第150話
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鉄柱のような槍が、轟音を立てて空を切る。
暴風の如き、空振りだった。
オーレン・ロウレル兵長が、どのような動きで回避したのか。
フェアリエ・ゲラールの目では到底、捉える事は出来なかった。
ともかく。
オーレンを槍で撲殺し損ねた黒金の怪物が、空振りした槍を振り上げ、構え直す。
小屋ほどもある、黒い金属質の巨体。
捻れ歪みながら膨れ上がった、全身甲冑。
そんな姿の怪物が、再び、巨大な槍をオーレンに叩き付ける。
振るった槍に引きずられる格好で、しかし怪物は転倒し、地響きを発していた。
片脚が、膝関節の辺りで切断されている。
オーレンの振るう、白く輝く刃の閃きが今、フェアリエには一瞬だけ見えた。
気力の輝きをまとう、抜き身の長剣。
その刃をオーレンは、もう一閃させていた。
斬首。
黒金の怪物が、倒れて立ち上がる事が出来ぬまま、頭部をごろりと分離させた。
兜と面頬をまとう、巨大な生首。
それが、微かな声を発する。
「……兵長……申し訳、ございませぬ……」
オーレンは何事か、言葉を返そうとしたようである。
その時には、かつて忠実な兵士であった黒金の怪物は、完全に絶命していた。
片脚を切断された上に首をも刎ねられた、巨大な金属質の屍である。
同じような屍が、三体、四体。
ケルティア城の庭園に、横たわり重なっている。
腕を、脚を、そして首を切断された、黒金の怪物たち。
つい先程まで己の部下であったものたちを、オーレン兵士長は単身こうして討ち果たさなければならなかった。
ケルティア城には今、他に戦力が無いからだ。
自分が、戦力となり得るのではないか。
フェアリエは一瞬、そう思ってしまう。
「我ら魔法使いは……物事を穏便にこなす、という事が、どうしても苦手でな」
その男は、それを本気で嘆かわしく思っているようであった。
「このような状況を作り出す、つもりはなかった。本当に、申し訳ないと思っている」
純白のローブと銀色の髪が、風もないのに揺らめいている。
邪悪さ、禍々しさ、そのものが城内に満ち、大気と混ざり合い、漂いながら蠢いているように感じられた。
漂い蠢くものの発生源たる銀髪の青年が、『このような状況』と呼んだ事態。
フェアリエは今、呆然と見渡すしかなかった。
出来る事が、何もなかった。
黒金の怪物が、一目では数えられないほど多数。
銀髪の青年を護衛する形に、群れている。布陣している。
皆、先程までは、この城を守る兵士であった。
闇そのものを原料に鋳造したかのような黒い甲冑を着せられ、その甲冑もろとも捻れ歪んで巨大化し、今や金属質の怪物と化している。
何故か。
何故、このような事態に至ったのか。
自分のせい、ではないのかとフェアリエは思う。
自分が、ドーラ・ファントマの申し出を拒絶したから、ではないのか。
「今からでも遅くはない、フェアリエ・ゲラール嬢……私の申し出を、受けては下さるまいか」
銀色の髪を、純白のローブを、揺らめかせながらドーラ・ファントマは言った。
「私は、貴女を解放して差し上げたい。貴女の中に今、覚醒を妨げられているものがある。その妨げを……私は、取り除きたいのです」
「……私たちを、殺して取り除く……という事ですか。ドーラ・ファントマ殿」
言葉を発したのは、母ラウラ・ゲラールだ。
娘に支えられ、辛うじて立っている。
いや違う、とフェアリエは思った。
実は自分の方が、足の不自由な母の細身に、すがり付いているのではないか。
母に、守られているのではないか。
「確かに、私は……この子を思い通りにしようとする貴方の、妨げとなっていますね。さあ、取り除いてはいかが?」
「そんな事は、したくない。このような事、したくなかったのですよ。私は本当に」
ドーラの秀麗な顔が、悲痛な翳りを帯びる。
自らが引き起こした、この事態を、本気で憂えている、ようである。
「フェアリエ嬢ご本人を含め、あなた方が今少し、私に協力的であって下されば……否、否。他責思考に陥るのは無様な事、これは私の不手際でしかないのだ」
「……何を、協力しろと言うのです」
ラウラが言った。
「私の娘が……帝国時代の、とある偉大な方の生まれ変わりだ、などと。そのような世迷い言、受け入れろと言うのですか? いかに偉大な御方とは言え、私たちにしてみれば単なる故人です。死んだ人は、生き返らないんです。そんな事にフェアリエを利用するなど、許すがないでしょう」
「死せる者は生き返らない。大いなる自然の摂理です、我が姉弟子ラウラ・ゲラール」
ドーラが、ゲラール母子を見つめる。
この場にいない誰かを、見つめているようでもある。
「偉大なるギルファラル・ゴルディアックは、それに逆らった。自然の理を、破壊せんとしたのだ。自身に転生の秘術を施し、血の連なりの中に潜み……後世、己の子孫として再びこの世に現れる。死せる人間の復活、それをまず自身で試したのだ」
ドーラが、片手をかざす。
フェアリエに向かって、手を差し伸べる。
「フェアリエ・ゲラール……大ギルファラルの力と魂は今、貴女の中にある。それを目覚めさせ、解き放つのだ」
先程、同じ申し出をされた。
