第131話
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死んでしまったら、それはそれで仕方がない。
殺される方が非力であり、それまでの運命であったという事。
そんな暗黙の了解が、この両名の間では、容易く成立してしまったようである。
クロノドゥールの右腕からは、本物の刃が伸びている。常用している戦闘用の義手である。
リーゲン・クラウズが手にした長剣も、刃引きのされた訓練用のものではない。
本物の刀身が一閃し、クロノドゥールを猛襲する。
鋼の義手が、その斬撃を防いで火花を散らす。
金属の焦げ臭さが、漂った。
その間。両者の位置が、少なくとも三度は入れ替わった。
踏み込み。擦れ違いざまの、刃のぶつかり合い。
それが幾度、起こっているのか。
テスラー・ゴルディアックの動体視力では、もはや把握する事は出来なかった。
クロノドゥールの義手が唸りを立て、大型の刃が力強く弧を描く。
人体を両断する斬撃。
それをリーゲンは、左腕の盾で受け流した。
その時には、右手の長剣が繰り出されている。
まっすぐに相手の喉へと向かう、刺突の一閃。
クロノドゥールは、後方へと跳んでかわした。
長身のクロノドゥールが、膂力でも、足腰の俊敏さでも、勝っている。
テスラーは、そう見た。
比較的小柄なリーゲンは、しかし身体能力に勝る敵の攻撃に的確に対応し、鋭い反撃を叩き込んでゆく。
ヴィスガルド王国、ゴスバルド地方。
とある山中の野営地にて、実戦も同然の戦闘訓練が行われていた。
殺してしまったら、それはそれで仕方がない。
そんな暗黙の了解のもと、ぶつかり合うクロノドゥールとリーゲンを、野営地の兵士たちが興味深げに見物している。
かつて叛乱者ボーゼル・ゴルマー侯爵に仕えていた、戦闘部隊の生き残り。
その叛乱も鎮圧され、新たなる領主マレニード・ロンベルの手によって、ゴスバルドの地が安定を保っている現在。
ボーゼル・ゴルマーの残党など、民を脅かす不穏分子でしかなかった。
その不穏分子を支援しているのが、テスラーの祖父バルフェノム・ゴルディアックである。
ゴスバルド、のみならずロルカ、メルセト、レナム、クエルダ、ザウラン、計六つの地方から成る王国南部に騒乱を引き起こし、旧帝国系貴族の支配を復活させる。
それが祖父の目的であり、自分テスラーとクロノドゥールが、この地で動いている理由でもあった。
リーゲンの右手から、長剣が叩き落とされていた。
クロノドゥールの斬撃だった。
もう一歩、踏み込んで、義手の刃をリーゲンの首筋にでも突き付ければ、勝敗は決する。
幸い、どちらも死ぬ事はない。
クロノドゥールは、しかし、それをしなかった。
踏み込もうとした足が、硬直している、ように見える。
立ち竦んでいる。
得物を失ったリーゲンの右手が、左腕、盾の裏側に触れていた。
短剣を、引き抜こうとしている。
引き抜く動きは、そのまま投射へと移行するだろう。
投げられた短剣が、クロノドゥールの眉間に突き刺さるか。
鋼の義手が、リーゲンの首を刎ね飛ばすか。
それらが、同時に起こるのか。
当人同士にも、わからないだろう。
「やめろ」
声がした。
兵士たちを押し分けるようにして、男が一人、足取り強く進み出て来たところである。
外見的特徴に乏しい、三十代の男。
テスラーと同じく、武の心得は無いに等しい。
クロノドゥールにもリーゲンにも、瞬き一つの間に容易く殺されてしまうだろう。
そんなレニング・エルナード元伯爵が、しかし圧倒的強者二人の間に、堂々と割って入る。
「戦闘訓練は必要であろうが、殺し合いは看過出来ぬ。双方、下がって頭を冷やせ」
「…………ふん。あんたが、そう言うならな」
クロノドゥールが一歩、後退した。
大型の刃が、義手の内部に折り畳まれ収納される。
このレニング・エルナードは彼が、とある村落の跡地から拾って来た人材だ。
バラリス・ゴルディアックの残党が、その村落に潜み、賊徒と化していた。
レニングも、その一員だった。
彼以外の賊徒は、クロノドゥールによって皆殺しにされた。
「……助かった、と言っておこう。レニング殿」
リーゲンが言った。
「あんたが止めてくれなかったら……俺は、首を刎ねられていた」
「そう自分を卑下するもんじゃあない。あんたは強いよ、リーゲン殿」
言いつつクロノドゥールは、兵士たちを見渡した。
「あんたに勝てれば……もちろん、殺さずにな。それが出来れば俺も、この連中に対して、少しは大きな顔が出来ると思ったんだが。なかなか上手くはいかん」
「なあクロノドゥール、それに若君様よ。あんたたち、まだまだ大量に持っているんだろう? 物騒な、玩具をな」
