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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也
185/186

第185話

 父ボーゼル・ゴルマーと比べて一見、穏やかな人物であった。

 あまり豪奢ではないが作りのしっかりとした領主の椅子に、巨体を座らせている。


 筋骨隆々であったボーゼルに、上背で劣り、横幅では優っている。いささか恰幅が良すぎるのは否めない。

 分厚い脂肪の下に、しかし甲冑の如き筋肉を、間違いなく隠し持っている。


 それを見て取りながら、ベルクリス・ゴルマーは跪いた。

「逆賊の娘、ベルクリス・ゴルマーと申します」


「ドルムト地方領主、オズワード・グラークと申す。ゴルマー家の総領娘殿、よくぞおいで下された」

 恰幅の良い巨体が、声を発した。

 優しく、それでいて聞く者の心胆をズシリと威圧する声。

 にこやかな穏やかな顔には、ボーゼルに劣らぬ威厳が彫り込まれている。


(これが……シェルミーネの、親父殿……)

 娘に面影があるのかどうかは、ベルクリスにはわからない。


 ともかく。

 ドルムト地方、執政府ジルバレスト城にてベルクリスは今、領主オズワード・グラーク侯爵への目通りを許されていた。


「我が娘シェルミーネとは、随分と懇意にして下さったようだな?」

「ええ、まあ。そりゃあもう」

 正直な事を、ベルクリスは言った。


「例の祭典では、お遊びみたいな腕比べをして……その後、本気の殺し合いもしました。あたしの負けです。今こうして生きてるのは、あいつのお情け……」

 領主たる人物を、ベルクリスはつい睨んでいた。


「オズワード侯爵閣下。あんたの娘御は、本当に……もう……大した奴ですよ。本気で、ぶち殺したくなる」

「ははは。まるで、目に見えるかのようだ」


「わかる」

 頷いたのは、オズワード侯の傍らに控えた巨漢である。


 毛皮をまとう、若い大男。

 猟師のような身なりであるが、れっきとした貴族令息だ。


 オズワード候の次男、アルゴ・グラークであった。

「あやつは本当に、人の心を逆撫でする達人であるからなあ。ベルクリス嬢、ぶち殺さずにいてくれて感謝するぞ」


「殺そうとしたさ」

 ベルクリスは苦笑した。

「あいつは……誰が、どういう殺し方をしても絶対に死なない。そんな気がするよ。殺しても死なない悪役令嬢を育てた人たちに、こうしてお会い出来た事。光栄に思う」


 シェルミーネ・グラークの、父オズワード。兄アルゴ。

 悪役令嬢の血縁者が、ここ領主の間には、もう一人いた。


「殺す、死ぬ、などと……あまり、お口になさらないで下さいな。物騒な方々」

 領主オズワードから少し離れた場所で、簡素ながら柔らかな椅子に腰掛けた女性。


 赤ん坊を一人、抱いている。

 一見すると母子。あるいは、年若い祖母と孫にも見える。

「この子、眠っているように見えて……大人の話す言葉を、全て聴いておりますのよ?」


「も、申し訳ない」

 ベルクリスは、拝跪から平伏へと姿勢を変えた。

「ええと、貴女はもしや。シェルミーネ……嬢の、お母上」

「はい、アルテミラ・グラークと申します」


 あの悪役令嬢は、父親からは威厳を、母親からは美貌と気品を、受け継いでいる。

 ベルクリスは、そう思った。

(二親のいいとこ取りかよ、あいつ……!)


