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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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145/195

第145話

 気がついたら、自分は死んでいた。

 デオム・ロベールは本気で、そう思った。


 自分は村人たちに殺されて今、地獄にいるのではないか。


 それが証拠に、魔物がいる。

 地獄の魔物、としか思えぬ男が、そこにいる。


 巨漢である。

 大きく尖った三角形の兜と髑髏の仮面で、素顔を隠している。

 これが素顔なのではないか、とも思えてしまう。


 その身を包む全身甲冑は暗い鈍色で、今は返り血にまみれている。


 周囲には、村人たちの屍が散乱していた。

 ある者は眼球や脳髄を地面にぶちまけ、ある者は口から臓物を吐き出している。


 この髑髏面の大男が現れなかったら、自分がこのような死に様を晒していただろう。

 それをデオムは、頭では理解している。


 いや、自分だけではない。


 領主の地位を失い、爵位も失って居城を追い出された無様な元侯爵を、庇い匿ってくれた親切な農夫クラントも、この村人たちに惨殺されていたところである。

 

 命の恩人であるはずの巨漢を、デオムはクラントの背中に隠れたまま、見つめ観察していた。


 鈍色の手甲をまとう両の拳が、血と脳漿でドロドロに汚れている。


 まるで棺の如く巨大な剣を背負っているが、それを抜く事もなく、この男は殺戮を実行して見せた。


 殺戮者である。

 大量殺人の、実行犯である。


「…………私が……」

 クラントの背中にすがり付きながら、デオムは言った。


 自分は死んだのだ、と思い定めるしかなかった。

 だから、何でも言える。


「……領主のままで、あったなら……そなたを裁かねばならぬ、ところであろうな……」


「ふむ、死罪かな」

 髑髏の仮面の下から、応えが返って来た。

「私は、民を殺めた。悪しき振る舞いである」


「そのおかげで、我々の命は助かった。私が領主の地位を失った事は、幸いだ……恩人を、裁かずに済む」


「弱小貴族デオム・ロベールよ。私は、お前を助けたわけではない」

 ゼイヴァー・ロウレル。

 そう名乗った髑髏面の巨漢は、言った。


「私は、ただ告げに来ただけである。我ら帝国貴族が、新たなる時代を迎えたと……我が主バルフェノム・ゴルディアック閣下が、この地を支配なされると」


「ま、待って下さい」

 農夫クラントが、おずおずと言葉を発した。

「この地方には、領主様がいらっしゃいます。少し前までは、この人でしたけど」

 視線が一瞬、私に向けられた。


「今はオットー・バイロン侯爵とおっしゃる方が、御領主様であられます。そんな、この地を支配なさるなどという御発言は」


「オットー・バイロン侯爵の耳にでも入ると、面倒な事になるか」

 髑髏の仮面の下で、ゼイヴァー・ロウレルは微笑んだようである。


「……愚民よ。そなた、バルフェノム・ゴルディアック閣下の御名を存じておるか」

「は、はい。お隣グルナ地方の、御領主様。英邁なる御方と、聞き及んでおりますが」


「我ら帝国貴族……旧帝国系と、一括りにされてしまう者たちの中ではな。まあ比較的ましな御方ではある。が、それだけよ」

 ゼイヴァーは言った。


「確かに……旧帝国系貴族とは、悪しき存在。五百年も前に失われた栄光・威光にしがみつき、醜態を晒す。救いがない。だが」


 髑髏の仮面の内側で、眼光が燃えた。

 自身の作り上げた殺戮の光景を、ゼイヴァーは睨んでいる。


「どれほど悪しき存在であろうと。愚民どもの叫ぶ正義や正当よりは、遥かにましよ。こやつらに正義を与えてはならぬ。ろくな事をせぬ。正義も、希望も、夢も、野心も、民に持たせてはならんのだ」


