表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

194/195

第194話

 目の前にあるのは、単なる墓碑である。

 そこにアイリ・カナンの名が刻まれているだけだ。


 ヴィスガルド王国最西端の地、ドルムト地方。

 鄙びた地方教会の、墓地。


 王都の喧噪の中で生まれ育ち、栄光を掴んで王宮に迎え入れられ、位人臣を極めた少女が、今このような場所に……

 本当に眠っていると何故、断言する事が出来るのか。


 ここが王太子妃アイリ・カナン・ヴィスケーノの墓所である、などと証明するものは何もないのだ。


「よう」

 ベルクリス・ゴルマーは、声をかけた。

 返事など、あるわけがない。


 言ってみれば、アイリ・カナンの名前が彫られているだけの石である。

 下に埋められているのは一体、誰の屍であるのか。


 王太子妃の死を捏造し、その遺児として、どこからか拾ってきた赤ん坊を擁立する。

 そして、王国に叛旗を翻す。

 父ボーゼル・ゴルマーの如く。


 グラーク家が、そのような事をしているのであれば、とベルクリスは思う。

「あたしは、グラーク家の連中と刺し違える……本当に、そんな事になっているんなら。な……」


 そんな事のために、しかしシェルミーネ・グラークが動く、わけがない。

 それはベルクリスの、特に根拠のない確信であった。


 ガロム・ザグ一人を伴い、あの悪役令嬢は動いている。


 直接アイリを手にかけた暗殺者は、ガロムが討ち取ったのだ、とグラーク家の面々は言っていた。


 その暗殺者を放ったのは、何者か。

 何故、放たれたのか。

 アイリは何故、命を奪われなければならなかったのか。

 シェルミーネは、それを探っている。


 そんな事をしても、アイリが生き返るわけではない。

 死せる人間が、感情を表す術を持ち得たとしても、アイリは喜ばない。


 承知の上で、シェルミーネは動いているのだ。

 大いなる、自己満足のためにだ。


 もはや疑いはない、とベルクリスは思う。

 受け入れなければ、ならない。


「アイリ、お前……本当に、死んじまったんだなぁ……」


 涙は、出て来ない。

 悲しみ、よりも大きなものが今、ベルクリスの心に重く、重く、のしかかっている。


「なあアイリ、聞いてくれよ。あたしは、あたしたちゴルマー家は……お前から、アラム王子を奪っちまった……かも知れないんだよ」


「そう……貴方。王国正規軍に、いらっしゃいましたのね」


 エレム地方。

 メンルーダという町の寂れた区画を、シェルミーネ・グラークは同行者二名と共に歩いている。


 一人は幼き聖女ミリエラ・コルベム。

 もう一人は先程、知り合ったばかりの青年である。


「あの戦を……ボーゼル侯との戦を、生き延びてこられたと。お見事ですわ」

「……そう、だな。生きているだけで、良しとするべきかも知れない」


 このシグノという青年、兵士としての練度は確かに高い。見ればわかる。


 これほどの兵士たちが大勢、人として殺されたのではなく、物として破壊された。

 そんな戦であったという。

「あの戦は……地獄だった。ボーゼル・ゴルマー、あれは人間じゃない。地獄の化け物だ」


「その、地獄の化け物に」

 シェルミーネは、遠回しな質問はしない事にした。

 はっきりと、これは確認しなければならない。

「……アラム王子は殺された、と?」


「そうじゃないなら、何で偽物が必要になる」


 王宮の露台上で、王都の民に向かって手を振る王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノを、シグノは一目で偽物と見抜いたのだ。

