第191話
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その男は、流星を自在に操った。
豪腕を振るう度に、流星が落ちて来る。
我が軍の部隊が、一つ二つと潰れて散る。
それは、もはや戦闘ではなかった。
一方的な殺戮、ですらない。
殺戮とは、人が人に対して行うものだ。
あの男にとって、我ら王国正規軍兵士は、人ではなく物であった。
戦闘ではなく、殺害でもなく、破壊・粉砕の対象。
あの男が鎖を振るう度に、俺の仲間たちが破壊される。粉砕される。屍すら、残らなくなる。
ボーゼル・ゴルマー侯爵。
我々に、教えてくれた人物である。
人間の命に、価値など無いと。
圧倒的な暴力の前には、人の命など、壊れる物体でしかないと。
あの男が振るう鎖鉄球は、人命を部隊単位で打ち砕く、死の流星であった。
俺は、何も出来なかった。
上官が、戦友たちが、流星の直撃を喰らって跡形も無くなる。
その光景の真っただ中で、ただ呆然としていただけだ。
逃げろ、と言われた。
総員、退却せよ。
その命令を叫びながら、王国正規軍司令官アラム・エアリス・ヴィスケーノ王子が駆け付けた。飛び込んで来た。
死の流星をかいくぐり、ボーゼル侯に斬りかかって行く。
アラム王子の、その後ろ姿が見えた。
あの戦場で俺が見た、最後のものだった。
そこから先は、記憶がない。
どのようにして王都へ帰還したのかも、覚えていない。
敗走も同然の撤収だったのだろう、と俺は思っていた。
だが信じられない事に、戦そのものは、王国正規軍の勝利であったのだという。
叛乱軍の総帥ボーゼル・ゴルマーが、討ち死にを遂げたのだという。
あの状況で、ボーゼル侯の命を奪う事が出来た、のだとしたら。
アラム王子が倒した、としか思えない。
事実、そうであると俺は聞いた。
アラム・ヴィスケーノが、正々堂々たる一騎打ちで、逆賊ボーゼル・ゴルマーを討ち果たしたのだと。
我々を率い、王都への凱旋を果たしたアラム王子は、その武功を認められ、正式に王太子となった。
平民出身の愛妻アイリ妃と並び、王宮の露台で手を振っているアラム王太子を、俺は見た。
見て、即座に確信した。
このアラム王子は、偽物であると。
ボーゼル・ゴルマーは確かに死亡し、アラム王子は偽物と入れ替わっている。
この事が示す現実は、ただ一つ。
アラム・エアリス・ヴィスケーノは、死んだ。
破壊神ボーゼル・ゴルマーを、道連れにしたのだ。
俺たちを、守るために。
自惚れであろうが、俺には、そうとしか思えなかった。
俺は、抜け殻となった。
身体に負った戦傷は癒えても、心は、魂は、ボーゼルの鉄球に粉砕されたままだった。
俺は軍を辞め、故郷へ帰った。
帰るなり、人を殺した。
鍛冶屋パイクの大柄な身体が、俺の足元に倒れ伏している。
路面の石畳に、鮮血が流れ広がる。
殺人犯である俺に、兵士たちが槍を突き込んで来る。
四人いる。ゲント、レイモン、ナーグ、リベルト。
全員、俺の、昔馴染みの親友だった。
五人揃って王国地方軍に入り、この町の衛兵となった。
その後。俺一人が辞令を受け、王都で正規軍に入る事となった。
ゲントたちは、送別会を開いてくれた。
五人で、しこたま飲んで馬鹿騒ぎをしたのが、この町における、俺の最後の思い出である。
そこに今、一つが追加されつつある。
最悪の、思い出が。
四人の突き込んで来る槍をかわしながら、俺は踏み込んで行った。
長剣を、振るう。
四つ、手応えがあった。
ゲントの身体から、血飛沫が噴出した。
レイモンとナーグは、首筋から血を噴いている。
