第158話
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最強の武器は、何か。
剣ではない。槍でもない。戦斧や槌矛、鈍器類でもない。
弓矢である、とヒューゼル・ネイオンは思っている。
安全な場所から、一方的に敵を殺戮する事が出来るからだ。
記憶を失う前の自分は、だから弓を主武器として選んだに違いない。
遠距離からの攻撃手段としては、他に魔法というものが存在する。
使い手次第では、弓矢を遥かに上回る殺傷力を発揮する。
だが。攻撃魔法を扱える者を複数、集めるよりは、弓兵の部隊を育成する方が、手間もかからず安上がりではあるのだ。
弓射の技術とて修得は容易ではないが、素質のない者も、ある程度までは育つ。
魔法は、素質が全てである。
生まれつき魔力を持たぬ者は、どう学んでも何も出来ない。
「弓はな、練習すれば上手くなる」
丘陵の上から戦場を見下ろし、ヒューゼルは呟いた。
「鳥を落とせるようになれ、とまでは言わない。引いて、矢を飛ばせるようになればいい。後は運用だ」
戦場、と言って良いだろう。
建造物の残骸が点在する、原野も同然の廃墟。
そこで商人エルコック・ハウンスの隊商が、大規模な強盗団の襲撃を受けていた。
一方的な殺戮・略奪になっていないのは、隊商の側にも充分な戦力があるからだ。
主に獣人から成る、百名ほどの戦闘員。
加えて叛乱者ボーゼル・ゴルマーの残党部隊、こちらもおよそ百名が、護衛としてエルコック・ハウンスに雇われていた。
総勢、二百名ほど。
強盗団は、少なく見ても千人は超えている。
それでも互角の戦場たり得ている状況を、ヒューゼルは観察していた。
「……運用が全然、出来てない。もうちょっと頑張れないか、お前ら」
つい、そんな事を呟いてしまう。
隊商の護衛部隊は、よく戦っている。それは事実である。
強盗団の方は、戦い方がまるで話にならない。
敵味方が入り乱れている所へ矢を撃ち込み、味方を射殺してしまう。
弓を引いている者たちは、それに気付いていない。
敵を近寄らせたくない一心で、ひたすらに矢を乱射している。半ば恐慌に陥っているのだ。
剣よりも槍よりも、容易く味方を殺せてしまう。
弓矢という最強武器の欠点を、余すところなく晒している。
一方。隊商側の弓箭部隊は、容赦がない。
混戦の中から、強盗団のみを、それも荷馬車に押し寄せんとしている者のみを即座に見出し、正確に射殺してゆく。
さすがにボーゼル・ゴルマー配下の精鋭部隊であった。
練度も、戦闘経験も、民を襲う事しかしない強盗団とは段違いである。
「……俺、要らないな」
ヒューゼルは呟き、傍らを見た。
法衣の愛らしく似合った一人の少女が、戦場を見下ろし、青ざめている。
目を覆うべきか、と思いつつヒューゼルは声をかけた。
「貴女は俺なんかよりずっと要る人材だが、しばらく待ってくれよなミリエラ嬢。怪我人を助けに、今すぐ飛び込んで行きたいところだろうけど」
「強盗の、方々を……」
己自身に言い聞かせる口調で、ミリエラ・コルベムは言った。
「治して、あげたら……駄目ですよね、今はまだ」
「そういう事だな」
いや待て、とヒューゼルは思った。口には、出さない。
ミリエラが、強盗団の負傷者を治療する。
それによって強盗団が勢いを盛り返し、隊商の護衛部隊を皆殺しにでもしてくれれば。
ボーゼル・ゴルマーの残党部隊、及びバルフェノム・ゴルディアック配下の者たちを、ここで殲滅してくれれば。
面倒事は、全て片付くのではないのか。
そのような計算が、頭をよぎりもしなかったのだろうか。
シェルミーネ・グラークは先程、迷いなく戦場に突入し、隊商の護衛部隊に加勢した。
監視対象であるはずのリーゲン・クラウズと共闘し、強盗たちを狩り殺してゆく様が、この丘陵の上からでも見て取れる。
魔剣・残月で、リーゲンを後ろから刺殺・斬殺する事も、シェルミーネには出来るはずだった。
「悪役令嬢を気取っている割に、そういう事は出来ないんだよな……」
「悪役らしい事なんて何一つ出来はしません、シェルミーネ様は」
ミリエラが、容赦のない事を言った。
「あの方は……何でしょう、呪い? みたいなものを、御自分にかけているように思えます」
「呪い、か……」
「はい。悪役令嬢でなければいけない、という」
「……大切な友達に、死なれたんだったよな」
「はい……アイリ・カナン王太子妃殿下に」
花嫁選びの祭典、という催し物があったという。
アラム・エアリス・ヴィスケーノという男と結婚するために、ヴィスガルド王国全土から貴族令嬢が集まり、参加し、妍を競ったという。
貴族令嬢ではない、平民の少女も一人いたという。
勝ち残ったのが、その平民娘アイリ・カナンと、大貴族グラーク家の令嬢シェルミーネである。
アイリは民衆の希望であり、シェルミーネは希望を脅かす悪役令嬢であった。
民の間で、そのような物語が出来上がってしまったのだ。
物語から降りる事が、シェルミーネは出来なくなった。
アイリ・カナンが、いなくなってしまったからだ。
まさしく呪いだ、とヒューゼルは思う。
「死んだ人間が、生き返らない……そのせいでシェルミーネ嬢は、難儀な呪いにかかってしまった」
魔剣の一閃で強盗たちの首を刈り取ってゆく、シェルミーネの戦いぶりを見つめながら、ヒューゼルは呟く。
