第146話
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毛むくじゃらの男であった。
黒い体毛は、短剣の刃であれば跳ね返してしまいそうだ、とリーゲン・クラウズは思う。
自分の投げ短剣は、果たしてこの男に通用するだろうか、とも。
短剣を収納した盾は、持参している。
貴人に謁見するわけではないから、武器は取り上げられていない。
今この場で短剣を引き抜き、投射してみたら。
この男を殺害する、事は出来るだろうか。
分厚い体毛に弾かれる、前に、かわされるかも知れない。
そして、反撃を喰らう。
いくらか両腕の長い身体は、黒い体毛に覆われている、だけでなく筋肉が強固かつ柔軟に引き締まっていて、凄まじい身体能力が見ただけでわかる。
剣士、であるのは間違いない。
鞘を被った刀剣が、腰帯に備え付けられている。
優雅に湾曲した、恐らくは片刃の長剣。
抜きながら斬りつける事が出来る、とリーゲンは見た。
今この男にそれをされたら、自分は対応が出来るのか。
かわせるか。反撃が、出来るか。
観察するリーゲンの眼差しに気付いたのか、男はニヤリと笑って牙を見せた。
人間の笑顔、ではない。
肉食の類人猿。
それが、凶暴性はそのままに若干の知能を獲得した、と思わせる顔面である。
「獣人……」
リーゲンは、呟いた。
「……ああ、すまない。差別をしている、つもりはないんだ」
「大丈夫。差別、思わないね。我、獣人。それ事実」
人に近い体格の猿、と表現出来る獣人の剣士が、言葉を発した。
そして眼前で両掌を重ね、一礼をする。
「ウージェン。我の名前。見知り置くね」
「リーゲン・クラウズという、よろしく。こちらが、我々の主」
「と、いうわけではなく単なる同行者テスラー・ゴルディアックと申します。ウージェン殿」
ゴルディアック家の御曹司である若者が、獣人に対し、頭を下げている。
そして。
ウージェンの主である、褐色に日焼けした青年に対しても。
「……私たちを受け入れて下さった事、感謝いたします。エルコック・ハウンス殿」
「光栄です。ゴルディアック家の方と、お近付きになれるなんて」
にこりと笑う顔は、秀麗ではある。
邪悪なものは、さほど感じられない。
とは言え、商人である。聖人君子であるはずはなかった。
「我が隊商へ、ようこそ! 腕の立つ方々は、いくらいても良い。歓迎いたしますよ、英雄ボーゼル・ゴルマーの志を受け継ぎたる勇者の皆様」
商人らしく適度に着飾った身体は、細い。
非力に見える。だが。
本格的な戦闘訓練は受けた事がないにせよ、荒々しい事は幾度か経験している、とリーゲンは見た。
エルコック・ハウンス。
自分たちの、雇い主である。
ボーゼル・ゴルマーの残党部隊およそ百名を、この若き商人は、なかなかの値で雇用してくれた。
無論、護衛としてだ。
リーゲンは、見渡した。
ヴィスガルド王国、クエルダ地方。
三十輌近い荷馬車から成る隊商が、原野で小休止を取っているところであった。
エルコック配下の商員たちが、積み荷の点検など様々な作業に従事し、忙しく動き回っている。
総勢で百名と少し、といったところか。
自分たちが加わる事で、人数はほぼ倍になる。
それを確認しつつ、リーゲンは目を凝らした。
見間違い、ではない。
動き回っている商員の半分近くが、人間ではなかった。
直立して歩く、人間の体型をした獣たち。
犬、猫、牛、猪……種類は様々である。
「……驚いたな。獣人が、こんなに大勢いるのは初めて見る」
「人、喰わない。襲わない。安心するね、リーゲン殿」
ウージェンが言った。
「我が主エルコック様、獣人雇って下さるね。獣人に、お金払って下さるね。だから我ら、人間、傷付けない。もちろん人間、襲って来たら殺すよ」
「南の海にはね。獣人ばかりが住む島や国が、いくつもあるのですよ」
エルコックが語る。
「そういう場所から、我ら人間の住まう領域へと、獣人たちが渡って来る……理由は、様々です。無論、物として売られる場合もあります。貴方のお考え通りですよ、テスラー殿」
「えっ、いや、その」
テスラーは慌てふためき、エルコックは穏やかに笑う。
「この私エルコック・ハウンスという悪徳商人が、いたいけな獣人たちを南海諸島から拉致強奪し、売り捌いている……貴方は、それを疑っていらっしゃる。ごもっとも、と思いますよ」
「…………そうであるとしても。偉そうに責める資格が、我々ゴルディアック家には無いと思っています。旧帝国貴族は……同じくらいには非道い事を、王国各地で行ってきた」
「卑屈になるなよ、若君様」
クロノドゥールが、進み出て来た。
「今この場に、ゴルディアック家の血縁者は、あんた一人しかいない。つまり若君様、あんたはゴルディアック家の代表として、このしたたかそうな商人殿と渡り合わなきゃいけないんだぞ。しゃんとしろ」
「さっきまで、口もきけないほど凹んでいた奴が」
リーゲンは言った。
「……随分と、偉そうな事を言うじゃないか」
