第144話
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現ヴィスガルド王家と、旧帝国系貴族。
支配者として、どちらが、ましであるのか。
我々民衆にとって、なかなか悩ましい問題ではあった。
国王エリオールは、私のような一介の農民に言わせるならば、無為無能としか言いようのない人物である。
かつてはシグルム・ライアット侯爵という傑物がいて、この頼りない国王陛下をよく補佐していたようだ。
現在、無為無能の国王に代わって政治を行っているのは、王国宰相ログレム・ゴルディアック侯爵である。
政治家としては申し分のない人物だ、と私は思っている。
不満など、言い始めたら際限がなくなるものだ。
様々に不手際や力不足な点はあるものの、この宰相閣下は、我々の生活を守ってくれている。
私は、そう思っている。
シグルム・ライアット。
ログレム・ゴルディアック。
共に、旧帝国系貴族である。
現ヴィスガルド王家から、この両名と並び得る偉材を挙げるとしたら。
やはり王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノ殿下、という事になるのであろうか。
建国王アルス以来の英傑、と呼ばれてはいる。
怪しいものだ、と私は思う。
ここドメリア地方から見たアラム王子は、平民出身の若妻アイリ・カナン王太子妃と、ただ仲睦まじくしているだけの軟弱な青年である。
してみると。
人材の豊富さにおいて、ヴィスガルド王家は旧帝国系貴族に遠く及ばない、という事になってしまうか。
だが。旧帝国系の人材として双璧を成す両名のうち、シグルム・ライアット侯爵は二年ほど前に死亡した。
王宮の庭で、腐乱死体が見つかったという。
腐乱死体であるから、本当にシグルム侯であったのかどうか、は不明である。
実はどこかで生きていて何か企んでいる、などという話はいくらでも聞こえて来る。
双璧のもう一方ログレム・ゴルディアック宰相は、権限が万能ではなかった。
この宰相閣下は、父親であり一族の長老であるゼビエル・ゴルディアック大老の意思を、完全に無視する事は出来なかったのである。
力不足と言ったのは、その事だ。
ゴルディアック家は長老ゼビエルの意向で、王国各地の旧帝国系貴族から、賄賂や貢ぎ物を大いに取り立てていた。
高額の貢ぎをする者ほど、旧帝国貴族としての序列は上がってゆく。
ゴルディアック家のこのような腐敗を、宰相ログレムは止められなかったのだ。
ここドメリア地方の領主デオム・ロベール侯爵は、ゴルディアック家に貢ぐ事で地方領主の地位を得た、典型的とも言える旧帝国系貴族であった。
当然そこで貢ぎが終わるはずもなくデオム侯爵は、規定を上回る税を我ら民衆から搾取し、ゴルディアック家に賄賂を送り続けた。
結果しかし、デオム侯爵が、地方領主から上の地位へと進む事はなかった。
ゼビエル・ゴルディアック大老が、死亡したのだ。
王都で、何かが起こった。
ゴルディアック家の大邸宅に、異形の怪物が大量に出現した。などという話も聞こえて来る。
ともかく。
長老を含め、ゴルディアック家の主だった人々は宰相ログレム以外、皆殺しの憂き目に遭ったという。
結果。今、このような事が起こっている。
「ひぃっ……何と、何という事を……」
私が連れ回している、小太りの中年男。
贅沢品をまとう事に慣れており、私の着せてやった農民の衣服が似合っていない。
「……すまぬ……すまんなあ、農夫クラントよ。私のせいで……このような事に……」
「まったくですよ、元侯爵閣下。貴方なんか放っておけば良かった」
つい私は、正直な事を言ってしまう。
村の広場で、私たち二人は取り囲まれていた。
農具を携え振り立てる、村人たちにだ。
「やっぱり、お前だったなぁクラント」
「そいつを匿って……一体、どうするつもりだったんだ? おい」
「旧帝国のクソどもに尻尾振りやがって!」
全方向から私は今、そんな言葉を浴びせられている。
東の方に、炎と煙が見えた。
