第14話
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憎む相手を、殺意を込めて睨み付けたとしても、本当に殺せるわけではない。
人の、思いの力。念の力。
それは呆れるほどに弱いのだ。それのみでは、何の役にも立たない。
そんな非力な念が、ここゲンペスト城には渦巻いている。
非力とは言え役立てずにおくのは、いささか勿体ないと思えるほど、大量にだ。
だから、形を与えてみた。
結果、出来上がったのが、陰影の兵士たちである。
まあ、生きた人間を普通に殺傷する程度の能力はある。数さえ用意出来れば、それなりの戦力にはなるだろう。
だが今、ゲンペスト城内で暴れているのは、それなり、どころではない剣士たちであった。
「ヴェルジア領主、メレス・ライアットと申す!」
陰影の兵士を2体、3体と撫で斬りながら、その青年は名乗った。
赤い髪、碧い瞳。優男、ではある。だが。
「ルチア・バルファドール嬢よ。このような者どもを率いて戦を引き起こそうとは穏やかならざる話。王国貴族として、捨て置くわけにはゆかぬ」
豪奢な甲冑をまといながら軽々と長剣を振るい、優雅な斬撃の舞いを披露する身体能力は、甲冑の下の頑強な筋肉を容易く想像させる。
優雅に繰り出される斬撃の弧は、襲い来る陰影の兵士たちを迎え撃ちながら叩き斬り、甲冑の破片と陰影の飛沫を散らせ続けた。
「……何ゆえ、貴女は戦を求めるのか」
その長剣は、死せる者を退ける生者の気合いを、間違いなく帯びている。
クルルグのような、はっきりと目に見える光にはならないにしても。
このメレス・ライアットという剣士は、精神力を攻撃に用いる闘法を会得しているのだ。
1対1の戦いとなれば、クルルグでも勝てるかどうか。
思いつつ、ルチア・バルファドールは会話に応じた。
「グラーク家の悪役令嬢に結婚を申し込んだ、物好きな領主様っていうのは……貴方の事ね」
「恐縮。シェルミーネ嬢の事を思うだけで私は、恥ずかしながら領主の仕事も手につかぬ有り様なのだ」
私、アラム王子様が好き。
臆面もなく、そう言ってのけた時のアイリ・カナンと、全く同じ目をメレスはしていた。
「……私だってね、そりゃ戦争なんて起こしたくないわよ」
ルチアは微笑んだ、つもりであったが、顔面がおかしな歪み方をしただけだった。
「ねえメレス侯爵閣下。貴方、私をアイリに会わせてくれる? それなら私、戦争なんかやらずに済むわけで」
「……アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃殿下が、いなくなられた。貴女がたの会話の中から先程、確かにそんな話が聞こえて来たようだが」
「物好きの御領主様。貴方って、多分すごくいい人なのよね。アイリがいなくなった事とは、全く何も関係ない」
1歩、ルチアは下がった。
巨大なものたちが、ずるりと進み出た。
「……そこの悪役令嬢をとっとと見捨てて、この場から逃げる事を、強く強くお勧めしてあげる」
屍の塊。人体の、成れの果て。
その巨体が縦に裂け、牙が剥き出しとなり舌が躍り、そして光が吐き出される。
渦巻くだけの非力な怨念も、屍を原材料とする怪物の、動力源くらいにはなってくれる。
怨念を燃料とする破壊の光球が、立て続けに吐き出されていた。
蠢く臓物で床を這う怪物たちの、縦に裂けた大口から、間断なく発射されてメレスを襲う。あらゆる方向からだ。
しなやかな人影がひとつ、メレスの眼前に立った。
「言われた通りになさいな、メレス侯爵」
言葉に合わせ、その人影から魔力が展開する。
いくつもの、光の板……いや盾が、メレスの周囲に生じて浮かんだ。先程のような、半球形の防護膜ではない。
「私と行動を共にする。それはね、こちらの魔法令嬢に命を狙われ続けるという事ですのよ」
光の盾たちが、揺らめいた。
様々な角度に傾き、光球の直撃を受け流している。
受け流された光球たちが、あらぬ方向へ飛んで壁を、床を、柱を、天井を、直撃する。
細かな石の破片が、飛び散り舞い上がった。
舌打ちを、ルチアは隠す事が出来なかった。
固定された防護膜では、直撃を受けた場合、衝撃を逃がす事が出来ずに砕け散る。
可動の盾であれば、こうして衝撃を受け流す事が出来る。
このシェルミーネ・グラークという魔法剣士。中途半端な魔力しか持たぬくせに、その魔力の扱い方が、小賢しいほどに巧みであった。
メレスを背後に庇う格好でシェルミーネは佇み、いくつもの光の盾を操作しながら、細身の長剣を構えている。
魔力の不足を、剣技で補う。
本当に小賢しい、とルチアは思う。
