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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第173話

 ゴスバルド地方の執政府カルグナ城は、同じく執政府であるロルカ地方のケルティア城と比べ、遥かに広壮かつ豪奢そして堅牢であり、それは各々の城主の在りようを体現している、とも思えた。


 カルグナの城主マレニード・ロンベル侯爵は豪勇無双の偉丈夫で、この堂々たる城塞の司令官にふさわしい人物と言える。


 一方。ケルティアの城主ペギル・ゲラールは、戦乱で破壊され補修も行き届かぬ居城に、似つかわしいと言うしかない老貴族であった。


 盟友ボーゼル・ゴルマーの引き起こした戦に疲れ果て、もはや穏やかな死を待つだけの日々を送っている。

 フェアリエ・ゲラールの目には、そう見えた。


 穏やかな死を迎える事が、しかし祖父ペギルには出来なかったのだ。


 庭木の陰で腰を下ろしたままフェアリエは、カルグナ城の庭園を、ぼんやりと見渡していた。

 広さが、ケルティア城の庭園とは段違いである。


「ね、お母様……ここを、歩ける……?」

 フェアリエは語りかけてみた。

 当然、応えなど返って来ない。


 歩行もままならぬ身体で、しかし無理矢理に庭園を歩く。

 それが、母ラウラ・ゲラールの日課であった。

 無理にでも歩かねば一生、歩けなくなる。

 それが、口癖だった。


 実際、さほど広くはないケルティア城の庭園を横断するところまで、彼女は達成したのである。


 杖にしがみつき、苦しげに、よろめきながら歩く母の姿を、フェアリエは思い浮かべ、広大な庭園の風景内に配置してみた。

 母が、より苦しげに見えた。


「ほら、頑張って……お母様……」

 声をかけてみる。

 母が、応えてくれるわけはない。


 本当に居るわけでもないラウラと、擦れ違うようにして、何者かが歩いて来た。


 母とは比べようもない、力強い足取り。

 幻覚ではない、一人の若い兵士であった。


 庭木にすがり付くようにして、フェアリエは弱々しく立ち上がった。


「ヒューゼル……」

 名を呼んでみる。


 ヒューゼル・ネイオンは微笑み、一礼した。

「元気を、お出し下さい……と言っても無理でしょうね」


「……死ぬのは、とても辛い事。祖父も母も、苦しい思いをしながら……死んで、しまった……」


 ヒューゼルはヒューゼルで、主君とその息女を守る事が出来なかった、などと考えているに違いない。

 そう思いつつ、フェアリエは言った。


「なのに、ね……私、思ってしまうの。もしかすると、生き残ってしまった私の方が……辛くて、苦しい……? なんて、ね……」


 微笑んでみる。

 笑顔を作る、事は出来た。


「私……どうしようもない、愚か者よね。お母様も、お祖父様も、私を……守って、下さったのに……生きている私の方が、幸せであるに決まっているのに……」


「そんな偉そうなお説教、出来たらいいなと思いますよ。俺」

 ヒューゼルは、空を見上げた。


「何が、あったのか……あらかたの事は、ドメル殿から聞いてます。自分のせいで、なんて考え方だけは……どうか、なさらないで下さい。お嬢様」


「ふふっ……私ね、大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの生まれ変わり……らしいわ。ねえヒューゼル、信じられる?」


「信じられるわけないでしょう。頭おかしい奴らの世迷い言っていうのは案外、迫力があったりしますからね。うっかり信じちゃう場合もあるでしょうけど」


「ゴルディアック家というのはね。大魔導師の子孫でありながら、魔力のある人間がいないから……我こそ大ギルファラルの後継者たらんと、お馬鹿な事をなさる方々も随分いらっしゃったわ。バラリス・ゴルディアック侯のように」


 あれほど極端な例でなくとも。

 奇怪な言動を晒す者が、あの大邸宅には複数名いたものだ。


 その者らの姿をフェアリエは、己自身と重ね合わせていた。

「今……私、あの方々を笑えない。大ギルファラルの力、私が本当に……受け継いでいるのであれば……」


「馬鹿な事なら、俺も考えてますよ。その場に俺がいたら、誰も死なせなかった。ペギル閣下も、ラウラ様も、オーレン兵長も……みんな俺が、守ってやれた。そんなふうに、どうしても考えちゃいます」


