第160話
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「もう、おやめになってはいかが?」
シェルミーネ・グラークは、声をかけた。
強盗の屍が、五人分。周囲に散乱している。
恐らく五人分であろう。正確な人数は、よくわからない。
切り刻まれて、いるからだ。
滑らかな断面が無数、月明かりを受け、生々しい光沢を晒している。
魔剣・残月をシェルミーネが一閃させるだけで、このような事になってしまった。
ここまで切り刻むつもりは、なかったのだ。
「御覧の通り、私とっても強い武器を持っておりますのよ。これでは一方的な殺戮にしかなりませんわ。もちろん……一方的な弱い者いじめ、大好きですけれども私」
まだ大量に生き残っている強盗団が、切り刻まれた仲間たちを遠巻きに見つめ、動きを止めている。
明らかに、怯んでいる。
説得の好機だ、とシェルミーネは思った。
「命あっての物種。死ぬ思いで富を獲得したところで、本当に死んでしまっては無意味ですわよ……というお話。こちらのリーゲン・クラウズ殿も、なさっているのではなくて?」
「もちろん、している。こいつらも、それはわかってる」
リーゲン・クラウズが言った。
「わかってても、やめられない事ってのがな。世の中には、確かにあるんだよ悪役令嬢。お貴族様でも庶民でも、その辺りは変わらないと思う」
「何を……やめられませんの? こちらの方々は」
「奪って生きるのを、だ」
口調暗く、リーゲンは言った。
「世の中、仮に平和であったとしても。どれほど人道的で頭のいい御方が、世界を治めていたとしても……人から奪ってしか生きられない連中ってのは、いなくならないと。そうは思わないか、シェルミーネ嬢」
「……いなくは、ならずとも。減らす事は出来ますわ」
ここで、この強盗たちを皆殺しにすれば。
人から奪って生きる者を、世の中から減らす事は出来る。無意味な殺戮には、ならない。
そう思いつつ、シェルミーネは言い放った。
「……ここまで、ですわよ。貴方がたは」
「へっ……どうやら、そのようだなあ」
強盗たちが、口々に言った。
「殺したきゃ殺せ、ただじゃ死なねえぞ」
「これだけの、お宝がなぁ! 目の前にあるんだぞ!? 命の一つ二つ、惜しんでられるかよおおおッ!」
「金は奪う、奪い損ねたら死ぬ。俺たちはな、ずっとそうやって生きてきた。今更、変えられねえ」
「今からでも、お変えなさいませ」
隊商員や、リーゲンの仲間の兵士たち。
荷馬車を守っていた者らが今、こちらに集まりつつあった。
強盗の人数が減り、荷馬車の防衛に戦力を割く必要がなくなった、という事だ。
その様をちらりと見渡し、シェルミーネはなおも言った。
「奪おうとなさるならば、奪われまいとする力が必ず働きますわ。奪う者を、この世から排除せんとする力もね。本当は、おわかりなのでしょう? 奪って生きる道には限界がある、という事……だからね、ここまでになさいませと。そういうお話を、しておりますのよ」
「今更……真面目に働けと、働いて生きろと……そう言うのか、俺たちに」
強盗たちの中には、涙ぐんでいる者もいる。
「そんな事……出来るなら、最初から……」
「出来ずとも、なさいませ。奪わずにゆく生き方を」
シェルミーネは睨み据え、告げた。
「貴方がたには、ね……他の道など、ありませんのよ」
「道がねえ、だと……おい小娘! 何でテメーが決めつけてやがんだよ!」
強盗の一人が、凶暴性を剥き出しにした。
巨体である。生き残った強盗たちの中では、有数の猛者なのであろう。
大型の剣を振りかざし、叫んでいる。
「ぶち殺すぞ! この……」
叫び声が、そこで凍り付いた。
大剣を振るおうとする動きが、硬直している。
凶悪な顔が、青ざめている。
猛々しく怒り叫んでいた大男が今、恐怖に支配されていた。
何を、誰を、恐れているのか。
眼前の、悪役令嬢か。
シェルミーネは、何もしていない。
ただ見据えているだけだ。
怒りと殺意を視線に込めて、睨んでいる、わけではない。
冷静に、計算をしているだけである。
生き残っている強盗団の中では最強かも知れない、この大男を殺害すれば。
他の強盗たちは、戦意が完全に折れる。なりふり構わず、逃げてくれるかも知れない。
皆殺しの手間が、省ける。
そう思いながら、視線を向けているだけだ。
大男が、後退りをしている。
追い詰めるように一歩、進み出てみようか、とシェルミーネが思った瞬間。
大男は、こちらに背を向け、逃げ出していた。
他の強盗たちが、それに続く。
シェルミーネの計算通り、戦意を完全に失っていた。
逃げ散って行く強盗団を見送りながら、リーゲンが呟く。
「別に怒ってはいない、憎悪はない。ただ足元の障害物を取り除く、ように人を殺す……今そんな目をしていたな、悪役令嬢殿。その目で睨まれたら、逃げるしかなくなるわけだ」
