第188話
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二年前。
花嫁選びの祭典、終了直後の頃。
祭典の運営責任者であったシグルム・ライアット侯爵は、王宮の庭園にて怪死を遂げた。
ヴィスガルド王国随一の武勇と謳われた剣士が、無惨極まる腐乱死体となって発見されたのだ。
真相も犯人も、不明である。
旧帝国貴族の令嬢たちを容赦なく脱落させた祭典運営責任者に対する、ゴルディアック家の報復。
それが、最も有力な説ではあった。
真実であるならば、とテスラー・ゴルディアックは思う。
豪奢な甲冑がよく似合う、このメレス・ライアットという若き侯爵にとって、自分は父の仇の一人という事になるのか。
ヴェルジア地方。ゲンペスト城。
庭園にてメレス侯爵は、どうやら敗北を喫したようである。
打ちひしがれ、立ち尽くしている。
いかなる戦いに彼が敗れたのか、この場に到着したばかりのテスラーには、わからない。
ともかく。
メレス侯爵を救った、守った、という事になるのだろうか。
庭園に群れていた怪物の群れを、クロノドゥールが灼き払ったところである。
火炎放射用の義手を、城壁の上から庭園に向けたまま、彼は言った。
「余計な事をしたのは申し訳ない。あんたなら、自力で戦えただろうが」
「…………いや、戦えなかった。感謝する、クロノドゥール殿」
抜き身の長剣を、メレス侯爵は構え直している。
そして対峙する。
大量の遺灰が漂う中で、恐るべき相手と。
「グスター・エンドルム……貴殿は今、ヴェルジアの民を殺めた。許しては、おけぬ」
『貴族とは、民を殺めるものよ』
石造りの巨漢。石像、にしか見えない。
動かぬ唇が、言葉を紡ぎ出している。
『老若男女、健やかなる者と病める者、法を守る者と守らぬ者……分け隔てなく、取りこぼしなく、全て救い守る事など出来はせぬ。貴族とは、民の命に優先順位を定めるもの。取捨選択を、とっさに行う事が出来るか否か』
テスラーの祖父バルフェノム・ゴルディアックも、似た内容の高説をたまに語る。
『メレス・ライアット……そなた、領主としては今ひとつ覚悟が足らぬ。ヴェルジアを、任せてはおけんなあ』
魔像。それは、間違いない。
魔法使いが、どこかで遠隔操作をしているのか。
この魔像を介し、メレスと会話をしているのか。
「いや……まさか……」
クロノドゥールの背後に庇われたまま、テスラーは息を呑んでいた。
「あの魔像……自我を、持っているのか……?」
グスター・エンドルム。
メレスは確か、そう呼んでいた。
百年前ここヴェルジア地方を治めていた旧領主エンドルム家の、最後の当主の名前である。
テスラーは、目を凝らした。
炎、いや光か。
明るい、ようでいて闇よりも暗いものが、魔像の全身より立ちのぼり揺らめいている。
魔像という、形あるものに取り憑いていなければ存在を保てないもの。
それが、言葉を発しているのだ。
『この地は、私が再び治めるとしよう。メレス・ライアット、そなたは死ね』
「させるかっ!」
クロノドゥールが叫ぶ。
鋼の義手が、炎を放った。
球形に固まった火炎が、立て続けに射出されていた。
そして、グスター・エンドルムを名乗る自律魔像を直撃する。
石造りの巨体あちこちに火球がぶつかり、砕け散って火の粉と化す。
無傷の石像が、火の粉を蹴散らしてメレスに歩み迫る。
兵士およそ二十名が、メレスを護衛する形に布陣し、魔像と対峙した。
「逃げてもらった方が、本当はいいんだが……」
言いつつクロノドゥールが義手を外し、テスラーに手渡した。
「ここにいてくれ若君様。あの化け物を、俺が仕留めるまでな」
「君の方が仕留められないよう、どうか気を付けて欲しい」
「善処する」
傍らの大荷物を、クロノドゥールは右腕に装着した。
大型の、義手である。
「俺が勝ったら、しゃしゃり出て来てくれ。やあ、危ないところでしたね、とか言いながらメレス殿に上手く恩を着せるんだ。そいつが若君様の仕事だからなっ!」
己の巨大な右腕を担ぐようにしながら、クロノドゥールは城壁の上から身を躍らせ、庭園へと飛び降りて行った。
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クロノドゥールという男は、自分たちを助けてくれた。
それをメレス・ライアットは、見失うまいとした。
アレンたちを助ける手段、人間に戻す方法。
そんなものを、この場で迅速に用意する事は出来ない。
彼らは、人ならざるものとして殺処分するしかなかった。
それが出来ない無能なる領主メレス・ライアットの代わりに、クロノドゥールは手を汚してくれたのだ。
そうしながら彼は、ある人名を口にした。
バルフェノム・ゴルディアック。
確かに、その名を。
(長老ゼビエル・ゴルディアックの存命中、ずっと力を蓄え続けていた男が……長老の死を契機に、動き始めたと言うのかっ!)
