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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第190話

 母イレーネ・ライアットは、随分と朗らかになった。

 体調も、上向いているようだ。

「領主メレス・ライアットの母でございます。ようこそヴェルジアへ、おいで下さいましたね」


「テスラー・ゴルディアックと申します。英傑の誉れ高きメレス・ライアット侯爵閣下と、御言葉を交わす栄誉を賜りました事。恐縮に存じます」


 英傑の誉れ高きは父の方ではないのか、とメレス・ライアットは言ってしまいそうになった。

 父シグルム・ライアットに対する劣等感など、とうの昔に捨て去った、はずなのだが。


 ヴェルジア地方、執政府リーネカフカ城。

 命の恩人テスラー・ゴルディアックを、客間に招き入れたところである。


「こちらの侯爵閣下はね、御覧の通り見目も麗しく、才覚もお持ち……ですのに、お友達がどうにも出来ずにいらっしゃるのよ」

 母も、口調明るく、こんな事を言うようになった。

 以前は、こうして客人の前に姿を現す事すら考えられなかった。


「テスラー殿に仲良くしていただけると、嬉しいわ」

「いやはや畏れ多い。ですが、メレス侯閣下が私ごときに親しく接して下さるなら」


「友達になろう、テスラー殿」

 メレスは右手を差し出した。

 テスラーが、握手に応じた。


 繊細な手だ、とメレスは感じた。

 剣を握り慣れて太く固くなった、自分の指とは違う。

 自分の手は、人殺しに向いている。


 テスラーの指は違う。

 繊細で、よく動く五指。それが、握手でわかった。

 手先の器用さは、メレスよりも遥かに上であろう。


 テスラーの手は、人殺し、以外の様々な事に向いている。


「これが……なるほど、この手が。あの不思議な、鋼の心臓を作り上げたのだな」

 メレスは言った。

「改めて、お礼申し上げる。メレス殿、それにクロノドゥール殿」


 テスラーの傍らに、いつの間にか長身の人影が佇んでいる。

 イレーネが、驚いた。

「びっくりしたわ……影みたいな方が、いらっしゃったのね。気付きませんでした」


「失礼、クロノドゥールと言います。影になりきって、私の身を守ってくれるのですよ」

 テスラーが言い、クロノドゥールは無言で恭しく一礼する。

 両名を、メレスは長椅子に座らせた。


「ごゆっくり、お過ごし下さいね」

 言い残し、イレーネは客間を出て行った。

 見送りつつ、メレスは思う。


 やはりベルクリス・ゴルマーのおかげ、であろうか。

 この城に逗留していた数日間、彼女はいつも母の話し相手をしてくれていた。

 やがて母は、他の人間とも、朗らかに話せるようになったのだ。


 メレスは、長椅子に腰を下ろした。

「幾度でも礼を言おう。貴方がたのおかげで、助かった」

 微笑んでみた。

「……私に恩を売る事には、成功したようだが。この後はどうする? バルフェノム・ゴルディアック侯爵は、私に一体何をさせようとしているのかな」


「母君はおっしゃった。貴方には、友達がいないと」

 テスラーが、笑みを返してくる。

「僕には友達がいる。例えば、このクロノドゥールだ。羨ましいかな?」


「とっとと本題に入れよ、若君様」

 クロノドゥールが、ようやく言葉を発した。

「……俺はなあ。心臓を取り換える機会を虎視眈々と狙ってるような奴を、友達とは思わない事にしている」

「まあまあ。実は我が祖父バルフェノムも、友達がいない人でね……メレス・ライアット侯爵閣下。私の祖父と、仲良くして欲しい」


「ゴルディアック家とは、可能な限り距離を置くように……生前の父から、よく言い聞かされていた事でね」


「シグルム・ライアット侯爵閣下ですか。私は幼い頃、お姿を遠くから見た事がある。それだけですが……我が家に仕えるゼイヴァー・ロウレルという者が、シグルム侯閣下を尊敬しているのですよ。あれほどの英傑もはや現れる事はあるまい、とまで申しております」


「ゼイヴァー・ロウレル卿は、御壮健……なのでしょうね。あれほど強い人を、私は知らない」

「頑丈な男ゆえ、こき使われておりますよ。残酷な仕事を様々やらされているのです。民を殺める、類の仕事をね」


「民を殺める仕事なら……私も今しがた、済ませたばかりですよ」


 正当に裁くべき賊徒を、死なせてしまった。助けられなかった。

 それは、民を殺したと同義ではないのか。

 メレスは、そう思う。


 思い上がりだ、と父シグルムならば言うだろう。


 貴族は民を、守らねばならぬが守れぬ時もある。

 生前の父は、語っていたものだ。

 上から守る、救う。それには限界があるのだ、と。


 民が、自身で自身を守る。救う、治める。それが理想なのだがな、とも。

 それに近い時代が、かつて確かにあったのだ、とも。


「古の……民が、政治を行う時代」

 テスラーが言った。


「歴史的な意義を見出し、学び、調べるのは良い事だと思います。その時代を懐かしむのも良い。ですが……かの時代の、再来を願う者たちがいる。願うだけでなく、行動を起こしてしまう者たちがいるのです」