「恐がらせる、つもりはありませんでしたわ」
「お見事だよ、まったく」
リーゲンは、誉めてくれているようだ。
「ハッタリを効かせて、敵を追い払う……ボーゼル侯にだって、なかなか出来なかった事だ。まあ、それはともかく強盗どもは逃げて行く。これが戦なら、追撃をかけて、殺せるだけ殺しておくところだが」
「そんな場合では、ありませんわ」
「そうだな」
ちらりと、リーゲンは視線を動かした。
この隊商の主エルコック・ハウンスという人物が、あちらで襲撃を受けているはずであった。
強盗団は、陽動でしかない。
敵の本命とも言える戦力が、エルコックの方へ向かっている。
「クロノドゥールが付いているから、心配ないとは思うが……俺たちも、行こうか」
動きかけたリーゲンを、何者かが呼び止めた。
「待ってくれ、リーゲン殿……それに、悪役令嬢」
「お前……」
リーゲンが、目を見開いた。
三人、こちらに歩み寄って来たところである。
一人は、若い兵士だった。
隊商の護衛、ではない。
リーゲンにとっては不倶戴天の敵、とも言える相手の一人である。
「……どうした、今日は兄貴たちと一緒じゃないのか」
「兄貴たちは、死んだよ」
平然と、ドメル・オーグニッドは言った。
「俺も死にかけたが、ミリエラ嬢に助けてもらった。まあ……兄貴たちの事は、とりあえずいい。それよりも」
他の二人は、少女である。
一人はミリエラ・コルベム。
そして、もう一人は。
「ゲラール家の御令嬢だ。御身の安全確保を、あんた方に頼みたい」
「…………フェアリエ・ゲラールと申します」
消え入るような、声であった。
幻影ではないのか、と思えてしまうほど儚げな少女である。
「シェルミーネ・グラークと申しますわ。貴女は、ペギル・ゲラール侯爵の」
「……………………孫です…………」
その口調から、シェルミーネは読み取った。
ロルカ地方領主ペギル・ゲラール侯爵は今もはや、この世にはいない。
何かが、起こった。
ドメルの兄二人も、そこで死んだ。
「皆殺し……に等しい事態が、起こりましたのね」
シェルミーネは言った。
ドメルが、呻いた。
「俺一人……こうやって無様に逃げている最中と、そういうわけだ」
「フェアリエ嬢を、守ってこられたのでしょう?」
などとシェルミーネが言ったところで、ドメルにとっては慰めにもならないだろう。
フェアリエ・ゲラールが、じっと見つめてくる。
「同姓同名の別人、では……ないんですね。本当に、グラーク家のシェルミーネ嬢……」
「ええ、そうですわよ。悪行三昧で実家からも見限られて家出の真っ最中、惨めな悪役令嬢シェルミーネ・グラークでございますわ」
シェルミーネは微笑んで見せた。
フェアリエも微笑んだ、のであろうか。
「私……貴女が、眩しかった」
「フェアリエ嬢は……花嫁選びの祭典に?」
「出場して、最初の方で脱落しました。その時の私の名前は、フェアリエ・ゴルディアック……信じられますか? 私、ゴルディアック家の代表者だったんですよ」
「そうでしたの……」
ゴルディアック家からも一人、令嬢が出場しているとは聞いていた。
いつの間にか、いなくなっていた。
シェルミーネの取り巻きの中にも、いなかった。
フェアリエが、今度は明らかに微笑んだ。
「シェルミーネ嬢は……私なんて、眼中になかったでしょう?」
「ふふっ。あの時の私にはね、小生意気な平民娘アイリ・カナンしか見えておりませんでしたわ」
シェルミーネは言った。
「フェアリエ嬢。貴女も、私と同じですのね……忌々しい平民娘に、してやられて。お仲間、という事にさせていただきますわ。御身の安全、私がお守り致しましょう」
「私……自分の力で、戦いたい……」
フェアリエの儚げな容貌から、微笑みが消えた。
「私には……その、力が……あるのかも……」
「このお嬢様の言う事は真に受けねえでくれ。ご家族を亡くしたばっかりでな、心が落ち着いてねえ」
容赦のない事を、ドメルが言った。
フェアリエは、俯いてしまう。
シェルミーネは、問いかけた。
「ミリエラさん、ヒューゼル殿は……」
「戦いに」
ミリエラが言いかけた、その時。
轟音が、聞こえた。
複数の人体を、粉砕する音。
この音を発する者と、ヒューゼル・ネイオンは今、戦っているのだろう。
この音を発する者が、フェアリエの祖父を、ドメルの兄二人を、殺したのだろうとシェルミーネは思った。
声が、聞こえる。
「答えよ。私に、教えるのだ……死せる人間は、どうすれば……生き返る?」
「…………ジュラード……! そう、貴方が。このような場所に」
禍々しい名を、シェルミーネは呟いた。
「今度こそ。教えて差し上げなければ、いけませんわね……死んだ人は、生き返っては下さいませんのよ」
「………駄目、なのですか?」
フェアリエが、か細い声を漏らす。
「お祖父様も、お母様も……戻って来ては、下さらないのですか? 私が、何をしても……」




