第128話
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小屋ほどに巨大な、黒い金属の塊。
一つの胴体から、捻じ曲がった四肢を分岐させ、一応は頭部らしきものを隆起させている。
歪んだ、巨人の甲冑。
ゴスバルド地方。
とある村の入り口広場に、そのような怪物が出現していた。
先程まで、ドルルク・モルゲンであったもの。
それが今、もはや表記の出来ない絶叫を轟かせ、暴れ狂っている。
ドルルクを原材料に、この怪物を製造したドーラ・ファントマの姿は、すでに無い。
リーゲン・クラウズは跳躍した。
その足元で、地面が砕け散り、大量の土が飛散する。
黒い鉄塊が、大地を穿っていた。
巨人甲冑の、拳だった。
距離を隔ててリーゲンは着地し、盾を捨て、抜き身の長剣を両手で構えた。
盾の裏に収納してあった投げ短剣も、使い果たした。
この怪物の攻撃を、盾で防御出来るとも思えない。
だが。
両手で剣を振るったところで、この黒い金属の巨体を切り裂く事など出来るのか。
疾風が、吹いた。
三つの疾風。
巨人甲冑の黒い体表面で、火花が弾けた。
頚部で、右腕で、脇腹で。
紙を投げ入れたら発火するであろうと思える、激しい火花。
黒い巨大な甲冑の、頚部も右腕も脇腹も、しかし無傷である。
「ちぃっ! 駄目か」
三人の剣士が、着地していた。
オーグニッド三兄弟。
末弟ドメル・オーグニッドが、牙を剥くように舌打ちをする。
「おびき寄せて崖から落っことすとか、そういうやり方じゃねえと! 二進も三進もいかんぜ、こいつは」
「……そんな都合のいい地形が、この辺りにあったかなあ果たして」
次兄ザム・オーグニッドは、いくらか冷静である。
「落とし穴でも、掘れるようなら……」
「川がある」
リーゲンは言った。
「クエルダ川の、支流の一つだ。広さも深みも申し分ない。問題は……こいつが果たして、溺れて死んでくれるような生き物なのかどうか」
ドルルクであった怪物が、またしても叫んだ。
翼あるものたちが、大量に出現した。
この金属製の怪物は、ドルルク・モルゲンの、召喚士としての能力を失ってはいない。
大量召喚されたものたちが、凶暴に羽ばたき、村の方へと押し寄せて行く。
リーゲンが何か叫ぶ前に、兵士たちが動いていた。
ボーゼル・ゴルマーの残党部隊。
飛行する怪物たちを、弓矢の一斉射で撃ち落とす。
一斉射を免れたものたちが、降下して村人らに襲いかかる。
その時には残党部隊が、白兵戦で村人たちの護衛に当たっていた。
降下して来た怪物の群れを、槍や長剣で迎え撃つ。
「お前らも行け、三兄弟」
リーゲンは言った。
「曲がりなりにも兵隊として仕事をしようと思うなら、民衆を守って見せろ。俺は……こいつを、どうにかしておく」
「何をする、つもりだ」
長兄イガム・オーグニッドが、問いかけてくる。
「川におびき寄せて、沈める……それを一人でやるつもりか」
「人数がいても仕方ない。お前は、いいから村を守れ」
「貴様……いざとなれば自分もろとも、こやつを川に沈めるつもりでいるだろう。させんぞ、お前は死なせん」
巨人甲冑が、踏み出して来る。
その片足が、兵士二人を、まとめて踏み潰さんとしている。
それぞれ別方向に、イガムとリーゲンは跳躍した。
巨大な金属製の片足が、大地を踏み砕いた。
舞い上がり飛び散った大量の土を、かわしながらリーゲンは着地した。
同じようにしているのであろうイガムが、どこかで叫んでいる。
「リーゲン・クラウズ! ならびにゴルマー家の残党部隊。お前たちを、この場で拘束する。生きて我々に従え!」
「寝ぼけてるのか!?」
「現実を見ろリーゲンよ。今、この世に! ボーゼル・ゴルマーは、もういないのだぞ」
殺してやる。
リーゲンは本気で思ったが、イガムの姿は見えない。探している余裕もない。
巨人甲冑の拳が、襲いかかって来たからだ。
暴風を巻き起こす横殴りの一撃を、よろりと回避する。
いくらか、不完全な回避になってしまった。
暴風を受けてリーゲンは転倒し、どうにか即座に立ち上がったが、巨人甲冑の片足が、すでに頭上に迫っている。
踏み潰される。死を覚悟する暇もない。
だが。巨大な片足は、降って来なかった。
巨人甲冑が、よろめいている。
その顔面、目も鼻も口もない黒色の金属板から、激しい火花が散っていた。
長剣の一撃が、叩き込まれていた。
飛翔の如く跳躍したイガムの、斬撃。
「わからんのかリーゲンよ。今のままではな、我々は……いずれ貴様たちを、皆殺しにしなければならん」
よろめいた黒い巨体が、リーゲンを踏み潰すはずであった片足を、別方向に踏み出して転倒をこらえた。
