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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第176話

「そうか……やはり死んだか、オーレン・ロウレルは」

 豪奢な椅子に座したまま、グルナ地方領主バルフェノム・ゴルディアックは祈りの印を切った。


 椅子も、絨毯も、調度品も、金をかけた豪勢なものである。

 地方貴族として、それなりに裕福な暮らしをしているのは事実。民衆にも、知れ渡っている。

 ならば、質素や清貧を美徳とするべきではなかった。


 ヴィスガルド王国東部、グルナ地方。

 執政府ゼノゴット城。

 領主バルフェノムが、引見のために用いている大広間である。


 豪奢な絨毯の上で、巨体がひとつ跪いていた。


 地味な鈍色の甲冑をまとった姿は、豪勢な身なりで玉座同然の倚子に座した自分よりも、ずっと存在感がある。

 そう思いながら、バルフェノムは声をかけた。

「私が思った通り……弟に、殺される事となったのだな」


「言い訳は、致しませぬ」

 特徴に乏しい素顔を伏せたまま、ゼイヴァー・ロウレルは言った。

「私は、兄殺しでございます」

「惜しい人材を亡くした。私がな、おぬしの兄を配下に留めておけなかったのだ」


 兄オーレン・ロウレルの死。殺害。

 ゼイヴァーは、それだけを報告するためにゼノゴット城へ戻って来た、わけではないようだ。

「して、ゼイヴァーよ……」


「申し訳ございませぬ、バルフェノム侯爵閣下」

 ゼイヴァーの素顔が、さらに絨毯に近付いた。

「エルコック・ハウンスを殺す事、叶いませんでした」


「おぬしがいた、フェオルンもいた。それでも生き延びた……か、エルコック・ハウンス」

 バルフェノムは、天井を仰いだ。


「死が迫ると、守る力が必ず働く。悪運の強さは、父親譲りと見えるな。だからこそ、何としても……この世から、消しておきたかったのだが。まあ良い。テスラーやクロノドゥールは、怒り狂っていような」


「テスラー様は……このゼイヴァー・ロウレルの前に、非力なる御身を晒されました。商人エルコックを、何としても守らんとなされたのです」


「おぬしは、主君の孫であろうと殺す男。それは、あやつもわかっていたのであろうな」

「御立派です。誇り高き帝国貴族の精神を、テスラー様はお持ちでございます」


「あれの父親は、愚物そのものであった。よくぞ似ずに育ってくれた、とは思う」

 言いつつ、バルフェノムは苦笑した。


 父親の父親、つまり祖父たる自分はどうであるのか。

 息子を愚物と斬り捨てられるほど、立派な人間なのか。


「……ゼイヴァーよ、おぬしは私の孫であろうと殺す男。クロノドゥールは実際、私の息子を殺してくれた。我が配下、いざとなれば主家への躊躇いを捨ててくれる者ばかりで頼もしく思う」

