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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第172話

「私が、貴女の頭を叩き潰した事……水に流して下さるのですか? マローヌ嬢」


 街道の脇。

 木陰に身を潜めたまま、クリスト・ラウディースは訊いて確認をした。


「流せるわけないでしょ。あれは絶対に許せない、けれど謝罪だけは絶対しないように。いいわね? クリスト司祭」

 マローヌ・レネクが、じろりと眼差しを向けてくる。


 クリストは目を合わせず、街道を見つめた。

 先程。エルコック・ハウンスの隊商が、ここを通って北へと向かったところである。

 襲撃の機会は、ついになかった。


「あんなに、ものの見事にやられるなんて……私が許せないのは私自身よ、まったく」

 マローヌは言った。

「で……貴方は、これからどうするの?」


「私は、まだ仕事中ですからね。それを続けますよ。初手で大きく失敗してしまいましたが」

 もはや見えなくなってしまった隊商を、睨むかのように、クリストは街道を見据えた。


「宰相閣下の御依頼通り……商人エルコック・ハウンスを、この世から消します」

「クルルグ君の釈放が懸かってるのよね。私も手伝ってあげたいけれど……」


『テスラーの友人を害する行為に、協力は出来ぬ。させられぬ』

 声がした。


 姿の見えぬ何者かが、マローヌの傍らにいる。

 驚く事では、なかった。

『まあテスラー本人に危害を加えるのでなければ、妨害まではしない。好きにやってみたまえクリスト・ラウディース……手強いぞ、あのエルコック・ハウンスは』


「痛感いたしましたよ。彼には、何やら……あなたのような人外のどなたかが加護を与えているのではないかと、私は思っています」


「このまま隊商を追いかけるなら、気を付けなさいなクリスト司祭。あのウージェンとかいう可愛くない獣人……尾行には、気付くわよ」

「気付かれている前提で、行動をするしかありませんね」

 クリストは、微笑んだ。


「それで。マローヌ嬢は……このまま、バルフェノム・ゴルディアック侯爵のもとへ行かれるのですか?」

「ええ。若君様やクロノドゥールとは、後で合流する手筈になってるわ」

 マローヌは答えた。

「私……バルフェノム侯爵という方とは、お話をしないといけないのよ」


 亡きクランディア・エアリス・ヴィスケーノ王妃に関する何事かを、マローヌは追い求めている。


 バルフェノム・ゴルディアック侯爵が、王家の事情にいくらかは通じているらしい、という噂はクリストも聞いた事はあった。


 その事情を、首尾良くバルフェノム侯から聞き出す事が出来たとして。

 およそ十年前に病死を遂げたというクランディア王妃が、生き返るわけではない。


 そんな事は、マローヌも承知の上であるはずだ。

 死んだ人間を生き返らせるために、彼女は動いているわけではない。


 死んだ人間が生き返ってさえくれれば、たちどころに解決するであろう何事かのために皆、動いている。


 マローヌも。

 いずれは地の底より這い上がって来るであろう、ルチア・バルファドールも。

 あの悪役令嬢シェルミーネ・グラークも。


 そして自分クリスト・ラウディースも。


(お前がな、愚かしい死に方をして生き返っても来ない。そのせいで兄がどれほど迷惑を被っているものか、少しはわかっているのか? リアンナよ)


