第129話
●
民衆を、味方につける。
叛乱者の常套手段なのであろう、とシェルミーネ・グラークは思う。
現在の支配者ではなく自分たちにこそ、民を守る力がある。
それを広く知らしめ、実践し続けるのだ。
例えばレグナー地方で、ジグマ・カーンズ伯爵が行っていた事。
あれこそが、まさにそうである。
あれは、しかしレグナー地方領主デニール・オルトロン侯爵が、わかりやすいほどの暴君・暗君であったからこそ成功した手段であった。
暴虐の君主に虐げられる民を、救い守り、これを率いて一大勢力を成す。
そして、ついには暴君を打倒する。
ジグマ・カーンズは、それを成し遂げたのだ。
英傑と言えるだろう、とシェルミーネは思う。
ここゴスバルド地方で同じ事をするのは、しかし彼とて難しかろう、とも思う。
領主マレニード・ロンベル侯爵は、善政と呼べるほど慈悲深い事をしているわけではないにせよ、ゴスバルドの民衆をしっかりと飼い馴らしている。
そんなマレニード侯の統治を脅かす者たちが、ゴスバルド地方には存在していた。
「……ただ今、戻りましたわ。マレニード侯爵閣下」
執政府カルグナ城。
領主の執務室に、ほぼ自由に立ち入る権限が、シェルミーネには与えられている。
「ご苦労様。報告は、受けているわよ」
力強い尻を執務机に載せたまま、マレニード・ロンベルは言った。
「皆殺し、には出来なかったのね?」
「面目次第も、ありませんわ」
「いいのいいの。逃げた連中は、狩ればいいわ」
マレニードの言葉を、一人の兵士が引き継いだ。
「そういう事。狩りは、俺たちに任せておきな」
兵士が三人、領主マレニードに何事かを報告しているところであった。
同じ顔に、それぞれ禿頭・髭・傷跡で個性を与えた、三人の歩兵。
オーグニッド兄弟であった。
シェルミーネに向かって、まず言葉を発したのは、次兄ザム・オーグニッドである。
「怪我は無かったかね、悪役令嬢殿」
「怪我はね、ミリエラさんが治して下さいましたわ」
シェルミーネの傍らで、尼僧姿の幼い少女が、控え目に頭を下げる。
ミリエラ・コルベムを伴い、とある戦いに赴いた。
どうにか勝利と呼べる形を作り、こうして帰還を果たしたところである。
マレニードが、苦笑した。
「通りすがりの……一見か弱い令嬢方に、血生臭いお仕事を押し付ける。立派な鬼畜外道よね、あたしったら」
「それは、どうかお気になさらぬよう。行く先々で、様々なお仕事をこなす自由……私たち、宰相閣下より賜っておりますわ」
「噂の悪役令嬢が、今や宰相閣下直属の便利屋さん……と。なかなかに珍妙な、お話よね」
そこで一度、マレニードは小さく咳払いをした。
「それで、シェルミーネ嬢……例によって例の如く、といったところかしら?」
「ですわね。例の、灰色の魔法使いの方々……およそ二十名様が、複数の村で、おぞましい魔法の実験をなさっておりましたのよ」
報告しつつシェルミーネは、ちらりと視線を動かした。
一人、客人がいた。
来客用の長椅子に身を沈めた、身なりの良い男性の高齢者。
貴族階級の人物であろう、と思われる。
マレニードが紹介しようとしないので、シェルミーネは、その人物には触れずに報告を続けた。
「村人の方々を、人ならざるものに変える実験……戦力の確保でも、狙っていらしたのでしょうね。私とミリエラさんとで、その実験を潰し、村々を解放する事には辛うじて成功いたしましたけれど」
灰色のローブとフードで正体を隠した男たち、総勢およそ二十名のうち、少なくとも半数は討ち取ったはずである。
「大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの秘法を受け継ぎ守る、などと謳いながら……様々な悪事を働いている魔法使いども、だな」
オーグニッド三兄弟の長兄イガムが、言った。
「バラリス・ゴルディアック侯爵を中心とする南方の旧帝国系勢力、その背後にいた者たちだという事が、現時点では判明している」
「バラリス侯の暴虐を、後押ししておられた方々。ですのね」
シェルミーネは、美しい顎に片手を当てた。
「何故……そのような事を」
「どうせ、何かの実験でしょうよ」
マレニードが、牙を剥くように言った。
「魔法使いって連中は基本的に、そう。魔法を使えない人間を、実験材料としか思ってないのよねえ」
「…………一人おりますわ。私の知り合いにも、そのような魔法使いが」
ルチア・バルファドール。
アドラン地方で、地の底に呑まれた少女。
さらなる人外に変じ、再び地上に現れるのは、時間の問題であろうとシェルミーネは思う。
そして。
彼女の存在もまた、ある一人の魔法使いによる実験の結果と言えぬ事もなかった。
その名を、シェルミーネは口にした。
「イルベリオ・テッド……という方がいらっしゃったのですけれど」
「灰色の連中の一人、だったらしい」