 燃える眼光が、ちらりと別の方を向いた。


 本来ならば先程、来るべきであったものが来た、とデオムは思った。


 兵士の一団が、村に入って来たところである。

 騎兵が数名、歩兵が十数名。


「静まれ! これは何事であるか!」

 騎兵隊長と思われる男が、馬上で叫ぶ。


 ここドメリア地方の治安維持を司る、王国地方軍の一部隊。

 散乱する屍たちを見回し、いくらか狼狽えながらも槍や長剣を構えている。


「何事であるか……とな?」

 ゼイヴァーは、背負った巨大剣を、やはり抜こうともしない。

「そなたらが今少し早く駆け付け、仕事をしておればな。防げた、かも知れぬ事態よ」


「民を殺めたる者、捕らえろ!」

 騎兵隊長が、命令を叫ぶ。

 歩兵たちが、槍を、長剣を、ゼイヴァーに突き付ける。


 重い風が、吹いた。

 ゼイヴァーの手刀だった。


 鈍色の手甲をまとう分厚い掌が、槍の長柄を叩き折り、長剣をへし曲げ打ち落とす。


「愚民はな、いくらか間引いてでも躾なければならぬ。それが帝国貴族の勤め……」


 尻餅をついた歩兵たちに、ゼイヴァーの巨体が迫る。 

 人間よりも恐怖に敏感な馬たちが、騎兵を振り落とさんばかりに暴れ始める。


 全員を見据え、ゼイヴァーは言った。

「民を統べ、守らなければならぬ貴様たちも……どうする? 躾られる側に、回ってしまうのか」


「ま、待て。待つのだ、ゼイヴァー卿」

 デオムは声を上げた。

 ゼイヴァーに、続いて兵士たちに向かって。


「そなたたち、私は元領主デオム・ロベールである。こちらのゼイヴァー・ロウレル卿はな、私を守ってくれたのだ。この者たちに、私は殺されるところであった」

 言葉が、止まらなくなった。


「殺されるほどに憎まれたるは、領主として我が不徳の致すところ。それは良い……だが。新たなる領主、そなたらの主オットー・バイロン侯爵は、私に何をしてくれた? 前任の領主に、まあ敬意など払えぬにせよ今少し、親切にしてくれても良いとは思わぬか? 放逐して民衆の私刑に任せるなど、あまりにも非道いと思わんのか」


「いろんな場合が、あるみたいだね」

 声が、した。


 複数の人影が、デオムの視界をかすめた。

 村内あちこち、木陰や物陰、屋根の上に、潜んでいる。

 はっきり姿を現している一人が、声を発したのだ。


「領主様が変わっちゃう時ってさ。新しい方が古い方を、どうしても追い出すような感じになっちゃうから……追い出された元領主様って、それはもう運命色々らしいよ? 実家に帰れる人、住むところの確保とか出来てる人はいいけど」


 そのようなもの自分にはない、とデオムは思う。

 ここドメリア地方の領主を辞めさせられる事態など、全く考えていなかった。


 貢ぎを続ければ、ゴルディアック家が守ってくれる。面倒を見てくれる、もっと税収の見込める地方に転封してくれる。

 本気で、そう思い込んでいたのだ。


「そういうのがない人たちっていうのは、新しい領主様に……まあ捨て扶持みたいなもの貰って、どうにか生きていける事もある。最悪、殺されちゃう場合もある。で、個人的な意見なんだけどさ」


 若者、と言うより少年か。

 小柄な細身を、隙間なく黒装束で包み込んでいる。


 首から上にも、黒い包帯のような覆面が巻き付いているが、緩んで半ばほどけており、赤毛の前髪や整った素顔が露わである。


 瞳も、赤い。

 どこか兎を思わせる両眼で、少年は、村人たちの屍を見つめた。


「放り出して、野垂れ死にさせる。もしくは、こういう怒り狂った連中に始末させる……ってのはさ、直接殺しちゃうよりタチ悪いよね? 前の領主様なんて、生かしといたら確かに邪魔だろうけどさ。だったら自分の手で始末しなよと言うね。あんたたちの御主人、オットー・バイロン侯爵って人」


