第18話
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平和な時代の兵隊ほど、楽な仕事はない。
かつて俺は、そんな阿呆な理由で、この兵士という職業を志望したのだ。
今は、大いに後悔している。昔に戻って自分をぶん殴りたい、と思う。
百年ほど前。このヴィスガルドという王国は、戦乱の時代の真っただ中にあったらしい。
今も、まあ平和と言うほど平和ではない。
つい最近も南の方で、荒くれ貴族として知られたボーゼル・ゴルマー侯爵が、叛乱を起こしたばかりである。
俺は幸い、その鎮圧戦には駆り出されずに済んだ。
アラム・ヴィスケーノ王子が軍を率いて、ボーゼル侯を早々に討ち取ってくれたのだ。
建国王アルス・レイドック・ヴィスケーノの再来などと言われる王子であったが、それが評判倒れではない事が証明されたと言えるだろう。
ボーゼル・ゴルマーの叛乱が長引かなかったおかげで、ここレグナー地方は平和なものであった。
平和なはずの地方で俺たちは今、戦争で敵と殺し合う方がマシではないか、と思える仕事をやらされている。
「ほらほら、とっとと歩け」
俺は可能な限り威圧的に槍を振りかざし、大声を出した。
一目で貧しいとわかる連中が、のろのろと不幸せそうに歩いている。皆、表情が暗い。
十数名。中には子供もいる。赤ん坊を抱いた、女もいる。
俺たち兵士が、ほぼ倍の人数で、そいつらを連行しているところであった。
官憲に連行されている。つまり、こいつらは罪人なのだ。
貧しくて税を納められない、という罪を犯した者たちである。
しばらく牢獄で暮らした後、人買い商人に売り渡す事となるだろう。
売られた先で幸せになれる事を、祈るしかなかった。
森林地帯を貫く街道。
この辺り、強盗・山賊の類が出没するという噂もある。
とは言えこちらは、まがりなりにも領主に仕える兵の一団である。賊徒も、おいそれとは手を出せまい。
そう高をくくっていた俺たちに、そいつは声を投げてきた。
「おい、どこへ行く。何をしてる」
強盗だ、と俺は思った。
官憲の兵隊にも平気で喧嘩を売る、凶悪な賊徒だ。
顔面に傷跡のある、見るからに凶暴そうな若造。
上背はさほどないが体格は力強く、腰にはおかしな剣を左右2本、吊り下げていた。
剥き出しの刀身は、鋸のようにギザギザとして切れ味が悪そうだ。鋸と言うより、牙である。
そんな武器を今はまだ構えようとせず、木にもたれかかったまま、その若造は言った。
「この地方では……兵隊が、人買い商人みたいな事をしてるのか?」
「……うん、だとしたら何か問題かね?」
若造は、1人きりである。
1人で、官憲を相手に強盗行為を働こうと言うのか。
「お前こそ、この連中を俺たちから奪って、1人で売り捌いて利益を独占しようってんだろう。この追い剥ぎ野郎、取り締まってやるから覚悟しな」
俺を含む兵士数人がかりで、槍を突き付けてゆく。
それら数本の槍を、若造が無雑作に掴み、捻ってゆく。
それだけで、俺たちは転倒していた。
「てめえ……!」
兵士の1人が、取り押さえるためではなく突き殺すために、猛然と踏み込んで行く。
本気の殺意を宿した槍を、若造はしかし同じように掴んで捻った。
その兵士は、俺たちよりも派手に転倒していた。
「こんな事……」
若造が言った。
「……お前らだって、好きでやってるわけじゃないだろう。やめろよ、もう」
「……お前。まさか、こいつらを助けようなんて考えてるわけじゃないよな?」
俺は立ち上がり、連行中の貧民どもに親指を向けた。
「仮に今こいつらを、俺たちの手から解放してやったとして、だ。この哀れな連中が幸せになれるとでも思ってるのか?」
「ろくに収穫も見込めない畑で、ひたすら働かされるだけ。なけなしの収穫物は、税としてお前らに持って行かれるだけ。そんな運命が待っているだけだろう、このままじゃあな」
見た目ほど、凶暴な若造ではないようだ。
腕も立つ。こいつがその気であれば、俺たちは今頃、下手をしたら皆殺しの目に遭っている。
それをせず、若造は言った。
「俺がガキっぽい事を言ってるのは間違いないだろうが……お前ら、それでいいのか?」
「……頼むから、そういう話を俺たちにするな」
俺の仲間の1人が、声を潜めた。
「うっかり相槌でも打ったら、俺たちだって首が飛ぶんだ」
「ここの領主は、そういう人間なんだな」
俺たちは返事をしなかった。
冗談抜きで、文字通りの意味で、首が飛びかねないのだ。
「…………私たちを……この場で、殺して下さいまし……」
赤ん坊を抱いた女が、か細い声を漏らした。
「夫が、身体を壊して亡くなりました……せっかく助けていただいたところで私も、この子も、もう生きてはおれません……」
「……前の、御領主様の時は……このような事、ありませんでしたのに……」
連行中の貧民どもが、口々に言った。
