第201話
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死せる者は、この世で何の力も持たない。
生ける者たちが当たり前にする事、ことごとくが不可能なのである。
物を手にして動かす事すら、出来ないのだ。
「石ころ一つも、拾えはせぬ。それが死せる者よ」
かつての怨敵に、グスター・エンドルムは語りかけていた。
「我ら死者が、この世で出来る事は……澱んだ空気の如く、漂う。それだけだ。このゲンペスト城という場所で私は、およそ百年の間、漂い続けていた。空気中の塵や埃、よりも存在感なきものとして」
ゲンペスト城、地下。
石造りの大空間。
あちこちに、瓦礫が放置されている。
大規模な崩落事故の、跡であった。
天井は失われ、上階と完全に一体化を遂げている。
縦にも広大さを増した空間。
その中心部で跪く人物に、グスターはなおも語りかける。
「およそ百年の間、私には明確な意識が無かった。人は、生身の脳髄が無ければ、まともに思考する事すら出来ぬ。百年の間ここで私は、ただ朦朧としていた。故に……私の死後、このゲンペスト城で何が起こったのか。私は知らぬ、見たのであろうが覚えておらぬ。おぬしが何故そのような様を晒しておるのかも、まるで思い出せないのだよ」
石畳に、大型の剣を突き刺している。
錆びて朽ちかけた大剣に、すがり付いて跪く骸骨。
たくましい骨格は、肉が付いていた頃の偉丈夫ぶりを想像させる。
剛勇無双の偉丈夫も、しかし今は単なる白骨死体だ。
「我らエンドルム家の使命を……おぬしが引き継いでくれておる、と。そのような解釈しか出来ぬが、良いのか? ガイラム・グラークよ」
白骨死体が、応えるわけは無かった。
「この『門』を守るのが、エンドルム家の使命であった。それを……ふふっ。私の代で、グラーク家に奪われてしまったと」
己の胸板に、グスターは片手を触れた。
巨大な、石の胸板。石の五指。
全身には、歪んだ彫刻のような石造りの人面が無数、生じている。
自我を有する、異形の魔像。
それが、今のグスター・エンドルムなのだ。
かつての、病弱な細身とは違う。
力強い石製の身体を、自分は手に入れた。
無論、生身の脳髄など入っていない。
それに類する機能が、この魔像にはどうやら与えられている。製作者イルベリオ・テッドによってだ。
だから、こうして思考を行う事が出来る。
「私は、まず己の命を失った。続いて、エンドルム家の使命を失った……代わりに、この身体を手に入れた。のであろうかな」
グスターは、石の拳を握った。
動かぬ白骨死体など、容易く粉砕する事が出来る。
「死せる者の、復活を……私は、成し遂げたのか」
石造りの顔面で、眼光が燃える。
「対して、我が怨敵ガイラム・グラークよ。おぬしは今なお死せる者のままだ。この世で最も非力なる存在。素手で兵士を撲殺していた貴様が、今や石ころ一つも動かせぬ」
強大なる怨敵を、今ならば容易く打ち砕ける。踏み潰す事も出来る。
グスターは、そう思った。
思っただけだ。
「石ころ一つ、動かせぬ貴様が……この『門』を、閉ざし、封じ、守ってくれておる。私では、出来なかった事を……」
思い出した事が、いくつもある。
「生前の私は、この『門』より出現し得るものが、単なる異界の魔物ども、でしかないと思っていた。大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスが使役していた、覇道と殺戮の尖兵たち。それらが、この世に再び現れるのを防ぐために……大魔導師ギルファラル・ゴルディアックは『門』を閉ざし、封印を施した。愛弟子バルスター・エンドルムを助手として、な」
その後バルスター・エンドルムは、『門』の守護、封印の維持を師ギルファラルより命ぜられ、これがエンドルム家代々の使命となった。
「……今ならば、わかる。大魔導師ギルファラルは、使役される魔物ども、などではなく。ヴェノーラ・ゲントリウス本人の帰還を、阻止せんとしたのだ」
死せる者たちを捜し求め、ヴェノーラ・ゲントリウスは異界へと旅立った。
死せる者たちは、恐らく見つからなかったのだろうとグスターは思う。
「朦朧と漂っていた私だが、今ならば……思い出せる、事がある。ヴェノーラ・ゲントリウスは一度、戻って来たのだ。この『門』の、扉のすぐ向こう側に。扉を破り、この世への帰還を果たそうとした。大ギルファラルによる封印が、その頃には力を失っていたのだ」
石の顔面で燃え輝く両眼が、地下空間を見渡す。
「死せる者たちに、結局は会えなかった。その失望に怒り狂ってか、あるいは別の手立てを講ずるためにか……ともかく魔王ヴェノーラ・ゲントリウスが異界より帰還し、この場に姿を現す寸前であったのだ」
グスターは呟く。呻く。
