第126話
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炎と雷の嵐が、吹き荒れた。
それは、弱々しく座り込んだままのミレーシャにも容赦なく襲いかかる。
庇うようにテスラー・ゴルディアックが立ってはいるが、もろともに殺されるだけであるのは、誰の目にも明らかだ。
「早く逃げろ!」
怒鳴りつけながらリーゲン・クラウズは、盾を掲げたまま、両者を背後に庇った。
うっすらと気の光を帯びた盾に、火球が、電光の矢が、激突し砕け散る。
小刻みに盾の位置と角度を変えながら、リーゲンは右手で長剣を振るった。
しゃがみ込んだテスラーとミレーシャの頭上を、薙ぐ形の一閃。
気の白色光をまとう刃が、火球と電光を切り砕く。
火の粉が、電光の破片が、パチパチと舞う。
テスラーが、細い全身でミレーシャを庇い、それらを浴びて痛そうに顔をしかめる。
「さ、さあ早く逃げるんだミレーシャ。君がここにいると、リーゲン殿が思いきり戦えない」
「は、はい……」
「あんたもだよ若君様! 一緒に、とっとと逃げちまってくれ!」
ゴスバルド地方。
とある村の入り口広場で、リーゲンたちは襲撃を受けていた。
灰色のローブに身を包み、フードを目深に被って正体を完全に隠した男たち。
走っているのか、低空を浮かんでいるのか、判然としない幻惑的な動きで、人数を把握させない。
十人は超えているであろう、その男たちが、際限なく火球を放ち、電光の矢を放ち降らせてくる。
「そうは、いかないんだよリーゲン殿」
村の中へと逃げ込んで行くミレーシャを見送りつつ、テスラーは言った。
「この者たちの狙いは、僕だ。迂闊な逃げ方をしたら」
「こいつらを……村の中へ入れちまう、か」
「何とかして、村から遠ざけたい」
「何とかするのが、俺の役目か? ったく!」
灰色の男たちの攻撃魔法を盾で防ぎながら、リーゲンは右手の長剣を地面に突き刺した。
盾の裏。
円形に並べられ、固定されている、何本もの短剣。
その一本を、右手で引き抜く。
ほぼ同時に、投擲する。
灰色の男が一人、激しく反り返り、痙攣しながら絶命した。
フードの内部、眉間の辺りに、短剣が突き刺さっている。
その時にはリーゲンは、二本目、三本目の短剣を投射していた。
強靭な右手が、超高速で立て続けに弧を描き、二つの小さな光を投げつける。
灰色の男が二人、身を折って倒れ伏し、地面に血を流し広げた。
それぞれ鳩尾に、心臓に、短剣が突き刺さっている。
「お見事……」
三人、減った。
火球と電光の矢が、明らかに手薄になった方向へと、テスラーが走り出す。
「リーゲン殿は、あらゆる武器を使いこなすのだな!」
「器用貧乏というやつだ」
リーゲンは、地面から長剣を引き抜きながら踏み込み、斬りかかった。
テスラーの行く手にユラリと回り込んだ、灰色の男の一人にだ。
手応えは、あった。
どす黒い体液が噴出し、奇怪な悲鳴が響き渡る。
灰色の男の眼前に、醜怪なる生き物が出現していた。
人間に近い体型、ではある。
細長く筋張った四肢、の他に、一対の翼を背中から生やし広げている。血走った、皮膜の翼。
そんな有翼の肉体が、リーゲンの斬撃を受けて斜めに両断され、臓物をぶちまけながら干からび崩れて消滅する。
灰色の男は、全くの無傷だ。
「……やるな、戦士よ」
フードが脱げ、露わになった素顔がニヤリと歪む。
「おぬしら、ボーゼル・ゴルマーの残党であろう? 我らと共に来い。ボーゼル侯の仇を討ち、その志を成し遂げるだけの力を与えてやろうぞ」
三十代と思われる、銀髪の男。
眼窩の形がわかるほど落ち窪んだ両眼が、ぎらぎらと妄執の輝きを発している。
その男の周囲には、さらに三体。有翼の怪物が出現していた。
あと三度は、攻撃を防がれてしまうという事だ。
「召喚士、か」
テスラーが言った。
「およそ魔法に分類されるもの、一通りを使いこなすのだな君たちは。羨ましい話だ」
「そなた、まだ力に目覚めたばかりであろう? 大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの末裔よ」
妄執の眼光が、テスラーに向けられる。
「安心せよ。我らがな、そなたに秘められたる素質を研究・開発し……大ギルファラルの転生体として、覚醒へと導いて進ぜるとも。大魔導師の力と記憶、取り戻すが良い」
「力と記憶……」
テスラーは言った。
「力、はともかく……君たちは、何百年も前に死んでしまった大魔法使いの、記憶を求めているのか」
この若君は時間を稼いでいるのだ、とリーゲンは思った。
「大ギルファラルが……お墓の中まで持って行ってしまった、何かがあるのか? それを僕が隠しているとでも」
「知りたかろう。だから、我らと共に来いと言っておる」
銀髪の男は、両腕を広げた。
「……召喚には、生贄が必要となる。知識としては、知っていよう?」
「何をする……」
テスラーの、元から血色の乏しい顔面が、さらに青ざめた。
