表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也
182/186

第182話

 空気が、変わった。

 ベルクリス・ゴルマーは、そう感じた。


 ヴェルジア地方から、関所を通ってドルムト地方に入った瞬間。

 明らかに、空気が変質したのだ。


 戦場の、空気だった。

 父ボーゼル・ゴルマーが甦ったのか、とベルクリスは思ったものだ。


 平時でありながら、戦時の空気を醸し出す。

 あの父親は、そのような人物であった。


 ヴェルジアの地方領主メレス・ライアット侯爵は、英傑と呼ぶにふさわしい青年貴族であったが、戦争よりは平和の側に大きく傾いた人物である。

 平時に戦場の空気を醸し出すような血生臭さとは、無縁であると言って良い。


 ここドルムトの地方領主は違う。

 戦場の空気で、領内全域を引き締めている。


 間違いなく、叛乱者ボーゼル・ゴルマーと同種の支配者が、ここドルムト地方を治めている。


 ヴィスガルド王国最西端の、貧しい土地である。

 民は、確かに豊かではないにせよ、平和に暮らしている。


 武力で維持された平和であるのは、少し歩いてみればわかる。


 土を耕しながら、水を汲みながら、木を伐りながら、物を運びながら、市場で何かを売り買いしながら。

 ドルムトの民は、緊張感を漲らせている。

 緊張感を、決して途切れさせはしない。


 何が起ころうと即、対応出来るように。

 その心がけが、民に根付いていると言って良い。


 領内を巡回する兵士たちは皆、手練れである。

 当然だ、とベルクリスは思う。

「……ガロム君が所属していた軍隊だぞ。弱い、わけがない」


 ヴィスガルド王国地方軍。

 ドルムトを支配する、グラーク家の軍勢である。


 その精兵たちが多人数で警固している場所を、ベルクリスは避けて通って来た。


 誘導されていたのではないか、と思い始めたのは、森の中を歩いている時であった。


 人気のない、人目につかぬ、鬱蒼たる森林地帯。

 どれほど激しい戦いが起ころうと、民が巻き込まれる事はない。

 このような場所に、自分は追い込まれたのではないか。


 その疑念が、確信に変わった。

 ベルクリスは立ち止まった。


 周囲の木陰から、兵士たちが姿を現す。

 グラーク家の精兵部隊。


 不意打ちを仕掛けられていたら、自分は果たして生きていられたか、ベルクリスは自信が持てなかった。


 一人が、進み出て来た。

「ベルクリス・ゴルマー、だな?」


 若い歩兵。

 リーゲン・クラウズを、一瞬だけベルクリスは思い出した。

 戦闘能力は、恐らく彼に勝るとも劣らない。


 マントの内側で鎖を握りながら、ベルクリスは会話に応じた。

「人違いだよ。あたしは……シェルミーネ・グラークという、単なる流れ者のクソ小娘さ」


「俺はブレック・ディラン。色々あって、グラーク家に仕える身となった者だ」

 そう名乗りつつ、若い兵士は溜め息をついた。


「ボーゼル・ゴルマーの娘が……まさか単身、流れ歩いているとはな。最初に報告を受けた時には、まさかと思ったが」


「……あたし、やっぱり誘導されてたわけか。こんな所まで」

 ベルクリスは、苦笑して見せた。

「あたしの手配書、そこらじゅうに貼ってあるもんなあ」


「それがわかっているのに随分とまあ、堂々と歩き回っているもんだな。自分がどれほどの危険人物か、少しくらいは理解してるのか」


 ブレックの言葉に合わせるようにして兵士たちが、さりげなく包囲を狭めて来る。

「ベルクリス・ゴルマー、お前に動き回られるのは不穏である。その身柄、グラーク家で確保させてもらうぞ」


「おいおいおい。大の男どもが寄ってたかって、か弱い令嬢一人の身柄を押さえようって言うのかい? もうちょっと恥と外聞を考えたらどうなんだ」


「どこにいるんだよ、か弱い令嬢なんて」

 ブレックが、乙女心を傷付けるような事を平気で言った。


「見ればわかるぞ、噂通りの剛力令嬢。お前さんをな、寄ってたかって力尽くで身柄確保しようとしたら人死にが出る。だからと言って、ボーゼル・ゴルマーの血縁者を放置しておくわけにもいかん」


「お隣の御領主は、あたしを放置してくれたぞ?」

「危険分子をな、穏便にドルムトへ送り出す。グラーク家に押し付ける。食わせ者メレス・ライアット侯爵がやったのは、そういう事だ。まったく」

「……言われてみれば、そうなのかな。そんな気もしてきた」


「ゴルマー家の総領娘よ、あんたは指名手配されている。賞金も懸けられているが、別にそんなものは要らん。捕らえて、王都へ送ろうってわけじゃあない。ただ、グラーク家の監視下に入ってもらいたい」