「……出来ぬ相談だよ、シェルミーネ嬢」
メレス・ライアット侯爵は、いつまでも女の背中に隠れている人物ではなかった。
「貴女が、動乱をもたらす人である事は知っている。花嫁選びの祭典を見ていれば嫌でもわかる! 行動を共にすれば、命の危険に見舞われる事は当然あるだろう!」
踏み込み、斬撃。長剣が、旋風を巻き起こす。
気合いを宿した一閃が、巨大な屍の塊を叩き斬る。
叩き斬られたものが崩壊し、大量にぶちまけられた人体の残骸でしかなくなった。
「今ここで逃げるならば、最初から! 貴女に、思いを寄せたりはしないっ」
豪奢な甲冑をまとう長身が、軽やかに躍動する。
その周囲で、斬撃の旋風が吹き荒れる。
屍の塊が、もう1体。陰影の兵士が数体。滑らかに切り刻まれて飛散した。
その有り様に向かって、ルチアは左の繊手をかざしていた。
体内で、己の魔力を攻撃手段へと錬成しながら。
「……見てみる? 本当の、魔法ってもの」
たおやかな五指が、光を発した。轟音を発した。
雷鳴、であった。
電光が迸り、石造りの大広間を駆け巡る。
光の盾が全て、稲妻の嵐に灼き砕かれてキラキラと飛散・消滅する。
荒れ狂う電撃光は次の瞬間、まずは甲冑に身を包んだメレスを灼き殺す、はずであった。
そうなる前に、シェルミーネが剣を掲げる。
細身の刀身に、電光が全て集まった。
暴れ叫ぶ大量の稲妻に絡み付かれた刃は、いまにも折れ砕けてしまいそうである。
「くっ……!」
雷鳴に震える剣を握り締めたまま、シェルミーネが端正な歯を食いしばる。
この悪役令嬢は、美しい。
それはルチアも、認めざるを得なかった。
「花嫁選びの祭典……私が万一勝ち進んだとしても、あんたに勝てるわけないのよね」
ルチアは苦笑した。
シェルミーネの剣とルチアの片手が、荒れ狂う電光で繋がっている。そんな状況である。
動けぬシェルミーネに、陰影の兵士たちが襲いかかった。
風が吹いた。斬撃の疾風。
突き込まれた槍が、シェルミーネに触れる事なく全て切断された。
甲冑も、その中身である陰影も、切り刻まれて崩壊・消滅していた。
メレスであった。
長剣の舞いを一旦は止め、シェルミーネの傍らに着地している。
屍の塊たちは、すでに全個体、彼の斬撃に殲滅されていた。
その間。
シェルミーネは、勢いよく細身を屈めた。
電光の嵐に絡み付かれた剣が、床に突き立てられる。細身の切っ先が、石畳を砕く。
荒れ狂う雷が、床に流し込まれていた。
激しい電撃光が、石畳を粉砕しながら、ルチアの足元に迫る。
「こいつ……ッ!」
青白い魔力の光を、ルチアは右手に集めた。
光り輝く右掌を、ルチアは下方に叩き付けた。
足元を襲う電光が、砕け散っていた。
その時には、シェルミーネが踏み込んで来ている。
細身の刃が、ルチアの首筋に向かって一閃した。
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首を刎ねる。
そのつもりで、シェルミーネは斬撃を叩き込んだ。細身の剣に魔力を流し、繊細な刀身に充分な強度と殺傷力を与えた上でだ。
魔法令嬢ルチア・バルファドールは、手加減をして勝てる相手ではない。
本気の殺意を宿した一閃が、ルチアの細い首筋を叩き斬る……いや、弾き返された。
横合いからの斬撃。
音もなく気配も感じさせずに踏み込んで来た何者かが、シェルミーネの剣を弾き返したところである。
黒い、禍々しい姿。
闇そのものを鋳造したかのような、暗黒色の全身甲冑であった。
首から上は兜と面頬で、視界確保用の裂け目から、炯々と燃える眼光が溢れ出している。
素顔は見えないが、肩幅のある体型は男のそれだ。力強く鍛え込まれた身体つきは、甲冑の上からでも見て取れる。
人を殴り殺せそうな手甲をまとう、左右それぞれの手に、一振りずつ抜き身の長剣を携えている。
二刀の片方が今、シェルミーネの斬撃を弾き返したのだ。
魔力で強化された刀身でなければ、間違いなく叩き折られていただろう。
痺れかけた右手で、シェルミーネはしっかりと剣を握り直した。
黒一色の甲冑騎士が、ルチアを背後に庇って立つ。
複数、恐らくは5体前後。陰影の兵士の部隊に潜んでいた、不穏なる者たち。
その1人が今、姿を現したのだ。
「アイリがねぇ、どうも西の方へ行っちゃったみたいなのよね。王宮を飛び出して」
黒騎士の後ろで、ルチアは言った。
「足取りをね、私なりに調べてみたんだけど……アイリったら、もしかしたらドルムトを目指してたんじゃないかなって。まさかとは思うけど、ねえ悪役令嬢? アイリが、あんたに会いに行った……なぁんて事、ないわよねえぇ……」




