第184話
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ザックが死んだ。
ハザルが死んだ。
レオナーディも、死んでしまった。
他、幾人もの、先輩であり仲間である兵士たちが、もはや死亡と言うより破壊・粉砕と表現すべき最期を遂げたのだ。
徒手空拳で人体を破裂させる怪物。
筋骨隆々たる巨漢の胴体が、角の生えた獅子の頭部を載せ、皮膜と羽毛・計四枚の翼を背負っている。
そんな姿をした、人型の魔獣である。
それが、建国王アルス・レイドック・ヴィスケーノを名乗り、ここゴルディアック邸跡地の地下空間から出て行こうとしている。
王都の、街中へと。
人死にが、出ないとは思えなかった。
王弟ベレオヌス公直属の戦闘兵団としては、何としても止めなければならない。
建国王を自称する怪物に、ガロム・ザグは先陣を切って挑みかかった。
ザックも、ハザルもレオナーディも、ガロムを補佐してくれた。
そして三人とも、ガロムを庇って怪物の攻撃を喰らい、原形を失った。
今は、どれが誰であるのかわからぬ屍を晒している。
悼む。感謝をする。弔う。
それは、後で出来る。
今しなければならない事を、ガロムは見失っていない、つもりではあった。
「……私が…………」
二本の牙剣が顔面に埋まった、状態のまま、自称・建国王は言葉を発した。
「アルス・レイドック、の役割を……ギルファラルから与えられた、だと……」
「その通り。貴様が、建国王のわけがあるか!」
敵の顔面を叩き潰し、そのまま深々と埋まった牙剣を、ガロムは両腕で、全身で、押し込んだ。
「何度でも言う、何度でも訊くぞ。貴様、どこの馬の骨だ? 何のために五百年も、建国王の死体に入り込んでいたんだ。ギルファラル・ゴルディアックから一体、何をやるように言われてる!? 答えろ!」
左右二本の牙剣から、伝わって来る。
怪物の潰れた顔面、その内部で肉と頭蓋骨が盛り上がり、牙剣を押し出そうとしている。
再生の感触。
ガロムは踏ん張り、二本の牙剣に全身の力を加えていった。
押し込まれゆく牙剣を、再生回復しつつある頭蓋骨と顔面筋肉で押し返しながら、魔獣は呻く。
「ギルファラルが……私に、求める事は一つ…………復活。蘇生。生き返る事……それのみよ」
破裂していた眼球がギラリと再生し、赤い光を灯す。
「あやつはな、我が死せる肉体に……腐敗せぬよう、まずは様々な魔法術式を施した」
「その結果。建国王の屍は、こんな化け物になってしまった。五百年の経過に耐える、怪物の肉体だ」
「たわけ……真の、王たる者の肉体よ……」
王を自称する怪物の顔面が、再生を完了した。
二本の牙剣が、押し出された。
押し出された得物を構え直し、ガロムは更なる会話を試みた。
「その、王たる者の肉体に……」
「ギルファラルは、我が魂を呼び戻したのだ。彷徨える我アルス・レイドックの魂を、な」
魔獣は言った。
「だが。死せる肉体に、魂を容れただけでは……私は、甦らなかった。魂を収容した屍は、微動だにしなかった。何故なら屍だからだ。生き物の肉体は、生命活動を終えた時点で、もはや戻らぬ変質を遂げる。生き物の肉体では、なくなってしまう。屍に変わってしまうのだ。そこに魂を押し込んだところで……復活は、成らぬ」
「ギルファラル殿は……絶望、しただろうな」
「束の間だ。ギルファラルは即座に、次の手を打った。屍の蘇生に見切りをつけ、魂の転生に希望を見出したのだ」
「なるほど。お前は、見切られたのか」
「わからぬか小僧。ギルファラルはな、転生の術式を、まずは己自身に施したのよ。試しを行ったのだ。確実な転生が可能となるまで、我が魂は保存しておかねばなるまいが。この肉体はな、保存のための容れ物よ。そう……容れ物に過ぎぬ、はずであった」
「容れ物が、何故か動き始めた。魂を容れても、微動だにしなかった屍が……およそ五百年が経った今になって、こうも活発に動いている」
ガロムは言った。
「理由や原因があるなら、知りたいな」
「……解らぬ。ギルファラルの想定をも超える何事かが、起こったのであろうが」
つい先程まで、柱の中の屍であった怪物が、ニヤリと笑うように牙を剥いた。
「……何であれ、構わぬ。ヴィスガルド国王アルス・レイドック・ヴィスケーノが、かくして甦ったのだからな。小僧、私に跪け」
「跪こう。あんたが本当に、建国王アルス・レイドック陛下であるなら、な」
自称・建国王に、ガロムは片方の牙剣を向けた。
「だが、お前は違う」
「……何故、そう思う?」
