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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第179話

「動くでないぞ、シェルミーネ・グラーク嬢」

 フェアリエ・ゲラールが、そんな事を言っている、ように聞こえる。見える。


「重ねて言うが、そなたにとっても悪い事にはならぬ。死せる者が、生き返るのだぞ? 戻って来て欲しい者が、いるのであろう。そなたにも。取り戻したい命が、あるのだろう?」


 ケルティア城。

 庭園を見下ろす露台の上で、城主フェアリエは呆然と立ち尽くしている。


 その細身を、まるで闇を引き伸ばしたかのような黒い糸が、螺旋状に取り巻いているのだ。


 声は、その糸から発生している。

「フェアリエ・ゴルディアックに任せておけ。この娘がなぁ、大魔導師ギルファラルの力と自我を取り戻せば! あやつが自身に施した秘法を、知る事が出来る。死せる者を、この世に呼び戻す秘法よ」

 フェアリエの可憐な唇から、紡ぎ出されている、ようでもある。


 そうなるのは時間の問題ではないのか、とミリエラ・コルベムは思う。

 フェアリエは今、自我を失いかけている。


「だから邪魔をするな、シェルミーネ・グラーク。それにヒューゼル・ネイオンよ。そなたらが、おかしな動きをするようであれば」


 意識が自分に向けられるのを、ミリエラは感じた。

「……こちらのミリエラ・コルベム嬢を、私は殺さねばならぬ」


(…………私……シェルミーネ様の、足を……引っ張ってる、の……?)

 呆然と、ミリエラは思った。


 自分は今、聖職者として、唯一神に祈りを捧げている。

 結果、加護が発現した。


 フェアリエの全身を膜状に包む、淡く白い光がそれだ。

 闇の糸が彼女に絡み付くのを、妨げている。


 その妨げを排除するために、ミリエラの命を狙う。

 黒い糸、の形をした何者かにしてみれば、当然の選択である。


(私……そんな事も、わからないで……シェルミーネ様の、足手まといに……)

 心の萎縮が、祈りを弱めてしまう。


 フェアリエの周囲で、光の膜がズタズタに裂けてちぎれ、飛び散った。

 闇の糸によって、引きちぎられ蹴散らされていた。


 糸は、そのままフェアリエの細身にまとわりつきながら、本数を増やす。

 増殖しつつ、フェアリエを包み込む。


「イルベリオ・テッドの作り出したる、暗黒の鎧……装着者の肉体と融合し、恐るべき黒金の怪物と化す。無論そうなっては中身の人体、まともに生きてなどおれぬ」


 暗黒の糸の群れが、言葉を発しつつ絡まり合い、編み上がってゆく。

 フェアリエの細身を覆う、闇色の衣服として。


「……安心せよ。ギルファラル・ゴルディアックの転生体を、そのような事にはせん。世の理を変え、失われたる命を呼び戻す秘法……何としても、完成させてもらわねばならぬゆえ」


 その言葉は明らかに今、フェアリエの可憐な唇から紡ぎ出されている。


 綺麗な鎖骨の凹みを、か細い両肩と二の腕を、白く目映く露出させた暗黒色のドレス。

 それが今の、フェアリエの装いであった。


 そこへヒューゼル・ネイオンが、庭園から弓矢の狙いを定めている。

 黒衣をまとう主家令嬢に、矢を向けているのだ。


「……お前。一体、何者だ」

 口調は、冷静なものである。

 冷静さを、ヒューゼルは懸命に保っている。


「フェアリエ様が……何やら、大昔の大魔法使いが生まれ変わった姿、なのかも知れないって世迷い言は、まあわかった。お前は何なんだ。そんなお嬢様に一体、何をさせようとしてる? 死んだ人間を生き返らせる、なんて話をしてたよな今」


「大魔導師ギルファラルが、自身に施したる転生の秘法……私は、それを知らねばならぬ」

 それはフェアリエの声でありながら、フェアリエの言葉ではなかった。


「……ヒューゼル・ネイオン、そなたには居らぬか。たとえ時を経た生まれ変わりであろうと、この世に呼び戻したいと願える者が」

「さあな。俺は何しろ、記憶が無い」


 自分は母を呼び戻したいのか、とミリエラは思った。

 母と父が、仲直りをしてくれる世界は、永遠に失われてしまった。


 フェアリエも、思い描き、願っていたはずだ。

 祖父と母親が、生きている世界を。


 そこには恐らく、ヒューゼルもいる。

 自分の産んだ彼の子を、祖父と母が抱いている。

 そんな世界を、フェアリエは夢見ていた、はずなのだ。


 その世界は、失われた。

 だから、フェアリエの心も失われた。


 祖父も、母もいない。

 ヒューゼルは、記憶が戻れば去ってしまう。


 そんな世界にフェアリエは、己の居場所を見出せなくなってしまったのだ。


 だから心を失い、肉体を他者に明け渡してしまった。


 心の中で、ミリエラは呟いた。

(私……私じゃ、何も……出来ないの……? こんな……だって、私のせいで……)