「……アラム・ヴィスケーノって奴は一体、どこで何やってるんだろうな。こじらせた令嬢のために、何かする義務くらいはあると思うんだが」
「本当に……どちらに、いらっしゃるんでしょうね。王太子殿下は」
言いつつミリエラが、じっと見つめてくる。
ヒューゼルは、目を合わせなかった。
記憶をなくした人間が言える事など、何もないのだ。
会話を止め、さりげなく動いて、ミリエラを身体の近くに庇う。
「……誰かな? そこにいるのは」
振り返り、声をかけてみる。
茂みの中に、人の気配があった。
「敵意は感じない。そこにいるだけなら、放っておくけど……何か俺に、話しかけたそうにしてるよね」
「…………ヒューゼル……なの……?」
微かな声。
ヒューゼルの中で、一切の思考が停止した。
ある一人の少女に関するもの、以外の思考が全て、消え去っていた。
駆け寄って行く。
茂みの中に、その少女はいた。うずくまっていた。
常に儚げな少女が、今は一層、弱々しく痛々しく見えてしまう。
ケルティア城に、いないからだ。
祖父ペギル・ゲラールの庇護下に、いないからだ。
「フェアリエお嬢様……」
呼びかけてみる。
フェアリエ・ゲラールは、何も言わない。
ただ見上げてくる。
その瞳が、涙で揺れる。
この少女が、こんな場所にいる。
それは何を意味するのか。
ミリエラが、駆け寄って来て血相を変えた。
フェアリエが、重傷者を一人、伴っていたからだ。
「……よう、ヒューゼル殿……」
全身に包帯を巻かれた、その男は、フェアリエの傍で木陰に横たわったまま、弱々しく微笑んだ。
血まみれの包帯が、顔面の半分を覆っている。
「すまねえ……あんたの、御主君を……守れなかった……」
「……ドメル殿、か……」
ヒューゼルは片膝をついた。
「事情は、わからん……が。フェアリエ様を、守ってくれたんだな」
令嬢フェアリエが、ケルティア城を出なければならない事態が起こった。
それを受け止めなければならない、とヒューゼルは思い定めた。
「ドメル殿を……」
フェアリエが、辛うじて聞き取れる声を発した。
「……まずは、お願い……助けて……」
「……ミリエラ嬢、頼めるかな」
「はい」
ミリエラが跪き、ドメル・オーグニッドの負傷した全身に光を降らせてゆく。
「何が、あったのか……は、ともかく」
うずくまるフェアリエと目の高さを合わせ、ヒューゼルは言った。
「フェアリエお嬢様。貴女は、まず他人を気遣ってしまうんですね。御立派だと思いますけど、無理はなさらないように」
この少女の祖父ペギル・ゲラールも、母ラウラ・ゲラールも、恐らくは今もう生きてはいない。
ヒューゼルは、それを覚悟した。
「お嬢様がな。慣れない手つきで、俺の身体に包帯を巻いてくれた」
癒しの力による治療を受けながら、ドメルが言った。
「正直そのくらいで治る怪我じゃあなかったが……少しは、命が延びた。おかげで、こうやって治してくれる人に会えるまでは生きてられたぜ。ありがとうな、フェアリエお嬢様。それに聖女殿」
この若い兵士は、ゴスバルド地方領主マレニード・ロンベル侯爵の部下である。
ロルカ地方領主ペギル・ゲラール侯爵が、ヒューゼルを伴ってマレニード侯のもとを訪れた際に、顔合わせを済ませたのだ。
まず最初に、確認しておかなければならない事がある。
意を決し、ヒューゼルは問いかけた。
「ドメル殿。あんたの、兄上たちは……」
「死んだ。二人ともな」
はっきりと、ドメルは答えた。
「俺はな、兄貴たちに命をもらったようなもんだ」
「一人で、戦えるか?」
「……挑発して、俺にやる気を出させようってんだな。やってやるよ」
よろりと、ドメルは立ち上がった。
「こちらの聖女殿が、俺を治してくれたからな」
「あ、あの。無理をなさっては、駄目ですから」
「ごもっとも。だけどなミリエラ嬢……戦えるなら、いくらか無理をしてもらわなきゃならん状況かも知れない」
言いつつヒューゼルは、矢筒から矢を取り出した。
「詳しい話は後で聞く。が……何が起こったのか、何となくわかった気がする。あれだろう? ドメル・オーグニッド」
強盗たちが、砕け散っていた。
人体の様々な破片・断片が、大量に舞い上がる。
暗黒の塊、としか思えぬものが戦場に突入したところであった。
人の形に凝縮した、絶大なる闇。
その黒さの中にあって、刃の閃きが白い。面頬から溢れる眼光が、赤い。
白い刃が一閃する度に、強盗たちが、粉砕されたかのように切り刻まれてゆく。
それは、殺戮ですらなかった。
大勢の人間が、単なる物の如く破壊される光景。
「逃げるな……逃げてはならぬぞ、フェアリエ・ゲラール……ギルファラル・ゴルディアック」
破壊の斬撃を繰り出しながら、言葉を発する、闇の塊。
それは、黒一色の甲冑をまとう、一人の剣士だった。
暗黒そのものを鋳造したかのような、全身鎧。
魔法の産物だ、とヒューゼルは確信した。
魔法という強大なる力が今、弓矢とは比べ物にならぬ殺傷力を発揮しているのだ。
大量の人体を破壊しながら、黒一色の剣士は両眼を赤く発光させている。
妄言、としか思えぬ声を、垂れ流しながらだ。
「答えよ。私に、教えるのだ……死せる人間は、どうすれば……生き返る?」
まるで、血の涙であった。




