第198話
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ゲンペスト城では今のところ、何も起こっていない。ようではあった。
馬上からメレス・ライアットは今、現時点では単なる廃墟にしか見えぬ、古城の風景を見つめている。
今は、こうして遠巻きに監視を行うしかないのである。
ここヴェルジア地方の旧支配者エンドルム家の、最後の当主。
グスター・エンドルムを名乗る石造りの怪物が、ゲンペスト城には現在、棲み着いている。
そこから周辺の民に危害を加える、様子は今のところ無い。
自我を有する魔像である、あの怪物は、今はまだ何もしていない。目に見える形では。
民衆の目には触れぬところでは、しかし激戦があった。
ゲンペスト城内にてメレスは、魔像グスター・エンドルムと戦い、敗れたのだ。
旧領主を名乗る不穏分子が廃城に立てこもる、その状況が出来上がるのを、止められなかったのである。
「死んだ奴には、大人しくしていて欲しいよなあ」
傍らに佇む、影のような青年が言った。
ゲンペスト城においてメレスを助けてくれた、恩人であり戦友。ある意味では敵。
このクロノドゥールは、そんな男である。
「天国やら地獄やらが本当にあるなら、そこから出ないで欲しいもんだ」
「この世に生き返って来るなど、以ての外……か」
生き返った、とは言えぬにしても。
百年前に敗死を遂げたヴェルジア地方領主グスター・エンドルムは、この世に戻って来た。
魔像という形を獲得し、生前とは全く異なる存在と化したのだ。
「死んだ奴らに戻って来られたら……俺たちの仕事は、成り立たなくなる。商売上がったりだ」
「人殺しが仕事である事を、隠しもしないのだな。クロノドゥール殿」
メレスは苦笑した。
「隠しもせず、雑談に混ぜて……私などに話してしまう。良かったのか?」
「さあな。こうやって、ただ見張ってるのが暇だったから、つい話しちまった」
「アラム・ヴィスケーノの命を狙った、などと……」
たった今、クロノドゥール自身が話した事の内容を、メレスは思い返してみた。
「彼は、君の主君であるバルフェノム侯爵を随分と危険視していたからな。先手を打たれた、というわけか」
「バルフェノム様の考えは知らん。ともかく俺は、アラム王子を始末しろとだけ命令された。結果がコレさ」
右手を、クロノドゥールは軽く掲げた。
鋼の義手。刃が折り畳まれ、収納されている。
「無くすのが片腕だけで済んだ。運が良かったと思っている」
「……復讐をしたいと思うかい? 君は、アラムに」
「やめておけと言いたいんだろう。わかるよ、あれは確かに化け物だ」
黒覆面の下で、クロノドゥールの表情が歪んだ。
笑った、のであろうか。
「メレス閣下は、アラム王子と……親友同士だった、んだよな?」
「兄弟も同然だった、と私は勝手に思っている。私の方が年上だから、まあ不出来な兄と優秀な弟だな」
「今、王都にいるのは……」
「偽物なのだろう?」
メリーデル・バセットか。
カイル・ローデンかも知れない、とメレスは思う。
「アラム・ヴィスケーノは……南で死んだ、ボーゼル・ゴルマーと刺し違えた。そう聞いている。信じたくない、とは思っているよ」
「いい報せだ。生きてるよ、アラム王子は」
はっきりと、クロノドゥールは笑った。
覆面が歪む。
怒りの形相よりも、獰猛な笑顔だった。
「俺は、南で会った。記憶を無くしちまってたが、なあに思い出させるさ」
それは本当にアラム・ヴィスケーノか、とメレスは言わずにおいた。
王都でクロノドゥールの右腕を撃ち落としたのは、恐らくはヒューゼル・ネイオンであろう。
アラム本人が矢を射たのであれば、クロノドゥールと言えども右腕では済まない。
(君の偽物には……私も志願した事があったなあ、アラムよ)
この場にいない、兄弟も同然であった友に、メレスは語りかけていた。
(君の生死が曖昧なせいで、大勢の人間が難儀な思いをしているよ。死んでしまったなら、死んでいると……どうにか伝えてはくれないものか、我が優秀なる弟のアラムよ)
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ゼルーデ・ゲトラの全身で、露出した臓物の群れが暴れうねり、牙を剥き、電光を吐く。火炎を吐く。
そうしながら、切断されてゆく。
シェルミーネ・グラークの振るう、細身の魔剣。
残月、と名付けられているようだ。
魔力で組成されているという細い刀身が、ゼルーデの放つ電光を、火炎を、切り刻む。
それらの発生源たる、異形化した臓器類を、滑らかに切除してゆく。
強力な武器、ではあるのだろう。
それを片手で操る悪役令嬢の技量に、シグノは圧倒されていた。
やはり、剣の勝負では自分は勝てない。
双方、同じ剣を手にしていたとしてもだ。
「ま、待たれよ……」
そんな言葉を発しているのは、ゼルーデの心臓である。
左胸から現れ、裂けたように口を開き、流暢に喋っているのだ。
「私を殺すのか、シェルミーネ嬢……それは悪手であろうぞ、貴女にはその剣にふさわしき生き様が」
聞かずシェルミーネは、もはや人間の形をとどめぬゼルーデの肉体を切り刻んでゆく。
「ヴェノーラ・ゲントリウスの後継者として、生きる道……この私が、導いて差し上げ」
