第145話
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気がついたら、自分は死んでいた。
デオム・ロベールは本気で、そう思った。
自分は村人たちに殺されて今、地獄にいるのではないか。
それが証拠に、魔物がいる。
地獄の魔物、としか思えぬ男が、そこにいる。
巨漢である。
大きく尖った三角形の兜と髑髏の仮面で、素顔を隠している。
これが素顔なのではないか、とも思えてしまう。
その身を包む全身甲冑は暗い鈍色で、今は返り血にまみれている。
周囲には、村人たちの屍が散乱していた。
ある者は眼球や脳髄を地面にぶちまけ、ある者は口から臓物を吐き出している。
この髑髏面の大男が現れなかったら、自分がこのような死に様を晒していただろう。
それをデオムは、頭では理解している。
いや、自分だけではない。
領主の地位を失い、爵位も失って居城を追い出された無様な元侯爵を、庇い匿ってくれた親切な農夫クラントも、この村人たちに惨殺されていたところである。
命の恩人であるはずの巨漢を、デオムはクラントの背中に隠れたまま、見つめ観察していた。
鈍色の手甲をまとう両の拳が、血と脳漿でドロドロに汚れている。
まるで棺の如く巨大な剣を背負っているが、それを抜く事もなく、この男は殺戮を実行して見せた。
殺戮者である。
大量殺人の、実行犯である。
「…………私が……」
クラントの背中にすがり付きながら、デオムは言った。
自分は死んだのだ、と思い定めるしかなかった。
だから、何でも言える。
「……領主のままで、あったなら……そなたを裁かねばならぬ、ところであろうな……」
「ふむ、死罪かな」
髑髏の仮面の下から、応えが返って来た。
「私は、民を殺めた。悪しき振る舞いである」
「そのおかげで、我々の命は助かった。私が領主の地位を失った事は、幸いだ……恩人を、裁かずに済む」
「弱小貴族デオム・ロベールよ。私は、お前を助けたわけではない」
ゼイヴァー・ロウレル。
そう名乗った髑髏面の巨漢は、言った。
「私は、ただ告げに来ただけである。我ら帝国貴族が、新たなる時代を迎えたと……我が主バルフェノム・ゴルディアック閣下が、この地を支配なされると」
「ま、待って下さい」
農夫クラントが、おずおずと言葉を発した。
「この地方には、領主様がいらっしゃいます。少し前までは、この人でしたけど」
視線が一瞬、私に向けられた。
「今はオットー・バイロン侯爵とおっしゃる方が、御領主様であられます。そんな、この地を支配なさるなどという御発言は」
「オットー・バイロン侯爵の耳にでも入ると、面倒な事になるか」
髑髏の仮面の下で、ゼイヴァー・ロウレルは微笑んだようである。
「……愚民よ。そなた、バルフェノム・ゴルディアック閣下の御名を存じておるか」
「は、はい。お隣グルナ地方の、御領主様。英邁なる御方と、聞き及んでおりますが」
「我ら帝国貴族……旧帝国系と、一括りにされてしまう者たちの中ではな。まあ比較的ましな御方ではある。が、それだけよ」
ゼイヴァーは言った。
「確かに……旧帝国系貴族とは、悪しき存在。五百年も前に失われた栄光・威光にしがみつき、醜態を晒す。救いがない。だが」
髑髏の仮面の内側で、眼光が燃えた。
自身の作り上げた殺戮の光景を、ゼイヴァーは睨んでいる。
「どれほど悪しき存在であろうと。愚民どもの叫ぶ正義や正当よりは、遥かにましよ。こやつらに正義を与えてはならぬ。ろくな事をせぬ。正義も、希望も、夢も、野心も、民に持たせてはならんのだ」
燃える眼光が、ちらりと別の方を向いた。
