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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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175/195

第175話

 平民娘アイリ・カナンが、花嫁選びの祭典で優勝し、アラム・ヴィスケーノ王子と結ばれた時。

 私は、勝手に期待した。


 我々民衆の暮らしも、これで少しは楽になると。

 平民出の王子妃が、平民のための政治をするよう、王族や宰相といった人々に働きかけてくれるだろうと。


 そんな事は、全くなかった。


 元平民の王子妃アイリ・カナン・ヴィスケーノ殿下は、今やすっかり王侯貴族の栄華に御身を浸し、着飾って美食する日々を優雅に過ごしていらっしゃる。


 考えてみるまでもなく、当然の事ではあった。

 王都の平民娘が、我ら地方の民の暮らし向きなど気にかけるはずがない。


 アイリ・カナンは、ただ贅沢三昧をしたいがため祭典に出て、見事、優勝を飾ったのだ。

 王子様と結婚して、贅沢な暮らしをしたい。

 平民の小娘など、そんなものだ。


 無論、私としては失望を禁じ得なかったが、アイリ嬢としては、民の希望など託されても迷惑でしかないだろう。


 私の暮らしぶりは、祭典の前も後も変わりはしない。

 ここグルナ地方のとある農村にて、相変わらず畑を耕している。

 生活は楽ではないが、まあ生きてゆけぬほどではない。


 グルナ地方の御領主バルフェノム・ゴルディアック侯爵閣下は、我ら民衆に対し、特に慈悲深い君主ではなかった。


 現実的な政治をしていれば、民衆に慈悲深くなど、そうそうしていられるものでもないだろう。

 しがない農民として四十年近くも生きていれば、わかってくる。


 この村には、かつてガナンという、私と同年代の男がいた。


 ろくでもない人間だった。

 博打好きで、真面目に働かず生活に困窮し、領主バルフェノム侯に税の免除を願い出たのだ。


 そういう事が一応、出来るようにはなっている。

 実際に免除をしてもらった者もいるようだが、ガナンの願い出は通らなかった。


 当然だった。


 真面目に働いていても困窮してしまう者は、確かにいる。

 そういった人々には、救いの手が必要だろう。


 博打浸りの生活を改められず遊び呆けている男を、救う制度などありはしない。あってはならない。


 私は愚かにも、ガナンに幾度か金を貸した。ついに返っては来なかった。


 このような男が税の免除など受けていたら、私は納得をしなかっただろう。

 遊ぶ暇もなく日々あくせく働いている私が、月々の税を無慈悲に徴収されているのだ。


 バルフェノム侯閣下は、慈悲深い君主ではない。

 真面目な者にも不真面目な者にも、等しく無慈悲である。


 故に。真面目に働く者は、そうしない者よりは良い暮らしが出来る。

 当たり前の事ではあるのだが。


 ガナンは税逃れの罪で捕縛され、やがて獄中死を遂げた。

 それはまあ、気の毒ではある。


 ガナンの農地は、息子ジェナンが受け継いだ。

 あんな男でも一応、所帯を持っていたのである。


 このジェナンという若造が、しかし父親に輪をかけて怠惰な男であり、受け継いだ農地も荒れ放題だった。


 荒れ放題の農地に今、その大男は寝そべっていた。


 生い茂る雑草を布団代わりに、安らかな寝息を発している。

 どこででも眠れる男、なのであろう。


 近くの木には、この巨体が騎乗するにふさわしい大型の軍馬が繋がれ、草を食んでいる。


 セシルが、私の袖を引いた。

「お父ちゃん、あの人……」

「見るな。指差すな。放っておけ」


 私の、一人娘である。

 十七歳になる。

 花嫁選びの祭典に出ていた令嬢たちとは比べようもない、平凡な村娘だ。


 いずれは、平凡な男と結婚し、平凡な子を産むのだろう。

 私の妻が、そうしたように。


 こういう我々の平凡な暮らしを、バルフェノム侯爵は、どうにか守ってくれている。