私の自宅が、燃えているのだ。
この連中に火を点けられ、私たちは追い出された。
そして今、広場に追い込まれたところである。
ここドメリア地方では、つい最近、領主の交替が行われた。
新しい領主は、オットー・バイロン侯爵という人物で、旧帝国系貴族ではない。
彼に取って代わられた旧領主デオム・ロベールは今こうして、私の背中にすがりついている。
してやれる事など、しかし何も無かった。
以前このデオム閣下は、身分を隠して密やかに、この村を訪れた事がある。
その時、話し相手となったのが私だ。
民の生活を、良くしたい。
そんな事をデオム侯爵は私に語ったわけだが残念ながら、その志が実現する事はなかった。
この御領主は相変わらず、我々から重税を搾り取り、ゴルディアック家に貢がずにはいられなかったのだ。
ゴルディアック家と、親密な関係を築き上げる事が出来るかどうか。
それは貴族という種族にとって死活問題であったろうから、まあ仕方がないのかも知れない。
だが今。ゴルディアック家は、貢ぐ者に恩恵を与える力を失った。
長老ゼビエル他、一族の中心部にいた人々が、ことごとく死亡した。
デオム侯爵が長らく行っていた貢ぎは、完全に、無駄なものとなったのである。
残ったものは、民衆の憎悪だけだ。
「よくも今まで、搾り取ってくれたなぁ? おい、御領主様よ」
「お偉い方々に、賄賂とか贈るためか」
「そのお偉い様方、みんな死んじまったぞ? どうするつもりだ、おいコラ」
否、憎悪だけではない。
先頃まで支配層にいた人間を攻撃する事に、この連中は愉悦を感じてしまっている。
「……落ち着け、みんな」
家を燃やされた怒りを、私は懸命に抑え込んだ。
幸い、私には家族がいない。
色々あって、女房と子供には逃げられた。
だから気軽に、家を燃やされる。
「……こんな事をして、何になる?」
怒りを抑え、私は言った。
「見ての通り、この人はもう領主様じゃあない。誰にも助けてもらえない、惨めなもんだ。充分に罰を受けたとは思わないか」
「罰ってのはなぁ、ぐっちゃぐちゃに叩き潰されて! 糞小便と混ざり合って、畑の肥やしになった状態を言うんだよ!」
そんな応えが、返って来た。
「当然てめえもだぞクラント。旧帝国のクソ野郎を庇って匿うってのは、そーゆう事だ」
「旧帝国のゴミども、許せねえ……許さなくてもいいってのが、わかっちまったからなぁああ」
「教えてくれた! ボーゼル侯と、ベレオヌス様がなあ!」
王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵。
ヴィスガルド王家の関係者で傑物と言えば、アラム王子ではなく、実はこの人物なのではないか、と思える時は確かにある。
狡猾なる豚。強欲の化身。
そんなふうに呼ばれる公爵で、悪い噂は様々に聞こえて来る。民衆に、嫌われてもいた。
それでも、大老ゼビエル・ゴルディアックを筆頭とする旧帝国系貴族の面々よりは若干まし。
民衆からの評価が、そこへ落ち着いたのは、いつの頃であったろうか。
ゴルディアック家の大邸宅で何事かが起こり、ゼビエル大老ら一族の中心人物がことごとく死亡した。
その混乱を見事、収束へと導いたのは、ベレオヌス公爵であるという。
大邸宅に現れた怪物の群れというのは、この公爵の私兵部隊であった、とも言われている。
全てはベレオヌス公の仕業……という話になってしまうのは、自然の成り行きであった。
「旧帝国のクソどもを、綺麗に片付けて下さった! ベレオヌス公爵様は最高だぜ!」
などと喜んでいるのは、我が家の隣人ゼベットである。
この男、一月ほど前には酒を飲みながら、ベレオヌス公の悪口を言っていたものだ。
好色な豚、と。金と権力で女を集めているに決まっている、と。
「わかったかクラント。今はなあ、ベレオヌス様が正義なんだよ!」
「旧帝国のクソどもは悪! ぶち殺していいんだよ、許さなくたっていいんだよ! 俺たちはなあ、ずっと騙されていたんだぞ! そいつに!」
村長の息子ガランが、デオムに人差し指を向ける。
