに鳴った。
大いなる帝国の威光を、この世に再臨せしめる。
それを結局、女子供に任せてしまうのが、そもそも間違いなのだ。
やはり帝国の復活は、男子の手で成し遂げねばならぬ。
貴族として領地を治め、民を従え、税を徴収し富を蓄える。来たるべき、決起の日に備えてだ。
ヴィスガルド王家を、打倒する。
帝国の栄光を再びこの世にもたらすには、それしかない。
成り上がり者の王国ヴィスガルドに、唯一神の罰を下す。
偉大なる帝国の血を受け継ぐ自分たちが、それを代行するのだ。
刃向かう者は、討つ。そのための戦である。
討たれているのは、しかしデニール率いる討伐軍の方であった。
ゲルグリム山に巣食う賊徒の、大半は徒歩の民兵である。
それが討伐軍の騎兵隊を蹴散らし、本陣に迫りつつある。
「何故……何故だ。兵力に勝る我が軍が、何故……野戦で、かくも後れを取る……?」
賊徒の首魁ジグマ・カーンズは、ゲルグリムの山塞に立てこもっているわけではない。
自分デニール・オルトロンの巧みな用兵によって、賊徒は山麓の原野におびき出されたのだ。
数の優位を活かせる、野戦である。
討伐軍は、しかし数に劣る賊徒に打ち破られ、敗走中であった。
デニールの周囲では、歩兵たちが逃げ惑っている。
本陣内に逃げ込んで来た騎兵隊に、蹴散らされるような格好であった。
「退くな! 逃げるな、貴様たち! 恥を知れ!」
デニール侯爵の声は、しかし兵士たちには聞こえていない。
騎兵隊は、味方の本陣を蹂躙するように駆け抜けて行く。
歩兵隊は、よろめきながら、それを追う。
そして。賊徒の群れが、本陣に押し入って来た。
「レグナー地方領主、デニール・オルトロン侯爵閣下……と、お見受けいたしますわ」
驚くべき事に、賊徒の民兵部隊を率いているのは女だった。
若い娘である。馬の尾の形に束ねられた金髪と不敵な美貌が、印象的だ。
「お逃げに、なりませんの?」
足取り軽く、歩み寄って来る。
部分鎧の貼り付いた戦闘服に身を包んでおり、肌の露出は無いに等しいが、しなやかな身体の曲線を隠せはしない。ただ普通に歩くだけで、軽やかな躍動感が振り撒かれる。
「どう見ても貴方がたの負け、ですわよ?」
「黙れ、賊徒の牝犬! 大いなる帝国の栄光を背負いし我が身に、退却も後退も逃亡もあり得ぬと知れ!」
デニールは剣を抜いた。
抜いたその手を、掴まれ、捻り上げられていた。
賊徒を率いる娘は、すでにデニールの傍らにいる。
たおやかに見える両手で、デニールの右腕を捻り固め、極め上げている。
「そう……帝国系貴族の方、でしたのね」
その口調には、憐れみ、に近いものがあった。
「民衆を虐めたところで。帝国の威光も栄光も、戻りはしませんわよ?」
デニールは、会話に応じる事が出来なかった。
口から出るのは、激痛の悲鳴だけだ。
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民兵たちが、デニール・オルトロン侯爵の両手を縛り上げている。
王国から正式に任命された領主の身柄を、拘束してしまった。
これで自分も、かのボーゼル・ゴルマー侯爵と同じく、叛乱者という事になってしまうのか。
そんな事を、シェルミーネ・グラークは思った。
「ねえアラム王子……討伐に、来て下さる?」
呟いてみる。
民兵たちが、許可を求めてきた。
「シェルミーネ嬢! こいつ、殺してしまいましょう」
「こいつのせいで……俺たちが、どれほど苦しんでいるか」
捕縛されたデニール侯爵に、何名かが槍を突き込もうとしている。
やんわりと、シェルミーネは止めに入った。
「まあ、お待ちなさいな。命を奪うのは、いつでも出来る事」
「貴様……貴様は、シェルミーネ・グラークか! 恥知らずの、悪役令嬢……」
デニールが呻く。
シェルミーネは、微笑みかける。
