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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第192話

 帝国を母体とする国々の中で、ここヴィスガルド王国は、唯一神教が最も軽んじられている国であった。

 教会の権勢が最も弱い国、という事だ。


 だから、聖職者のいなくなった教会が、このように長らく放置されている。


 エレム地方。

 メンルーダという町の近くで、寂れた様を晒す廃教会に、我々は集まっていた。


 私を含め、男ばかりが二十三人。

 埃の積もり、あちこちが破損した礼拝堂の、長椅子に座っている。


 最年長者は四十六歳の私で全員、働き盛りではあるが仕事はない。


 私は以前、領主アルガート・ズレイン侯爵に、使用人頭として仕えていた。

 辞めさせられ、放逐された。


 私が、とある思想を捨てられなかったのが理由である。


 他二十二人も同様に全員、一人の例外もなく、その思想を捨てなかったせいで職を失った者ばかりである。


 ここヴィスガルドは、民から思想の自由を奪う国と成り果てた。


 かつて確かにあった時代……民が、政治の主役であった時代に、思いを馳せる。かの時代の、意義を語る。

 それが、今のヴィスガルド王国では犯罪となってしまうのだ。


「おい、ハンスはどうした。来ていないのか」

 豪農のジェントが言った。


 大勢の小作農民を働かせて大層、羽振りの良い生活をしていた男であるが、親族の者たちに実権を奪われ、今は隠居をさせられている。


 小作農民たちに、思想を語って聞かせていたのである。

 領主アルガート侯に睨まれる事を恐れた親族が、この男を無理矢理、隠居させてしまった。


 隠居の身とは言え金はあるので、ジェントは我々の中では大きな顔をしている。


「兵隊に行ってた息子が、帰ってくるらしいぞ。あいつ」

「ふん、人殺しの息子か」

「おいおい、やめろよジェントさん。俺の弟だって兵隊だぞ」

「兵隊なんて連中、どいつもこいつも人殺しだろう。違うのかね?」

「……お前、あんまり調子に乗るなよ?」

「何だ、文句があるのか貧乏人」


「やめないか、二人とも」

 私は、仲裁に入った。

「ほら、ゼルーデ殿が来るぞ。あまり馬鹿を晒すな」


「やあ、皆様お揃いで」

 ゼルーデ・ゲトラが、礼拝堂に入って来た。


 この男に関しては、どうやら貴族階級の出身であるらしい、という事しか私は知らない。

 身なりの良い、人当たりも良い、三十代後半と思われる男。


 正体は不明だが、この男の力は、ここにいる全員が知っている。

 傍若無人なジェントも、このゼルーデという人物には逆らわない。


「ゼルーデ殿、いよいよですか? いよいよ、行動を起こすのですか」

 両眼をギラギラと輝かせて、ジェントは言った。


 自分を隠居に追い込んだ親族への、復讐を果たす。

 ゼルーデの力を利用してだ。

 それが、ジェントの目的である。


 私はこの男をあまり好きではないが、気持はわかる。

 アルガート・ズレイン侯爵に、私も復讐がしたい。


 あれは、王弟ベレオヌス公の犬とも言うべき男であった。

 王侯貴族の特権意識が、骨の髄まで染み込んでいる。

 民が政治をしていた時代の、再来を恐れている。


 故に、私の思想が許せなかった。

 私の思想が使用人たちに広がってゆくのを、許せなかったのだ。


「行動を起こすのは、貴方たちです。そうでなければ、なりません」

 ゼルーデは微笑み、指を鳴らした。


 彼の部下と思われる、体格の良い男が二人、礼拝堂に入って来た。

 二人がかりで、大荷物を運び込んでいた。


 木製の大箱。金細工の装飾が施されている。

 宝箱、と言って良いか。


 それが床に置かれた。

 埃が、いくらか舞い上がった。


「私から貴方がたへの、ささやかなる贈り物です」

 ゼルーデが言う。

 男の一人が、宝箱の蓋を開く。


 廃教会に、光が満ちた。


 私を含む二十三人ことごとく息を呑み、言葉を失った。

 正気をも失っている、かも知れなかった。


「皆様の御力に、なれると良いのですが」

「……こ……これは……」

 私は、ようやく声を発した。

「…………軍資金……と、いう事で……よろしいか、ゼルーデ殿……」


 豪奢な宝箱にふさわしい中身、と言えるだろう。

 指輪や腕輪、冠に首飾り、宝剣、御使いの小像。

 様々な、宝石や貴金属の細工物が、今にも宝箱から溢れ出しそうである。


「軍資金……かぁ……」

 溢れ出しそうな財宝類に、ジェントが迫り寄って行く。

