第197話
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ジュラードとは、可能な限り速やかに袂を分かつ必要があるだろう。
ゼルーデ・ゲトラは、そう思っている。
偉大なる師である事に、違いはないのだが。
尊敬の念を抱き感謝もする、にしても命まで捧げる理由はない。
あのジュラードという男……恐らくは男であろう魔法使いが一体、何を考えているのか。
深いところまでは読めない。
わかるのは、死せる人間を蘇らせる手段を探し求めているらしい、という事のみ。
そのためにジュラードは数百年もの間ゴルディアック家に仕え、大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの遺したるもの全てを調べ上げてきた。
その調査は、しかしあまり実を結ばなかったようである。
諦める事なく彼は、死せる者の復活を目標に据えて動かす事なく、様々な角度から探究を続けているのだ。
熱意と努力は尊敬に値する、とゼルーデは本気で思っている。
ジュラードの大勢いる弟子たちの中には、蘇生の手段とは不死の手段であり、それを、いずれ偉大なる師より授けてもらえる……などと信じて疑わぬ愚か者が少なくはない。
全員、その命をジュラードに利用される事となるだろう。
死せる者を蘇らせる秘術を、完成させるための実験台である。
そうなる前に、イルベリオ・テッドはジュラードの下を去った。逃げたのだ。
賢明な兄弟子であった、とゼルーデは思う。自分も、それに続かなければ。
ただ、逃げた先の居場所は確保しておく必要がある。
とある人物に今、ゼルーデは仕えていた。
ここヴィスガルド王国において一、二を争う権力者である。
権力者のもとで身を立てる道を、確保しておく必要がある。
だからゼルーデは、ここへ来た。
その権力者より、任務を賜ったからだ。
容易い任務。
そう思っていた昨日までの自分を、ゼルーデは罵倒したい気分だった。
「これほど、とは……」
声と一緒に、血を吐いた。
臓腑を、ごっそりと失った。
もはや助からない。
自分が、真っ当な肉体の人間であるならば、だ。
「よ、よもや……貴殿が、これほどの……化け物であったとは……」
「身体がちぎれた状態で這いずり、ものを喋る……そのような御仁に言われるとは心外であり、光栄でもあり」
長弓を手にした、貴人の青年である。
ゆったりと庭園を踏み締め、歩み寄って来る。
大きくはないが瀟洒な邸宅の、庭。
その中央でゼルーデは、己の血溜まりに沈んでいた。
青年の言う通り、ちぎれかけた下半身を引きずるようにして、ここまで来たところである。
「ゼルーデ・ゲトラ殿。私は貴公を、見直しているんだよ」
貴人の青年は、言った。
「暗躍まがいの事しか出来ない小物と思っていた。いや小物には違いあるまいが……こうして私の反撃を受ける覚悟で、自ら手を汚しに来るとはな」
その左手にある長弓から先程、矢が一本だけ放たれたのだ。
矢はゼルーデの胴体を引きちぎりながら、大量の臓物を突き刺し運び去って行った。
「お見事である。敬意を表する。苦しめる事は本意ではない……楽にして差し上げたいゆえ、抵抗はやめてくれぬか」
「殺すのか……私を、殺すのか」
命乞いは通用しない、とゼルーデは判断した。
「私が死ねば、全ての真相が永遠に闇の中であるぞ。貴殿が命を狙われる理由も、わからずじまいだ。私の背後にいる者を知りたくはないのか、アラム・エアリス・ヴィスケーノ王子」
「私が命を狙われる理由、か」
アラム王子は、苦笑した。
「心当たりは、いくらでもある。あり過ぎてわからぬ、もはやどれでも構わぬ。まあ、それはともかく」
苦笑いの表情が、引き締まった。
「貴公の狙いは、私の命ではなかろう?」
「何を……」
「私たちが、ここにいる事は、誰も知らない……はずなのだがな」
王宮からは、いくらか離れた地であった。
アラム王子の、個人的な別荘とも言える場所である。
今頃は王都で、別の者たちがアラム王子の命を狙っているはずであった。
王子の、複数いるという偽物が、それを迎え撃っている事であろう。
「ゼルーデ・ゲトラ。お前は私ではなく、我が妻アイリ・カナンを殺すために来た」
アラムは断定した。
長剣を、すらりと抜き放ちながら。
「アイリの命を狙う者、その理由……全てを、私は知っている。お前から聞き出す事など何もない」
白刃が、一閃した。
「ひとつ、これだけは言っておこう。アイリを脅かすものを……私は絶対に、許しはしない」
ゼルーデは、意識を失った。
目覚めた。
液体の中に、ゼルーデはいた。
「生きていたか」
声が、聞こえた。
「自身の肉体に様々、魔法による改造を施していたようだが……辛うじて功を奏したようだな、我が弟子よ。アラム王子の矢と斬撃に耐え抜くとは」
液体の向こうに、黒い姿が見えた。
闇色のローブをまとう、一人の何者か。
その名を、ゼルーデは呟いた。
「…………ジュラード……」
透明な棺、とも言える硝子製の大型容器に、自分の肉体は収められている。
その内部を満たす液体は、損壊した生体を保護するために、ジュラード自身が調合したものだ。
「私を……助けて、下さったのですか……?」
「出来はせんよ、そのような危険な真似は」
外から容器に片手を触れ、ジュラードは喋っている。