「陛下、をお付けなさいな。大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウス陛下……偉大な御方ですのよ? 私ごときが後継者などと」
〆の一閃、であろうか。
魔剣・残月の名にふさわしい斬撃の弧が生じ、ゼルーデを薙ぎ払い吹っ飛ばす。
異形の肉体が、地面にぶちまけられ広がった。
切り刻まれている。
いや。よく見ると肉片のひとつひとつが、僅かな繊維で辛うじて繋がっている。
繊維の一本も残さず切断し、完全な細切れにする事も出来たはずだ、とシグノは思った。
細切れになりかけた肉体が、苦しげに蠢き這いずりながら、繋がってゆく。再生しつつある。
その様をシェルミーネは、じっと観察していた。
「これ以上、切り刻んでは……貴方、死んでしまいますわねゼルーデ殿」
精一杯、健気に着飾ったアイリ・カナンを、眼光鋭く粗探しする。
悪役令嬢の眼差しでシェルミーネは今、ゼルーデの再生能力の限界を見定めているのだ。
「警告は、ここまでに致しましょう」
「け……警告、だと……」
ゼルーデの心臓が、呻き声を発する。
「いつでも私を……再生不可能なまでに、切り刻める……故に、言う事を聞けと。そう、おっしゃるのだな悪役令嬢殿」
「御理解いただけて何よりですわ」
にこりと、シェルミーネは微笑んだ。
ヴィスガルド王国、エレム地方。
メンルーダという田舎町のはずれで今、尋問あるいは拷問が行われようとしているのか。
「空耳ではなかった、と思うのですけれど」
再生中の醜悪な肉塊に、シェルミーネは魔剣を突き付けた。
「忌々しい平民娘……アイリ・カナンの名が聞こえた、ような気が致しますのよね」
それは今、シグノにも聞こえた。
このゼルーデ・ゲトラという男が、かつて、恐らくは今少し人間の原形をとどめていた頃。
アイリ・カナンの命を狙い、その夫であるアラム・ヴィスケーノ王子に撃退された。
シェルミーネとゼルーデの会話から今、そのような話が聞き取れたのだ。
「まったくもって許せませんわ。この私を差し置いて、アイリ・カナンの命を狙うなど」
この悪役令嬢は、怒り憎しみに身を任せてゼルーデを切り刻んだ、わけではない。
人間ではなくなった魔法使いが、どの程度まで不死身であるのかを冷静に計った、だけである。
だが今。
のろのろと再生しつつあるゼルーデの有り様を見据える、その眼差しには、冷静にして冷酷なる殺意がある。
冷たい、凍り付いた憤怒と憎悪がある。
シグノは、そう感じた。
「あの子を、酷い目に遭わせる。痛い目に遭わせる……それが許されるのは、この世に私シェルミーネ・グラークただ独り、ですのよ」
シェルミーネは言った。
「ね、ゼルーデ殿。どうか教えて下さいませ、貴方は一体どなた様の御命令で……アイリ・カナンの命を狙う、などという愚かしさ極まる行いをなさいましたの?」
答えなければ殺す、などとシェルミーネは口にしない。
ゼルーデに、それはすでに伝わっている。
喋る心臓から、何かしらの答えが発せられるのか、と思われた瞬間。
ゼルーデは砕け散った。
飛散した肉片が全て、焦げて崩れて灰に変わった。
小さな太陽、のような火球が複数、大量に、降り注いでいた。
その一つが、ゼルーデを直撃・爆砕したのだ。
シェルミーネが地を蹴り、跳躍した。
蹴られた地面に、火球が激突する。
爆発が起こり、大量の土が舞い上がる。
土煙の舞う中を、シグノは駆けた。逃げ回った。
逃げ回る先に、火球が一つ、降って来た。
シグノは、長剣を振るった。
白刃に、気力を込めながら。
淡く輝く刃が一閃し、火球を斬り砕く。
爆発が起こり、火の粉が大量に散った。
長剣も、砕け散っていた。
「ぐっ……!」
爆風に圧され、シグノは倒れた。
そこへ火球が降り注ぎ、しかし砕け散る。
斬撃の回転が、シグノを守ってくれた。
両端に刃を生やした、長弓。
その回転と一閃が、火球を斬り砕いたのだ。
火の粉がまとわりついた長弓を手にしているのは、アラム・エアリス・ヴィスケーノ王子である。
一瞬、そう見えた。
倒れたシグノを身体で庇いながら、上空を見上げている。
「……た、助かった。すまん、ヒューゼル殿」
「逃げろ、シグノ」
言いつつヒューゼル・ネイオンは、右手で矢を、つがえようとしている。
つがえる事が、何故か出来ずにいる。
「俺は……やっぱり役立たず、か? この場所じゃあ」
「そうじゃない。見ないでくれ、と言っている」
ヒューゼルは見上げていた。
小さな太陽の如き火球を無数、周囲に従えて空中に佇む、黒く優美なる姿をだ。
「……俺の、恥晒しだ。誰にも見られたくない」
「どうして……」
黒いドレスに、身を包んだ少女。
その声は、か細く弱々しく、それでいて耳の奥に貼り付いて来る。執拗に。
「何故……どうして……私を、放っておいて……くれないの? ねえ、ヒューゼル……」
血の気を感じさせない白色の肌と、暗黒色のドレス。
邪悪なほどに鮮烈な対比であった。
黒い長手袋に覆われた左右の細腕が、バチバチッ! と放電を起こし、稲妻をまとっている。
可憐な唇は赤く色付き、耳孔の内部に粘り着く声を紡いでいた。
「貴方が、私と関係ない所で……幸せに、なってくれたら……私、綺麗に諦められるのに……」