「それなら、俺が……管理、しないとなああ」


「寄るな。触るな。視界に入れるな」

 何者かが、命令をした。


 ジェントの太った身体が、硬直した。

 二十三名、全員が硬直していた。


 命令だけで、人間の動きを制限する。

 そんな声であった。


「お前たちにとって、それは毒物だ。これ以上ない猛毒だ。抗う力を一瞬にして奪い、お前たちを愚行へと走らせる」


 命令をする事に、慣れている。

 命令を下すために、生まれたのではないか。


 そう思えてしまうような人物が、いつの間にか、そこにいた。

 柱の陰から、現れていた。


 ゼルーデが、まずは会話を試みる。

「……どちら様、ですかな?」


「単なる通りすがりだ。ゼルーデ殿、だったな? あんたを見かけた瞬間、ちょっと何やら嫌なものを感じてなあ」


 粗末な兵装をまとった、若い男。

 長弓を背負っている。

 一見すると、地方軍の単なる弓歩兵である。


「悪いが、後をつけた。どうやら……もっと嫌なものを、見せられる事になりそうだな」


 顔立ちは秀麗で、眼光は無気力、に見えて鋭い。

 すらりと引き締まった身体には、歩兵ではなく騎士の立派な鎧が似合うのではないか、と思わせる。


 まさか、と私は思った。

 あり得ない。

 だが似ている。あまりにも。

 いや、似ているだけだ。


「民衆を……いかなる愚行に導こうとしている? 答えろ、ゼルーデとやら」


 アラム・ヴィスケーノ王子は、王宮にいる。

 愛妻アイリ・カナン妃と、仲睦まじく過ごしている。

 こんな所に、いるはずはないのだ。


 死んだ人間が、生き返る。

 これもまた、その一つの形であるのか、とシェルミーネ・グラークは思わぬでもなかった。


 六つの、人ならざるもの。

 何者かによる、人体を原材料とした作品群。

 生きている、と言えるかどうかはともかく動いている。


 六つのうち五つは、直立歩行しているのか、路上を這いずっているのか、判然としない肉塊である。

 牙のある臓物を全身から生やし蠢かせる、異形の群れ。


 そんなものが五体、メンルーダの街中に出現していた。


 残る一体は、人間の原形らしきものを辛うじて保ってはいた。

「…………何かね、君は……」

 上下逆さまの顔面で、そんな事を言っている。


 頸椎、だけでなく全身が捻れて歪み、あちこちから折れた骨が突き出している。

 そんな男が、言葉を発しているのだ。

「……民が、政治の主役であった……理想の時代に関して、私の講義を受けたいのかね……?」


「帝国以前の、都市国家時代? その歴史なら私、一通りは学んでおりますわ」

 魔剣・残月を油断なく構えたまま、シェルミーネは会話に応じた。


「民衆が、民衆の中から為政者を選出し、政治を委ねる……理想の時代、だったんですの? 今と大して違いはしないような気も、致しますけれど」

「何だと……」


「その選ばれし為政者の方々とて、結局は今の王侯貴族と何ら違わぬ特権をお持ちになっていたのでしょう? まあ、ある程度は権力がないと政治なんて出来ませんものね」


「お前!」

 男の全身で、棘の如く突き出た骨がバチッ! と電光を帯びた。

 この電光が、五つの屍を、おぞましい怪物に変えたのだ。


 その怪物たちが、電光に操られるが如く動いた。

 牙のある臓物が無数、毒蛇のようにシェルミーネを襲う。歪んだ男の、怒声に合わせてだ。


「お前、よもや貴族階級の出身者か! 民衆から自由を奪った張本人ども! 今この時代、民が苦しんでいる現状について! どう思うのだぁあああああっ!」


「民が……苦しんで、おりますの?」

 襲い来る臓物の群れを、シェルミーネは魔剣・残月で無造作に切り払った。

 幾つもの、斬撃の弧が生まれた。

「ちょっと、そうは思えませんわね」


 新月のようなそれらが発射され、元は人の屍であった五体の怪物を、滑らかに切り刻む。

 切り刻まれたものたちが、干涸らびて崩れ散る。


「この上なく脳天気で幸せな、平民の小娘を一人……私、知っておりますもの」


 歪んだ男も、飛ぶ新月によって斜め真っ二つに切り分けられ、滑らかな断面からバリバリと電光を漏らし、それに灼かれて焦げ砕けた。

 路上に、遺灰がぶちまけられる。


 その中で、何かが光った。

 シェルミーネは身を屈め、まずは見て確認した。


 遺灰の溜まりの中で、妖しく日光を反射するもの。

 歪み捻れた男が、隠し持っていたもの。

 この男を、歪め捻っていたもの。


 それは、宝石の首飾りであった。

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