顔面は、しかしやはり無傷である。
「仮に我ら三兄弟を、この場で殺したところで。それは変わらんぞ」
イガムが着地し、言う。
「気に入らんだろうが、今は我々が、体制を守る側にいる。お前たちは逃げられない……いくら、こうして民を守る戦いをしようとな。貴様たちは、叛乱者の残党でしかないのだ」
「…………ベレオヌスに……忠誠を、誓えとでも……言うのか? 貴様……」
辛うじてリーゲンは、言葉を発する事が出来た。
憤怒と屈辱が、頭の中で煮えたぎっている。脳漿が、沸騰しかけている。
目の前に、この黒く巨大な金属の怪物がいなかったら、自分は間違いなくイガムに斬りかかっていただろうとリーゲンは確信していた。
「何度でも言うぞ。ボーゼル・ゴルマー侯爵は、もう死んだのだ」
イガムは言った。
「民を守る戦いが、したいのであれば。お前たちは、ボーゼル侯ではない誰かに忠誠を誓わねばならん……ならばベレオヌス殿下に従え」
黙らせるかの如く、轟音が響き渡った。
殴りかかって来た巨人甲冑が、ひしゃげて吹っ飛んだ。
何かの直撃を、喰らっていた。
とてつもなく重い一撃が、黒く巨大な甲冑に、めり込んでいる。
鎖を引きずって飛来した、それは錨であった。
「聞き捨てならん事を、言ってくれるじゃないか」
その鎖は、一人の男の右腕から伸びている。
「ボーゼル・ゴルマーではない誰かに、忠誠を誓う……? それなら我が主バルフェノム・ゴルディアック侯爵お一人あるのみだ。ベレオヌス公の尖兵よ、俺たちの同志を引き抜こうったって、そうはいかんぞ」
力強く引き締まった長身に、黒衣を巻き付けた男。
その右前腕は、巨大な鋼の義手であった。
鎖が、凄まじい勢いで、その内部へと吸い込まれる。収納される。
引き寄せられた錨が、義手と接続された。
大質量物体の射出装置である右腕を、左手で軽く撫でながら、男は満足げな声を出す。
「鎖の自動巻き取りが、上手くいってる……改良は大成功だぞ、若君様」
「随分と……遅かったじゃないか、クロノドゥール」
テスラー・ゴルディアックが、男の傍で、いくらか不機嫌そうな声を出す。
「義手の調整に時間がかかった、とでも?」
「完璧を期したい。何しろ……こういうバケモノが、いるからな」
クロノドゥールは見据えた。
よろよろと身を起こしつつある、巨人甲冑の有り様を。
元より歪んだ人型であった姿は、さらに凹んで捻じ曲がり、黒い装甲のあちこちが破裂している。
残骸に近い、その姿を、しかし怪物はずしりとクロノドゥールに迫らせる。
まだ動けるどころか、拳の一撃は、複数の人体を容易に叩き潰す事だろう。
そんな敵にクロノドゥールは、自ら歩み迫って行く。
左手で、鋼の義手に何かをガシャリと差し込みながらだ。
掌大の筒、に見えた。
「若君様、あんたの最大出力を……一番いい距離から、こいつに喰らわせてやるよ」
巨人甲冑が、覆い被さるようにクロノドゥールとテスラーを襲う。
両名をまとめて、原形なき屍に変えてしまおうとしている。
正面から、クロノドゥールは迎え撃った。
まっすぐに構えられた鋼の義手が、轟音を放つ。
何かで満たされていたのであろう筒が、空っぽになって義手から排出される。
それをテスラーが拾い上げている間。
巨人甲冑は、完全に粉砕されていた。
無数の黒い金属片を蹴散らして、錨が飛ぶ。
至近距離からの、射出・直撃。
先程までドルルク・モルゲンであった黒い怪物は、跡形も残っていない。
「さて……と、いうわけなんだが」
クロノドゥールが言った。
鋼の義手が、高速で鎖を巻いて錨を引きずり寄せる。
召喚されたものたちを殲滅し終えた兵士たちが、戻って来る。
ゆっくりと歩きながら、オーグニッド兄弟を取り囲む。
ドメルもザムも、イガムも、包囲の中で背中を合わせたまま何も言わない。
「……皆、やめておこう」
リーゲンが何かを言う前に、テスラーが言葉を発した。
「恐らくリーゲン殿も言ったと思うが……今、マレニード侯やベレオヌス公と表立って事を構えるわけにはいかない」
「……ま、そういう事だな」
クロノドゥールが言うと、兵士たちは無言のまま包囲を解いた。
「行け」
三兄弟に対し、リーゲンは言い放った。
「共闘の礼は言っておく、ありがとう。それと貴様らを許せるかどうかは話が別だ」
「……貴様らの居場所と戦力規模を、俺たちはマレニード侯に報告せねばならん」
イガムが、言葉と眼差しを返してくる。
「俺たちを、生かしておくのか。このまま逃がしてしまうのか? 甘くは、ないのか」
「攻めて来い。受けて立つ」
クロノドゥールが、にやりと覆面を歪める。
「そう、お伝え願おうか。マレニード侯にも……シェルミーネ・グラーク嬢にも、な」