「成り行きで、ね。ジグマ・カーンズ卿に、与力をする事になってしまいましたわ」
一兵卒として戦うつもりでいたシェルミーネに、ジグマは部隊指揮官の役割を押し付けてきた。
軍学は学んでいる。戦に出た経験も、ないわけではない。
何しろグラーク家は、7つの地方を領有する大貴族であった。
広い領内に、賊徒はいくらでもいた。獣人が、群れて暴れる事もある。
アルゴ・グラーク率いるグラーク家の軍勢が、それらを片っ端から討伐した。
兄アルゴの傍らで、シェルミーネはガロム・ザグと共に、最前線の兵士として戦い抜いた。
傍らで見ているだけで、わかるものはある。
あの兄は、本人が剛勇無双であるだけではない。
10人の兵士に、15人分、20人分の力を発揮させる指揮官。
それが、アルゴ・グラークであった。
真似など出来ない。
自分が兵を率いたら、ことごとく無駄死にさせる事になる。
そうシェルミーネは思ったが、しかし実際にこの戦場に出てみたところ、拍子抜けするほど上手くいった。
戦であるから、1人も死んでいない、という事はない。
それでもシェルミーネの率いる民兵たちは、部隊としての体を充分に保ったまま、こうして敵本陣に突入する事が出来たのだ。
ジグマ本人の指揮する主力部隊が、討伐軍の大半を引きつけ、散々に打ち破ってくれた。
それに乗じた、にしても上手くいき過ぎた。
自分が優れた指揮官であるから、ではないとシェルミーネは思う。
「……貴方たち、弱過ぎでしてよ?」
民兵たちに捕縛され、押さえ込まれたデニール侯爵を、シェルミーネは偉そうに見下ろしている。
身を屈め、いくらか目の高さを近づけてやる事にした。
「弱い、と言うより……士気が低い、いえ皆無。お話になりませんわ。あのね、精神主義って意外と重要ですのよ? どれほど精強に鍛え抜かれた兵隊さんであろうと、戦う気が無ければ戦力になりませんもの」
本陣には、1人の敵兵も残っていない。
見回し、シェルミーネは言った。
「皆様、爽快なほどに躊躇いなく……御領主を見捨てて、逃げ去ったものですわね。おわかりかしら? デニール・オルトロン侯爵閣下。貴方はね、見捨てられる主君であったという事。討伐軍の方々が、逃げずに踏みとどまり、貴方を守りつつ戦い抜いていらしたら。撃破されていたのは私たち、ですわね。そこまでの価値を、どなたも貴方には見出せなかったと」
「だ、黙れ! 成り上がりの田舎貴族が! 高貴なる帝国貴族に対し、何たる、何という……!」
「そのように癇癪を起こせば、周りの人らがどうにかしてくれる……そんな環境で、ずっとお過ごしでしたのね」
憐れみを、シェルミーネは止められなかった。
「まるで……花嫁選びの祭典、早々に脱落していった令嬢たちのよう。何とも懐かしい事」
「小娘ぇええええ!」
「現実を御覧なさいな。いくら癇癪を起こしたところで、もはや誰も貴方のためになど動いてくれませんわ」
この場で殺す。
それが優しさかも知れない、とシェルミーネは思い始めた。
「討伐軍の……騎兵の方々も、歩兵の方々もね。私たちが少し攻撃を加えただけで、逃げ散ってしまわれましたわ。逃げずに戦い、犠牲を出しながらも私たちを撃滅したところで皆様、得るものが何もありませんものね」
民兵隊を討ち尽くし、ゲルグリム山を制圧したところで。
討伐軍の兵士たちにしてみれば、民を虐殺した事にしかならないのだ。
一方。民兵たちには、守るものがある。
ゲルグリム山には、彼らの家族がいる。
デニール侯爵による支配が続く限り、この地でまともに生活する事も出来ない。
「ねえデニール侯。貴方どうして、お逃げになりませんでしたの?」
シェルミーネは問いかけた。
