第196話
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影のような男であった。
細い長身を、黒装束に包んでいる。
それだけで、影になれる男。
物陰と、同化してしまう男。
暗殺をするために生まれたような男だ、とシグノは思った。
ヴィスガルド王国、王都ガルドラント。
あまり日当たりの良くない区域である。
塀の陰から、この男がゆらりと出現した。
そう見えた時には。
護衛の兵士たちはシグノ以外、皆殺しにされていた。
自分が生きている事に、シグノは今ようやく気付いたのだ。
路上に、倒れていた。
石畳に、血の汚れが流れ広がってゆく。
身体の、どこを斬られたのか、よくわからない。
生きている。とは言え、一撃で死ぬ痛手ではなかった、というだけの話だ。
このままでは自分は、失血死を遂げる。
今、出来る事は、ただ一つ。
自分たちの護衛対象であった貴人が、頼りない護衛に代わって自ら剣を振るい、黒衣の暗殺者と斬り結んでいる。
その様を、こうして呆然と見つめる事だけだ。
影のような男は、短めの剣を遣っていた。
右手に握り、様々な一閃を繰り出している。
斬撃、刺突、その中間。
黒い影が、白い閃光を幾度も放っている。
そう見えた。
シグノを含む護衛兵たちは全員、この閃光に切り裂かれ、刺し貫かれ、応戦の暇もなく倒れ伏したのだった。
そんな危険極まる閃光を、貴人は長剣で防ぎ、弾き返し、受け流している。
火花の煌めきの中、秀麗な横顔が、悲壮な緊迫感を帯びる。
対する黒衣の暗殺者は、素顔が明らかではない。
首から上にも、黒い包帯のような覆面が幾重にも巻き付いているのだ。
覆面の隙間で、眼光が燃える。
殺意を、闘志を、この男は燃やし輝かせている。
鮮血が、しぶいた。
閃光が、貴人の胸に突き刺さり、すぐに引き抜かれる。
短めの白い刀身が、少しだけ血に汚れている。
その刃を構えたまま、黒衣の暗殺者は言った。
黒覆面から、声を漏らした。
「なかなか、やる……だが違う気がする」
燃える眼光が、倒れた貴人に向けられる。
「お前、アラム・ヴィスケーノ王子じゃないな? 偽物が何人もいるとは聞いているが」
「…………私は……我こそが、アラム……エアリス・ヴィスケーノ……」
それが、メリーデル・バセットの最後の言葉となった。
血染めの剣を、黒衣の暗殺者は眼前で立てた。
ほんの一瞬、黙祷を捧げたようである。
「偽物で、俺たちを釣っている間……本物は、どこへ行ったのかって話になるわけだが」
黒覆面の隙間で燃える眼光が、シグノに向けられた。
「……すまん、殺し損ねた。生きてる以上、尋問をしなきゃならん。尋問が拷問になっちまう、前に教えてくれないか? アラム王子は一体どこに」
言葉を止め、黒衣の暗殺者は跳躍した。
跳びすさった。回避した。
回避、しきれなかったようである。
シグノが知覚したのは、空気の裂ける音のみだ。
その轟音と共に、暗殺者の右腕は、肘の辺りでちぎれていた。
「………………ッッ!」
黒覆面の下で、男は悲鳴を噛み殺した。
少し離れたところで、路面の石畳に矢が突き刺さっている。
男のちぎれた前腕部を、串刺しにしたままだ。
倒れたまま、シグノは見上げた。
石造りの、いくらか高い建物の屋根に、人影が佇んでいる。
たった今、殺されたメリーデルによく似た青年。
両端に刃が生えた長弓を、携えている。
「お前……そうか、お前が……アラム王子、か……」
激痛を噛み殺すような、暗殺者の口調だった。
「…………本物は、違うな。やはり……」
長弓に二本目の矢がつがえられる、前に、黒衣の暗殺者は姿を消した。消え失せた。
建物の陰に駆け込んだのであろうが、シグノの目で捉えられる動きではない。
屋根の上にいた青年が、シグノの傍らに着地した。
「生存者は……お前一人か、シグノ」
「不覚を取った。面目ない……申し訳、ございません」
シグノは、言葉遣いを改めた。
相手はヒューゼル・ネイオン……ではなく、アラム・ヴィスケーノ王子なのだ。
「あの男は、危険です……」
「だろうな。片腕を落とした、程度じゃあ……俺も、安心して眠れやしないか。難儀な話だぜ、まったく」
「……言葉遣い、もう少し何とかしろ。あんたはな、アラム王子なんだぞ」
「そうだったな。メリーデルも、死んじまった」
言いつつアラム王子が、シグノの傍らで身を屈めた。
「……手当てをする。傷、ちょっと縫うからな」