俺たちは、黙らせなければならないのかも知れない。
「……グラーク家の方々が……戻って来て下されば、良いのに……」
黙らせなければ、ならない。
グラーク家の支配を、懐かしむ。
新たなる領主デニール・オルトロン侯爵が君臨する、ここレグナー地方においては、最大の罪である。
そのような発言を許してしまった俺たちにまで、刑罰が及ぶ。
若造の、傷跡のある顔面が、いくらか青ざめた。
「いけません! 出て来たら駄目です!」
若造の、視線の先。
女が1人、こちらへ歩み寄って来ていた。
若い女だ。少女、と呼べなくもない。
所々に部分鎧の貼り付いた戦闘服で、全身を包んでいる。首から下、肌の露出は無いに等しいが、魅惑的に引き締まった身体の曲線は隠せていない。
馬の尾の形に束ねられた金髪が、いくらか強めの風に乱れ、光を振り撒いているように見えた。
綺麗な顔に、表情はない。
冷たい美貌の下に、感情を押し隠している、と俺は思った。
どこかで見た顔だ、とも思った。
「レグナー地方……ここは素通りする、予定でしたのよ」
その娘は、言った。
「なのに……グラーク家の名前が、聞こえて来てしまいましたわね」
「何だ、お前……」
俺の仲間たちが、槍を突き付けて誰何する。
「……あんたみたいなお嬢さんが、こんな所を出歩くもんじゃあない。家に帰りな」
「お家に入れてもらえませんわ。今、帰ったところで」
冷たい美貌に、微かな表情が出た。苦笑だった。
気のせい、ではない。俺はやはり、この娘をどこかで見ている。
大勢の人間が見る場所に、彼女は確かにいた。
そう感じたのは、俺だけではないようだ。
兵士の1人が、首を傾げる。
「……? あんた、どこかで見た気がするな」
「光栄ですわ」
娘は、さほど嬉しそうではなかった。
「……花嫁選びの祭典。貴方がたにも、お楽しみいただけたようですわね」
思い出した。
いや、そんなはずはない。
思いを錯綜させながら俺は、その名を口にしていた。
「…………シェルミーネ・グラーク……恥知らずの悪役令嬢……!」
凶暴に見えて、そうでもない、と思えた若造の顔に、凶暴性が露わになった。
殺される、と俺は本気で思った。
「おやめなさい、ガロムさん」
シェルミーネ・グラークが、若造を止めてくれた。
「……恥知らずなりにね、押し通したいものがありますの。そのための家出旅ですわ」
「家出だと、ふざけた事を……」
兵士の1人が、青ざめ、叫ぶ。
「グラーク家が、あんたのやらかしで失った領地を! 奪い返そうってわけか! 戦争のための下調べでもしてるのか!」
「戦争……その手も、ありますわね」
悪役令嬢が、綺麗な顎に片手を当てる。
「私がこの地で兵を集め、かのボーゼル・ゴルマー侯の如く叛乱を起こしたら……アラム王子が、討伐に来て下さるかしら。王都まで行く必要もありませんわ」
兵を集めて叛乱を起こすような手腕が、この令嬢にあるかどうかはともかく。
グラーク家の関係者が、ここレグナーを含む旧所領を、軍事力で奪い返す行動に出たとしたら。
ボーゼル侯の叛乱を上回る大事変になるのではないか、と俺は思う。
シェルミーネが軽く、頭を掻いた。
「却下、ですわね。内戦など引き起こすよりも、私が普通に王宮へと押し入った方が……アラム王子とお話をするには、明らかに近道」
「この腐れ悪役令嬢! まだアラム殿下を諦めていないのか」
兵士たちが、言った。
「殿下はなぁ、アイリ様と幸せな結婚をしたんだ! お前なんか、お呼びじゃないんだよこのクソ女!」
「花嫁選びの祭典で、お前は負けただろうが! 無様に自滅しやがったくせに今更つまらん事をしようってんなら……許さないからな」
「ここから先は通さない! 王都には行かせん、アイリ様にもアラム王子にも近付けさせんぞ悪役令嬢!」
罵詈雑言を吐いているのは、兵士だけではない。
「シェルミーネ……お嬢様……何故、なのですか……」
連行中の貧民どもが、呻いている。叫んでいる。
「何故、あのような事を……おかげで、私たちは……」
「慈悲深きオズワード様もネリオ様も、この地を去ってしまわれた……代わりに、あのような酷い御領主様が……」
「貴女の、貴女のせいで! 我らはこのような目に!」
「恥知らずの悪役令嬢! お前のせいで!」
罵詈雑言を浴びながら、悪役令嬢シェルミーネ・グラークは微笑んでいる。
その美貌は、しかし恐ろしく皮が厚い。
「お聞きになりまして? ねえガロムさん。私ようやく、正当な評価をいただけましたのよ」
「……そんな事を、言っている場合ではないでしょう」
ガロムと呼ばれた凶猛な若造が、牙のような2本剣を腰から取り外し、構えていた。
「お気付き、とは思いますが」
「……ええ。囲まれて、おりますわね」
その会話を聞いて、ようやく俺は気付いた。
周囲の木陰から、微かな光が漏れている。キラキラと物騒な光が、街道上の俺たち全員を取り囲んでいる。
刃物の光、であった。




