第155話
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隊商の、夜営である。
高価な積み荷を満載した荷馬車が複数、月明かりの中、野晒しになっているのだ。
「襲って奪え、と言ってるようなもんだよな!」
リーゲン・クラウズは叫び、槍を突き込んだ。
斬りかかって来た一人の強盗が、串刺しとなって絶命する。
屍から槍を引き抜いている、暇がない。
二人目、三人目の強盗が、左右から獣のように襲いかかって来る。
戦斧で、戦槌で、リーゲンを叩き斬り、あるいは殴り潰さんとしている。
これが、槍という得物の厄介な点ではあった。
有利な間合いを保つ事は出来るが、迂闊な突き刺し方をすると抜けなくなってしまう。
乱戦でこうなっては、手放すしかない。
屍もろとも槍を捨て、リーゲンは左腕の盾から短剣を引き抜いた。
引き抜くと同時に、投射。
二度、それを行う。
強盗二人が、それぞれ斧と槌を振りかぶったまま硬直した。
両名とも、眉間に短剣が突き刺さっている。
硬直した屍二つを蹴散らすように、リーゲンは踏み込んだ。
腰の長剣を、引き抜きながらだ。
ヴィスガルド王国、クエルダ地方。
商人エルコック・ハウンスの隊商は、原野での夜営中に、強盗団の襲撃を受けていた。
岩の多い、原野である。
実のところ岩ではなく、建物の残骸だ。
前領主バラリス・ゴルディアックの暴政によって、廃墟となった街。
原野のようなものだ、とリーゲンは思う。
建物の残骸も、荷馬車を隠す役には立ってくれない。
隊商員のうち、戦闘の出来る者たちが、荷馬車を防衛していた。
様々な武器を振るう、屈強な獣人たち。
荷馬車に群がる強盗団を、片っ端から打ち倒してゆく。
なかなかの頼もしさではあるが、強盗の群れは、あまり数が減ったように見えない。
だから自分たちがいる、とリーゲンは思い定めた。
ボーゼル・ゴルマーの残党兵団。
護衛として、この隊商に雇われている。
総勢百七名。
戦える隊商員たちと合計したところで、せいぜい二百人である。
この強盗団は、どれほどの規模か。
数百人。
いや。リーゲンの体感としては、千人を超える。
現クエルダ地方領主バイル・ラガント侯爵は、英邁な人物である。その統治を外から見ているだけで、わかるものがある。
領内で、賊徒が常時これほど大規模に群れている状況を、彼が許しておくとは思えない。
この強盗団は、だから急遽、領内外から金で集められ、編成された者たちであろう。
そんな強盗たちを、かつてボーゼル・ゴルマーの配下であった兵団が迎え撃つ。
強盗一人を、最低でも二人がかりで強襲する。
それを高速で繰り返し、圧倒的人数差を縮めてゆく。
その戦い方で兵士たちは、強盗団を手際良く殺戮していった。
ただ、やはり数の違いは如何ともし難い。
やがては、最低でも二人がかり、などと言っていられなくなる。
今のリーゲンが、そうであった。
単身で、複数名の強盗を相手取らなければならない状況である。
様々な方向から突き込まれて来る槍を、リーゲンは左腕の盾で受け流し、押し返した。
そして、右手の長剣を振るう。
人体を切断する手応えを、柄もろとも握り締める。
いくら斬り殺しても、強盗たちは怯む事なく襲い来る。
野晒しの富に、目が眩んでいるのだ。
「殺して、奪って、一獲千金の一発逆転……それしか考えられなくなってるんだな、お前ら」
自分よりも年下と思われる、少年にしか見えぬ若い賊徒を一閃で斬殺しながら、リーゲンは苦笑した。
「……同じ、か。俺たちも、下手すると」
ボーゼル・ゴルマーという卓抜した指導者の下で、自分たちは戦う事が出来た。
民を、救い守る者として。
旧帝国貴族の圧政に立ち向かう、誇り高き叛乱者として。
叛乱者など、しかし一つ何かが違うだけで、単なる強盗と化す。
民を殺して奪う生き方しか、出来なくなる。
ボーゼルの死後。
自分たちは、いつ、そのようになってもおかしくはなかった、とリーゲンは思っている。
幸いにして、隊商の護衛という仕事を得る事が出来たのは、レニング・エルナード元伯爵のおかげであった。
優れた交渉人であって、兵士でも戦士でもないレニングが今、この状況を、自力で生き延びてくれている事を、リーゲンとしては唯一神に祈るしかない。
叩き付けられてきた戦斧を、盾で斜めに受けて衝撃を逸らす。
そうしながらリーゲンは、長剣を突き込んだ。
切っ先が、強盗の喉を抉り裂く。
返り血を半身に浴びつつ、リーゲンは駆けた。
矢が、飛んで来たからだ。
立ち止まっていては、的になる。
恐らくはリーゲンを狙って放たれたのであろう矢が、強盗の一人を刺し貫いた。
烏合の衆、としか言いようがなかった。
千人以上、人数が集まっただけで、戦闘時の動きが全く出来ていない。