 メレス・ライアット侯爵は、随分とベルクリスに良くしてくれた。

 客人として、好待遇を受けた。

 あれは、実は監視であったのかも知れない。


 思いつつ、ベルクリスは鎖を振るった。

 包囲を狭めてくる、グラーク家の兵士たちを粉砕するため……ではない。


「お前ら全員、あたしから離れろ!」

 マントの下から鉄球が現れ、鎖を引きずって流星の如く飛ぶ。

 木陰に佇む、巨大なものに向かってだ。


 熊か。

 いや。ドルムトには、野生の獣人が出るという。

 大型の、獣人かも知れない。


 ともかく。とてつもなく剣呑なものの気配が、ベルクリスの身体を動かしていた。


 鎖を振るう。鉄球で、砕き殺す。

 それ以外の行動が、取れなくなってしまったのだ。


「おう、荒っぽいな」

 木陰から現れた何者かが、暢気な声を発している。

「だが、それで良い。この御時世……用心深さは、いくらあっても過剰ではない」


 熊ではなく、獣人でもなかった。

 人間の、若い男。

 筋骨たくましい巨体に、毛皮を着用した姿は、猟師のようでもある。


 違う、猟師ではない。

 猟師をも狩る巨獣。

 ベルクリスには、そう思えた。


 鉄球が、掴み止められている。

 巨獣の如き青年の、左手で。

 分厚い、素手で。


「良い一撃だ。手の骨、折れるかと思ったぞ」

 言いつつ青年は、鉄球を軽く投げ返した。


 全力で投げ返されたら、自分は死ぬ。頭蓋が砕け散る。

 呆然とベルクリスは、そう思った。


「……来られたのか、次男坊殿」

 ブレックが、いささか不満げな声を出す。

「俺には、任せられんと……まあ確かに、あんたが来てくれて助かったのは事実」


「そう言うな。お尋ね者の剛力令嬢が、こちらへ向かったとの報告を受けたものでな」

 次男坊殿、と呼ばれた若い大男がニヤリと笑う。

 人懐っこい笑顔、ではあった。


 ベルクリスは、問いかけてみた。

「……あんた、どこの次男坊だ?」


「グラーク家の次男坊、アルゴ・グラークと申す」

 大男は姿勢を正し、名乗った。


「こちらのブレック・ディランが、すでに話しているとは思うが……ベルクリス・ゴルマー殿。我らは、あんたの身柄を確保せねばならぬ。悪いようにはしない、としか今は言えん」


「指示に従うしか、なさそうだな」

 ベルクリスは言った。

「あたしは今……あんたに、殺されたんだ」


 自分が何者であるのか。

 ここが、どこなのか。

 何故、このような場所にいるのか。


 私は、わからなかった。

 覚醒と同時に、そのような疑問が生じ、心の中で渦を巻いたのだ。

 疑問が、最初の思考であった。


 今まで私は、眠っていた。

 どれほどの期間か。


 一日や二日ではあるまい。何となく、それは身体で感じられる。

 数年、いや数十年……百年を、超えるのではないか。


 それは、もはや死んでいたに等しいのではないか。

 人間の、世界においては。


 死にも等しい長期の眠りから、私は目覚めた。

 それは、死せる者の復活も同然の事態ではないのか。


 死せる人間を、この世に呼び戻さんとした者がいた。

 それを、私は思い出した。

 私自身が何者であるか、よりも先に。

 その者に関する記憶が、全て甦った。


 その者は私の、終生の友であった。

 終生の友と呼べる存在を、彼は失った。


 失われた命を、取り戻す。

 それは、世の理を改変するに等しい行為である。

 唯一神に戦いを挑む、に等しい行為である。


 彼は、それを試みた。

 その試みは、まだ続いている。


 だから今、私は目覚めたのだ。


「そう……か……目覚めた、のだな……ギルファラル……」

 言葉を発する能力を、私は思い出した。


 長らく眠っていた肉体に、力が満ちてゆく。

 言葉を発する、以外にも、私には様々な能力がある。

 それを、思い出した。

 出来る事が、いくらでもある。


「感じられるぞ、お前の……力の、目覚めを……」

 手足を、動かした。

 それだけで、世界がひび割れた。

「お前が目覚めた……だから、私も目覚めた……」


 私の、眠っていた場所。

 眠れる私を内包する、棺のような柱。

 今までの私にとっては、それが世界の全てであった。


 魔法の生体保存液で満たされた、透明な柱。


 それが、ひび割れ、砕け散っていた。

 生体保存液が、周辺にぶちまけられる。


 私の肉体は、石造りの床に投げ出されていた。


 ゆっくりと、立ち上がる。

 力に溢れた、巨大な肉体。

 それが、私にはわかる。


 己が何者であるのかを今、私は完全に思い出していた。


「ギルファラルよ、お前はお前で…………私は、私で…………互いに為すべき事を……」


 私が、何者であるのか。

 我が終生の友ギルファラル・ゴルディアックが、それを思い出させてくれたのだ。


「我が名は……アルス・レイドック……ヴィスケーノ……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