「お前の言う通り、認めなきゃならん。俺たちは……二人がかりでも、アラム・ヴィスケーノには勝てない。そいつを……受け入れないと、な」
黒い覆面の隙間で、血走った両眼が燃える。
「ああ、くそっ……受け入れたくねえ……」
「今、何やら王太子殿下の御名前が聞こえたような気がいたしますが、まあ気のせいでありましょう」
言いつつエルコックが、クロノドゥールの右腕に見入っている。
「それよりも……失礼ながら、貴方の右腕」
「ああ。見ての通り、作り物だよ」
鋼の義手を、クロノドゥールは掲げて見せた。
「作ってくれたのは、こちらの若君様でな」
「……刃物を仕込んであると、お見受けしますが」
「こうだ」
鉄塊そのものの義手から、ジャキッ! と刀身が現れた。
現れた刃を、クロノドゥールは一閃させた。
ウージェンに向かってだ。
殺してしまったら、それはそれで仕方がない。
そんな斬撃を、ウージェンはかわした。
回避が即、踏み込みに変わっていた。
ウージェンの左腰、備え付けられた鞘から、光が走り出す。滑り出す。
抜刀。
優美に反った片刃の刀身が、鞘の中で加速を得てクロノドゥールを強襲する。
鋼の義手が、その斬撃を受け流す。
焦げ臭い火花が、生じて消えた。
その間。クロノドゥールとウージェン、両者の刃が、少なくとも五度は激突していた。
「やめろ! クロノドゥール!」
テスラーが叫んだ、その時には、両者は跳びすさるように離れていた。
「……失礼、ウージェン殿。俺がどういう奴なのかを、雇い主様にお見せしておきたかった」
「気にしない。我も、お前、確かめた」
反り身の長剣を鞘に収め、ウージェンは言った。
「クロノドゥール。お前、強い。武器も、いい」
「そういう事だ。俺が強いのなら、その少なくとも半分は、うち若君様の力さ」
クロノドゥールが、テスラーの方を向く。
「だから、まあ……もう少し、堂々としてくれ」
「……いきなり誰かに斬りかかっていい理由には、ならないだろう。まったく」
「失礼、よく見せていただいても」
などと言いつつエルコックはすでに、クロノドゥールの右前腕に手を触れている。
収納可能な刀身を、手触りで確認している。
「本当に、素晴らしい……テスラー殿、これを貴方が?」
「私は図面を引いただけです。実際に作ってくれたのは、彼らですよ」
自身の引き連れている技術者たちを、テスラーは片手で指し示した。
「……クロノドゥールを、実験台に使う。その決定を下したのは、私ですが」
などと言っているテスラーの細い肩を、エルコックは軽く叩いた。
「……貴方とならば、何か素晴らしい商売が出来そうな気がしますよテスラー殿」
「私は……」
「そのためにも。私エルコック・ハウンスの事を、もっと知っていただかなければね」
エルコックは語る。
「先程のお話ですが……獣人たちが故郷を離れる理由は、本当に様々です。正直に申し上げましょう、売られていた者も我が隊商には大勢おります。私は買いました。労働力が、必要であったからです。獣人は人間よりも力持ちですからね」
南海貿易で財を成した商人、であるという。
遥か南の海の彼方より取り寄せた品々を、およそ三十輌もの荷馬車で運び、売り歩く。売り先の決まっているものは届けて納品する。
そのための、隊商である。
「自慢ではありませんが私、敵が多いのですよ。外出する度に命を狙われます」
言いつつエルコックは、いつの間にかいたレニング・エルナード元伯爵と握手をしていた。
「腕の立つ護衛の方々を、募集し探し求めていたところ……レニング・エルナード殿より、お話をいただきまして。このように貴方がたと、出会う事が出来ました」
「呆れるくらい顔が広いな、レニング殿」
クロノドゥールが言った。
「人脈は力、ってわけだな……ちょっと面倒な思いをしてまで、あんたを味方に引き入れといて良かったよ」
「直接の戦いが、私には出来ないからな。話し合いで済む仕事は任せてもらう」
商人エルコック・ハウンスと接触し、この部隊を雇用してもらう。
その交渉を済ませてくれたのは、このレニング・エルナードである。
「うちの部隊は、なかなかに人材が豊富じゃないか」
リーゲンは、明るい声を出してみた。
「そうは思わないか? 若君様」
「……彼女も、かな。人材という事で、いいのかな」
テスラーの声は、明るくない。
その視線の先では、この部隊の切り札と言えなくもない人材が、ウージェンと睨み合っている。
「ふうん、獣人がいるのね……クルルグ君と比べて全っ然、可愛くないけど」
マローヌ・レネクであった。
今は、何の変哲もない若い女の姿をしてはいる。
言われたウージェンが、牙を見せて笑う。
「お前、可愛くないどころか醜い。おぞましい。笑える」
「醜くて、おぞましくて、だけど可愛さを無くしてないお嬢様がね、確かにいたのよ。今は地の底に埋まっちゃってるけど、助けてあげないとね」
マローヌは言った。
「そのためにも、あんたを役立ててあげる。よろしくね、可愛くないお猿さん」