「もったいのう、ございます。私ごときに、殿下が」
「そういうのはいい。大人しくしてろ」
ヒューゼル、ではなくアラム王子が、シグノの身体から歩兵鎧を引き剥がす。
「まあ、よくやってくれたよ。お前らは……アラム殿下を、守ってくれた。そういう事になったんだよ。胸を張れ」
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魔剣・残月を、シェルミーネ・グラークは上方向に一閃させた。
まるで天空を切り裂くが如き、巨大なる斬撃の弧が描き出される。
それが、上空に浮かぶ異形のものを薙ぎ払う。
怪物化した臓物を全身で露出させた、一人の男。
その醜悪な肉体が、叩き斬られて落下した。
「ぐっ! ぅ…………そ、その剣……は…………ッ」
地面に激突し、ぐしゃりと広がったゼルーデ・ゲトラが、そんな状態でも言葉を発している。
「…………大皇妃……ヴェノーラ・ゲントリウスの……」
「……そう、ですわね。ヴェノーラ陛下からの賜り物、という事になりますかしら」
シェルミーネは、会話に応じた。
「かの御方を、どうやら崇めていらっしゃるらしい貴方がた。私の事も、有り難がって下さいますの?」
「アドランの帝国陵墓が……何やら様変わりを遂げた。とてつもない何事かが起こったらしい、という話は聞いている。賊徒が潜んでいた、ようであるな」
潰れ広がった肉塊が、隆起した。
起き上がりながら、再生している。
人間ゼルーデ・ゲトラの、原形くらいは戻って来たのであろうか。
「近衛騎士団のレオゲルド・ディラン伯爵が、賊徒を討ったという。その討伐戦に……シェルミーネ・グラーク嬢、貴女が同行していたという噂。どうやら真実であるようだな?」
全身で露出した臓器類が、牙を剥き、奇声を発し、蠢き暴れている。
特に猛々しいのは、心臓だ。
ざっくりと大きく裂けており、裂け目がそのまま口となって白い牙を見せ、舌を躍らせている。
そして、言葉を発しているのだ。
「そうか……貴女は帝国陵墓において、ヴェノーラ・ゲントリウス大皇妃と接触をしたのだな。そして……認められた……」
ゼルーデ・ゲトラ本来の頭部は、今や巨大な眼球であった。
ひび割れたように血走り、シェルミーネを見据えている。
「……ならば悪役令嬢よ。我らの指導者となり、この世に君臨なされよ。かの大皇妃の如く」
「興味深いお話ですわね。考えて、おきますわ」
「……貴女は……魔王ヴェノーラ・ゲントリウスの、後継者となったのだ。その剣が、証よ」
「光栄、と申し上げておきましょう。ある意味、あの御方は私の目標でしたものね。王子様と結ばれて国政を奪い、専横と搾取に励む……まさに悪役令嬢の完成形、憧れますわ。まあ今は、そんな事よりも」
語りつつシェルミーネは今、ゼルーデに向かって油断なく残月を構えたまま、何名かを背後に庇っている。
うち一人は、シグノである。
無辜の民であった者、二十数名を、彼は皆殺しにしたところであった。
「結局のところ、貴方に……お手を汚していただく事と、なってしまいましたわね。シグノ殿」
「仕方がないさ」
「貴方が人殺しをなさろうとしたら、止めますわよ……と、この口で言っておきながら。無様な事に、なってしまいましたわ私」
「自分で助かろうとしない馬鹿どもを、救える奴なんていない。あいつらの事は、もういい。それよりも」
ちらりと、シグノは傍らを見た。
ヒューゼル・ネイオンが、片膝をついている。頭を、押さえている。
負傷し、ミリエラ・コルベムによる治療を受けていたようだ。
「ヒューゼル殿……」
「……大丈夫だ。ありがとうな、ミリエラ嬢」
頭を、ヒューゼルは横に振った。
頭蓋の中で渦巻いているものを、振り払うかのように。
恐る恐る、ミリエラが問いかける。
「あの、ヒューゼル殿。もしかして、その…………記憶が、お戻りに……?」
「…………俺は……」
よろよろと、ヒューゼルは立ち上がっていた。
「……俺の、名は……アラム・エアリス・ヴィスケーノ…………でなければ、ならなかった……だから、ヒューゼル・ネイオンという名前は……捨てた……」
「捨てられなかったのでしょう? 記憶を無くされた際、真っ先に浮かび上がってきたものが……そのヒューゼル・ネイオンという、お名前だったのですから」
シェルミーネは言った。
「ともあれ。私とミリエラさんが宰相閣下より賜ったお仕事、これにて完了ですわ。王都へ帰る事と致しましょう……後始末を済ませて、ね」




