第200話
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背の高い、痩せ細った男である。
両眼は落ち窪んで、眼窩の形がよくわかる。
その窪みの奥底で、眼光が静かに燃え揺らめいている。
五十歳を、いくつか過ぎているはずである。
小さな病をいくつも患い、それらをごまかしながら日々を過ごしている人物。
こうして豪奢な衣装を身にまとっていると、唯一神教の説話に登場する、死者の国の王のような、不吉な威厳と風格を感じさせる。
ここは、死者の国ではない。
生ける人々の住まう国、ヴィスガルド王国。
ヴェルジア地方、執政府ゲンペスト城である。
城の地下に広がる、石造りの大空間を、不吉に燃え揺らめく眼光で見渡しながら。
死者の国の王のような人物は、呟いた。
「安泰である。な」
「左様で、ございましょうか」
控えめに、ジュラードは異を唱えた。
「戦況は、捗々しくはございませんが」
「地上の事など、もはやどうでも良い。地下の、この場所に異変が起こらねば良いのだ」
籠城戦を、強いられていた。
このゲンペスト城は現在、グラーク家の軍勢に取り囲まれている。
援軍の当てもない籠城である。
戦況は、捗々しくないどころか絶望的であると言えた。
そんな地上の有り様とは別世界であるかの如く、この地下空間は静謐である。
見渡す限りの、広大な石畳。点在する石柱。
ただ、それだけの場所だ。
……否。
石畳に時折、おかしなものが浮かび上がる。
淡く発光する、文字。図形、紋様。
浮かび上がり、消えてしまう。また浮かび上がる。
およそ四百年もの間、それのみを繰り返している大空間。
見渡しながら、
「この『門』が、平穏無事である状態を維持し続ける」
ゲンペスト城、城主である人物は言った。
「それが我らエンドルム家の、使命であり存在理由であった」
「よくぞ、やり遂げられました。御立派でございます、グスター・エンドルム侯爵閣下」
一礼するジュラードに、落ち窪んだ両眼がギロリと向けられる。
「……仮に今、『門』に異変が起こったとする。私には何も出来ぬ。私は、今この城を攻めているガイラム・グラークの如き、無双の豪傑ではないからな。ジュラードよ、貴様のように魔法を使えるわけでもない。私は、何も出来ぬ番人なのだ」
窪みの中で、眼光が暗く燃え上がる。
「この場所は、ただ『門』と呼ばれている。呼び始めたのは、大魔導師ギルファラル・ゴルディアックであるそうな。向こう側と、こちら側を隔てる門よ」
「向こう側……とは?」
「異界、魔界の類であろう。そこに棲まう者どもが、門を通り、こちら側に姿を現す……それを阻止するのが、我らエンドルム家の使命であった。およそ四百年前の帝国貴族バルスター・エンドルムが、大ギルファラルより賜った使命よ」
バルスター・エンドルムは、大魔導師ギルファラルの一番弟子たる魔法使いであった。
その魔力は、しかし四百年後の子孫グスターには受け継がれていない。
「この『門』は、かの大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスによって作られたるもの。強大な魔界の住人どもを、大皇妃は『門』の向こうより招き入れ、使役していたという。故に大皇妃の死後、ギルファラルはここに封印を施した。封印の上にゲンペスト城を建て、重石とした。ゲンペスト城の主は、すなわち封印の守り手。我が先祖バルスター・エンドルムが、大ギルファラルより、その任を与えられたのだ」
グスターは、なおも語る。
「以後およそ四百年の間。我らエンドルム家は、『門』の封印を守り続けてきた……否、ただ見張っていただけだ。四百年間、大ギルファラルの施した封印が破れる事はなかった。『門』は平穏無事に、閉ざされたままであった。我らエンドルム家にとっては、平穏無事をただ見て確認するだけの四百年であったのだ」
「御不満で、ございますか。侯爵閣下」
ジュラードは、問いかけた。
「平穏無事。これに優るもの、この世に無しと。そう、お思いにはなりませぬか」
「思うだけ、願うだけで、平穏無事が保たれるのであればな。誰も苦労はせぬ」
グスターの両眼で燃え上がる光は、憎悪の眼光だった。
無礼な問いかけをしたジュラードに対する憎悪、ではない。
「四百年間、この『門』が平穏無事であったのはな、エンドルム家が守護者の役割を立派に果たしてきたから……ではない。封印を施した大ギルファラルの力が強大であったから。ただ、それのみよ。エンドルム家は、少なくとも私グスター・エンドルム個人は、何もしておらぬ。何も、出来ぬ」
それは、グスター自身に対する憎悪であった。
「ギルファラルによる封印が、もしも破れていたならば。かつてヴェノーラ・ゲントリウスの悪行を大いに助けたという魔界の者どもが、こちら側に現れ溢れ出し、人々を殺戮する事態となったなら……私は、それを止められぬ。何も出来ぬ。平穏無事な『門』の有り様を見て確認する度に私は、何も出来ない己自身を、ただ実感し思い知るのだ。それが私の生涯であった。間もなく、終わる。グラーク家の手によってな」
「落ち延びて、再起を図られませ」
ジュラードは言った。
「グスター侯閣下は長らく、ここヴェルジアの地にて善き政をなさいました。民の中には、貴方様を慕っている者も数多おります」
