第203話
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いくらか、手強い個体がいた。
霊体を内包する全身甲冑。
人ならざる、重装歩兵である。
同種のものを、この場で数十体は倒した。
今、ガイラム・グラークが対峙している相手は、それらと若干、形状が異なる。
腕が四本あり、うち二本で槍を操り、残る二つの手で一振りずつ長剣を握っているのだ。
ゲンペスト城、地下。
際限なく出現し続けていた異界の魔物たち、その最後の一体であった。
睨み合いながら、ガイラムは呼吸を整えていた。
「……老いぼれたな、俺よ」
自身を、嘲笑う。
昔は、この程度の戦いで息切れを起こす事もなかった。
今は、意識して呼吸を整えなければならない。
荒い呼吸に合わせ、全身で痛みが疼く。血が、流れ出す。
両手で握った大剣が、重い。
無理矢理に振りかざし、ガイラムは踏み込んだ。
振り下ろした大剣が、槍に叩き落とされた。
血を流し過ぎた。
武器を握る力も、今や失われつつある。
拾う暇など、くれるはずもなく。
四本腕の重装歩兵は、二本の長剣を一閃させていた。
徒手空拳となったガイラムの巨体を、切り苛む斬撃。
かわさずガイラムは、突っ込んで行った。
斬られた、あるいは刺された。
身体のどこかから、鮮血が噴出した。
血飛沫を撒き散らす巨体が、四本腕の重装歩兵に激突する。
「うおおおおおおおおッ!」
雄叫びをゲンペスト城・地下空間に轟かせながらガイラムは、左右の豪腕を相手の身体に巻き付けた。
抱き締めた。
槍がへし折れ、全身甲冑がグシャリと凹む。
潰れた霊体が、噴出する。
そんな有り様の重装歩兵を、ガイラムは大荷物の如く担ぎ上げ、投げ捨て、石畳に叩き付けていた。
ひしゃげた甲冑が破裂し、中身の霊体がぶちまけられて霧散する。
ガイラムは、血を吐いた。
長剣が二本、背中と脇腹に突き刺さっている。
「ぐっ……こ、これまで……か、どうやら……」
大剣を拾い上げ、立ち上がろうとして、ガイラムは片膝をついた。
立てなかった。
大剣を、石畳に突き立てる。
両手で、柄を握る。と言うより、柄にすがり付く。
その姿勢を維持する、以外の事が、ガイラムはもはや出来なかった。
周囲では、魔物たちの屍が崩壊しながら消滅してゆく。
異界より来たるものたちは、こちらの世界での存在が不可能となった瞬間、痕跡すら残さなくなってしまうようだ。
自分の屍は、ここに残る。
思いつつ、ガイラムは見渡した。
視線を動かす事すら、もはや億劫である。
見渡す限りの、広大な石畳。
時折、おかしなものが浮かび上がっている。
淡く発光する、文字。図形、紋様。
浮かび上がり、消えてしまう。また浮かび上がる。
およそ四百年もの間、それのみを繰り返していた大空間なのだ。
先程。それら、よくわからぬものの発光が激しさを増し、光が実体化したかの如く、異界の魔物たちが出現した。
その事態を今、自分ガイラム・グラークが、ひとまず鎮圧したところである。
出現した魔物たちは、皆殺しにした。
しかし間もなく第二波が来る。
それが、ガイラムにはわかる。
石畳に突き刺した大剣から、凄まじく不穏なものが伝わって来る。
(これは……違う……)
死に際の力で、ガイラムは握り締めた。
(異界の、魔物ども……だと? 違うぞ。今ここから現れようと、しているのは……そのような、生易しいものではない……!)
「死ぬのだな、英雄ガイラム・グラーク」
暗黒そのものの姿が、いつの間にか傍らにあった。
「最後に燃え盛る、その命の炎を。無限に溢れ流るる、その猛き血潮を……我が秘術により、封印の力へと変換する。未来永劫この場にとどまる屍が、『門』を閉ざす錠でありつつ、そなたの墓標となるのだ。ガイラムよ」
ジュラードの言葉など、もはや聞こえはしない。
(俺が今、殺し尽くした者どもなど……先触れに過ぎなかった、というわけか……)
死せる者に、ガイラムは語りかけていた。
(グスター・エンドルムよ。俺は貴様から、全てを奪った……こんなものまで、奪ってしまったのだな。ならば……やり遂げねば、なるまい……ッ!)
