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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第148話

 重く頑丈な執務机の隅に、マレニード・ロンベルは力強い尻を載せている。

 そうしながら、書簡を読んでいる。


 シェルミーネ・グラークからの、報告書であった。


 ここゴスバルド地方領主であるマレニードは、領内の様々な場所に、手の者を配置している。

 その者たちに報告書を手渡せば、遅くとも翌日には、こうして執政府カルグナ城に届く。


 見事なものだ、とペギル・ゲラールは思わざるを得ない。

 このマレニード・ロンベルという血生臭い侯爵は、領主として、ゴスバルド地方をしっかりと統治している。

 支配体制を、完璧に作り上げてあるのだ。


「あの悪役令嬢ちゃんは」

 マレニードは言った。

「本当に……働き者よね。まめに報告書をよこしてくれる。書いてある内容も、見過ごせない事ばっかり」

「バルフェノム・ゴルディアック配下の者どもの動き。掴めては、いるようだな」


 カルグナ城、領主の執務室。

 マレニード侯爵は、客人ペギルに、ここへの自由な出入りを許してくれている。


「ボーゼル・ゴルマーの残党部隊が、バルフェノムと結び付く……その事態は、防げなかったものの」

「まとめて、ね。ゴスバルドから追い出す事は、出来たわ」

 マレニードが、にやりと髭面を歪めた。


「ねえペギル侯。貴方の連れて来た男の子、随分な御活躍みたいじゃないの。シェルミーネ嬢が誉めてくれてるわよ? 報告書の中で」

「ヒューゼル・ネイオンか……」


 あの若き兵士には、ゴスバルド地方内での自由な行動を許可してある。

 無論、領主マレニードに話を通した上でだ。


「あやつに、行動の自由を認めてくれた事……深く感謝する。マレニード・ロンベル侯爵閣下」

「あの子ねえ。自由にやらせてあげた方が、いいお仕事するわよきっと。だから放任してあるんでしょ? 貴方も」


「あやつ……ヒューゼル・ネイオンはな。貴公や私が、あれこれ命令して、いいように使うような者ではないという気がするのだ」


 命令し、役割を与える。

 そうして働かせる部下としては、オーレン・ロウレルという人材を獲得する事が出来た。


 命令に忠実。かと言って、命令が無ければ何も出来ないという事はない。しっかりとした自身の判断力を持っている。

 ペギルは引見し、即その場で兵士長の地位を与えた。誰からも異論は出なかった。

 今もケルティア城にて、領主の留守を守ってくれている。


 とは言え、とペギルは思う。

 領主たる自分が、いつまでも、こうして他領の執政府に入り浸っているわけにはいかない。


「ペギル侯爵は」

 書簡に目を通しながら、マレニードは言った。

「エルコック・ハウンス……という商人さんを、ご存じよね? 随分と懇意にしていたようだけど」

「南海交易を手がける商人の一人だ。私とは、まあ結託して荒稼ぎをしていたと言って良かろうな」


 かつてペギルは、ヴィスガルド王国最南端の地・ザウラン地方を領有していた。

 王国の南の港と言うべき土地であり、ペギルは領主として、南海交易の利権を一手に握っていた。

 南の海を行き来する貿易商人たちとは、まあ良好な関係を築いていたはずである。


 エルコック・ハウンスは、中でも特に有力な商人であった。


「ボーゼル侯の残党ちゃんたち、それにバルフェノム侯閣下のお孫さん」

 マレニードの口調は、暗い。

「……今ね。エルコック殿と、行動を共にしているみたいよ。隊商の護衛に、雇われたんですって」


「何と……」

 ペギルは、息を呑んだ。


 腕の立つ戦闘部隊、であるからと言って、それが叛乱軍の残党である事を知らずに雇用してしまうほど、エルコックは考え無しの商人ではない。

 はずである、とペギルは思うのだが。


(逆賊の生き残りに与する者として……討伐を受ける事に、なりかねんのだぞ。わかっているのか、エルコックよ)

