第149話
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あのマレニード・ロンベルという男に、護衛など確かに必要あるまい。
ペギル・ゲラールは、そう思っている。
自分には、護衛が必要である。
無論、護衛は引き連れている。
騎兵・歩兵から成る戦闘部隊。
ペギルの乗る馬車を、領地ロルカからゴスバルド地方までの道中、ずっと警護してくれていた。
今は、帰り道。
ゴスバルド地方を出て、ロルカ地方執政府ケルティア城へと向かっているところであった。
ヒューゼル・ネイオンは置いて来た。
彼は現在、領主ペギルの身辺警護よりも、ずっと重要な任務の最中である。
その代わりのようにマレニードは、自身の部下を三名、ペギルの護衛として貸し出してくれた。
オーグニッドという、歩兵の三兄弟である。
「もう少し、のんびり過ごしてくれても良かったのに」
長兄イガム・オーグニッドが、馬車の隣を歩きながら、声をかけてくる。
「……と、我が主マレニード・ロンベルは申しておりましたが」
「そうもゆかぬ。私も、こう見えて一地方の領主であるからな」
馬車の中から、ペギルは答えた。
「あまり長らく、領地を留守にする事も出来ぬ。ここまでの護衛、そなたらには深く感謝する」
ロルカ地方。
執政府ケルティア城まで、もう間もなくの地点である。
「まあ……何事も、起こらなかったがな」
「まだまだ。わかりませんぜ」
末弟ドメル・オーグニッドが、傷跡の走る顔面をニヤリと歪めた。
「領主様のお命を狙う連中が、もしいるとしたら……多分ね、安心しきった頃に襲って来やがりますよ」
「それこそ、お城に到着する寸前くらいに」
次兄ザム・オーグニッドが、言った。
「我々も、まあ出来る限りの事はしますがね。最悪……貴方には、身ひとつで逃げていただく事になるかも知れません。まあ、その覚悟はいつでも決めておいて下さいという話です。何があるか、わかりませんからね」
「肝に銘じておこう。安心など出来る情勢ではないからな。今の、王国南部は」
この街道近辺も、少し前までは戦場であったのだ。
領主たる自分が、ケルティア城を出て他領の執政府へ向かうなど、確かに軽率ではあるかも知れない。
だが。
バルフェノム・ゴルディアックが動いている今、マレニード・ロンベル侯爵と可能な限り連携を密にしておく必要があるのも、事実であった。
「……そなたらにも面倒をかけるな。主君マレニード侯の身辺を、警護していたいであろうに」
「お気遣いなく、ペギル侯爵閣下」
ザムが応える。
「あの人はね、自分の身を自力で守れますから」
「どうもなあ…….俺たち、追い出されたんじゃねえかな。って気がする」
ドメルの言葉の意味するところを、少しの間、ペギルは考えた。
「私の護衛、という名目で……マレニード侯が、そなたらを遠ざけたと?」
「別に我々、何かやらかしたわけじゃありませんがね」
ザムが一瞬、空を見上げた。
「うちの御領主。もしかしたら、一人で何かやるつもり……なのかも知れません。俺たちにも手伝わせないで、ね」
エルコック・ハウンスに関する事か、とペギルは思った。
あの青年は、王国南部で名の通った、とある女商人の息子である。
父親が誰であるのかは、知られていない。
本人も知らぬようであった。
母親である女商人が、墓の中まで持って行ってしまったのだ。
マレニード・ロンベルが、あそこまでエルコックを気にかける理由。事情。
それは、南部の女商人に子を生ませた何者か、に関わりあるものではないのか。
ペギルが思いかけた、その時。
三兄弟の長兄イガムが、無言で片手を上げた。
弟二人に、注意を促しているようだ。
馬車が、止まった。
護衛部隊が動きを止め、戦闘態勢に入る。
歩兵が、騎兵が、馬車の盾となる。
前方。
ケルティア城の方角から、複数の人影が近付いて来たところである。
武装した歩兵たち、に見える。
負傷している様子はないが、足取りは弱々しい。
護衛部隊が、誰何を行う。
「止まれ! 貴様たちは何者だ。所属は!」
「いや……? おい、お前たちは」
ふらふらと、まるで傷病兵のように弱々しく歩み寄って来る歩兵の一団。
人数は、馬車の中からでは把握出来ない。
十名はいない、ように見える。
ともかく。
ケルティア城で領主の留守を預かっている、はずの城兵たちであった。
「あ……っぐ…………うぐがががががが侯爵閣下……」