人数で劣る、こちらの戦闘員を、二対一や三対一で囲み殺す連携も出来ない。
弓の射線上に、味方の徒歩戦力を普通に入り込ませてしまう。
リーゲンは、思わず叫んでいた。
「おい、もうやめろ素人ども! 部隊戦闘なんて無理なんだよ、お前らには!」
斬りかかって来た強盗の一人を、盾で殴り倒す。
「命あっての物種だろうが! ここで大金が手に入ったってなあ、死んじまったら」
「……本当は、わかってんだろ? 兄ちゃんよ」
殴り倒された男が、起き上がってきた。
鼻血にまみれた顔面で、ニヤリと笑う。
「殺して奪う……さもなきゃ死ぬ。俺たちにゃ、これしかねえ。出来ねえんだよ、他の事は! わからねえのか、おい!」
大型の剣を振りかざし、襲いかかって来る。
擦れ違いざまに長剣を一閃させながら、リーゲンは呟いた。
「……わかるよ。真面目に、働いて生きるなんて事。絶対に出来ない奴ら、いるもんな確かに……」
強盗は倒れた。
鼻血まみれの生首が、転がった。
「世の中、どれだけ平和だって……どんな立派な人間が、国を治めていたって……殺して奪う生き方しか出来ない奴は絶対、出て来る。たとえ……国を治めているのが、ボーゼル侯でも……」
自分は、そうではない。どのような運命を辿っても、そうはならなかった。
などとは、口が裂けても言えない。
一人、悲鳴のような雄叫びを上げ、槍を突き込んで来た。
禿頭に白髪のこびり付いた、老齢の男。
そのような歳になっても、殺して奪う生き方を改められない男。
皺深い顔面に浮かぶ、凶悪な形相は、泣き叫んでいるようでもある。
そうなっていた、かも知れない自分の姿。
今後なるかも知れない、自分の姿。
リーゲンは、そう思った。
思っただけだ。仕事の手を、緩めてはならない。
積み荷を狙う強盗団は、皆殺しにしなければならない。
私より、積み荷を守って下さい。
納品先が決まっている物もある。これらを奪われてしまっては、私は信用を失う。
商人としては、死亡も同然なのです。
雇い主エルコック・ハウンスは、そう言っていた。
言われた通りに、しなければ。
手を緩めずに、リーゲンは長剣を振るった。
その長剣を、槍で叩き落とされていた。
殺して奪う生き方を、老齢まで続けていられた男の技量は、侮れない。
泣き叫ぶように吼えながら、その男は僅かな白髪を振り乱し、なおも槍を振るう。
穂先をかわしながらリーゲンは、腰に取り付けてあったものを右手で取った。
束ねられた、鎖。
その先端部、小型の鉄球が、高速で唸る。
泣き叫ぶような顔面が、砕け散った。
頭蓋の破片が、白髪をこびり付かせたまま宙を舞う。
その時には。
さらに二人の強盗が、リーゲンの背後にいた。
剣を、戦槌を、叩き付けて来る。
一人の敵に、時間をかけ過ぎた。
かわせるか。
ゴルマー家の父娘であれば。振り向きざま、いや振り向きもせず鎖鉄球の一振りで、背後の敵を粉砕する事が出来る。だが自分では。
そんな事をリーゲンが思っている、一瞬の間。
閃光が、二人の強盗を貫いた。
それは、刺突でありながら斬撃でもあった。
剣を、戦槌を、それぞれ振りかざしたまま、二つの屍が立ち尽くす。
首から上が、消失していた。
ぞっとするほど滑らかな断面が、頸部に残っている。
二つの生首が、落下して重い音を立てる。
「鎖鉄球。なかなかの、お腕前ですわね……ベルクリス・ゴルマーには遠く及ばぬ、とは言え」
涼やかで、耳に心地良い声。
馬の尾の形に束ねられた金髪の揺らめきが、リーゲンの視界をかすめる。
「言うべきか、どうか……まあ良いですわ、お伝えしておきましょう。ベルクリス・ゴルマーは、生きておりますわよ。私、殺されそうになりましたわ」
「…………下手くそな尾行を、してる奴がいるとは聞いていた」
ベルクリス・ゴルマーの名には触れず、リーゲンは言った。
「やはり……あんただったか、悪役令嬢」
「陽動、ですわね」
リーゲンと背中を合わせた格好のまま、シェルミーネ・グラークは得物を構えた。
刺突で首を刎ねる、細身の長剣。
閃光そのものの刀身が、うねり揺れる。
「ならず者の方々を大勢、無理矢理に、お金で雇って隊商を襲わせる……お金を出した、どなたかの目的とは。一体、何なのか考えてしまいますわ」
「隊商の主、エルコック・ハウンスの命だろうな。俺たちが、ここで戦ってる間……本命と言える戦力が、エルコック殿の方へ向かう。まあ、そっちはクロノドゥールたちに任せておく」
隊商を守る。
隊商を率いる商人、本人のみならず。積み荷を守り、隊商員たちをも守り抜く。
それが自分たちの仕事なのだ、とリーゲンは思い定めた。
「足止めされている、とわかっていても、俺たちはここで戦い抜かなきゃならん。来た以上は力を貸してもらうぞ、悪役令嬢」