「何の事はねえ。旧帝国貴族なんて連中、別に偉いわけでも何でもなかったんだ。クソが!」
「クソを庇って、匿って……一体、何を企んでやがった? おいクラント」
新領主オットー・バイロン侯爵は何をしているのだ、と私は思った。
前任者を追い出したまま放置し、民衆の私刑に委ねようとしているのか。
「…………すまぬ……」
私の背中にすがり付いたまま、デオム元侯爵が、蚊の鳴くような声を漏らす。
「殺すのは私だけにせよ、クラントは関係ない助けてやれ……と、言わねばならぬのだろうが言えぬ……」
「そうですか、言えませんか」
「……死にたくない…………」
「でしょうな」
この元領主は、私と同じであった。
妻子に、逃げられている。
親近感、に似たものは確かにある。だから匿って差し上げた。のかも知れない。
「…………仕方が、ないではないか……」
デオムは、泣きじゃくっていた。
「ゴルディアック家には、貢がねばならぬ……我ら、弱小の旧帝国貴族……ゼビエル大老に嫌われてしまっては、生きてゆけぬ……仕方がないではないか……」
嗚咽は、村人たちの怒号に掻き消された。
無数の農具が、全方向から、我ら二人に向かって振り下ろされる……かと思われた、その時。
重々しい、馬蹄の響きが近付いて来た。
「我ら、帝国貴族は」
大音声、ではない。
だが。殺意を燃やしていた村人たちの誰もが動きを止めてしまうほど、重く響く声。
「……新たなる時代を迎えた、という事だ」
大柄な軍馬にまたがる、巨大な甲冑姿。
地方軍の騎兵か。
新領主オットー侯爵が、ようやく治安維持の仕事を思い出してくれたのか。
治安維持のために派遣されて来たのが、しかし騎兵一名とは。
「ゼビエル・ゴルディアックは死んだ。その子ログレムは、すでに帝国貴族を裏切っておる」
鈍色の全身甲冑の上からでも、隆々たる筋肉の形が見て取れる巨漢であった。
棺桶のようなものを、背負っている。
鞘を被った、巨大な剣だ。
「弱小貴族デオム・ロベールよ。お前たちが頼るべき、帝国貴族の要は……我が主、バルフェノム・ゴルディアック閣下であるぞ」
言葉を発する顔面は、頭蓋骨であった。
無論、仮面である。
天空に向かって大きく尖った三角形の兜と、髑髏の仮面。
虚仮威し、ではないと私は思った。
この大男は本当に、鎧兜に身を包んだ死そのもの、ではないかと。
ゼベットもガランも他の連中も、圧倒されたようではある。
だがすぐに調子を取り戻した。
この大男が結局、一人だけであるからだ。
「……何だ? てめえは」
「一つ訊こう、愚民たちよ」
大男が、ふわりと馬を降りた。
甲冑姿の巨体が、絶大な体重を全く感じさせず、村人たちの眼前に降り立ったのだ。
「旧帝国系貴族は、お前たちにとって……悪、であるのか?」
「そうだあ! 悪い奴らは、ぶち殺されて当然なんだよっ!」
村人たちが、大男に農具で殴りかかってゆく。
「俺たちは! そいつに、重税で苦しめられて来た! ぶち殺す権利がある!」
「そいつを庇う奴も同罪だ!」
「正義の裁きだ、邪魔すんなコラァああッ!」
農具が全て、へし折られた。
眼球が、脳髄の飛沫が、宙に舞い上がる。
「何という……」
重く暗い声に合わせ、暴風のようなものが吹き荒れる。
大男の、拳だった。
村人たちが、農具もろとも砕け散ってゆく。
「正義なるものの、何という……おぞましさよ」
髑髏の仮面の内側で、大男は本当に、嘆き悲しんでいるようであった。
嘆きながら、悲しみながら、大男は拳を振るう。
鈍色の手甲が、剛力で握り固められ、鉄槌にも等しい凶器と化して、村人たちを農具もろとも粉砕してゆく。
ゼベットの顔面が陥没し、両耳から様々なものが噴出した。
ガランの横面に拳の形が刻印され、頸椎が猛回転して捻じ切れた。
背負った巨大剣を抜く事もなく、大男は殺戮を行っている。
鈍色の全身甲冑が、返り血にまみれてゆく。
「ならば私は、悪でよい……」
髑髏の仮面の内部から、重く禍々しく、声が流れ出す。
「我が名はゼイヴァー・ロウレル……この世で最も悪しきもの、旧帝国貴族の守護者である」