フェアリエは、それを拒絶した。
だから今、このような事になっている。
「私の、中に……」
呆然と、呟く。
庭園を満たし、布陣する、黒一色の巨大な軍勢を見つめながらだ。
先程までは忠実な城兵たちであった、金属質の巨体の群れ。
「大ギルファラル様の、御力が……もし本当に、あるのなら……」
この兵士たちを、救う事は出来ないのか。
「……つまらない事を、考えているわね。フェアリエ」
ラウラが言った。
歩行もままならぬ身体で、いつの間にか前に出てフェアリエを庇っていた。
「この状況をどうにかする力なんて、貴女にはないわ。大人しくしていなさい」
「お母様……」
「……隙を見て、逃げるのよ。いいわね」
このドーラ・ファントマという恐ろしい相手から、どのように隙を見出せと言うのか。
命懸けで、隙を作る。自身は死ぬ。
母が、そう言っているようにしか、フェアリエには思えなかった。
「どうか、御協力をいただけませんか。我が姉弟子よ」
ドーラが言う。
「御息女は……帝国なき時代に、新たなる大魔導師となって人々を救うのです。母上たる貴女から、諭していただければ」
「私はね、ドーラ・ファントマ殿。大勢の人々を救うような偉大なる存在に成って欲しい、などと娘に望んだ事は一度もないのよ」
ラウラが即答・断言する。
「大魔導師が必要なら。貴方ご自身が、お成りなさいな」
「……手厳しい。まるで、イルベリオ師と話しているようだ」
ドーラが、優美に苦笑する。
「私は……人に頼み事をするのが、どうも得意ではないようです。慎重に言葉を選んでいる、つもりではあるのですが……結局そのように、怒らせてしまう」
「知りたいかドーラ・ファントマ。貴様が、頼み事を苦手とする理由」
淡く白く輝く長剣を一閃させながら、オーレン兵長が言った。
一閃で、複数回の斬撃が繰り出される。
黒金の怪物がまた一体、崩壊するように倒れていた。
黒い金属の四肢が切り落とされて転がり、倒れ伏した巨大な胴体から、兜に包まれた頭部がゴロリと分離する。
気の輝きをまとう刃を、オーレンはドーラに向けた。
「貴様が、魔法使いであるからだ」
「ほう……」
「人が何故、他人に頭を下げるのか。貴様にはわかるか? それはな、非力であるからよ。大抵の人間は、自身一人の力では何も出来ぬ。望みを叶えるためには、他者の協力が必要だ。だから頼み事をする。頭を下げ、場合によっては代価を支払う」
黒金の巨大兵士たちが、オーレンを襲った。
城壁を粉砕するであろう剣が、大斧が、槌が、長槍が、オーレンを直撃した、ように見える。
様々なものが、砕けて飛散したのだ。
石畳の破片、庭木の破片、大量の土。
黒金の怪物たちが振るう巨大武器が、庭園の地面や木々を粉砕しながら荒れ狂い、暴風を巻き起こす。
暴風によろめき、一見頼りない足取りを披露しつつ、しかしオーレンは全てをかわしていた。
「お前たち魔法使いは……他人に、何かを頼む必要がない。頭を下げずとも、代価を払わずとも、魔法で大抵の事はどうにか出来てしまうだろう。欲しいものは他者から奪う、思い通りにならぬ相手は殺してしまえば良い。そのような生き方しか出来ぬ輩が、慎重に言葉を選んで頼み事だと? 化け物が人間の真似をするな、という話にしかならんのだよ」
「……わかったような事を、あまり言うものではありませんよ。兵隊長殿」
「わかるのだよ。魔法は使えないにせよ、暴力で大抵の事はどうにか出来てしまう化け物が……私の身内にも、いるのでな」
苦笑しつつオーレンは、気の光をまとう長剣を一閃させた。
黒いものが、断ち切られていた。
「懸命に人間の真似事をしている、哀れな化け物だ。私は兄として、何もしてやれなかったが……まあ、そのような事はどうでも良い」
オーレンに向かって漂った、黒い糸の束。
切断され、消滅してゆく。
暗黒そのものを引き伸ばしたような、その糸が、なおもドーラの右手から漂い出す。
漂い向かって来る、暗黒の糸を全て。
オーレンは長剣で切り払い、散らしていた。
「これを身にまとえば……私も、化け物に成れるのだろうな。あやつの如く……」
「貴公ならば、最強の剣士と成れるだろう。そう、イルベリオ師の作り上げた……かの、黒騎士のように」
ドーラは言った。
「力を求めるのは当然の事、恥じるものではない。オーレン・ロウレル殿、であったな。さあ……フェアリエ嬢と共に、我が導きを受け入れるのだ」
無言のまま、オーレンは踏み込んだ。
巨大兵士が一体、ドーラの盾となり、立ち塞がって槌を振るう。
黒金の豪腕が、槌を握ったまま分離した。
切り落とされていた。
腕のみならず、頭部もだ。
落下する巨大な生首をかわしつつ、オーレンはそのままドーラに斬りかかって行く。
黒金の怪物たちが、それを妨害する。
安易に、力を求めてはならない。
オーレン兵長は、そう自分に言っているのだ、とフェアリエは思った。
(でも……だけど……私に、本当に、力があるのなら……大ギルファラルの力、そんなものが本当に……私の中に眠っているのなら……)
そのようにも、思った。
(……目覚めさせる、べきではないの? 求めては、いけないの? だって、このままでは……オーレン兵長も、お母様も、殺されてしまう……)