長剣に気力を流し込み、メレス・ライアットは斬りかかって行った。
グスター・エンドルムを名乗る、石造りの怪物にだ。
闇よりも暗い光に包まれた、魔像。
その体表面に、メレスの斬撃が叩き付けられる。
父シグルム・ライアットは、左右の剣を縦横に一閃させるだけで、巨岩を四つに切り分けたものである。
自分は、一本の長剣を両手で振るい、どれほどの事が出来るのか。
手応えが、伝わって来た。
気の輝きをまとう刃が、魔像の脇腹を深々と切り裂いていた。
人間であれば、臓物に達する深傷。助かりはしない。
だが相手は、臓物を内包していない石像の巨体である。
痛みを感じた様子もなく、魔像は拳を振り下ろした。
闇よりも暗い光をまとった、流星の如き拳。
メレスは後方へ跳び、かわした。
空振りをした拳が、地面を直撃・粉砕する。
石畳の破片が、大量の土が、噴出し舞い上がる。
とっさに、メレスは叫んでいた。
護衛の形に布陣する、兵士たちに向かってだ。
「全員、意思を強く保て! 憑かれるぞ!」
魔像の拳から、地中へと。
闇よりも暗い光が、流し込まれていた。
庭園のあちこちで、地面が、石畳が、砕け散った。
地中に流し込まれたものが、噴出したのだ。
無数の、火柱に見えた。
石畳の破片を、土を、押しのけ蹴散らしながら。
闇よりも暗い火柱が、兵士二十名を呑み込んでいた。
メレスも、呑み込まれている。
足下を粉砕し、地中より燃え上がってくる、暗い火柱。
それが、全身を包み込む。
明るく燃え盛っていながら闇よりも暗いものが、体内に押し入って来る。
メレスは、殺されていた。
剣によって、槍によって。斧や槌によって。巨大な石や大量の土あるいは水、そして火によって。
幾度も、幾度も、メレスは様々な殺し方をされた。
刃に斬られ、槍で滅多刺しにされ、鈍器で撲殺され、土中に埋められ、水に沈められ、火に焼かれた。
今のメレスは、エンドルム家の老人であり、青年・少年であり、女子供であった。
百年前の、である。
当時のグラーク家は、このようにしてエンドルム家を殺し尽くしたのだ。
殺された人々は、闇よりも暗い光となって今もなお、魔像の内部に在る。
グスター・エンドルム侯爵を中核として、だ。
「……な、なるほど……これは……」
自身の内部からメキメキ……ッと起こり響く音を聞きながら、メレスは呻いた。
変異の音。
自分は今、人ならざるものに変わり始めている。
アレンのように。
「…………これは、確かに……憎かろうな、グラーク家が……否。生けるもの全てが、憎かろう。妬ましかろう、な……エンドルム家の人々よ……」
死せる者の怨みの念が、生ける者の肉体を侵蝕する。
侵蝕されたものは、人ならざる存在と化す。先程の、アレンたちのようにだ。
死せる者の、復活。
その一つの形、ではあるのか。
ならば。
このような形で、父シグルム・ライアットを呼び戻す事は出来るのか。
(何もかも……貴方は、何もかも! 墓の中まで、持って行ってしまわれた。そのせいで……生き残った者たちが、大いに難儀をしているのですよ父上……)
「……消えよ、死せる者たち」