ザムが言った。
灰色装束の魔法使いたちに関しては、かなり調査が進んでいるようである。
「ただ、もう何年も前に南方の地を去っている。消息は不明だが、シェルミーネ嬢はご存じなのか」
「……殺しましたわ。この私が」
「へえ」
三兄弟の末弟ドメル・オーグニッドが、興味深げな声を発した。
「ここへ来る前から……灰色の連中と、縁があったってワケだな。悪役令嬢」
「その悪縁、この地で断ち切る事が出来ればと思いますわ」
「……それは。あの灰色連中を根絶やしにするまでは、あたしのお手伝いをして下さると。そういう解釈で、いいのかしら? シェルミーネ嬢」
「そう……ですわね」
シェルミーネは、思案して見せた。
「この地で、民を脅かすもの……貴族の端くれとして、見て見ぬ振りの許されざる存在。それが、あの灰色の方々だけなのでしたら。根絶やし、お手伝い致しますわ」
「……そうね。わかりやすく民衆ちゃんを虐めて脅かす。そんな連中ばっかりなら本当、あたしら貴族の端くれとしては、楽ちんでいいわよね」
マレニードは、天井を見上げた。
「いるのよ。わかりにくい、めんどくさい連中が」
「ボーゼル・ゴルマーの残党だ」
イガムが言った。
「ある村を、灰色の魔法使いどもの襲撃から守っていた。申し分のない戦いぶりであった」
「なるほど……民衆の前で、良い格好をされてしまったと」
いくらか無遠慮な事を、シェルミーネは言った。
「御領主マレニード・ロンベル侯爵ではなく、自分たちの方にこそ……民を守る力がある、と。そう言われてしまったようなもの、ですわね?」
「叛乱を企む連中の、常套手段よ」
自領の民を守ってくれた、はずの者たちに対し、マレニードは忌ま忌ましさを隠そうともしない。
「しかもね。そいつらに、厄介な後ろ盾が付いちゃってるのよ。こっちとしても手を打たなきゃいけない、その一環として……こちらの方に、お越しいただいたわ」
長椅子に座る高齢の客人を、マレニードは分厚い掌で指し示した。
「ご紹介しましょう。お隣ロルカ地方の御領主様、ペギル・ゲラール侯爵閣下よ」
シェルミーネは息を呑み、己の耳を疑った。
ロルカ地方領主、ペギル・ゲラール侯爵。
この人物との接触が、自分たちの旅の、まず最初の目的であったのだ。
そして。彼に仕える、一人の兵士の正体を探る事。
それが、それこそが、宰相ログレム・ゴルディアックより与えられた任務なのである。
「……いかがなされた、グラーク家のシェルミーネ嬢」
ペギル・ゲラール侯爵が、穏やかに微笑みかけてくる。
「私と出会った事が、思いがけぬ幸運……そのような、お顔をしておられる。などというのは私の思い上がりであろうか?」
「いえ……その……」
狼狽えるシェルミーネに代わって、ミリエラが言った。
「はい、お目にかかる事かないまして望外の幸いと。シェルミーネ・グラーク様は、おっしゃっています」
「貴女は」
「ミリエラ・コルベムと申します。ご記憶の片隅にでも、お留めいただけましたら、同じく望外の幸いと存じます」
法衣の被り物を脱いでからミリエラが、ぺこりと可愛らしく頭を下げる。
丁寧な一礼を返し、ペギル侯爵は言った。
「よもやとは思いますが……税務官クルバート・コルベム伯爵の?」
「……! 父を、ご存じなのですか」
「かつては貿易関係の利権を持っておりましてな。税務官殿とは、懇意にさせていただきました。ああ無論、不正を働いていたわけではありませんぞ」
ゴルディアック家に使われ、不正を働いていたのは、クルバート伯爵の方である。
「失礼ながらミリエラ嬢。コルベム家は……旧帝国系統に、連なるお家柄でしたな」
「……はい」
「旧帝国貴族にも、貴女やお父君のような立派な方々がおられる。喜ばしい事と思います」
何かを押し殺している、とシェルミーネは感じた。
このペギル・ゲラールという人物、旧帝国系貴族に対して、恐らくは憎悪に近い感情を抱いている。
ログレム宰相と、同じようにだ。
「旧帝国貴族。中でもゴルディアック家とは私、やや浅からぬ縁がございましてな」
ペギルは言った。
「ゴルマー家の残党部隊……その後ろ盾となっているのは、ゴルディアック家です」
「ゴルディアック家……」
ようやくシェルミーネは、この人物と会話を始める事が出来た。
「もちろん、それはログレム・ゴルディアック宰相閣下ではなく……」
「バルフェノム・ゴルディアック。現在この王国において、最も危険な男でございますぞ」
憎しみか警戒心か、判然としないものが、ペギル侯爵の口調に宿った。
「あやつは……あの男だけは、生かしておいてはなりません。ボーゼル・ゴルマーは亡く、バルフェノム・ゴルディアックは健在。この状態が続く限りヴィスガルド王国は、いずれ間違いなく全土が、旧帝国貴族の支配下に置かれましょう。そう、かつての王国南部の如く」