本来ならば先程、来るべきであったものが来た、とデオムは思った。
兵士の一団が、村に入って来たところである。
騎兵が数名、歩兵が十数名。
「静まれ! これは何事であるか!」
騎兵隊長と思われる男が、馬上で叫ぶ。
ここドメリア地方の治安維持を司る、王国地方軍の一部隊。
散乱する屍たちを見回し、いくらか狼狽えながらも槍や長剣を構えている。
「何事であるか……とな?」
ゼイヴァーは、背負った巨大剣を、やはり抜こうともしない。
「そなたらが今少し早く駆け付け、仕事をしておればな。防げた、かも知れぬ事態よ」
「民を殺めたる者、捕らえろ!」
騎兵隊長が、命令を叫ぶ。
歩兵たちが、槍を、長剣を、ゼイヴァーに突き付ける。
重い風が、吹いた。
ゼイヴァーの手刀だった。
鈍色の手甲をまとう分厚い掌が、槍の長柄を叩き折り、長剣をへし曲げ打ち落とす。
「愚民はな、いくらか間引いてでも躾なければならぬ。それが帝国貴族の勤め……」
尻餅をついた歩兵たちに、ゼイヴァーの巨体が迫る。
人間よりも恐怖に敏感な馬たちが、騎兵を振り落とさんばかりに暴れ始める。
全員を見据え、ゼイヴァーは言った。
「民を統べ、守らなければならぬ貴様たちも……どうする? 躾られる側に、回ってしまうのか」
「ま、待て。待つのだ、ゼイヴァー卿」
デオムは声を上げた。
ゼイヴァーに、続いて兵士たちに向かって。
「そなたたち、私は元領主デオム・ロベールである。こちらのゼイヴァー・ロウレル卿はな、私を守ってくれたのだ。この者たちに、私は殺されるところであった」
言葉が、止まらなくなった。
「殺されるほどに憎まれたるは、領主として我が不徳の致すところ。それは良い……だが。新たなる領主、そなたらの主オットー・バイロン侯爵は、私に何をしてくれた? 前任の領主に、まあ敬意など払えぬにせよ今少し、親切にしてくれても良いとは思わぬか? 放逐して民衆の私刑に任せるなど、あまりにも非道いと思わんのか」
「いろんな場合が、あるみたいだね」
声が、した。
複数の人影が、デオムの視界をかすめた。
村内あちこち、木陰や物陰、屋根の上に、潜んでいる。
はっきり姿を現している一人が、声を発したのだ。
「領主様が変わっちゃう時ってさ。新しい方が古い方を、どうしても追い出すような感じになっちゃうから……追い出された元領主様って、それはもう運命色々らしいよ? 実家に帰れる人、住むところの確保とか出来てる人はいいけど」
そのようなもの自分にはない、とデオムは思う。
ここドメリア地方の領主を辞めさせられる事態など、全く考えていなかった。
貢ぎを続ければ、ゴルディアック家が守ってくれる。面倒を見てくれる、もっと税収の見込める地方に転封してくれる。
本気で、そう思い込んでいたのだ。
「そういうのがない人たちっていうのは、新しい領主様に……まあ捨て扶持みたいなもの貰って、どうにか生きていける事もある。最悪、殺されちゃう場合もある。で、個人的な意見なんだけどさ」
若者、と言うより少年か。
小柄な細身を、隙間なく黒装束で包み込んでいる。
首から上にも、黒い包帯のような覆面が巻き付いているが、緩んで半ばほどけており、赤毛の前髪や整った素顔が露わである。
瞳も、赤い。
どこか兎を思わせる両眼で、少年は、村人たちの屍を見つめた。
「放り出して、野垂れ死にさせる。もしくは、こういう怒り狂った連中に始末させる……ってのはさ、直接殺しちゃうよりタチ悪いよね? 前の領主様なんて、生かしといたら確かに邪魔だろうけどさ。だったら自分の手で始末しなよと言うね。あんたたちの御主人、オットー・バイロン侯爵って人」