 兎の両眼が、兵士たちに向けられる。

「……やり方、最低だと思う。ゼイヴァー卿が来なかったらさ、こいつらデオム元侯爵さんを殺しちゃってたわけで。その後、人殺しの罪で、こいつら全員しょっ引いて死刑にでもすれば一件落着と。ごめん自分で言ってて吐き気してきた。控え目に言ってクソ人間だよ、ここの新しい領主様」


「……そう言ってやるな、フェオルン」

 ゼイヴァーが、いくらか冷静さを取り戻したようだ。


「人は、特に貴族という人々は……己の手を、血で汚したくはないものだ」

「返り血まみれになってるお貴族様も、いるみたいだけどね」

 ゼイヴァーの血染めの甲冑姿を、少年はちらりと観察した。


「……バルフェノム閣下から御伝言。ゼイヴァー卿にはね、ちょっと南の方へ行って欲しいんだって」

「若君様の御身に……何か?」


「若君様も、クロノドゥールの兄貴もね、苦戦してるみたいだよ。ちょっと手強い連中がいるらしい」


「……それを伝えるためだけに」

 フェオルンと呼ばれた少年と同じ、黒装束の人影が、あちこちに見え隠れしている。


 その様を見渡し、ゼイヴァーは言った。

「ここまでの人数を引き連れて来たのか? お前は」


「あんたが本気で暴れ出したらね、この人数じゃないと止められない……いや、これでもキツいかな」

 一瞬、フェオルンは苦笑いをした。


「……と、いうわけだから兵隊さんたち。この人が暴れ出す前に帰っちゃいなよ、何もなかった事にしてね。死体は埋めといてあげるから」


 などと言われる必要もなく騎兵隊は、怯えた馬に運ばれ逃げ去って行く。歩兵たちが、それに続く。


 フェオルンが、こちらを向いた。

「災難だったねデオムさん。ま、あんたの衣食住は今後バルフェノム閣下がお世話して下さる。贅沢な暮らしは出来ないけど我慢出来るよね。それと、あんた」


 赤い瞳が、農夫クラントにも向けられる。

「家、燃えちゃったね。火は消しといたけど、この村にはもう居られないでしょ。グルナ地方へ来て、バルフェノム閣下のお世話になるといい。真面目に働く人なら、居場所はある」


「そなたらは……バルフェノム・ゴルディアック侯爵の、手の者か」

 デオムは訊いた。


 バルフェノム・ゴルディアック侯爵。

 ここドメリアの隣、グルナ地方の領主である。


 そして、宰相ログレムの従兄弟。

 ゴルディアック家の長老ゼビエルより不興を賜り、王都から遠ざけられた人物だ。


「随分と……物騒な人材を、配下に揃えておられるようだな。バルフェノム侯爵は」

「それって僕らも入ってる? 心外だなあ」


 フェオルンが、本当に心外そうにしている。

 ゼイヴァーが言う。


「……怒らせぬよう気を付ける事だデオム・ロベール。こやつ、人殺しの才覚は私などよりずっと上であるぞ」

「まあ僕ら、バルフェノム様に拾っていただいて。育ててもらって、手に職つけて……それがまあ、暗殺業なわけだけど」


 身寄りのない貧民の子供を拾い、暗殺者として育て上げる。

 大貴族であれば、珍しくもない事だ。


 デオムは思う。

 あのガルファ兄弟も、そのような身の上であろう。


 旧帝国貴族最大の英傑シグルム・ライアットが、あの兄弟に殺された。


 結果、ゴルディアック家の腐敗は歯止めが利かなくなった。

 旧帝国系に属する貴族は、ゴルディアック家に貢がねば、栄達どころか日々の生活もままならぬようになった。


 自分とて、そうだ。

 シグルム侯さえ健在であれば、こうはならなかった。民からの搾取など、せずにいられたのだ。


 思いつつデオムは、天を仰いだ。

(他人のせいにする……何と、心地良い事であろうか)

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