声が、液体と混ざり合うように伝わって来る。
「お前はアラム王子に叩き斬られ、屍として埋められた。埋められたものを私が回収したのだ。辛うじて生きていた、故に修復を試みている」
「修復、ですか……」
脳天を、叩き割られていた。
胴体を半ば両断された上に、頭頂部から入った斬撃の裂け目が、胸の辺りまで及んでいる。
そんな有り様でゼルーデは、生体保護液の中に浮かんでいるのだ。
「私の肉体を、修復して下さる……それは感謝いたします。が、そのついでに……何か、なさっておられますな。この生体保護液に一体、何を混ぜ込んだのですか? 偉大なるジュラードよ」
「ギルファラル・ゴルディアックが、アルス王の屍に施したものを……私なりに、な。上手くゆけば、貴様はより強力な怪物と成れる」
「貴方に飼われる怪物ですか。そうなるのが嫌で、私は貴方と……袂を分かとうと、していたのですがね」
「飼おうとは思わぬ、好きにせよ。貴様など、自由に振る舞ったところで結局は私の想定通りにしかならぬ」
ジュラードは、声を潜めた。
「……に、お前は仕えているのであろう? 私に無断だが、まあ師匠に話を通さねばならぬ事でもない」
「お気付き、でしたか……」
「かの御仁の命令で、お前はアイリ・カナン王子妃の命を狙い、仕損じた。アラム王子を、あまりにも侮り過ぎたようだな」
それに関しては、全く返す言葉がなかった。
(そうだ、私は仕損じた。無念だが、アイリ・カナンの始末は……貴様に譲るしか、ないのだな。ザーベック・ガルファよ)
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宝箱を運んでいた二人の大男が、メキメキと音を響かせ、変異してゆく。
ゼルーデ・ゲトラによって、すでに人間ではないものへと作り変えられている肉体が二つ。
筋肉を膨張させて皮膚をちぎり、その下から甲殻を隆起させてゆく。
隆々たる筋肉を内包した、外骨格。
両手では五指の爪が、蟹の鋏のように硬く鋭く伸びている。
人型の甲殻類、とでも言うべき姿の怪物が二体。
爪を振り立て、襲いかかって来る。
襲撃者二体の間を、ヒューゼル・ネイオンはゆらりと通過した。
両端が刃となった長弓を、一回転させながらだ。
甲殻をまとう巨体が二つ、斜めに両断されて滑り倒れる。
屍が干からび、ひび割れ、崩壊する。
その間。もう一つの戦いが、進行中である。
人間の姿を、完全に脱ぎ捨てたゼルーデ・ゲトラ。
全身で露出した臓物の群れが、蛇の如くうねりながら牙を剥き、電光を吐き出している。
シェルミーネ・グラークに向かってだ。
「先程、アラム王子の御名前が出ましたわね? 貴方のお口から」
いくつもの盾が、シェルミーネの周囲に浮かんでいた。
光の盾。魔力で組成された盾。
それらで電光を受け防ぎながら、シェルミーネは問う。
「ゼルーデ殿、貴方は……まさかアラム王子の、お命を狙っていらっしゃいますの?」
戦いの最中にあっても彼女は、何らかの情報を集めようとしている。
傍らに佇む幼い聖女に、ヒューゼルはふと問いかけた。
「なあミリエラ嬢、あんた方の……当初の目的ってものを、改めて訊いてもいいかな。宰相閣下より賜った仕事、なんて今シェルミーネ嬢は言っていたが」
「……宰相ログレム・ゴルディアック閣下は、行方知れずのアラム・ヴィスケーノ王太子殿下を、密かに捜しておられます」
現在、王宮にいるアラム王子は偽物である。
ミリエラ・コルベムは今、そう言ったのだ。
「で。アラム王子に外見はそっくりな俺を、調べに来たのか? 王都から、わざわざ南まで」
「ごめんなさい、ヒューゼル殿……」
「まあまあ、謝るのは俺さ。アラム王子じゃなくて本当に、申し訳ない」
言いつつも、ヒューゼルは思う。
ログレム宰相から、そのような任務を与えられた。
それとは別に。
もっと私的な理由でシェルミーネ・グラークは、アラムの行方を探っているのではないかと。
(王都にいる偽物は……ジュリオか? それともカイル? まあ何にしてもアラム王子。あんたの真似なんて、そうそう出来るもんじゃあない。戻ってやって、下さいよ……)
「私は、アラム王子に勝たねばならぬ……」
ゼルーデの、露出した心臓が、牙ある口を開いて声を発する。
「一度、とある任務に失敗した。アラム王子に、とてつもなく手強い妨害をされたのだ。そのせいで我が主は今、私の能力に疑問符を付けてしまっている。私は……己の力を、示さねばならないのだ」
「貴方、どなたかに仕えていらっしゃいますのね。その方にも私、大いに興味がありますわ」
ぶつかり合う電光と盾が、相殺の形で砕け散る。
魔剣・残月を構えながらシェルミーネは、さらなる情報収集を試みる。
「その時、ゼルーデ殿が失敗なさった任務にも……興味が、尽きませんわね」
アラム王子に繋がる情報を、シェルミーネは逃すまいとしている。余さず入手せんとしている。
間違いない、とヒューゼルは確信した。
シェルミーネは、宰相より与えられた任務とは関係のない部分でも、アラム王子を捜しているのだ。
「アラム王子は、貴方から……何かを、どなたかを、守ろうとなさいましたの?」
「アイリ・カナンよ」
忌々しげに、ゼルーデは言った。
「平民出の妃が、アラム王子にとって……よもや、あれほどまでに大切な存在であったとはな。まあ私の誤算は認めねばならぬ」