 バルフェノムは言った。


「私は……テスラーには、死んでもらいたくない。あやつには、帝国貴族の未来を託さねばならぬ。ゼイヴァーよ、どうか私の孫を殺さず守ってくれ」

「御意……」


「テスラーに託す、その前に……汚らわしき事、血生臭い事、おぞましき事、全て私が済ませておかねばならぬ」

「そのために私はおります、バルフェノム侯爵閣下」

「うむ……」


 バルフェノムは、豪奢な倚子から立ち上がった。

 傍らの台に置いてあったものを、手に取った。


 傍目には、白骨化した武人の生首、のようでもある。

 兜を被せられた頭蓋骨、に見えるもの。


 天空に向かって大きく尖った兜に、髑髏の仮面が取り付けてあるのだ。


 それを両手で持ったまま、バルフェノムは臣下随一の猛将に歩み寄った。

「面を上げよ、ゼイヴァー・ロウレル卿」


 命ぜられた通り、ゼイヴァーは跪いたまま顔を上げた。

 平凡、としか表現しようのない素顔。


 美しくも醜くもない顔面の中で、両眼は、しかし尋常ならざる光を放っている。

 眼光が、燃えている。

 頭蓋骨の内部で、炎が燃え盛っているかのように。


 常に、殺意が燃えている。

 人を殺さずに日々を過ごす事が、出来ない。

 そうゼイヴァーを評していたのは、この男の実兄オーレン・ロウレルである。


 燃え盛る殺意を包み隠す、急拵えの入れ物。

 それがゼイヴァーの素顔なのだ、とバルフェノムは思った。

 頭蓋骨の中で燃えているものを、包み隠す役には全く立っていない素顔。


 そこにバルフェノムは、髑髏の仮面を、尖った兜を、被せていった。


「おぬしには……人殺しの怪物で、あり続けてもらうぞ」

「私は、この手で兄の命を奪いました。殺せぬ相手など、もはやおりませぬ」


 眼窩の奥で、より烈しく炎が燃える。

 禍々しく眼光を燃やす、髑髏。

 怪物、としか表現しようのない姿が、そこに出現していた。


「やはり、な」

 バルフェノムは、思わず笑った。


「ゼイヴァーよ、おぬしはやはり素顔の方が恐ろしい。虚仮威しの仮面があって、ようやく私は、その目をまっすぐに見る事が出来る」


 虚仮威しの仮面を、叩き割った者がいる。

「……まったく、命知らずがいたものだな。そなたの素顔を暴くとは」


「……シェルミーネ・グラーク嬢」

 ゼイヴァーが、名を呟いた。

「悪ふざけで悪役令嬢を気取っているわけではありませんな、あれは。女傑であり梟雄、油断がなりませぬ」


「花嫁選びの祭典。シェルミーネ嬢が優勝し、王族入りを果たしておればな。存外、面白い事になっていたかも知れぬ」

 実際に優勝を果たしたのは、平民の少女アイリ・カナンである。

「気の毒な平民娘よ……王家の一員になど、なってしまったばかりに」


 ゼイヴァーは、相槌も打たない。

 兜のせいで時折、耳が聞こえなくなるのだ。


 バルフェノムは、話題を変えた。

「ゼイヴァーよ。おぬし、例の者どもを始末してきたのだったな」


「イルバ村の前村長デミーレを中心とする、一派でございますな。殺し尽くした、わけではございませぬ。あの者どもは領内、至る所に潜んでおりますゆえ」


「王国全土に潜んでおるよ。民が主であった時代を懐かしむ者たち……まあ懐かしむ、だけならば良いのだがな」


 民衆が、自分たちの中から為政者を選出し、自分たちのための政治をさせる。

 そのような体制が、それなりに長く続いた時代は帝国以前、確かにあったのだ。


「歴史に親しみ、過ぎ去りし時代に思いを馳せる。それは良い。だが、過ぎ去りし時代にまで現在を引き戻さんとする行動は……誠に遺憾ながら、取り締まらねばならぬ。民衆が相手ならば、それは容易いのだが」


 バルフェノムは、ひとつ息をついた。

「おるのだなあ、王侯貴族の中にも。かの時代に思いを馳せる事、いささか甚だしき方々が」


「民の、民による、民のための政治。それが理想である。我ら貴族、おらぬ方が本当は良い……シグルム・ライアット侯爵閣下、在りし日の御言葉でございます」

 ゼイヴァーが言った。

「なかなか、そうもゆかぬと。苦笑いを、しておられましたな」


「同じ事をな、クランディア正王妃殿下も仰せられた。まあ酒の席での戯れ言ではあったが」


 民衆が、自分たちで何でもかんでも済ませてしまう。

 政治も、戦も、刑罰も、お金に関する面倒事も。

 そうなったら私たち王侯貴族、要らなくなってしまうわね。

 でも興味深いわ。そんな時代、見てみたいと思いません? ねえ、バルフェノム殿。


 妄言としか思えぬものを垂れ流しながら、酒席で明るく騒ぐ王妃の姿。

 バルフェノムの脳裏に、鮮やかに焼き付いている。色褪せる事はない。

 十年も前にこの世を去った女性、ではあるのだが。


 クランディア・エアリス・ヴィスケーノ王妃は、酒好きな女性であった。

 酒が入ると、より朗らかになって口数も増える。

 酔って大声を出し、他人に絡む。

 そんな姿にも、魅力を感じさせる女性であった。


 酒の席で、彼女がシグルム・ライアット侯爵に議論を仕掛けているところを、バルフェノムは幾度か見かけた事がある。

 議題は、民が政治の主役であった古の時代に関して、である。


 民を、政治に参加させるべきではないのか。

 そのために、王侯貴族は何をすべきか。

 いっその事、引退し、民に政治を担わせるべきではないのか。


 周りで酒を飲んでいる王侯貴族が、そのような話に思わず聴き惚れてしまうほど、両名の弁舌は、酒気を帯びるほどに冴え渡った。


 飽くまで、酒の席での世迷い言である。

 普段から、声高にそのような話をするほど、クランディア王妃もシグルム侯も無分別ではない。


 無分別ではなかった両名とも、今は、この世にいない。


 バルフェノムは、訊いてみた。

「ゼイヴァー卿、おぬしはどう思うかね? 王侯貴族は政治の舞台より引退し、民に全てを担わせようという思想。政治も戦も、法の施行も、金回りの操作も、そう全てを民にだ」


「まさしく理想にございますな。叶わぬゆえ、理想と呼ぶのです」

 ゼイヴァーは、即答した。


「民という者どもは、ろくな事を致しませぬ。こやつらには、何も与えてはならないのです。夢も希望も、正義も自由も教育も。権力も」


「かつて民は、それら全てを持っていた。結果……民が全てを決する体制は破綻し、帝国が世を統べる時代となった。では帝国が滅びた後はどうか? 民の時代が再び訪れたのであろうか? 否、ヴィスガルド王国が出来上がっただけよ。王侯が、貴族が、民を管理支配する。この体制が結局のところ、人間という種族には最適解なのだ。ゆえに私は、世の人々に問いたい。帝国で良いではないか? と」


 どう答えたであろう、とバルフェノムは思う。

 シグルム侯ならば。

 クランディア王妃ならば。

 かの王妃に、どこか感じの似た、平民出身の王子妃であれば。


「アイリ・カナン妃殿下が、御存命であれば……民の、民による、民のための政治。その理想を叫ぶ者たちに担ぎ出され、いささか面倒な事になっていたかも知れんな」


「お戯れを……」

 ゼイヴァーが言った。


「アイリ・カナン王太子妃殿下は、王宮にて御健在です。王侯貴族の暮らしを、つつがなく楽しんでおられる御様子……誰も、困ってはおりませぬ」


「ふっ……ふはははは、そうであったな」

 バルフェノムは、笑った。


「誰も困ってはおらぬ状況を、破壊する。それは誰かが困るという事、誰かが不幸になるという事……慎んでもらわねばならぬ。慎んでくれぬなら、取り締まらねばならぬ」

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