「帝国貴族の誇り? 否、ですわね。逃げるなと喚いていれば、誰かが逃げずに戦ってくれる。そう思っていらしたのでしょう? 無論、誰も戦ってはくれない。最終的に御自身で剣を振るわれた、それだけは誉めて差し上げますわ。まあ、私を小娘と侮っての事でしょうけど」
信じられない事が、その時、起こった。
にゃー……と、猫の鳴き声が聞こえたのだ。
「貴方は……!」
シェルミーネは息を呑み、跳んだ。回避の跳躍。
暴風が、全身をかすめた。
拳か、蹴りか。凄まじい、徒手空拳の襲撃。
回避が一瞬でも遅れていたら今頃、シェルミーネは原形をとどめていない。
大柄で柔軟な人影が、そこに着地していた。
縞模様の、太い尻尾が揺らめいた。
1人の、獣人の若者。白く鋭い牙を剥き、シェルミーネと対峙している。
「どうどう、クルルグ君」
もう1つ、人影があった。
フワリとはためく、白いマントとフード。
全身が、包み隠されている。
「お困りのようですね、シェルミーネ・グラーク嬢……デニール・オルトロン侯爵の、処遇に関して」
年嵩の男である、という事だけが声でわかる。
「このような人物でも、正式に任命された領主です。殺してしまえば……もはや言い訳のしようもなく、王国を敵に回す事となる。貴女個人の問題ではなく、グラーク家全体に災いが及ぶ」
マントの下から、痩せた片手が現れた。
枯れ木を思わせる五指で、暗く光り輝くものを保持している。
闇よりも、暗い光。
「それは……!」
シェルミーネは剣を抜いた。
細身の刃が、魔力の輝きを帯びた。
即座に、この男を斬らなければならない。
その暗い光に、見覚えがあるからだ。
ルチア・バルファドールが、ゲンペスト城から持ち去ったもの。
怨念の塊、である。
それを掲げる男の片手を、シェルミーネは切り落とそうとした。出来なかった。
獣人クルルグが、横合いから拳を打ち込んで来たからだ。
シェルミーネが、それをかわしている間。
男の片手で、怨念の塊が一瞬、暗い輝きを増した。
その光が、デニール侯爵の眉間に突き刺さった。
怨念の塊。その、ほんの一部分が今、デニールの身体に植え付けられたのだ。
「怨念とは非力なもの。それそのもの、のみでは何の役にも立ちません……が、入れ物さえあれば」
男の言葉を、シェルミーネはもはや聞いてはいない。
デニールの両手を縛る縄が、ちぎれた。
その身を覆う豪奢な甲冑が、破裂していた。
鎧の破片を蹴散らして、大蛇のようなものが高速でうねり暴れる。周囲の民兵たちに、襲いかかる。
それを、シェルミーネは叩き斬っていた。
魔力の光を帯びた斬撃。
醜悪なものが、暴れ蠢きながら切断され、滑らかな断面を晒す。
異形化した臓物とおぼしき、巨大な触手である。
デニール侯の身体は、何倍もの大きさに膨れ上がっていた。
胴体が、巨大な肉塊と化して四肢を押し潰す。
失われた手足の代わりに無数の触手が生え伸び、宿主の肉体を食い破った寄生虫の如く暴れている。
頭部が、顔面が、どこにあるのかはわからない。
醜悪奇怪な巨体のどこかから、デニール侯爵は絶叫を、咆哮を、迸らせていた。
数日前にシェルミーネが、ゲンペスト城で戦った相手。
陰影の兵士。屍の塊。
あれらと同種の存在に、デニール侯は今、なり果てていた。
無数の触手が、恐慌に陥った民兵たちを襲う。
シェルミーネは跳躍し、光まとう細身の剣を一閃させた。
斬撃の弧が波紋状に広がり、触手の群れをことごとく切断する。
「デニール・オルトロン侯爵は……こちらには最初から、いらっしゃいませんでしたね。見ての通り、ここには醜悪な魔物がいるだけです」
怨念の塊を掲げた男が、クルルグに護衛されながら、シェルミーネの視界から消え去って行く。
言葉だけが、残った。
「我が主ルチア・バルファドールより、シェルミーネ嬢ヘ言伝がございます……少しの間、貴女を見ていると。見て、判断をすると。ゆえに生きて、あがき続けよ、と」