 間近で直接の会話をするまで、シェルミーネは気付かなかった。


「俺たちを守るために、アラム王子は死んだ……なんてのは思い上がりだよな。それは、わかってる」


 周囲では、建物が疎らになり、木々が鬱蒼と生い茂り始めている。


 シグノの話によると、この先に、打ち捨てられた教会があるという。

 とある思想に取り憑かれた者たちが、入り浸っているのだという。

 集会場に、されているのだろう。


 シグノの父親も、その思想者の一人であったようだ。


「シェルミーネ嬢、あんたは……まさかとは思うが、アラム王子を捜しているのか?」

「……まあ、そう思っていただいて差し支えありませんわ」


「まだ未練があるのか……なんて、単純な話じゃなさそうだな」

 言いつつシグノは、空を見上げた。


「俺も、アラム王子には生きてて欲しいと思う。王宮じゃアイリ妃殿下が、今でも……アラム王子を、待っておられる……」


 自分たちが、アラム王子を守れなかった。死なせてしまった。

 アイリ・カナン王太子妃から、アラム王子を奪ってしまった。

 そのような思いが、この青年には、あるのかも知れない。


 そこには触れず、シェルミーネは言った。

「アラム王子は、ボーゼル侯との凄絶なる一騎討ちの末……相討ちで、お命を失くされたと。そのような噂、ありますわよね」


「相討ち、か。確かに、ボーゼル・ゴルマーは死んだ。アラム王子は……亡骸は、見つかっていないらしいが」

「その一騎討ち。シグノ殿は、御覧になっていませんの?」


「見たような気もする。アラム王子が、俺たちを守って、あの化け物と戦うところ……そんなもの、夢だったような気もする」


 戦場である。

 地獄のような、戦であったのだ。

 悪夢のような現実、現実のような悪夢、いくらでも見るだろう、とシェルミーネは思う。


「ボーゼル侯は、貴方たち王国正規軍の方々に……消えぬ悪夢を、植え付けてしまわれましたのね」

「あの戦に参加した兵隊ほとんどがな、俺も含めて、そんな感じさ。どいつもこいつも心をぶっ壊された」


「その方々と、お話をしたいですわ」

「難しいと思う。見たものをちゃんと覚えていて、まともに会話が出来る奴……さあ、いるかな果たして」


 アラム王子による戦闘指揮を受け、勝利を収めたはずの王国正規軍が、まるで敗残の傷病兵だ、とシェルミーネは感じた。


 ボーゼル侯の部下であった兵士たちは、あのリーゲン・クラウズをはじめ、敗軍の残党でありながら、しっかりと心を保っていたものだ。


「俺にも知りたい事があるよ、悪役令嬢殿」

 シグノは言った。

「あんたがトチ狂って、アイリ・カナンに刃物を振るって、リアンナ嬢をうっかり刺し殺した……って話。本当のところは、どうなのかな」


「……リアンナ・ラウディースは、役立たずゆえ私が始末いたしましたのよ。ただ、それだけですわ」


「あっ、見えてきました」

 ミリエラが突然、声を上げた。


 前方。

 木立の中に、建物が見える。

 辛うじて教会であったとわかる、廃屋である。

「シグノさんのおっしゃった、廃教会というのは」


「そうだ。あれだよ、ミリエラ嬢」

 シグノの口調は、暗い。


「おふくろ曰く、例の馬鹿げた思想に染まった連中の溜まり場になっているらしい。当然、親父も日頃から顔を出していた」

 暗い、憎悪を孕んだ声。


「……親父を、くだらん事に巻き込みやがった連中さ。全員ぶちのめして、何があったのかを吐かせる。手伝ってくれるんだよな? シェルミーネ嬢」


「貴方が……人殺しをなさろうとしたら、止めますわよ」

「そうしてくれ。俺は、自力で思いとどまる自信がない」


 この青年は、軍を辞めて里帰りをした、その日のうちに、父親だけでなく旧友をも失っているのだ。


「……ボーゼル・ゴルマーもな、人を物みたいにぶっ壊す化け物だった。が、それとも違う。もっとタチの悪い意味で、人を物にしちまってる奴がいるなら……俺は、そいつは殺すぞ。それは止めないでくれ」


「…………私が、手を下しますわ」

 シェルミーネは歩調を強め、シグノの前に出た。


 その時。

 轟音が起こり、大気が震えた。

 爆炎か電光か、わからぬものが見えた。


 攻撃魔法の光。間違いない。

 その輝きを噴射しながら、廃教会の一部が破裂していた。


 屋根の破片が、壁の破片が、飛散する。

 こちらにまで、吹っ飛んで来る。


 シェルミーネは魔剣・残月を抜き放ち、飛来する破片を切り払った。


 ひときわ巨大な破片が、吹っ飛んで来た。

 危うくシェルミーネは、それを叩き斬ってしまうところだった。

 建物の破片、ではなく人の身体だ。


 弓歩兵の武装をまとう若者。

 シェルミーネの眼前で、くるりと軽やかに着地する。


「ヒューゼル殿……!」

「来たのか、シェルミーネ嬢」


 駆けつけた三名を背後に庇う格好で、ヒューゼル・ネイオンは見上げ、睨み据えている。

 空中に佇む、一人の男を。


「ゼルーデ・ゲトラと言ったな、貴様」

 身なりの良い、恐らくは三十代後半、貴族階級の出身と思われる、だが単なる貴族ではあり得ない男と、ヒューゼルは会話を試みている。

「……やはり、どこかで見かけた気がする。お前……以前、王宮にいなかったか?」


「ほう、君は王宮にいた事があるのかね? 地方軍の、冴えない歩兵にしか見えない若者が」

 ゼルーデ・ゲトラと呼ばれた男が、空中で嘲笑う。


「まあ良い。確かに私は王宮内の、あまり日の当たらぬ場所で活動をしていた事がある。我が師ジュラードの片腕として、な」


「私。南の地で、灰色の装束をお召しになった方々と……少しばかり、揉め事を起こして参りましたわ」

 シェルミーネは、会話に割り込んだ。

「ゼルーデ・ゲトラ殿は、あの方々の」


「あのような落伍者どもと一緒にされては心外だ。ヴェノーラ・ゲントリウスの偉大なる黒魔法を、守り受け継ぐ者……それは、この私ゼルーデ・ゲトラよ」


 そんな言葉を、シェルミーネはもはや聞いていなかった。


 ヒューゼルの秀麗な横顔を凝視しながら、シグノが呻いているからだ。

「…………あんたは……!?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