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「君には、すまない事をしたと思っている」
声が聞こえた。
「本当は、気付いていた。私は、見て見ぬふりをしていたんだ……死んだ人間が、生き返る事は無い。その事実から、私は懸命に、目を逸らせ続けていた」
「貴方は……死せる御方では、ないのですか……」
フェアリエ・ゲラールは、会話を試みた。
「生き返り、こうして私に話しかけて下さっている……のでは、ないのですか?」
「そう……私は、まず自分が生き返る事に成功するか否か、それを試さなければならなかった」
ここが、どこであるのか。
フェアリエには、わからない。
どこなのか、わからない場所に、自分はいる。
とある何者かと、二人きりで。
「魂の転生……それを、死せる者の復活と果たして呼べるものか。まるで考えなかったわけではないけれど、他に考えられる手段が無かったんだ。屍を蘇生させる事が、私には結局、出来なかったから」
祖父も、母も、屍すら残らなかった。
それだけを、フェアリエは思った。
「だから私は、自分の子孫に……私の自我を、受け継いでもらう事にした。迷惑だろう、とは思う。申し訳ない事をしたと、今ならば思う。だが、その時の私は……狂っていた。もちろん言い訳にはならない、君は私を許してはくれないだろう」
「……迷惑です。許せない気持ち、もちろんあります」
はっきりと、フェアリエは告げた。
「ですが私に、貴方を咎める資格はありません。おかしくなって、誰かに迷惑をかける……私が、まさに今それをしている真っ最中ですから」
「ヴェノーラ・ゲントリウスが、この世界に戻って来る。大切な誰かを失い、正気をも失い、迷惑な行動を取る……今の彼女は、まさにそれだ」
「かの御方は……」
フェアリエは、問いかけた。
「死せる方々に、生き返っていただく手段を……お手に入れられた、のでしょうか?」
「わからない。手に入れた、のだとしても……それが世の人々にとって無害なものであると、私にはどうしても思えないんだ」
それでも、試して欲しい。
祖父と母を、この世に呼び戻す事が出来るなら。
そんな思いが、自分の心に僅かでもある以上。
この人物を咎める資格が自分には無い、とフェアリエは思う。
「死せる者を、この世に呼び戻したい……その一心で、魔王ヴェノーラにすがってしまう者が出るかも知れない。かく言う、私にも」
「……建国王アルス・レイドック・ヴィスケーノ陛下を?」
「ヴェノーラ・ゲントリウスが……アルスを、生き返らせてくれるなら……!」
「…………魂の転生は結局、失敗なのですか? もし、そうであるなら……今ここにおられる貴方は、一体」
「かつて大魔導師と呼ばれた男の、魂……その単なる残滓、とでも言うべきかな」
自嘲の笑い、であった。
「私は自分に転生の秘術を施し、そして君となった。そのつもりだった。一方しかし君は君で、フェアリエ・ゴルディアック、あるいはフェアリエ・ゲラールとして十数年を過ごし……その僅かな年月で、確固たる己自身を作り上げてきた。それを上書きする事が、私にはついに出来なかったんだ」
「私より不幸な人、いくらでもいます。それはそれとして……私にも、嫌な思いをしながら生きていた期間が、それなりには長くあるんです」
ゴルディアック家の大邸宅で過ごしていた日々を、フェアリエは思い返した。
「あの頃もしも、私が……何もかも嫌になって、破滅的な事を考えていたら」
「私の声が、聞こえていただろう。それを受け入れ、私となっていただろう。ゴルディアック家を……ふふっ、滅ぼしていたかも知れないな」
そうは、ならなかった。
母ラウラが、いてくれたからだ。
「君は、決して幸せとは言えない日々の中で己自身を強固に育み、私を押し潰してきた。せめてもの抵抗として私は、力の一部を辛うじて君に発現させた……が、そこまでだった。君になれぬ、何者にもなれぬまま私は消えてゆく」
「私に……」
何か、出来る事は。
その言葉を、フェアリエは呑み込んだ。
あまりにも傲慢に過ぎる、というものだ。
「私は、すでに死んだ人間だ。いかなる形であれ、この世に在り続ける事は出来ない。出来ては、いけないんだ」
声が、遠ざかってゆく。
別の声が、聞こえた。
「…………その悪趣味なドレス……脱がせて差し上げますわね、フェアリエ嬢。お覚悟なさいませ」
シェルミーネ・グラークの声。
自分が今いかなる状況にあるのか、フェアリエは少しずつ思い出した。
「いくつか、伝えておかなければならない」
遠ざかる声が、まだ辛うじて聞こえる。
「先程も言ったが……ヴェノーラ・ゲントリウスが帰って来る。私による封印の力は、百年ほど前に失われた。勇者ガイラム・グラークが『門』の守りを引き継いでくれているが、それも今や限界だ」
だから何をしろ、という話には、ならなかった。
「もう一つ。王都には、アルス・レイドックの屍が残っている。私が様々、愚かしく手を加えたせいで……災厄の源と、なってしまった。私の友を、私の大切な友を……誰か、どうか解放して欲しい……」
声が、消えてゆく。
代わりに、何かが燃え上がっている、とフェアリエは感じた。
「最後に一つ……アルス……生き返って欲しい、という思いは……どうしても消えない。今……溢れ出す……」