「まさか……やめろ!」
「我ドルルク・モルゲンの招きに応じ、来たれ! 魔界の者どもよ!」
銀髪の男は名乗り、叫んだ。
「数多の命を汝らに捧ぐ。殺戮せよ!」
おぞましい羽音が、轟き渡った。
有翼の怪物が無数、ドルルク・モルゲンの周囲に出現していた。
一斉に、こちらに襲いかかって来る……わけでは、なかった。
羽ばたきを禍々しく響かせながら、怪物たちは村へと向かっていた。
ドルルクの命令……殺戮を、実行するために。
「貴様…………!」
激昂し、動きかけたリーゲンに向かって、ドルルクは仰々しく片手を掲げた。
「我らと同行せよ、ゴルマー家の戦士。それに大ギルファラルの末裔よ! 抵抗をやめ、拘束に身を任せるなら、こやつらを止めてやろう」
矢が、飛んだ。
嵐のような一斉射が、有翼の怪物たちを猛襲していた。
「何…………っ!」
ドルルクが息を呑んでいる間。
有翼の怪物たちは射抜かれて落下し、矢の突き刺さった屍に変わり、干からび崩れてゆく。
「こいつら……!」
「リーゲン、それに若君殿! 無事かっ」
山中の野営地へと物資を運び終えた兵士たちが、戻って来たのだ。
数十名の、一部隊。
かつてはボーゼル・ゴルマー侯爵の指揮下にあった、歴戦の精鋭たちである。
まだ大量に生き残っている有翼の怪物たちが、標的を兵士たちに変更し、空中から襲いかかる。鉤爪を、牙を、降り注がせる。
弓矢を、槍や長剣に持ち替えて、兵士たちは応戦した。
「やったな若君殿。あんたが時間を稼いでくれた、おかげだ」
言いつつリーゲンは、テスラーを背後に庇い、ドルルクに長剣を向けた。
「……おい魔法使いども、俺たちを甘く見るなよ。敗れたりとは言え、民を守る志まで失ったわけではない」
「お前たちゴルマー家の軍勢は、民衆の裏切りで敗れたのではないのか」
さり気なく後退しながら、ドルルクが笑う。
「……衆愚を、許してしまうのか。お人好しな事だ」
「俺にとって、本当に許せぬ者たちは……」
そこで、リーゲンは言葉を止めた。
わざわざ、言う事ではなかった。
ともかく、踏み込む。
自分ならば、一度の踏み込みと斬撃で、ドルルクを仕留められる。
だが。
ドルルクの後方に、有翼の怪物ではないものが召喚されていた。
束ねた視神経で直立している、巨大な眼球。
奇怪な樹木のようなそれが、三体。
リーゲンを見据え、瞳孔を発光させている。
その光が、放たれた。
可視光線。
破壊力の塊である眼光が、三本。一斉に迸ってリーゲンを襲う。
二本を、リーゲンは盾で受けた。一本を、長剣で切り払った。
気の白色光を帯びた防御と斬撃が、三本の破壊光線を粉砕する。光の飛沫が、飛散する。
地響きと咆哮が、轟いた。
有翼の怪物たちの中に、大型の個体が混ざっていた。
筋骨隆々たる巨体は、熊を上回る。豪腕と鉤爪は、城壁を切り崩すだろう。
この巨体で空を飛べるかどうかは、わからない。皮膜の翼をはためかせながら、突進して来る。
そのまま攻城兵器として使える巨体が、リーゲンを強襲する。
強襲しつつ、硬直した。
斬撃の光が、見えた。
刃の閃光が複数、様々な方向から、怪物の巨体を通過して行く。
攻城兵器そのものの巨体が、やがて崩落した。
輪切り、であった。
いくつもの滑らかな断面から、臓物が溢れ出し、干からびて崩壊する。
獣のような人影が三つ、リーゲンを取り囲み、着地していた。
「……貴様ら…………」
自分にとって、本当に許せぬ者たち。
姿を、現していた。
巨大な敵を瞬時に切り刻む、三位一体の剣技。
相変わらずの冴えを、リーゲンは認めざるを得ない。
自分が今、助けられた事も。
この者たちがその気であれば今、自分もまた、応戦の余裕もなく滑らかに切り刻まれていた事も。
「久しぶりだな、リーゲン・クラウズ」
抜き身の長剣を構えた、三人の兵士。
全く同じ顔面に、一人は髭を生やし、一人は傷跡を走らせている。
一人は、頭髪を残らず剃ってある。
まず声をかけてきたのは、髭面の次兄ザム・オーグニッドだ。
「どの口が、と思われるだろうが……生きててくれて、嬉しいぜ」
「…………俺を、助けたのか。ベレオヌスの犬どもが……!」
「まさしくベレオヌス公の命を受け、我ら、この地を守っている。民を脅かす者、滅せねばならぬ」
禿頭の長兄イガム・オーグニッドが、言った。
「……我らを、許せぬであろうな。その憎しみ、ひとまず脇に置け」
「この連中の動きを、追っかけてるところでな」
傷顔の末弟ドメル・オーグニッドが、ドルルクら灰色の男たちを見据え、言う。
「見ての通り、タチの悪い毒雑草だ。根元を潰せりゃ最高だが……今はな、見かける度に刈り取るしかねえ。なあリーゲンよ、協力しねえ理由はねえと思うがどうよ」
「はらわたが煮えくり返る相手と……共に、戦わねばならん時もある。それが戦場」
盾の裏から引き抜いた短剣を、リーゲンは立て続けに三本、投射した。
破壊光線を発射せんとしていた直立眼球三体が、短剣に穿たれ、ことごとく破裂する。
「……ボーゼル侯爵閣下の、御教示だ」