 おかしな高望みさえしなければ、ここヴィスガルド王国では普通に生きてゆけるのだ。

 暮らし向きが楽ではない、などと言うのは贅沢であるのかも知れない。


 私は今セシルを連れ、村の市場へ行って来たところである。

 必要なものは、そこで大抵、手に入る。


 父娘二人で荷物を担ぎながらの、帰り道。

 我々は、民衆の平凡さとは明らかに無縁な大男を発見してしまったのだ。


 伸び放題の雑草を布団代わりに、寝転んだ巨体。

 鈍色の鎧に包まれている。

 鎧の上からでも、隆々たる筋肉の形が見て取れる。


 衣食住満ち足りた状態で鍛え上げた肉体だ、と私は思った。

 紛れもなく、この男は貴族だ。

 育ちは良いのであろうが、このような場所で熟睡が出来る図太さも持ち合わせている。


「見て、お父ちゃん。あの人、超ぐっすり寝てる。顔に虫くっついてるのに」

 セシルの言う通り、ムカデらしきものが大男の顔面を這っている。


 その顔には、これといった特徴がない。

 三十代と思われる、黒髪の男。

 美しくも醜くもない顔面に虫を這わせ、よく眠っている。


 体格は貴族だが、顔は平民。

 そんな事を思いつつ、私は言った。

「面の皮が、分厚いんだろう。放っておけセシル……こういう男とは、関わってはいかん」


 本心だった。

 野晒しで熟睡する、この大男を、私は知っているような気がする。どこかで見た事がある、ような気がするのだ。


 わざわざ思い出す事でもなかった。


 大男にさらなる興味を示そうとするセシルを促し、村道を歩む。我が家へと急ぐ。


「おーい、待て。待ってくれよセシル、それにサジットさん」

 呼び止められた。


 うんざりとした顔を、私とセシルは見合わせた。

 市場から、ずっと私たちは後を付けられていたのだ。


 十数人もの男たちが、ぞろぞろと足早に追いすがって来る。


 馴れ馴れしく呼び止めてきたのは、この村で私が一番嫌いな若造であった。

「ひどいじゃないか二人とも。さっきは俺たちの事、明らかに避けてたよな?」


「……当たり前だろう、ジェナン。自分たちが一体どんな様を晒していたのか、少しは考えろ」

 私は、会話の相手はしてやった。

「いい加減にしないと、お前も捕まるぞ? 親父さんと同じ末路を辿りたいのか」


「親父は、ちょっと自由に生き過ぎたよなあ」

 ジェナンが一人、うんうんと頷いている。


「だけどサジットさん。人が自由に生きるのって、そんなにいけない事かな? 親父が自由に生きられなかった、この社会に問題があるって事。あんたみたいに真面目一辺倒な生き方してると、なかなか思い付かないのかもなあ」


「ちょっとジェナン、お父ちゃんを馬鹿にしたら許さないよ」

 セシルが言うと、ジェナンはおどけた。

「いやいやセシル、そんなつもりはないよ。サジットさんは……俺の、お義父さんになる人なんだぜ?」


「気持ち悪い、やめてよね」

「なあセシル……俺たち、やり直せると思うんだ」


「やり直すも何も、始まってすらいないっての。寝ぼけてんじゃないわよ馬鹿」

「寝ぼける? 違うなセシル。俺たちは目覚めたんだよ、デミーレ先生のおかげでな」


 先生、と呼ばれた老人が、他の男たちに護衛されながら進み出る。

「……久しいな、サジット君。市場では、私の話を聴いてもらえず残念だった」

「あんた……いつから先生になったんです、デミーレ前村長殿」


 領主バルフェノム侯によって、村長の地位を剥奪された男である。

 一方的な人事命令であったが、私を含む村人の大半は、それを理不尽に思わなかった。


 誰もが、デミーレ村長の退任を望んでいたのだ。


 ガナンのように投獄もされず、こうして村内で余生を過ごす事が出来る。

 無慈悲なる君主バルフェノム侯爵閣下の、せめてもの慈悲であろうと私は思う。


 その余生を、しかしデミーレは、ろくでもない事に費やそうとしているのだ。


「まあ聴きたまえサジット君。ここヴィスガルド王国の前身……帝国と呼ばれし巨大国家の、さらに以前。世は、王侯貴族ではなく民衆が政治を行っていた。民より選ばれし者が、民の監視を受けながら、様々な事を決議し実行する。そのような時代が、確かにあったのだよ。素晴らしいとは思わないか」