「貴方は……きっと、無茶をしていたわ。あの場にいたら……私たちを守ろうとして、危険な目に……」


「いても案外、何も出来なかった。そう思う事にします。たらればの悩みってのは、そういうもんです」


 思わずフェアリエは、ヒューゼルの横顔を見つめた。

 記憶を失った青年が今、何かを取り戻しかけている。

 そう感じさせる表情であった。


「ヒューゼル、貴方は歴戦の人……辛い戦いを沢山、経験してきたのよね。きっと」

「馬鹿をやって、遭わなくてもいい酷い目に遭ってきた。それはね、何となく身体で覚えてる感じがあるんですよ」


「何回も訊いたけれど……記憶、取り戻したいと思う?」

「要らない、と言ったら嘘になります。まあ、取り戻したら取り戻したで……忘れたままの方が良かった、なんて言い出したりね」


「とても信じられないお話が一つ、あるのよ」

 言いつつフェアリエは、さり気なくヒューゼルに身を寄せていった。


「貴方の、なくした記憶に関する噂話よ」

「お嬢様……」


「アラム・ヴィスケーノ王子が、軍を率いて南へ来られた。ボーゼル・ゴルマー侯爵の叛乱を、鎮圧なさるために……その戦でアラム王子は、実は亡くなられていると。今、王都にいらっしゃる王太子殿下は偽物であると。そんなお話」


「ざまあ見ろ、ですかね」

 ヒューゼルは言った。


「ちょっと色々ありまして俺、そのアラム・ヴィスケーノって男が大っ嫌いなんです。人に迷惑ばっかりかけて」

「実は生きておられる、かも知れないというお話もね。聞いたわ、私」


 ヒューゼルの左腕に、フェアリエはすがり付いていた。

「アラム王子は……記憶を無くされて、王国南部を彷徨っていらっしゃると」

「……無くしたのが記憶だけで済んだなら、幸せですよ。そいつ」


「貴方を、アラム王子と呼ぶ人がいたそうね」

 ヒューゼルの腕に、フェアリエはしがみついた。


 細く見えて力強い、青年の肉体の感触。

 なけなしの全力で抱き締めながら、フェアリエは囁く。


「今の、私の妄想が本当なら……うふふ。私、貴方と結ばれるためにね、あの恐ろしい祭典に出場した事になるのよ」

「……まさしく妄想ですね。世迷い言です」


「私も、そう思うわ。でもいいじゃない。私、シェルミーネ嬢やリアンナ嬢よりも優位に立ったわ。妄想の中でもないと、あり得ない」

「こんな時です。お嬢様の世迷い言に、ある程度まではお付き合いしますが」


「ヒューゼル……私……」

 フェアリエは言った。

「…………貴方の、記憶……戻って欲しくない……」


「お嬢様……」

「全てを思い出してしまったら、貴方……ヒューゼル・ネイオンでは、なくなってしまうのでしょう……?」


 アラム・エアリス・ヴィスケーノ王子は、祭典の優勝者アイリ・カナンと結ばれた。

 ヒューゼル・ネイオンは、誰のものにもなっていない。今は、まだ。


 広大な庭園の一角に、またしても母ラウラの姿が見えた。

 杖にすがり付き、死にそうになりながら歩いている。

 父親ペギル・ゲラール侯爵が倚子に座り、それを見守っている。


 一度座ったら、立ち上がるのが億劫な歳になってしまった。

 そんな祖父の言葉が、フェアリエの脳裏に蘇る。


「お祖父様……お母様……」

 いない者たちに、語りかける。

「見て……私、幸せになります……ヒューゼルと……」

「お、お嬢様! 何を……」


「私たち、家族みんなで……幸せに、暮らして……」

 声が、震える。


 無理矢理に笑おうとして、フェアリエは失敗していた。

 涙が溢れる。

 庭園の風景が、見えなくなった。


 見えるのは、立つのも覚束ない母の姿。倚子から動けぬ、祖父の姿。

 二人で、一人の赤ん坊を、半ば奪い合うように抱いている。


 ラウラの孫にして、ペギルの曾孫である赤ん坊。

 産むのは、フェアリエだ。


「ずっと……みんなで、幸せに……そうよね? ヒューゼル……」

「フェアリエ様……」


 ヒューゼルが、ようやく名を呼んでくれた。

 フェアリエは、背伸びをした。


 魔剣・残月を、思わず抜いてしまうところであった。


 カルグナ城の広い庭園を横切る途中。

 その光景は偶然、視界に入り込んで来たのである。

 唯一神の悪意を感じてしまうほど、偶然に。


 木陰で、少女と若者が身を寄せ合っている。

 抱き合っている。

 唇が、重なっている。


「…………何を……して、おられますの……?」

 シェルミーネ・グラークは呟いた。

 声が震えるのを、止められない。


 ヒューゼル・ネイオンも、フェアリエ・ゲラールも、こちらに気付いている様子はなかった。

 ただ目を閉じ、唇を合わせ、お互いの温もりを求め合っている。


 腰の魔剣に伸びかかった己の右手を止めるのが、シェルミーネは精一杯であった。


「……アイリさんが…………死にましたのよ? ねえ、アラム王子……」

 声が漏れる。小声である。


 アラム・ヴィスケーノであるのかどうか、まだ定かではない男に対し、シェルミーネは怒声と斬撃を放ってしまうところであった。

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