第135話
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『君はもう、この世の滅びを求めてはいないのだね。ミリエラ・コルベム』
「はい」
ミリエラ・コルベムは、即答した。
もう一つ、問われた。
『亡くなった母親に……生き返って欲しい、とは?』
「……思います。思うだけに、しておきたいです」
父と母が、仲睦まじく過ごしている。
親子三人の、穏やかで幸せな時間と空間。
あれはもう、失われた過去なのだ。
懐かしむ、のは良い。
求めては、ならない。
強くミリエラは、そう思う。
「死んだ人は、生き返らないんです……もう、帰って来てはくれないんです」
『幼く愛らしいミリエラよ、君は大人だ。その年齢で、その現実を受け入れてしまった』
揺らめく闇、黒い炎。
そのようにしか見えない何者かが、悲しげに語り続ける。
『かわいそうなギルファラル・ゴルディアックは……いくつになっても、いつまで経っても、それを受け入れなかった。アルス・レイドックのいなくなった世界を、認められず、滅ぼそうとまでしていたものだ』
激しい、激突の響きが起こった。
攻撃と攻撃が、ぶつかり合った音。
電気の混ざった火花が、飛散する。
シェルミーネ・グラークの振るう剣が、マローヌ・レネクの伸ばした右腕を、鉤爪を、叩いて跳ね返したところである。
異形化し、いくつもの関節を獲得した右腕。
その先端で、五指が鉤爪を伸ばしながら電光を帯びている。
「お堅い事を言わないでよ、シェルミーネ嬢……」
大蛇の如く右腕を伸ばし、帯電する鉤爪でシェルミーネを猛襲し続けながら、マローヌは笑う。
「貴女がねぇ、あの無気力な王様に、ちょっと強めにお願いすればいいだけのお話じゃない? 捕まえといても意味のない連中を、釈放して下さいませ……ってね」
「そう、ですわね」
抜き身の長剣で、シェルミーネは猛襲を防ぐ。
容易く折れてしまいそうな細身の刀身が、悪役令嬢の剣舞に操られて力強く閃き、電光の鉤爪を打ち弾いて跳ね返す。
「私が強めにお願いする、までもなし。国王陛下は、むしろ御自分を拉致した賊の減刑に尽力しておられましたもの。けれどねぇ、王国の法と治安に携わっていらっしゃる、例えばレオゲルド・ディラン伯爵のような方々は! 私がお願いしたところで、賊の釈放など絶対にして下さいませんわ」
このシェルミーネ・グラークとて、そうだ。
アイリ・カナンの失われた世界を、耐え難く思った。
アイリ・カナンのいない世界を、滅ぼそうと一度は願った。
賊の首魁ルチア・バルファドールも、また同様である。
アイリ・カナンの失われた世界を滅ぼすべく、人外のものに変異した。
シェルミーネは、そうなる前に戻って来てくれた。
『シェルミーネ・グラークだけではない。こちらのマローヌ・レネクも、そう……クランディア・エアリス・ヴィスケーノ王妃が失われた世界に、耐えられなくなり始めている』
黒い炎のような影を、この世に落としている何者かが、感慨深げに言った。
『王妃の死、その真相を探るために……強くなったよ、この娘は。私の影を、以前は召喚するのが精一杯だったのに。今は私を、まあ影だけではあるにしても制御しながら、自身もまた戦闘行動を取る事が出来るようになった。大切な誰かを失った、その憎しみは……人間を、強くする。時には、怪物に変えてしまう』
この何者かとミリエラの会話は、今ここにいる他の者には聞こえない。
肉声で会話をしている、わけではないからだ。
一方。
マローヌとシェルミーネは、鉤爪と長剣をぶつけ合いながら、肉声で叫び合っていた。
「ねえシェルミーネ嬢? ひとつ、いい事を教えてあげましょうか」
「敵を油断させる手段、としては! 古い、ですわねっ」
「貴女、うちのルチアお嬢様と同じ……アイリ・カナン王太子妃の仇を、捜しているのよね。だったら聞いた方がいいと思うわ、この話」
「不要!」
シェルミーネは踏み込み、細身の長剣を一閃させた。
斬撃の弧が、大きく描き出された。
三日月にも似た、光の弧。
それが、大蛇の如く襲い来るマローヌの右腕を薙ぎ払う。
電光の鉤爪を生やした手首が、鮮やかに切断されていた。
微かな苦痛の呻きを発し、マローヌは後退りをする。
シェルミーネが、左手の人差し指と中指を眼前で立てた。
斬撃の三日月が、マローヌの右手首を切り落としただけで力尽きる事なく、発射されていた。
飛翔しながら大きさを増し、襲いかかって来る光の三日月を、マローヌはかわさなかった。
白色のローブがちぎれ飛び、巨大な羽ばたきが起こる。
今までローブに隠されていたマローヌの左腕が、露わになっていた。
それは、翼であった。
甲殻の鎧をまとう全身を、片方だけで包み込んでしまえる巨大な翼。
それが一度の羽ばたきで、斬撃の三日月を打ち砕いていた。