メレスは歯を食いしばり、気力を燃やし、語りかけた。
自身の体内に入り込んで荒れ狂う、闇よりも暗く輝くものたちに。
「あなた方の無念、晴らして差し上げる手段が……我々には、無いのだよ。本当に申し訳ないと思う。ここにいても、貴殿らは救われぬ……いるかどうかもわからぬ唯一神のもとへ、旅立つが良い。早急にだ」
自身の内部でメキメキと暴れ狂うものを、メレスは抑え込んだ。
抑え込む事が、アレンたちには出来なかったのだ。
「……死んだ人間は、生き返らない……なのに無理矢理、この世にとどまろうとするならば! おぞましく歪な形にしか、ならない……それがっ、わからないのかぁッ!」
闇よりも暗い光が、メレスの中から消し飛んだ。
白く輝く剣を、振るい構える。
身体は、問題なく動く。
豪奢な甲冑の中で、メレスの肉体は無事である。
アレンたちのような変異を、辛うじて起こさずにいられた。
闇よりも暗い火柱に呑まれていた兵士たちも、それを払いのけてメレスに続き、魔像に向かって武器を構えていた。
二十名、一人の欠員もない。
変異を起こしている者はいない。
『見事……』
魔像グスター・エンドルムが、感嘆している。
『先程の賊徒とは、違うようだな。我らの怨念に、よくぞ自力で耐え抜いた』
「その怨念とは、無限に続くものか」
メレスは訊いてみた。
「それとも。今の如く憑依を試みる度、消耗してゆくものなのか? 後者であって欲しいと切に願うが」
『安心せよ、消耗してゆくものだ。魔像の体内にある怨念の総量を、湖に例えるならば……先程からの一連で、水滴の三つ四つは消えて失せたぞ。頑張ったのう』
笑うグスターの周囲で、地面が盛り上がってゆく。
石畳と土が、もろともに、まるで塚の如く。
『湖を、干上がらせてみるか?』
石畳の破片と土で出来た、幾つもの塚。
それらが、四肢を分岐させながら眼光を灯す。
闇よりも暗い、眼光。
先程、地中に流し込まれた怨念が、形を獲得したのである。
「怨念を……物に憑かせる事で、即席の兵隊を作り上げてしまうのか」
メレスは呻いた。
「厄介な……!」
『そなたが、我らの怨念を受け入れてくれれば理想的なのだがな。我が戦士として、そなたは最高の素材よ』
グスターは言った。
『……メレス・ライアットよ、そなたの言う通りである。死せる者は生き返らぬ、それが世の理……これを変えるべく旅立った者が、帰って来る。阻止せねばならぬのだよ』
「ヴェノーラ・ゲントリウスの名を先程、貴公は口にしたな。世迷い言、としか思えぬが」
『好きに思っておれば良い。ともかく、門を閉ざしておく力が……今や、尽きかけておる。メレス・ライアット! そなたで良い、そなたの命をよこせ。ガイラム・グラークの後任を務めるのだ』
黒い人影が、グスターの眼前に着地した。
まるで鴉だった。
「何を言っているのか、わからんが……すまんなあ。メレス殿は、バルフェノム様の大事な同盟者になるんだよっ」
クロノドゥールである。
その右腕は、巨大な鉄の塊だった。
着地と同時に轟音を発し、小さな金属の筒を排出する。
射出された碇が、魔像グスターを直撃していた。