 自分は、どうか。

 亡き母親の可憐さを、僅かでも受け継いでいるのか。

 父親からは、筋肉を受け継いでしまった。大いに役立ち助かっているのは事実なのだが。


 アルゴが言った。

「もう一人、ネリオ・グラークという男がいる。俺とシェルミーネの兄だ」

 グラーク家の長兄、総領、という事か。

「今この城にはおらん。俺よりも、ずっと優秀な兄者でなあ。故に親父殿には大いにこき使われ、忙しく動き回っておられるのだ」


「お会いするのが、楽しみだよ……」

 言いつつ、ベルクリスは思う。

 ネリオ・グラークという人物には申し訳ないが、と。


 今、自分の心を占めているのは、シェルミーネの、この場にいない兄ではない。

 領主夫人アルテミラ・グラークに抱かれている、赤ん坊だ。

「あの、アルテミラ様……その子は……」


「うむ、知りたいか」

 アルテミラ、ではなくアルゴが応えた。

「その御方こそ! ヴィスガルド王国の次なる統治者……などではなく、まあ単なる拾い子の殿下だ。故あって、ここグラーク家にお留まりいただいておる」


「こちらへ、おいでなさいな。ベルクリス・ゴルマー殿」

 アルテミラが言った。

「シェルミーネの、お友達の方にはね。是非とも直接、この子に御挨拶をしていただきたいわ」


「いや、まあ……お友達じゃ、ないんですけどね」

 言いつつもベルクリスは立ち上がり、領主夫人に歩み寄り、抱擁の中の赤ん坊を覗き込んだ。


 眠っているように見えた赤ん坊は、眠っておらず、アルテミラの腕の中から興味深げにベルクリスを見つめている。


「こんにちは」

 声を、かけてみる。

 赤ん坊が、小さく手を動かした。


 ベルクリスは、そっと人差し指を近付けていった。

 その巨大な指先を、可愛らしい五指が握り込む。


「……不思議だよ。あんたとは、初対面なのに……」

 ベルクリスは、語りかけてみた。

「あたし……あんたの、お母さんを知ってる……気がする……」

 応えが、返って来るわけがなかった。


「ベルクリス嬢。貴女には、そこそこの不自由に耐えていただかなければならぬ」

 オズワードが、言葉を投げかけてくる。

「差し当たっては、この城で過ごしていただく事になるが」


「逆賊の娘を、匿っていただけるだけで望外の幸せだよ。不自由は覚悟の上……ただ一つだけ、望みがある。行きたい場所が、あるんだ」


 赤ん坊に指先を握らせたまま、ベルクリスは言った。

「……アイリ・カナンの…………墓が、あるんだろう?」


 アイリ・カナンは、赤ん坊に語りかけていた。

「ジュラード様、ジュラード様……どうか、お答え下さいませ。教えて、下さいませ。私は今後、何をすれば良いのです?」


 王宮。

 王太子妃の、私室である。

 自分たち母子、以外には誰もいない。


 母子の役割を維持するためにも、指示を仰がなければならない。

「ジュラード様! どうか、ご指示を!」


 王太子妃アイリ・カナン・ヴィスケーノの息子、であるはずの赤ん坊は、しかし何も応えてはくれない。

 当然である。赤ん坊、なのだから。

 取り乱す母親の姿を、虚ろな瞳で、じっと見つめるだけである。


「ジュラード様! どうして何もおっしゃって下さいませんの!? ねえジュラード様!」

 アイリは、赤ん坊を激しく揺さぶっていた。


 してはならない事なのであろう。

 今、腕の中にあるものが、本当に赤ん坊ならば。


 フェルナー・カナン・ヴィスケーノ。

 赤ん坊の形をした、この肉塊には、そのような名前が与えられている。


 この肉塊を、己が腹を痛めた息子として、ひたすらに愛でる事。

 我が子を愛でる姿を、民に見せつける事。

 夫を愛し、息子を愛する、理想的な王太子妃の姿を民に見せ続ける事。


 それが、自分アイリ・カナンに与えられた使命なのだ。

 自分が、アイリ・カナンであり続ける事も。


 そのような使命を与えてきた張本人に、アイリは絶叫を浴びせていた。

「ジュラード様! 私を、お見捨てになるのですか!?」


 フェルナー王子の役割を与えられた、この肉塊を通じ、絶叫は果たして届いているのか。

「ジュラード様!」


 届いていない、としたら。

 その理由は。原因は。

「ジュラード様……まさか……お亡くなりに、なってしまいました……の……?」


 本当に、そうであるならば。

 いくら叫びかけても、応えが返って来るわけがなかった。


「ジュラード様……ジュラード……さま……ぁ……」

 自分の声が震えるのを、アイリは止められなかった。


「死んだ……ジュラード様が……死んだ、死んだぁ、死んだぁあああああああっはははははははははははは!」

 赤ん坊、の形をした肉塊を、アイリは床に叩き付けた。


「偉そうにっ! 偉そうに、命令するしか能のない! 鬱陶しいゴミが! ゴミがっ、ゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがぁああああああああああああ!」


 豪奢に飾り立てられた王太子妃の私室に、絶叫が響き渡る。


 つい今まで自分の息子であったものを、アイリは幾度も踏みつけた。踏みにじり、踏み潰した。

 肉片と体液の飛沫が、様々な方向にぶちまけられた。


 ドレスが汚れた。

 豪奢な調度品の数々が、汚れた。

 汚れにまみれ、汚れを撒き散らしながら、アイリはなおも叫び笑う。


「私に命令するなゴミが! 私は王太子妃、私は優勝者! 花嫁選びの祭典を勝ち抜いてっ、位人臣を極めたのがこの私リアンナ・ラウディースよ! 何人も、私に命令する事なんて許されなぁああああああい!」


「……もちろん、命令は致しませんよ」

 声がした。

 アイリは息を呑んだ。言葉も呼吸も、止まってしまった。


 豪壮なカーテンの陰に、その若者は佇んでいた。

「こちらは、ただ提案をするだけです。貴女様の、御ために……ね」


 青年、いや少年か。

 しなやかな細身を、黒一色の装束に包み込んでいる。

 首から上に巻き付けられた覆面が、いくらか解けていた。


「提案を、お聞き入れいただければ……悪いようにはなりませんよ、リアンナ・ラウディげふん、アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃殿下」


 アイリの、呼吸が回復した。

 いささか過呼吸であった。


 聞かれた。殺さなければならない。

 その考えが、アイリの頭から一瞬にして消え失せてしまったのは、この少年があまりにも美しいからだ。


 黒覆面から溢れ出した、白い美貌。

 その中にあって、両の瞳は赤い。


 兎を思わせる可憐な少年が、カーテンの陰から進み出て跪く。


「バルフェノム・ゴルディアック侯爵の使い、として参りました。フェオルンと申します、お見知りおき下さいませリア……アイリ・カナン王太子妃殿下」

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