「…………いる。ここヴェルジアにも」


「バルフェノムの治めるグルナ地方にも、おりますよ。王国全土に根付いているのでは、と思われます。その根を……断ち切らなければ、なりません。我らゴルディアック家と距離を置きたい、それはわかりますが協力をしましょうメレス殿。この一点においてのみ」


「賊徒を生み出す思想。断ち切らなければなりません、か」

 自分の声が暗くなってゆくのを、メレスは自覚した。


「裕福な村長の息子として、不自由なく暮らしていた青年が……その思想に狂って愚行・凶行に走り、結果として命を落とす。私は、それを目の当たりにしました。思想というものが、いかに人を狂わせるか」


 民が、全ての自由を謳歌する。

 それが理想だ、と父は言っていたものだ。

 幼いメレスの、頭を撫でながら。


「思想とは……断ち切るべきもの、なのでしょうか? 取り締まらなければ、ならないのでしょうか。思想の自由を……我ら貴族は、民から奪わなければならないのでしょうか」


 呟く。

 テスラー・ゴルディアックという年下の若者に、返答など求めてはいない。


 テスラーは、しかし会話をしてくれた。

「私が今から申し上げる事は、祖父からの受け売りです……民は、支配者の思い通りには振る舞ってくれない。無制限の自由を認めたところで、支配者に都合の良い善男善女に……なってくれる、わけではない。民衆という人々はね」

「なって欲しいものです。善男善女に」


「王侯貴族たる者。民からは、どこかで自由を奪わなければならなくなる。制限し、取り締まらなければならなくなる……経験も識見も足らぬ夢見がちな若輩者として私は、祖父のこの考え方には大いに反発したい」


「同感です。民に対し、束縛も制限も一切行わない、理想の君主でありたいものだと日々、夢見ておりますよ私も」


 理想は、叶わぬもの。

 父シグルムは、そう言っていたものだ。


 叶わぬ理想を、あの父は、ついに捨てる事が出来なかった。


 民が、政治を行っていた時代。

 民が、民を治め、導き、守っていた時代。

 民が、王侯貴族を必要としなかった時代。


 帝国以前、確かに存在していた、その歴史を、シグルムは大いに学んでいた。

 息子に語り、他の人々にも語った。


 やがて王侯貴族の中からも、同調する者が現れ始めた。

 その筆頭と言うべきが、王妃クランディア・エアリス・ヴィスケーノである。


 民衆が世を統べる時代。今後再び、訪れるか否か。

 それを議題に、シグルム侯爵とクランディア王妃は、よく語り合っていたものだ。


 両名とも、今はこの世にいない。


 クランディア王妃は、十年ほど前に。

 シグルム・ライアットは二年前、花嫁選びの祭典直後に。

 それぞれ、いささか不審な死を遂げた。王妃の方は、病死という事になってはいるのだが。


 両名の思想と怪死を結び付ける、決定的なものは何もない。

 ただメレスとしては、思うだけだ。


 民が政治をする時代。

 王族と有力貴族が、それを理想として声高に語り、同調者を増やしてゆく。

 そのような状況、ログレム・ゴルディアック宰相が放置しておくはずはないだろう、と。


「理想の君主の……今は、真似事だけでも」

 メレスは言った。


「ご存じの通り。ここヴェルジアに、悪しきものの拠点が出現してしまった」

「ゲンペスト城ですね」


「あれが……民衆にとって有益なものであるとは今のところ、私には思えないのです。排除しなければなりません。かつての支配者を名乗る、人外の存在を……倒すために、貴方がたの力をお借りしたい。無論、バルフェノム侯閣下のために出来る事はする」


「ここまで来たんだ、やるさ。俺にとっても、中途半端にやりかけた仕事だからな」

 クロノドゥールが言った。

「ライアット家の若当主に、恩を売りつける事が出来れば……とは思っていたが。まさか、あんなものがいるとはな」


「言いにくいけれどクロノドゥール……君に、万一の事が起こるようなら」

「わかってる。あの心臓を、俺の身体に埋め込んでくれ。とんでもないバケモノになれるかも知れない、それはそれで本望さ」


 その会話を、メレスはもはや聞いてはいなかった。


 思い浮かぶのは、母イレーネの暗い表情である。

 最近ようやく朗らかになった母の、あの頃の顔。

 夫シグルムが健在であった頃の、イレーネの表情。


 民が政治の主役であった時代。

 それを議題に語り合う、活発に快活に言葉を交わす、シグルムとクランディア王妃を、じっと見つめながら。

 イレーネは部屋の片隅で、暗い顔をしていたものだ。


 メレスは思う。

 母が今ようやく明るくなったのは、解放されたから、かも知れなかった。

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