リベルトの腹に長剣を突き刺したところで、俺は動きを止めていた。
「…………たすけ……て……くれ…………シグノ……」
血を吐き、涙を流しながら、リベルトは訴えかけてくる。
「……この……まち、を……」
俺は、長剣を引き抜いた。
リベルトの死体が倒れ伏し、大量の臓物を路面にぶちまける。
蛇の如く蠢き暴れ、牙を剥く、臓物の群れ。
ゲントの屍も、同じような有り様であった。
俺の斬撃による裂傷から、蠢く臓物が大量に暴れ出し、のたうち回っている。
レイモンは、半ば斬首された状態で口をぱくぱくと開閉させている。何本も生えた巨大な牙のせいで、口を完全には閉じられなくなっている。
ナーグの転がった生首からは、角が生えていた。
パイクの大柄な屍からは、六本の腕が、蜘蛛の脚のように広がっている。
鍛冶屋らしくと言えるか、いくらか荒っぽいが、心根の優しい大男ではあった。
幼い頃の俺たちを、可愛がってくれた。
そんな男が、俺の母親に暴力を振るっていたのだ。
「……し……シグノ……」
俺の母レアナが石畳に倒れ、上体を起こし、頭から血を流しながら、弱々しく笑っている。
「お帰り……大変な時に、帰って来てしまったねぇ……」
「…………戦場ほど大変な所はない、って俺は思ってたよ。母ちゃん」
気のいい鍛冶屋の大男パイクが、路上で俺の母親を殴り倒す。
ゲントもレイモンも、ナーグとリベルトも、衛兵でありながら、それを止めようとしない。
この町に帰って来て、俺は真っ先に、そんな光景を目の当たりにする事となったのである。
王都ガルドラントの東、エレム地方。
このメンルーダという田舎じみた町が、俺の生まれ故郷だ。
平和が取り柄、としか言いようのない場所だったのだが。
「戦場では……人間が、しょっちゅう人間じゃなくなる。人の心が、無くなっちまう」
俺は母親を背後に庇い、睨み合った。
自分の、父親とだ。
「……ここは何だ、何があった? 戦場でもないのに、人間が……人間じゃ、なくなってる。一体、何やってるんだよ親父」
「シグノ……お前は……」
俺の父ハンスは今、人間ではなくなっていた。
二本の脚で立っていながら、身体が歪み、頸部が捻じ曲がり、脳天が地面を向いている。
こんな状態で、生きていられる人間はいない。
「……お前は……人を、殺してきたのか……」
「殺してきた。今も殺した。言い訳はしない。それはそれとして親父、何だその様は」
歪んだ全身あちこちで、折れた骨が皮膚を破っている。
棘の如く現れた骨の突起が、バチバチと電光を帯びている。
それが、今のハンスであった。
「仕方のない事、なのかも知れんな……人は、戦争をやめられない。平和な時代は……遥か昔に、終わってしまった……取り戻さなければ……」
逆さまの顔面から、天に向かって長い舌を伸ばしつつ、親父は世迷い言を吐いた。
「やはり王侯貴族に政治を任せていては駄目なのだよシグノ。支配者の気まぐれな意思ひとつで戦争が起こる、お前のような若者が人を殺す。政治は……やはり民が、自身の手で、行わなければならない……」
「それ、まだ言ってるのかよ親父!」
このハンスという男は、教師であった。
教会の敷地を借り、町の子供たちを集め、読み書きや数字の計算それに歴史を教えていた。
立派な仕事をして、俺を養ってくれた。
感謝も尊敬もしている。
立派な、あまりにも御立派な思想を、親父はやがて子供たちに教え込むようになった。
結果、教師を辞めさせられた。
教会の敷地から追い出され、立ち入りを禁じられた。
唯一神教会、だけではないだろう。
ここヴィスガルドという王国で、政治を行っている人々の意向が、間違いなく働いている。