問いかけを発したのは、眼前の魔獣ではない。
息子ゼノフェッドの巨体に肩を貸し佇んでいる、ドルフェッド・ゲーベルである。
「その化け物が建国王陛下であるなどと、俺とて思いたくはない。が……貴様は随分はっきりと言いきるではないか? ガロムよ。何か根拠はあるのか」
「根拠は、ありません」
ガロムは即答した。
「ただ、思うだけです。たとえ大魔導師でも……死んだ人間を呼び戻すなど、出来るわけがないと」
呼び戻したかったはずだ。
シェルミーネ・グラークは、アイリ・カナンを。
「死んだ人間は……もう、帰って来ないんです」
「死んだ者は……帰って、来ない……」
怒り狂うか、と思われた魔獣が、静かに呟く。
「そう、それこそが世界の理……ギルファラルは、それに挑んだ。不変の理を……改変、せんとしたのだ」
「大それた事を」
ドルフェッドが言った。
「そんな事をしていたせいで……大魔導師ギルファラル・ゴルディアック殿ともあろう人物が、ふん。正気を失ってしまった、ように思えるぞ?」
「正気を……ギルファラルが、失っていた……と……」
「貴様の、その姿を見ればわかる。かけがえのない友の屍、放っておけば腐ってしまう屍を、腐らぬ怪物に創り変えながら……大魔導師殿は、果たしていつまで正気を保っていたのかな」
ドルフェッドが、嘲笑った。
「ガロムの言う通り、貴様はどこぞの馬の骨よ。ギルファラル殿は、そいつを捕まえてアルス王の魂と思い込み、屍に閉じ込めた……それが五百年後の今、わけのわからん化け物になって目覚めたと」
「と、父ちゃん。そいつは……」
ゼノフェッドが、いくらか悲痛な声を発した。
哀れんでいる、のか。この暴君そのものの副隊長が。
「そいつは……あんまりにも、切ねえ話だぜ……」
「馬鹿げた話、と言うのだ。こういうものは」
「違う…………」
魔獣が、鬣の上から頭を抱えている。
「私は……国王アルス・レイドックだ……アルスで、なければ……ならないのだ私は……」
「言われたからか、命令されたからか、大魔導師ギルファラル・ゴルディアックに」
ガロムは、問いかけた。
「アルス・レイドックで、あり続けるように……と」
「わ…………私は…………」
この場にいる三人を即、人体の残骸に変える力を持った怪物が、それをせずに羽ばたいた。
一対は羽毛、一対は皮膜。
巨体を、より威圧的に見せはするが、自在に空を飛べるようには見えぬ計四枚の翼が、羽ばたいて閉ざされた。
魔獣の全身を、頭から足元まで包み込んでいた。
魔獣が、翼の中に引きこもっている。そう見えた。四枚の翼は今、殻でもある。
自称・建国王を内包する、巨大な殻の塊。
それが回転し、足元の石畳を穿つ。
石の粉塵が、煙の如く舞い漂った。
ガロムが鼻と口を押さえ、後退りをしている間。
粉塵の煙は、消え失せた。
魔獣の姿も、消え失せていた。
石畳に、大穴が残されている。
「空を飛ぶため……ではなく、地に潜るための翼であったか」
ドルフェッドが言った。
この隊長は、左腕が折れている。
ゼノフェッドも、負傷している。
比べて自分は、ほぼ無傷だ。
大穴を覗き込み、ガロムは命令を求めた。
「……追いますか? 隊長。自分一人ならば、この穴に入って行けます」
「不許可だ。貴様一人で、何が出来る」
ドルフェッドは、切り捨てた。
「……王都全域に、警戒網を張るしかあるまい。あやつが……いつ、どこに出て来るかわからん。魔法の使い手も必要になるだろう。ベレオヌス殿下に、伝手を用いていただく。人を、集めていただく」
「な、なあ父ちゃん」
石畳の大穴を見つめ、ゼノフェッドが言った。
地中へと去った怪物に、未練を抱いている、ようでもある。
「死んだ奴が、本当に生き返るんならよ…………か、母ちゃんも」
そこで、ゼノフェッドの声は潰れた。
負傷した巨体が、前屈みにへし曲がる。血飛沫が散る。
ドルフェッドの右拳が、息子の腹に叩き込まれていた。
全身で石畳を擦り、のたうち、血を吐き散らすゼノフェッドに、ガロムは駆け寄って片膝をついた。
そして。
無言で歩み去って行くドルフェッドに、抗議の言葉を投げつけようとする。
「隊長……!」
「いや……今のは、俺が悪い……」
ゼノフェッドは、弱々しく微笑んだ。
「そう……だよな。死んだ奴が……生き返る、わけはねえ……生き返っちゃ、いけねえ……」
「……応急手当てをします、副隊長」
左腕が折れている隊長にも、応急処置は施した方が良い。
ドルフェッドは、しかし自分による手当てなど受け付けてはくれないだろう、とガロムは思った。