「自分のせい……なぁんて、考えていらっしゃいますわね。ミリエラさんは」

 言葉と共に。

 軽やかな姿が、ミリエラの眼前に降り立った。


「…………シェルミーネ……様……」

「何でも他人のせいにしてしまう、よりは遥かにましですけれど。ミリエラさんは今少し、図々しい他責思考を身に付けた方がよろしくてよ?」


 シェルミーネ・グラークが、ミリエラを背後に庇ってくれている。

 庭園から、この露台まで。

 律儀に、階段を駆け上って来たのか。

 あるいは跳躍したのか。


 何にせよ。

 ヒューゼルが、会話で相手の注意を引き付けている間。

 人質にされかけていたミリエラを、シェルミーネが助けに来てくれたのだ。


「わ、私……」

 シェルミーネの背中に、ミリエラは隠れるしかなかった。

「フェアリエ嬢を、守ってあげられませんでした……なんていうのは、思い上がりですよね……」


「思い上がり、大いに結構。私たち貴族ですもの」

 言いつつシェルミーネは、抜き身の魔剣・残月をフェアリエに向けた。

 否。

 闇色のドレスという姿形でフェアリエを束縛している何者かに、である。


「ですが……貴方の思い上がりは、ちょっと黙認し難いものですわ。そろそろ大人しくなさい、ジュラード殿」


「言動に気を付けよ。そなたら二人、今より何をするのか……それ次第ではな、このフェアリエ・ゴルディアックを、本当に守ってやれなくなるのだぞ」


「他人の口で偉そうに物言うのは、おやめなさい。もはや自分の口を、自分の言葉を、持たぬ者が」

「何をほざく……」


「大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウス陛下、御本人様……ではないか、と。私、貴方の事をそう思っておりましたわ」

 シェルミーネは言った。


「ですが、どうやら違う……ジュラード、貴方はこの魔剣・残月と同質の存在。ヴェノーラ陛下の、絶大なる御力の残滓に過ぎない」

「やめよ、シェルミーネ嬢」


「帝国滅亡後、およそ五百年もの間。この地上を彷徨い歩き、探し求めていた……死せる人間を生き返らせる、その手段を。それは貴方の意思? それとも、ヴェノーラ陛下の?」

 シェルミーネの問いかけが今、ジュラードの何かを揺さぶっている。


「死せる誰かを、呼び戻したい。ヴェノーラ陛下は、そう強く強く思し召された。勇者アルス・レイドックとの戦いにおいて、討たれる瞬間……そうして生まれた、呪いのようなもの。それがジュラード、貴方ですのね」


 フェアリエの両眼が、憤怒に燃える。

 シェルミーネの眼差しと口調は、静かである。

「…………哀れ……」


 憤怒の炎が、実体化した。

 ミリエラには、そう思えた。


 小さな太陽のような火球が複数、フェアリエの周囲に生じて浮かび、燃え上がったのだ。

 そして、飛翔する。発射される。


 魔剣・残月を、シェルミーネは一閃させた。

 一閃で、果たして幾度の斬撃が繰り出されたのか。


 襲い来る火球たちが全て、複数回の斬撃に薙ぎ払われ、爆発した。

 爆炎が、爆風が、露台を破壊する。


 右手で魔剣を握ったまま、シェルミーネは左腕でミリエラを抱きさらい、跳躍していた。

 降り注ぐ爆発を背景に、庭園へと着地する。


 ミリエラは、ただシェルミーネにしがみ付くしかなかった。


 しがみ付く少女を全身で庇いつつ、シェルミーネが地面に転がり込む。

 先程まで露台だった瓦礫が、大量に降って来る。


 軽やかに転がり、それらを全てかわしつつ、シェルミーネは身を起こした。


 闇色のドレスをまとうフェアリエの姿が、空中にある。

 暗黒そのものの如き布地を揺らめかせ、浮遊飛行をしている。


「私を……視る、事は許さぬ。私を……暴く事は、断じて許さぬ……」


 闇を編み上げたような長手袋に包まれた繊手が、空中からシェルミーネに向けられる。

「私を……暴き、哀れんだ者。生かしては、おかぬ」


 その長手袋から、幾本もの糸が伸びた。

 黒い糸の群れが、シェルミーネとミリエラを、まとめて絡め取ろうとしている。


 斬撃が、閃いた。


 ヒューゼルだった。

 踏み込んで来ると同時に、長弓を振るったのだ。

 弓の両端から伸びた刃が、黒い糸を全て切断し、蹴散らしていた。


 片膝をついたシェルミーネに抱かれたまま、ミリエラは見上げた。


 斬撃の弓を構えた、若き戦士。

 勇ましく武装した細身で、自分を庇い守ってくれた悪役令嬢。


 この両名の並ぶ様は、見る者の心を奪う。

 凛々しい、眩しい。男女の英雄。

 心から、そうミリエラは思った。感じた。


 もしも、とも思ってしまう。


 花嫁選びの祭典。

 シェルミーネ・グラークが優勝し、アラム王子と結ばれていたならば。


 輝かしい英傑の番が、この世に誕生していただろう。


 ヴィスガルド王国は、英雄の夫妻に率いられ、輝かしい栄光の道を歩む事となる。

 そんな事を、本気で思わせてしまう。


「フェアリエ嬢……目を、お覚ましなさいな」

 ミリエラを抱擁から解放し、シェルミーネは立ち上がった。


「貴女はジュラードではなく、ギルファラル・ゴルディアックなどという大昔の故人とも違う……フェアリエ・ゲラールという、一人の人間ですのよ。思い出して、御自分を取り戻しなさいな。さもなければ」


 ヒューゼルの長身に、シェルミーネは身を寄せていった。

 たくましい腕に、しなやかな細腕を絡めていった。


「ヒューゼル殿が……悪役令嬢に、奪われてしまいますわよ?」

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