光の破片と一緒に、白い羽根が舞い散った。
翼による防御の陰でマローヌは、なおも語る。
「クランディア様……クランディア・エアリス・ヴィスケーノ王妃と、アイリ・カナン王太子妃。このお二人の……死は、ね。お互い関係がある、みたいよ? 国王陛下が、言っていたわ」
さらなる攻撃を行いかけていたシェルミーネの動きが、止まった。
その隙を付くように、マローヌは言う。
「教えてあげる。クランディア様はね、あの王様から毒入りのお酒を送りつけられて……わざと、それをお飲みになった。どういう意味か、わかるわよね?」
「国王陛下が、クランディア正王妃様に……自害を、お命じになった……」
シェルミーネが呟く。
マローヌの術中に陥りかけている、とミリエラは思った。
「正王妃様は、それを受け入れられた……と?」
「もちろんね。あの王様が本当に、そんな命令を出したのかどうかは、わからない。出してないのなら……国王の名義を勝手に使って、クランディア様に自殺を命令する……そんな事の出来る奴が、いるわけで」
左眼球のみ巨大化して、頭蓋骨を圧し砕いている。
そんなマローヌの顔が、憎悪に、悲憤に、歪んでいる。
皆、同じなのだ。
ミリエラは、そう思った。
大切な誰かを失い、滅びの道を歩み始めている。
他者を滅ぼしながら自身も滅ぶ。
そんな道に、一度は足を踏み入れた事がある。
今後も、踏み入れないとは限らない。
自分ミリエラ・コルベムも、シェルミーネ・グラークも。ルチア・バルファドールも。このマローヌ・レネクも。
「で……ね? そいつと、アイリ・カナンを殺した奴が、同一人物……なのかも知れないって話。そんな事、あの王様はハッキリ言ってたわけじゃないけれど」
大蛇が、宙を泳いだ。
そう見えた。
「クランディア様が、死ななきゃいけなかった理由……それはね、アイリ・カナンが死ななきゃいけなかった理由と、根っこが同じ……っていうのは、ルチアお嬢様の見立てよ」
マローヌの、右腕だった。
斬り落とされた手首が、再生しながら巨大化してゆく。
太く長く伸びた五指が、シェルミーネの身体に絡まってゆく。
「つまりねえ、どういう事なのかって言うと!」
叫ぶマローヌの右手が、シェルミーネの細身を鷲掴みにしていた。
「うっ……ぐ……」
「私と貴女、手を結びましょうと。そういうお話なのよ、シェルミーネ嬢」
それはマローヌの本心であろう。
思いつつミリエラは、肉声を発した。
「やめて……! シェルミーネ様を、放して下さい!」
『まあまあ、大丈夫さ。マローヌに、シェルミーネ嬢を殺める意図はない。今のところは、ね』
この場にはいない、影だけを揺らめかせる何者かが、言った。
こちらも、肉声と呼べるかどうかはともかく、他の者たちも耳で認識が出来る声である。
『皆、苦しんでいると思わないかミリエラ。死んだ者が生き返らない、戻って来てはくれない。そのせいで……何と多くの人間たちが、苦しむのか。苦しみながら、滅びの道を往くものであるか』
「シェルミーネ様も、私も……滅びの道を歩む事は、ありません」
『君たちは、そうだろうね。だがギルファラル・ゴルディアックは、そうではなかった。それに、この私も……』
声が、震えているのか。
『アルス・レイドックを失い、その現実を受け入れる事が出来ず、滅びの道を歩み始めた……そんなギルファラルでも、いい。会えるものなら、私は会いたい……』
轟音が、響き渡った。
そして、悲鳴も。
「ぐえぇええ……えぇぇ……」
マローヌの身体が、へし曲がっていた。
甲殻の破片と白い羽根が、飛散した。
片方だけの翼で、防御はしたようである。
その翼の上から、巨大な錨がめり込んでいた。
翼もろともマローヌの肉体はへし折れ、倒れ伏す。
握り潰されそうになっていたシェルミーネの細身から、巨大な五指が弱々しくほどけ落ちる。
「何となく、わかったぞ。悪役令嬢」
鋼鉄製の右腕に鎖を収納し、錨を回収しながら、クロノドゥールが言った。
「あんたの弱点は、アイリ・カナンか。実は死んじまっていて王宮にいるのは偽物、なんて話は確かにあるが……その事に触れられると、平常心を保てなくなるようだな。シェルミーネ・グラーク」
「…………借りが……」
拘束から解放されたシェルミーネが、座り込んでしまいそうになりながらも耐えた。
「……出来て、しまいましたわね。バルフェノム・ゴルディアック侯の、陣営の方々に……」
「借りと思うか。ならばシェルミーネ嬢、僕を守る手助けをして欲しい」
テスラー・ゴルディアックが、言った。
炎の如く揺らめく影を、見据えながらだ。
「何者かは知らないが、よく聞け。ギルファラル・ゴルディアックは、この世にいないんだ。死んだ人間は生き返らない。この世に戻って来る事はない。そんなに会いたいのなら、あなたも死んでしまえ。迷惑なのだよ、はっきり言って」