「ケルティア城へ、お戻りになってはいけません……どうか、おっおおおおお逃げ」
口々に、そんな苦しげな声を発しながら、ぎこちなく四肢を動かして歩を進めようとする城兵たち。
操り人形の動き、であった。
操り糸が、ペギルには見えた。
黒い、糸。
闇そのものを引き伸ばして作り上げた、かのようである。
そんなものを全身に絡み付かせた城兵たちに、ペギルは馬車の中から言葉を投げた。
「お前たち……一体、何があったのだ!? よもや、とは思うが敵襲か!」
「ラウラ様……フェアリエお嬢様の……御身の安全……」
「……我が命に代えましても、確保……致しますゆえ……」
呻く城兵たちの身体に、暗黒の糸が大量に巻き付いてゆく。
それらはケルティア城から伸び、漂って来ている、ようにも思えた。
「侯爵閣下に、おかれましては……ケルティア城に、決して……お近付きに、なりませぬよう……」
「早急に、お逃げ下さいますよう……」
「……オーレン・ロウレル兵士長より、お言伝にございます……」
無数の闇の糸は、今や闇の衣となって、城兵たちを包み込でいる。
衣、と言うより甲冑か。
黒一色の全身鎧に身を包みながら、城兵たちはメキメキと変異を遂げてゆく。
闇そのものの甲冑が、歪みながら膨張する。
内部の肉体も、捻じ曲がりつつ巨大化しているのが、音でわかる。
骨が伸長し、肉が爆ぜて臓物が破裂する、凄惨な音。
それを体内から響かせる、黒い金属質の怪物が複数体、出現していた。
小屋ほどに巨大化しながら捻れ歪んだ、暗黒色の全身甲冑。
各々、金属製の黒い豪腕で、得物を携えている。
剣、槍、斧、槌。
全て、そのまま攻城兵器として使える巨大さである。
七体いる。
攻城兵器を振るう、黒金の巨体が七つ。
もはや表記も不可能な咆哮を発し、襲いかかって来る。
護衛部隊が、正面から迎撃した。
城壁を粉砕するであろう槌が唸り、騎兵一人が馬もろとも破裂し飛び散った。
巨大な剣の一振りで、歩兵数名の生首が宙を舞った。
騎兵が三人、突進して槍を突き込み、だが黒い巨大甲冑に跳ね返されて落馬する。
槍は折れた。
黒金の巨体は、全くの無傷だ。
「無理に攻撃しようとするな!」
声を発しながら、ザムが軽く後方に跳ぶ。
その足元で、巨大な斧が地面を直撃し、地中にめり込んだ。
黒い金属質の怪物が、その斧を引き抜いて構え直し、再びザムを狙って振り下ろさんとする。
振り下ろされかけた金属の豪腕が、切断されて落下した。
兜と面頬に包まれた巨大な生首が、転げ落ちる。
かつて忠実な城兵であったものが、両腕と頭部のない巨大な屍となって揺らぎ、倒れ、地響きを立てる。
その傍らに、イガムとドメルが着地した。
両名の持つ抜き身の長剣が今、どのように閃いて、黒金の巨体をひとつ斬り倒したのか。
ペギルの目では、全く追えなかった。
「何が……」
呟くしかないペギルの身体を、歩兵の何人かが無理矢理、馬車から引きずり降ろす。
「一体……何が、起こっている……?」
直後。
馬車は、攻城兵器の一撃を受けて砕け散った。
歩兵たちに護衛されながらペギルは呆然と、その様を見つめた。
「…………ラウラ……フェアリエ……」
名を、呟く。
それ以外に、出来る事が無くなった。
馬車を粉砕した怪物が、そこへ迫る。
黒い金属の巨体が、ずしりと足音を響かせながら、槌を振り上げ、そして倒れた。
片脚を、膝関節の辺りで切断されていた。
ザムの長剣によってだ。
「この場は、切り抜けられます。大丈夫」
倒れた巨大甲冑の首筋に、その長剣をグサリと突き入れながら、ザムは言う。
「ただ、このままケルティア城へは……行かない方がいい、かも知れません。この状態を作った奴がいます」
「…………行ってくれ……」
考える事なく、ペギルは言った。
「私を、連れて行ってくれ……頼む……」
「……わかりました、いいでしょう。何が起こっているのかは我々も確認して、マレニード侯に報告しないといけませんからね」
言葉を残して、ザムはその場を離脱し、兄・弟と合流した。
三人で、黒金の怪物一体を斬り倒す。
その動きは疾風あるいは旋風そのもので、ペギルの目が捉えられるものではなかった。
声だけが、聞こえる。
「ただしペギル侯爵閣下、貴方の身の安全が最優先です。それが我々の任務ですからね!」
「私など、どうでも良い……ラウラとフェアリエを、助けてくれ……」
その声が、三兄弟に届いたかどうかは、わからなかった。