 全く同じ内容の演説を、デミーレはこの男たちを従え、市場で行っていた。

 だから、バルフェノム侯の兵隊によって追い出されたのだ。


 その様を横目に、私たち父娘は市場で買い物を済ませ、帰路についたのだが、追い出された者たちに捕まってしまった。


「権力者が横暴を極め、民が虐げられている……この時代。今こそ、民が主であった古の理想的体制を、取り戻すべきであると何故、思わないのだ」


「私は別に、虐げられておりませんから……」

 言った瞬間、私は殴られた。


「自分さえ良ければいいのか! この利己主義者がっ!」

 デミーレ前村長の取り巻きの一人が、拳を振るったのだ。


「あくせく働いて税を納めるのが美徳だと思ってる、お前のような奴隷根性の持ち主が! 権力者を肥え太らせて俺たちを苦しめる!」


「俺たちの自由を侵害する!」

「俺もお前も、バルフェノムに虐げられているんだよ馬鹿野郎! 気付け、気付けよっ、目覚めろぉおおおおッ!」


 他の男たちも、流されるように暴力を振るう。

 倒れた私を踏み付け、蹴り転がす。


 セシルが悲鳴を上げた。

「やめて! やめてよ、ちょっと誰か来てぇえええっ!」

「まあまあセシル。あんな物わかり悪い親父は放っといて、さ……俺たち、やり直そうぜ?」


 やめろジェナン、セシルに触るな。

 そう叫ぼうとした私の口元に、蹴りが入った。


 暴力を振るう男たちを止めもせず、デミーレが語りに入る。


「私は、バルフェノムの横暴によって村長の地位を追われた。いずれ私一人では済まなくなるのだぞサジット君。権力者の暴虐は間違いなく民衆にも及ぶ……それもわからず君は愚かな労働と納税を続け、権力者の暴虐を支え助けているのだよ。その愚かさを、まずは知りたまえ」


 このような思想で村人を感化しようとし続けていたから、デミーレは村長の地位を剥奪されたのだ。


 実際、感化されてしまった者もいる。

 今、私に暴力を振るっている男たちだ。


 私に言わせれば、怠け者ガナンの同類である。

 ろくに仕事もせず、それをおかしな思想で正当化する。

 行き着く先は、このような暴力でしかない。


「……民が主であった時代は、遥か昔に終わりを告げた。もはや甦る事はない」


 声がした。

 重圧、そのものの声。


「愚民たちよ、歴史を学べ。民より選ばれし者が、民の監視を受けながら政治を執り行う……何故その体制が破綻をきたし、帝国に取って代わられたと思うのだ」


 雑草を布団代わりにしていた大男が、目を覚まし、ゆらりと立ち上がっていた。


「民による政治が、保たなかったからだ。結局のところ無理であったのだよ、愚民が政治を行うなど」


 言いつつ大男は、顔面を這う虫をつまんで剥がし、口に放り込んで咀嚼し、飲み込んでしまった。


 ジェナンの手を振り払いながら、セシルが呆然と問う。

「えっと、あの……お、美味しい? ですか?」

「野戦食と思えば良い」


「……おい、お前。人の土地に勝手に入って、何やってんだよ」

 この農地の正式な所有者であるジェナンが、ずかずかと大男に歩み迫って行く。


 さらなる文句を言いかけた口元が、潰れた。

 折れた歯が、ちぎれた舌が、飛び散った。


 大男の、左拳。

 鈍色の手甲が剛力で握り固められ、凶器と化し、ジェナンの顔にめり込んでいた。


「手入れが悪い。ゆえに、この農地は没収する」

 言いつつ大男は、顔面の潰れたジェナンの屍を踏み越えた。


 何故だ、と私は思った。

 鈍色の甲冑、巨大な軍馬。

 それを見て何故、私は、この大男が何者であるのかを思い出せなかったのか。


 素顔で、あるからか。

 あの髑髏の仮面でのみ、私はこの男を認識していたのか。

 バルフェノム・ゴルディアックの腹心として、様々な汚れ仕事を実行する、この男を。


「…………ゼイヴァー・ロウレル……卿……」

 セシルに助け起こされながら、私は呻いた。

 バルフェノム侯の命令で、どこかへ行っていた、らしい男が戻って来たのだ。


 そして今、破壊している。

 ゼイヴァー・ロウレルが不在であったからこそ、好き勝手に思想活動と暴力行為が出来ていた者たちを。


 殺人と言うより、破壊であった。


 私に暴力を振るっていた男たちが、ゼイヴァーによって、人ではなく物のように、叩き壊され、へし折られ、打ち捨てられる。


「民が政治をする時代……理想であろうが、理想でしかない。お前たちに政治は出来ぬ。何も出来ぬ。自分で決めて行動するという事が、お前たち愚民には出来ないのだよ」


 鉈のような手刀が、男の生首をひとつ刎ね飛ばした。


「自主的な行動など、させてみたところで。これこの通り、ろくな事をせぬ」


 デミーレ前村長の屍が、倒れ伏した。

 顔面が、巨大な拳の形に陥没し、眼球が垂れ下がっている。


 そんな屍を十数人分、私たち父娘の眼前に放置したまま、ゼイヴァーは軍馬にまたがっていた。


「故に、もはや民には何も与えてはならぬ。希望も、正義も、自己決定権も……教育もだ。歴史を学べとは言ったが、学んだ結果がこれではな」


 特徴のない顔面が一度だけ、私とセシルに向けられた。

 その顔面に、炎の如く眼光が灯っている。


「農夫サジットよ、この農地は貴様にやろう。しっかりと耕して収穫を上げ、税を納めよ。それが結局、誰も不幸にならぬ道である」


 時折、見た事がある。

 髑髏の仮面から漏れ溢れる、あの禍々しい眼光と同じであった。

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