第141話
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「山にいるのは、善い人たちです。あたし助けてもらいました」
赤毛の村娘が、断言した。
確か、ミレーシャと名乗っていた少女である。
「……戦争の準備をしているのは、知ってます。止めなきゃ駄目ですよね、それはもちろん」
「それに失敗してきたところさ、俺たちは」
山鳥を焼いたものを手際良く食しながら、ヒューゼル・ネイオンは言った。
骨付き肉を口元に運ぶ、骨から肉を食いちぎる。咀嚼し、飲み込む。
全ての所作が、乱雑なようでいて、確かな気品を隠しきれていない。
恐らく、とシェルミーネ・グラークは見た。
このヒューゼル・ネイオンという青年。幼い頃から食事の作法を叩き込まれている一方、野宿で荒っぽく物を食らう事にも慣れている。
ヴィスガルド王国、ゴスバルド地方。
とある村にて、シェルミーネは、ヒューゼル・ネイオンそれにミリエラ・コルベムと共に、夕食の一時を過ごしていた。
食堂か居酒屋か、判然としない店である。
ミレーシャは、ここで給仕の仕事をしているようであった。
ちょうど晩飯・晩酌の時間帯であり、店内は賑わっている。
野菜にとろみを付けて煮たものを、シェルミーネは口に運んだ。
芋と思われるものが、口内で心地良くほぐれた。
思わず、シェルミーネは声を漏らした。
「美味しい……」
「ありがとうございます。うちの料理人に、伝えておきますね」
「この村は……平和、ですのね。ミレーシャさん」
領主マレニード・ロンベルの統治が、上手くいっているという事だ。
「先日、かなり不穏な事があったとは聞いておりますけれど」
「……はい。あの、何だかよくわからない人たちが……怪物を沢山、引き連れて。村を襲って」
「灰色の衣を身にまとう、魔法使いの一団。ですわね」
「山の人たちと、それに御領主様の兵隊さんたちが……協力して、村を守ってくれたんです」
山の人たち、というのは、近くの山中で野営する兵士の一部隊である。
ボーゼル・ゴルマー侯爵の率いていた、叛乱軍の残党。
この村とは、良好な関係を維持しているようだ。
領主マレニード・ロンベル侯爵としては、やりにくい事この上なかろう、とシェルミーネは思う。
人々に無法を働くだけの集団であれば、賊徒として遠慮容赦なく殺し尽くす事が出来るであろうに。
「お山の人たちと」
早々に食事を終えたミリエラが、祈りを済ませ、言った。
「御領主様の兵隊さん方は、その……敵同士、なんですよね? 憎み合う間柄……だけど。人を守るためなら、一緒に力を合わせて戦える」
幼いながら聖職者らしい事を、ミリエラは言っている。
「……仲良くする事だって、出来ると思うんです」
「本当にね。力の有り余った男の人たち、戦争以外にも出来る事いっぱいあるのにね」
ミレーシャが苦笑する。
いくらか離れた客席から、注文を叫ぶ声が聞こえた。
シェルミーネたちに一礼し、ミレーシャはそちらへ向かった。
見送りつつ、シェルミーネは呟く。
「ねえミリエラさん。力の有り余った殿方を私これまで、いくらかは観察して参りましたけれど。皆様どこか、面倒臭いところをお持ちでしたわね。そう……仲良くする、という事が、容易くは出来ない方々ですわ」
「それは、あのう」
ミリエラが言った。
「……ガロムさんのように、ですか?」
「ふふっ、うふふふふふ、あっははははははは」
シェルミーネは、笑ってみた。
「確かに! 面倒な殿方の、あれは最たる一例ですわね。信念と行動力のあるお馬鹿! 一番、厄介な類ですわ。まったくもう」
「……うらやましいな」
ヒューゼルが、ぽつりと言った。
「ただ流されているだけの、俺にしてみれば……俺には、信念も行動力もない」
「なくて結構ですのよ。余計な事を、なさらない……それが殿方の美徳ですわ」
食事を終え、ぼんやりと天井を見つめるヒューゼルに、シェルミーネは問いかけた。
「記憶をお持ちではないヒューゼル殿は……花嫁選びの祭典というものを、ご存じかしら?」
「王子様の結婚相手を決める催しだろう。聞いては、いるよ」
「優勝したのは、平民の小娘ですわ」