 その討伐は、まずは自分ペギル・ゲラールや、このマレニード・ロンベルといった、地方領主の任務となるだろう。


「ペギル侯爵。貴方はね、お手出し無用よ」

 マレニードは言った。

「エルコック殿は、あたしが……どうにかするわ」


「バルフェノム侯の手の者どもが、いるのだろう? その隊商の護衛として」


 自分は、かつてバルフェノム・ゴルディアック侯爵に仕えていた。

 兵士長オーレン・ロウレルは正直に、そう告げた。

 彼の口からペギルは、バルフェノム侯の現在の動向を様々、聞き出す事が出来たのだった。


「バルフェノム侯は……思った以上に手広く、調略を行っている。その手は今や王国全土に及んでいるのではないか、と思えるほどにだ」

「エルコック殿が、バルフェノム侯に取り込まれる……かも知れない、と。ペギル侯爵は、それを警戒なさってるのね」

「そうなれば。南海交易にまで、バルフェノムの手が……旧帝国貴族の手が、及ぶ事になりかねん」


 かつて暴君バラリス・ゴルディアックが、それをしようとした。

 当時ザウラン地方の領主であったペギル・ゲラールから、南海貿易による富を強奪せんとしていたのだ。


 半ば助けを求めるような形で、ペギルはボーゼル・ゴルマーに協力した。

 あの男の叛乱を、後押ししてしまった。


 結果としてボーゼルは、バラリス・ゴルディアックを討ち滅ぼした、だけではなく王国南部全域を支配下に収め、独立国家にも等しい勢力を有するに至ったのだ。


 そして王国正規軍による討伐を受け、敗死した。

 その前に自分ペギル・ゲラールは、ボーゼルを裏切り、保身を図った。


 バラリス・ゴルディアックがいなければ。

 自分は、あのような裏切りをする事はなかった。

 そんな思いが自分にある事を、ペギルは自覚はしている。


(旧帝国貴族……お前たちさえ、いなければ……)

 今。バルフェノム・ゴルディアックが、バラリスよりも遥かに遠回しに、巧妙に、王国南部を旧帝国勢力の支配に組み入れようとしている。

(私を、いつまでも裏切りの記憶で苛み続ける旧帝国貴族ども……お前たちが、私の周囲に存在する事は許さぬ。私が、穏やかに寿命を全うするまで……大人しく、していてもらうぞ)


 無論それを口に出したりはせず、ペギルは別の事を言った。

「マレニード侯よ。貴公、独りで止められるのか? 商人エルコック・ハウンスに、バルフェノムの手が及ぶのを」


「止めるわ」

 マレニードは断言した。

「エルコック殿は、あたしが守る。お馬鹿な方向へ行こうとしてるなら、全力で止める」


 その口調にも、眼差しにも。

 ペギルに命の危険を感じさせるほど真摯なものが、宿っている。


 実際ここで自分が、事情を穿鑿するような事を迂闊にも言ってしまったならば。

 マレニードは躊躇いなく、自分を殺害するであろう。

 ペギルには、それが確信出来た。


 この男がその気になれば自分など、素手で捻り潰されるのだ。


 一般的にヴィスガルド王国南部と呼ばれる、六つの地方。

 ザウラン、レナム、クエルダ、ロルカ、メルセト、ゴスバルド。


 うちロルカを除く五地方には現在それぞれ、王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵と関わり深い人間が領主として配置されている。


 ロルカ地方の領主ペギル・ゲラール侯爵は、元々は王国最南の地ザウランの領主であり、南海貿易の利権を一手に握っていたのだが、ボーゼル・ゴルマーの叛乱に加担した罪で全てを失った。