リーゲンの眼差しが、ちらりとテスラーにも向けられる。
「俺ごときが相手では……見せても、くれんか」
「あれらは、戦闘訓練に使えるものではないからね」
テスラーは言った。
「まあ、いずれ……御披露目の機会は、必ずある。楽しみに」
「テスラー・ゴルディアック」
レニングが、咎めてきた。
「このような事……本来ならば、貴方が止めなければならんのだぞ」
「僕も、そう思うよ。だが……見惚れていた。死を賭した、戦いに」
正直に、テスラーは述べた。
「ご存じの通り、僕は魔法も武勇もまるで駄目でね。クロノドゥールやリーゲン殿のような、力ある者への憧憬が止められないんだ。力と力の、ぶつかり合い……やはり、見入ってしまうよ」
「力が、見たいの?」
若い女の、声だった。
この野営地に、女性はいない。
「それなら、私が見せてあげられる……かも、ね」
あの、灰色の魔法使いたちの一員。
テスラーが最初に考えたのは、それである。
だが。その女が身にまとっているのは、灰色ではなく純白のローブである。
フードの中の顔立ちは、美しい、とは言える。
微笑みが、テスラーに向けられた。
「でもね? テスラー・ゴルディアック殿。貴方にだって、力がある……かも知れないのよ。それを確かめてみたいって思う気持ち、ない?」
「おい何だ貴様……」
クロノドゥールが、テスラーを背後に庇って女と対峙する。
兵士たちが各々、武器を構え、女を包囲する動きに入る。
その動きが、封じられた。
いくつもの黒い巨体が、兵士たちの行く手を阻む形に、出現していた。
隆々たる筋肉、黒い外皮。
まるで岩石のような全身は一応、人型をしている。直立した熊、よりも一回りは巨大であろうか。
首から上は剥き出しの頭蓋骨で、左右の眼窩と牙だけの口から、小刻みに炎を噴出させている。
捻れ渦巻く大型の角を振り立て、猛り吼えながら。
そんな怪物の群れが、黒い豪腕で炎を振るい、兵士たちを襲う。
松明のような、燃え盛る棍棒だった。
その一撃をかわしながらリーゲンが、レニングを後方へ下がらせようとしている。
クロノドゥールを盾に、同じく後方へと退く努力をしながら、テスラーは白衣の女に問いかけた。
「貴女は……召喚士?」
「マローヌ・レネクと申します。けどまあ、私の事なんかはどうでも良くて」
怪物が一体、テスラーの後退を阻んだ。
斜め後方から、炎の棍棒を振り下ろしてくる。
その重く燃え盛る一撃を、クロノドゥールが義手で受けた。
鉄塊そのものの右前腕が、火の粉を散らせた。
その間。
マローヌ・レネクと名乗った女が、謎めいた事を言う。
「こちらの御方がね、貴方に興味津々なんですよ。だからね、ちょっと調べさせて下さいな……ね、いかがです?」
こちらの御方など、いない。
マローヌ・レネクの傍らには、誰もいない。
いないはずの何者かが、しかし応えた。
『まだ、わからないね……だが。見ただけで感じられるものは、確かにあるよ』
見られている。
誰かが自分を、観察している。
それがテスラーには、確かにわかった。感じられた。
『テスラー……というのか、君は』
「……そうだ。テスラー・ゴルディアックという」
つい、会話に応じてしまった。
「あなたは誰だ? 名を訊くならば、まずは姿を見せるのが礼儀ではないのかな」
『その通り……なのだが、すまない。この私の力をもってしても、魔界の仕組みは如何ともし難く。そちらに姿を現す事は、まだ出来ないのだよ。本当に、すまない』
「私に、召喚士としての力が足りてないという事。悔しいけど、認めないとね」
マローヌが、微かに苦笑する。
彼女の召喚した怪物の一体が、テスラーの斜め後方で真っ二つに叩き斬られ、綺麗な断面を晒しながら左右に倒れた。
クロノドゥールの、斬撃だった。
鋼の義手から現れた大型の刃を、彼はマローヌに向けている。
「この女……あの灰色の連中とは、格が違う。本当の化け物だ。申し訳ないが若君様、どうにか自力で逃げてくれ」
『逃がしは、しないよ』
何者かが、言った。
どこかから、じっとテスラーを見つめながら。
『テスラー・ゴルディアック。君は…………ゴルディアック家の、他の有象無象とは確かに違う。ギルファラルから受け継いだものを、確かに持っている』
「またか」
テスラーは、うんざりとして見せた。
「あなたのような人外の者の口からも、その名前が出てしまう。僕はもう、その人からは解放されたいんだ」
『許して欲しい。私は、彼に会いたいんだ』
口調が、禍々しいほどに熱を帯びた。
『テスラーよ。君は、私を……懐かしいギルファラル・ゴルディアックに、会わせてくれるかも知れない』