「おらぬよ、私を助けてくれる者など」
グスターは微笑んだ、のであろうか。
「皆、もはやグラーク家に靡いておる。民とは、そうしたもの。致し方あるまい、私が非力な君主であったというだけの話だ」
豪奢な装束の懐から、グスターは何かを取り出した。
筒、に見えた。
「ジュラードよ。そなたほどの怪物が、よくぞ長らく私に仕えてくれたもの……これが、目的であろう?」
「それは…………!」
巻物、である。
ここゲンペスト城に、バルスター・エンドルムの代より秘蔵されていたものだ。
「大魔導師ギルファラル・ゴルディアックが、愛弟子バルスターを助手として作り上げた秘術……で、あるそうな。魔力の素養を欠片ほども持たぬ私には、全く縁も価値もない代物よ」
「……お気付き、であられましたか。私の……目的に……」
「バルスター・エンドルムと関わりあるものを、そなた調べ回っていたのう。秘やかにしていた、つもりであろうが」
言いつつグスター侯が手渡してきた巻物を、ジュラードは跪き、両手で恭しく受け取った。
「打算あり、にせよ今まで私に尽くしてくれた事は感謝する。そなた先日、ガイラム・グラークにも戦いを挑んでおったな」
「殺される、ところでありました。未だ、力が戻っておりませぬ」
叩き潰された、と言って良いだろう。
闇色のローブをまとう人型、という姿は、辛うじて取り戻した。
力が完全に戻るまで、あと数日はかかる。
それまで、ゲンペスト城が保つか。
グスター侯が、生きているのか。
「そなたが、ここにおる理由……もはやあるまい。去ね、ジュラードよ。己の目的を果たすが良い」
(そうだ……私の、目的を……)
主君からの賜り物を、ジュラードは見つめた。
数百年前の、巻物。
(ギルファラル・ゴルディアックよ、お前が作り上げた秘法……死せる者を、呼び戻す手段。今、私の手にあるのだぞ? わかるか大魔導師よ。おぬしが未だ成し遂げておらぬ事を、私が引き継ぎ完成させる。死者の復活が、ついに成る! 私は、私は……わたし、は……)
陶然と、やがて呆然と。
ジュラードは、問いかけた。
(ギルファラルよ、そなたは勇者アルス・レイドックを……私は……私は、誰を呼び戻そうとしている? 私は……)
これまで幾度も、心の中に生じてきた自問である。
(私は何故、このような事をしている……何故、死者の復活など……私は…………私は一体、何者なのだ……?)
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空中に、いくつも浮かんだ光の盾。
それらのうち、特に大型の一枚を足場として、シェルミーネ・グラークは今、空中に佇んでいる。
闇色のドレスをまとう令嬢と、対峙している。
フェアリエ・ゲラール。
可憐な美貌は青ざめ、生気の色を失いかけている。
それでも彼女は、言葉を発した。
「ひとつ、教えて欲しい……シェルミーネ・グラーク嬢……」
いや違う。
声を発しているのは、細身を包む暗黒色のドレスだ。
「アドランの帝国陵墓に……ヴェノーラ・ゲントリウスの屍は、無かったのだな?」
「ええ。私てっきり、あの御方は今なお御存命で……それがジュラード殿、貴方なのではないかと勘違いをしておりましたわ」
「全てを……私は今、思い出した……」
ジュラードは言った。
傍目には、フェアリエが喋っているようではある。
「ヴェノーラ・ゲントリウスは……死せる者たちを追って、旅立ったのだ。愛する夫デルニオーム・ゲントリウス、愛しき息子マルスディーノ・ゲントリウス。この両名が……どこかにいると、連れ戻す事が出来ると、信じて疑わず」
「愛しき方々の後を追って、自らお命を絶たれた……というお話では、ありませんのね?」
「死せる者は、この世界にはいない。ならば別の世界にいると、彼女は信じた。異界、魔界、唯一神教の語る天国あるいは地獄……どこかに、いるかも知れぬ。故に彼女は旅立った。異なる世界へと繋がる『門』を、現在のヴェルジア地方に設置したのだ」
「ヴェルジア地方……」
何かが繋がった、とシェルミーネは感じた。
「……まさか……ゲンペスト城!?」
「帝国貴族エンドルム家は代々、かの城における封印の守護を使命としてきた。異界に棲まう魔物どもの襲来を防ぐため、とされていたようだが……真実は違う。大魔導師ギルファラル・ゴルディアックが、あの門に封印を施したのはな、ヴェノーラ・ゲントリウス本人の帰還を阻止するためであったのだ」
「帝国陵墓において、御自身の死を偽装なさった後……ヴェノーラ陛下は、別の世界へと旅立たれたと。そう、おっしゃいますのね」
「その一方。こちらの世界で、まだ出来る事があるのではないか、とも彼女は考えた。死せる者を呼び戻す手段……それを、こちら側からも探すために」
憎悪、に近いものがジュラードの口調に宿った。
「ヴェノーラ・ゲントリウスは……こちらに、己の分身を残したのだ」
「……それが、貴方」
「私には、それしか無い」
憎悪、とは少し違うかとシェルミーネは思った。
ジュラードは、自身を作り出したヴェノーラ・ゲントリウスを憎んでいる、わけではないのだ。
「死んだ人間を、生き返らせる手段を……そのようなもの、あろうと無かろうと探し続ける。そこにしか、私の存在する理由はないのだよ」