兎の両眼が、兵士たちに向けられる。
「……やり方、最低だと思う。ゼイヴァー卿が来なかったらさ、こいつらデオム元侯爵さんを殺しちゃってたわけで。その後、人殺しの罪で、こいつら全員しょっ引いて死刑にでもすれば一件落着と。ごめん自分で言ってて吐き気してきた。控え目に言ってクソ人間だよ、ここの新しい領主様」
「……そう言ってやるな、フェオルン」
ゼイヴァーが、いくらか冷静さを取り戻したようだ。
「人は、特に貴族という人々は……己の手を、血で汚したくはないものだ」
「返り血まみれになってるお貴族様も、いるみたいだけどね」
ゼイヴァーの血染めの甲冑姿を、少年はちらりと観察した。
「……バルフェノム閣下から御伝言。ゼイヴァー卿にはね、ちょっと南の方へ行って欲しいんだって」
「若君様の御身に……何か?」
「若君様も、クロノドゥールの兄貴もね、苦戦してるみたいだよ。ちょっと手強い連中がいるらしい」
「……それを伝えるためだけに」
フェオルンと呼ばれた少年と同じ、黒装束の人影が、あちこちに見え隠れしている。
その様を見渡し、ゼイヴァーは言った。
「ここまでの人数を引き連れて来たのか? お前は」
「あんたが本気で暴れ出したらね、この人数じゃないと止められない……いや、これでもキツいかな」
一瞬、フェオルンは苦笑いをした。
「……と、いうわけだから兵隊さんたち。この人が暴れ出す前に帰っちゃいなよ、何もなかった事にしてね。死体は埋めといてあげるから」
などと言われる必要もなく騎兵隊は、怯えた馬に運ばれ逃げ去って行く。歩兵たちが、それに続く。
フェオルンが、こちらを向いた。
「災難だったねデオムさん。ま、あんたの衣食住は今後バルフェノム閣下がお世話して下さる。贅沢な暮らしは出来ないけど我慢出来るよね。それと、あんた」
赤い瞳が、農夫クラントにも向けられる。
「家、燃えちゃったね。火は消しといたけど、この村にはもう居られないでしょ。グルナ地方へ来て、バルフェノム閣下のお世話になるといい。真面目に働く人なら、居場所はある」
「そなたらは……バルフェノム・ゴルディアック侯爵の、手の者か」
デオムは訊いた。
バルフェノム・ゴルディアック侯爵。
ここドメリアの隣、グルナ地方の領主である。
そして、宰相ログレムの従兄弟。
ゴルディアック家の長老ゼビエルより不興を賜り、王都から遠ざけられた人物だ。
「随分と……物騒な人材を、配下に揃えておられるようだな。バルフェノム侯爵は」
「それって僕らも入ってる? 心外だなあ」
フェオルンが、本当に心外そうにしている。
ゼイヴァーが言う。
「……怒らせぬよう気を付ける事だデオム・ロベール。こやつ、人殺しの才覚は私などよりずっと上であるぞ」
「まあ僕ら、バルフェノム様に拾っていただいて。育ててもらって、手に職つけて……それがまあ、暗殺業なわけだけど」
身寄りのない貧民の子供を拾い、暗殺者として育て上げる。
大貴族であれば、珍しくもない事だ。
デオムは思う。
あのガルファ兄弟も、そのような身の上であろう。
旧帝国貴族最大の英傑シグルム・ライアットが、あの兄弟に殺された。
結果、ゴルディアック家の腐敗は歯止めが利かなくなった。
旧帝国系に属する貴族は、ゴルディアック家に貢がねば、栄達どころか日々の生活もままならぬようになった。
自分とて、そうだ。
シグルム侯さえ健在であれば、こうはならなかった。民からの搾取など、せずにいられたのだ。
思いつつデオムは、天を仰いだ。
(他人のせいにする……何と、心地良い事であろうか)