今、この場にアイリ・カナンがいたとしたら。
記憶を失った、この男の正体を見抜いてしまうのだろうか。
一瞬だけシェルミーネは、そんな事を考えた。
「その小娘は、愛しの王子様と結ばれて……それはもう、幸せに暮らしておりましたの」
「良かったなあ」
「王子様が、戦に行ってしまうまでは……ね」
シェルミーネは、ヒューゼルを睨み据えた。
「信念も行動力も、お持ちの王子様……でしたのね、きっと」
「過去形、なんだな」
「アラム・エアリス・ヴィスケーノ王子はね、この南方の地で……消息を、絶たれましたのよ」
魔剣・残月を、抜いて突き付けてみようか。
シェルミーネは、そう思いかけた。
命の危険を感じたら、記憶が戻るかも知れない、とも。
「お命を、失くされたか。それとも……記憶だけを、失くされたのか」
「山にいた連中も……俺を、行方不明の王子様にしたがってたな。あんたもそうか、シェルミーネ嬢。ちょっと勘弁して欲しいんだが」
ヒューゼルの無気力な口調が、いくらか強いものになったのか。
「俺の正体が何であれ。今は、こう見えても仕事中なんだ。記憶を取り戻すよりも先に、やらなきゃならん事がある。行方不明の王子様に付き合ってる暇は、ないんだよなあ」
「お隣の御領主ペギル・ゲラール侯爵に……今は、一兵卒として仕えていらっしゃいますのよね。ヒューゼル殿は」
ペギル侯爵は、バルフェノム・ゴルディアックを警戒していた。
今やヴィスガルド王国最大の旧帝国系貴族たる人物が、ここ王国南部に勢力を及ぼさんとしている、その事態をペギル侯は恐れている。憂慮している。
だから配下の兵士ヒューゼル・ネイオンに、ここゴスバルド地方で、威力偵察にも等しい事をさせているのだ。
バルフェノム侯爵が放った者たちの動きを、探るために。
無論、領主マレニード・ロンベル侯爵より了承を得た上でだ。
ヒューゼルが、問いかけてきた。
「シェルミーネ嬢……それに、ミリエラ嬢。あんた方は今マレニード侯の命令で動いている、という事でいいのかな?」
「まあ、そうですわね。マレニード卿の傭兵、とでも思っていただければ」
本当は、とシェルミーネは心中で付け加えた。
自分たちは、宰相ログレム・ゴルディアックの命令で動いている。
今、眼前にいる男の正体を暴くのが、その命令内容である。
「我が主ペギル・ゲラール侯爵は、マレニード侯と協力態勢を作っておられる」
ヒューゼルが、腕組みをした。
「なら俺も、あんたたちと協力すべきだろうな、御令嬢方。もちろん……お二人がよろしければ、だけど」
「そう、ですわね。願ってもないお話」
シェルミーネは言った。
「この度は、私たち三人で叛乱軍残党の潜伏場所を突き止めた、という事に致しましょう」
「それだけ、じゃないな。ボーゼル・ゴルマーの残党と、バルフェノム・ゴルディアックが手を結ぶ……その状態も、すでに出来上がってるのが確認出来た」
「何しろ、バルフェノム侯爵のお孫様が直々に動いていらっしゃいますから……全て、書簡に記しておきましたわ」
この村に潜んでいたマレニード侯の手の者に、シェルミーネは先程、その書簡を託したところである。
「あいつらと戦うには……マレニード侯に、軍を出してもらうしかないな」
ヒューゼルが言った。
「結局どうやら戦う事になりそうだ。あいつら、戦の準備をやめてくれない。説得が出来なかった……俺のせい、なのかな? もしかして」
「もしも貴方が本当に、アラム王子でいらっしゃるなら」
ヒューゼルに対する眼差しと口調が、いくらか険しくなるのを、シェルミーネは止められなかった。
「あの方々にとっては、ボーゼル侯の仇ですわ。戦をやめよう、などと言われたところで……殺意と憎しみが、より高まるだけ。ですわね」
「……あと何かな。俺に片腕を撃ち落とされた、なんて言ってる奴もいたなあ」
ヒューゼルは、苦笑した。
「いろんな所で、恨みを買ってるんだな。まったく……はた迷惑な野郎だよ、アラム・ヴィスケーノって奴」
(アイリさんが……死にましたのよ、ねえアラム王子……)
その言葉を、シェルミーネは呑み込んだ。
記憶も正体も定かではない男に、言うべき事ではなかった。