横暴は横暴だが、辞めさせられてしまったものは仕方がなかった。
俺は、親父の代わりに金を稼がなければならなくなった。
だから、軍に入った。
結局、俺も辞める事になってしまったが、年金は出る。
ボーゼル・ゴルマー討伐戦に参加した兵士、全員に恩給制度が適用されたのだ。
両親が生活に困る事は、ない。
それが、俺にとって唯一の救いであったのだが。
「ねえ、あなた……もう、やめて下さい……」
母が、言った。
「シグノが、帰って来てくれたのよ? 親として、何という姿を見せているのか考えて」
「黙れよレアナ。我々はな、民として! 目覚めなければ、ならないのだっ!」
ハンスの全身が、雷鳴を発した。
骨の突起、全てから電光が放たれ迸り、五つの屍を直撃する。
パイク、ゲント、レイモン、ナーグ、リベルト。
俺に殺された全員が、生き返った、のであろうか。
五つの死体が、立ち上がりながらメキメキと変異してゆく。
「私の放つ雷は、人間の肉体を作り変える! 民が政治の主役であった理想の時代を、取り戻すための戦いに! 赴く! 戦士へと!」
皆、生き返ったわけではない。
死体に、おかしな力が注入されているだけだ。
死んだ人間が、生き返るわけはないのだ。
パイクも、ゲントたち兵士四人も、何やら様子のおかしいハンスを、最初は気遣ったのだろう。優しく、言葉をかけたのだろう。
そして、この電光を浴びせられた。
人間ではないものに、作り変えられた。
筋肉を膨張させ、牙のある臓物を暴れさせ、もはや生前の面影を完全に失った怪物五匹を周囲に従えたまま。
ハンスは叫び、電光を放つ。
「レアナ、シグノ! お前たちも目覚めるのだ!」
電光が、怪物たちを迂回して宙を走り、俺と母を襲う。
そして、飛び散った。
巨大な、光の盾が、俺たち母子の眼前に浮かんでいる。
酔っ払いの吐瀉物の如く、親父がぶちまけた電光は、その盾にぶつかって飛散し、消え失せていた。
「……一体どうなってしまいましたの? この国は」
険悪さと紙一重の、冷たく鋭い口調。凛と響く声。
「人が、人ならざるものと化す光景。どこへ行っても見かける、ような気が致しますわ。まったく」
優美なる人影が、いつの間にか路上に佇んでいた。
所々に部分鎧の貼り付いた戦闘服は、肌の露出はほぼ皆無。だが魅惑的な身体の曲線は全く隠せていない。
鍛え込まれた肉体だ、と俺は思った。生半可な鍛錬ではない。
抜き身の長剣を右手で携えている、それだけの構えから見えてくるものがある。
王国正規軍兵士として、それなりには鍛えられてきた俺よりも、剣の技量は遥かに上だ。
刃の打ち合いなど出来そうにない細身の刀身で、この娘は、俺の首を刎ねる事が出来るだろう。
「私、人を捜している最中ですのよ」
見知らぬ女剣士は、言った。
いや。俺は、この娘を知っているのではないか。
会話をした事などない、にしても。顔を見た事はある、気がする。
眼光鋭い、非友好的な美貌。
馬の尾の形に束ねられた金髪。
「黒いドレスをお召しになった、とても綺麗で儚げなる令嬢……この辺りにいらっしゃる、はずなのですけれど」
悪夢か、と俺は思った。
いや、そんなはずはない。
あの女が、こんな所にいるわけはないのだ。
「この有り様……フェアリエ嬢が何かしら、やらかしておられる真っ最中ではないかと。そのような気が致しますけれど、そうではないにしても放置は出来ませんわね」
俺が、この世で一番嫌いな女。
腐れ悪役令嬢シェルミーネ・グラークが、こんな所で俺を助けてくれる。人助けをする。
悪夢であるにしても、奇天烈が過ぎるというものだ。