「そう……イガムも、ザムも、死んだのね」


 ゴスバルド地方。執政府カルグナ城。

 執務室にて地方領主マレニード・ロンベルは、部下の兵士ドメル・オーグニッドから、改めて報告を受けていた。


「遺族がいるなら、補償をしてあげるところだけど」

「いやあ、俺だけなんですよ遺族」

 ドメルが笑う。


 執務机に力強い尻を載せたまま、マレニードは確認をした。

「補償、要る?」

「要らねえです」


「何もかも今まで通り、でいいのね?」

「ええ。兵隊が二人、死んだだけなんで」


 イガム・オーグニッドとザム・オーグニッド。

 両名とも、屍すら残っていない。

 ドメルとしては、二人の兄に助けられた、守られた、という思いが強いのだろう。


「それよりも、ペギル侯爵が亡くなっちまいました。そっちの方が大事です……申し訳ありません。護衛の任務、果たせませんでした」

「そういう事も、あるわよ。お嬢様が助かっただけで良しとしましょう」


 ロルカ地方領主ペギル・ゲラール侯爵は、息女ラウラ共々、死亡した。

 孫娘フェアリエ・ゲラールを現在このカルグナ城にて保護している。

 兵士ヒューゼル・ネイオンも、一緒である。


 空席となったロルカ地方領主の地位は、順当に事が運べば、フェアリエが受け継ぐ事となる。


「順当に、事が進んでいる……のかしら、ね」

 マレニードは、天井を見上げた。


 バルフェノム・ゴルディアック配下の者たちは、ここゴスバルド地方から完全に撤収した。

 ゴルディアック家による侵略の手が、王国南部に及ぶ事態は、ひとまず避けられたとは言える。


 動乱の最中、灰色の魔法使いの一団を殲滅する事も出来たのだ。


 ひっそりと長椅子に腰掛けた、一人の令嬢に、マレニードは言葉をかけた。

「貴女のおかげ、かしらねシェルミーネ・グラーク嬢」


「……成り行きですわ、全て」

 シェルミーネは応えた。


「エルコック・ハウンス殿のお命を狙う、などという愚かな事をバルフェノム侯がなさらなかったら。あの方々は撤収せず、今なお王国南部の地に居座っておられたでしょうね。南部有数の大商人、それにボーゼル・ゴルマー侯の残党の方々と、懇ろな関係を維持したまま……侵略の下地作りが、今頃も着々と進んでおりましたわ」


 悪役令嬢の、どこか冷たさのある美貌に、苦笑が浮かぶ。


「お気の毒なのはテスラー・ゴルディアック殿。お祖父様のために一生懸命、人脈作りに励んでいらっしゃったのに……お祖父様ご本人が、全てを台無しにしてしまわれて」


 商人であるエルコック・ハウンスを起点に、テスラー・ゴルディアックは人脈を広げる事が出来ただろう。

 祖父バルフェノムの協力者となり得る人材を、幾人かは確保する事が出来ただろう。


 そのバルフェノム本人が、エルコックとの繋がりを一方的に断ち切ってしまったのだ。


 エルコック・ハウンスが、健在である事。

 その危険性の方を、バルフェノムは重要視した。


 すなわち。

 エルコックの出自に関する情報を、バルフェノム・ゴルディアック侯爵は、ほぼ正確に掴んでしまったという事だ。


(それは、そう……いつまでも隠しておけるわけ、ないのよねえ。エルコック殿……)

 思いつつマレニードは、口では別の事を言った。


「ボーゼル侯の残党ちゃんたちが、護衛の体でエルコック殿と行動を共にしている……それだけは若干、気になるけれど」

「あれは本当に、単なる護衛だと思いますわ」

 シェルミーネは言った。


「ボーゼル侯の御遺志を継いで、あの方々が再び叛乱を起こす。エルコック殿が、それを援助なさる……といった御心配は無用かと。成功するわけがありませんもの、そのような事」


「そうよね、成功するはずがないわ。ベルクリス・ゴルマーが、この地に戻って来たりしない限り」


 マレニードは、シェルミーネを見据えた。

 睨むような眼差しに、なってしまったかも知れない。


「あの剛力令嬢の行方について……シェルミーネ嬢は何か、ご存じないかしら」

「彼女が存命である事、微塵も疑っておられませんのね」


「死なねえよ」

 ドメルが言った。

「……アレが死ぬとは、思えねえ」


「ですわね。本当に、殺しても死なない子。今頃どこで何をしているものやら」

 シェルミーネが、遠くを見つめる。

 マレニードは、ここでは追及しない事にした。


「……ともあれ、御苦労様だったわねシェルミーネ嬢。この辺りのゴタゴタ、とりあえず一段落ついたわ。これからどうするの? ここで働いてくれるなら歓迎するけど」


「……今しばらく、ミリエラさん共々こちらに居させていただけると助かりますわ」

「いいわよ。のんびり、お過ごしなさいな」


 マレニードは、忘れてはいない。


 シェルミーネ・グラークとミリエラ・コルベムは当初、宰相ログレム・ゴルディアックの命令書を携え、ここ王国南部の地を訪れたのだ。

 その命令書に、命令の内容までは記されていなかった。


 何であれ、宰相より与えられ、まだ完遂には至っていない任務が、シェルミーネにはあるはずなのだ。

 その任務とは。


 特に根拠はないが、マレニードは思う。


 それは、あのヒューゼル・ネイオンという青年に関する何事か、ではないだろうかと。

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