「その時、私は……仮に存命であったとしても、何も出来なかった。だが侵略者グラーク家の総大将よ、貴様は……己の命を用いて、この『門』を再び閉ざし、封じてくれた。本来であれば私が、行わねばならなかった事を……」
石の顔面から発せられる眼光が、ある一点に向かって、より強く烈しく燃え上がった。
かつては天井の一部であった、大型の瓦礫。
グスターは見据え、声を投げた。
「……そこにおるのは、何者か」
「失礼、グスター・エンドルム侯爵閣下。盗み聞きの無礼、どうかお許し下さい」
瓦礫の陰に一人、佇んでいた。
若い男、であるようだ。
「あまりにも興味深い、お独り言ゆえ……つい聴き入ってしまいました。これより先は独り言にあらず、私と会話を致しましょう。さ、どうか続きを」
グスターは応えず、ただ光を放った。
全身に浮かぶ石造りの人面のひとつが、光の球体を吐き出していた。
怨念が、物理的な破壊力に変換されたもの。
それが流星の如く飛翔し、瓦礫の陰の青年を襲う。
閃光が、走った。
斬撃の閃き。
グスターの放った光球を、打ち払う。
打ち払われた光球が、あらぬ方向へ飛び、崩れかけた石柱を直撃そして粉砕した。
青年は、抜き身の長剣を構えている。
気の光をまとう白刃。
その一閃が、怨念の光球を打ち弾いたのだ。
「やるではないか。そなた……メレス・ライアットに劣らぬ剣士であるな」
「光栄です。彼と、並べていただけるとは」
「よもや、とは思うが」
特に根拠もなく感じた事を、グスターは口にした。
「……ガイラム・グラークの血に連なる者、か?」
「はい。ここゲンペスト城はガイラム以後、私どもグラーク家が代々、処分を先送りにし続けてきた物件ですからね。そろそろ放置しがたく、こうして勝手に入り込んでしまいました。ご容赦を」
青年は、名乗った。
「当主オズワードが嫡男……ネリオ・グラークと申します」
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「死んだ人間は、生き返らぬ。死せる者を、生者として呼び戻す事は出来ぬ」
フェアリエ・ゲラールが、そんな事を言っている、ようには見える。
実際は違う。
彼女は青ざめ、こちらを見つめているだけだ。
可憐な唇は動かず、何も言葉を紡いでいない。
虚ろな瞳からは、フェアリエ自身の眼差しが失われかけている。
言葉を発しているのは、少女の青白い細身を包む、暗黒色のドレスであった。
「だが。死せる人間が、人ならざるものと化し、動き回る事はある。幾度も目の当たりにしたであろう、シェルミーネ・グラークよ」
「……全てジュラード殿、貴方が原因なのではなくて?」
宙に浮かぶ光の盾を足場として空中に佇み、魔剣・残月を油断なく構えながら、シェルミーネ・グラークは言った。
「元凶は紛れもなくヴェノーラ・ゲントリウス陛下、でいらっしゃるにしても。その元凶から生まれた禍々しいものを、貴方が今この時代まで引っ張り残してこられたと。そういうお話ではありませんの? 大迷惑ですわ」
「他者にとって、いかに迷惑であろうとも、やり遂げねばならぬ。魔王ヴェノーラ・ゲントリウスが、そう思ってしまったのだ」
「死せる者の復活……愛しい方々を、この世に呼び戻す事」
シェルミーネは、呟いた。
「それを……ヴェノーラ陛下は、やり遂げねばならぬと思し召された」
「故に彼女は、異界へと旅立った。死せる者たちに会えたのか、呼び戻す算段がついたのか、それはわからぬ。わかる事が、しかし私にはある……ヴェノーラ・ゲントリウスが、帰って来るのだ」
ジュラードの声が、微かな震えを帯びる。
「魔界や地獄を彷徨っているうち、人間としては死んだ身体となりつつ、人ならざるものと化し……もはや魔王と呼ぶべきものと成り果てたヴェノーラ・ゲントリウスが! ゲンペスト城にて、この世への帰還を果たすのだ。愛する者たちを結局は捜し出せず、怒りと絶望のあまり、帝国時代の如き大殺戮を為そうとしているのかも知れぬ。だが、あるいは」
「……何かしらの算段がついた、のかも知れないと?」
アイリ・カナンを生き返らせる手段。
ヴェノーラ・ゲントリウスならば、知っているのではないか。
ほんの一瞬だけシェルミーネは、そう思った。
口では、別の事を言った。
「……貴方は、どうなさいますの? ねえジュラード殿。大皇妃陛下か魔王様か、よくわからない御方の分身として……死んだ人を生き返らせる方法などというもの、今後も捜し求めてゆかれる?」
「それが私の役割だ。使命である。何度でも言おう。私には、それしかないのだ」
ジュラードは応えた。
「死んだ人間は生き返らぬ、だが人ならざるものとして醜悪な様を晒す事はある……私はな、それですらないのだ。私は、いない。生きておらず、死んでもおらず、何者でもない。私は……存在、したい」
フェアリエが、涙を流している。
「与えられた役割を、使命を、やり遂げる。全うする……いない者が、存在を開始するにはな、それしかないのだよ」