 その後、土壇場でボーゼルを裏切った功績を認められ、ロルカ地方という貧しい土地を与えられた。

 地方領主の地位は、辛うじて取り戻したのだ。


 ザウラン地方の現在の領主はイゼール・トランドム侯爵という人物で、ベレオヌス公にひたすら媚びへつらう事で成り上がった男である。

 南海貿易の利権は今、彼が握っている。

 つまりは、ベレオヌスが握っているという事だ。


 レナムにも、ここクエルダにも、メルセト、ゴスバルドにも、同じくベレオヌスに逆らえぬ者たちが、それぞれ地方領主として赴任している。

 全員、旧帝国系ではない貴族である。


 王国南部は、かつては暴君バラリス・ゴルディアックを筆頭とする旧帝国系貴族の支配地であった。

 ボーゼル・ゴルマー侯爵が、彼らを暴力で一掃した。

 その後ボーゼル侯は、王国正規軍による討伐を受け、ありがたい事に死んでくれた。


 その間。

 義勇軍という形でボーゼル・ゴルマーに協力していたゲーベル父子の部隊が、様々な工作を済ませておいてくれたのだ。

 結果。

 現在ここ王国南部は、ほとんどベレオヌス公の私有地であると言って過言ではない。


「旧帝国系貴族が、この地を取り戻さんとするならば」

 クエルダ地方領主バイル・ラガントは、客人に問いかけた。

「……一体、いかなる手段が考えられるであろうか?」

「さあ……私ごときの頭では、到底」


 クエルダ地方、執政府アルガーノ城。

 前領主バラリス・ゴルディアックの居城は、ボーゼル・ゴルマーの軍勢によって破壊されたため、ここが新しく建てられたのである。

 その新しい執政府の応接間に、バイルは客人を招き入れていた。


 王都ガルドラントより、宰相ログレム・ゴルディアックの命令書を携え、訪れた人物である。

 無下に扱う、わけにはゆかない。


「考えも、つきません。バイル・ラガント侯爵閣下、貴方がたの統治は完璧でありますから」

「どうかな。細かな落ち度は、いくらでもある」

 バイルは笑った。


「例えば。領内の街道が、つい先日まで落石で塞がれていたのだが。私は、それを取り除く事が出来なかった」

「お忙しいのでしょう。様々なお仕事に優先順位が付いてしまうのは、致し方なき事」


「言い訳にならぬ。領主として、怠慢の誹りは免れ得ないところであろう。この一件を、ひたすらに追及し、責め詰り、私を辞任に追い込む事も不可能ではあるまい。それ、領主の地位が一つ空いてしまったぞ? ここに旧帝国系貴族の誰かを押し込めば」


「ログレム宰相閣下は、そのような事をなさいませんよ」

 ベレオヌス公ならば、ともかく。

 この客人は、そう言いたいのかも知れなかった。


「あの方は、確かに旧帝国貴族でいらっしゃいますが……この国の誰よりも、旧帝国貴族を疎んじ、忌み嫌い、憎んでおられます」

「ほう。何故わかる?」


「私も、旧帝国貴族でございますから」

 客人が、微笑んだ。


 教会関係者、であるようだ。

 大柄ではないが、がっしりと力強い身体に、唯一神教の法衣と鎖帷子をまとっている。


 微笑む顔は、秀麗だ。

 それよりも目を引くのは、つるりと輝く、見事な禿頭である。


「……ともかく。宰相閣下の御命令、バイル・ラガント侯爵閣下には確かにお伝え致しましたよ」

「何もするな、と宰相閣下は仰せなのだな。見て見ぬふりをせよ、と」

 バイルは、腕組みをした。


「先程言った、落石だがな。無能な領主が何も出来ずにいる間、通行人が自力で取り除いてしまった。その通行人とは……隊商を率いる、一人の商人だ」

「その商人が、事故に遭います。そして亡くなります。痛ましいお話ですが、変えられぬ運命なのですよ」


 禿頭の青年は、言った。

「御領主様には、何とぞ…….見て見ぬふりを、して下さいますよう」


「一介の商人エルコック・ハウンスが、宰相ログレム・ゴルディアックに危険視され、この世から消されようとしている」

 痛ましい事故を引き起こすであろう張本人に、バイルは問いかけた。

「そんなものに……教会関係者が、加担しようと言うのか」


「私は、破門されておりますから」

 禿頭の青年、は答えた。


「今の私は、罪人です。囚人なのです。仲間たちが今、獄中におりましてね……私の働き次第で、宰相閣下は彼らを釈放して下さいます。選択肢が、他には無いのですよ」

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