第122話
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父は三十歳、僕は八歳。
暴力で、勝負になるはずがなかった。
それでも僕は、立ち向かった。
父が、母を殴っていたからだ。
優しく温厚な父だった。
母との夫婦仲も、良好だった。
息子の僕には日頃、そう見えていたのだ。
なのに今、父は、何やら喚きながら母の髪を掴み、拳を振り立てている。
僕は、飛びかかった。
容易く殴り返されるに決まっていた。
大柄な父の身体が、しかし吹っ飛んでいた。
僕の、拳または体当たりが命中した、わけではない。
その前に、僕の身体から、何かが迸ったのだ。
目に見えない、力。
それが父を直撃し、吹っ飛ばして壁に叩き付けた。
僕は、倒れていた。
目に見えない力を、ただの一撃で使い果たしたのだ。
力尽きた僕の身体を、母が抱き起こしてくれた。
夫に殴られ、痛々しく腫れ上がった顔が、僕を心配そうに見つめている。
倒れた調度品を押しのけるようにして、父が立ち上がった。
「それだ……それだよ、テスラー……」
言いつつ、よろよろと歩み迫って来る。
「お前に、その力がある事は知っていた……開花、させねばならぬと思っていたのだ」
僕を見つめる父の目には、狂気があった。
狂気しか、無かった。
「やめて……あなた……」
母が、僕を抱き締めてくれた。
「もう、おやめになって……あなた、この子に何をさせようとおっしゃるの?」
「お前も母親ならば、息子の可能性を否定するでない……」
父は言った。
「発現したのだよ。我らの愛しい息子に……偉大なる、ギルファラル・ゴルディアックの力が」
僕の、およそ五百年前の御先祖である。
とてつもない力を持つ魔法使い、だったらしい。
「その力を……さあテスラーよ。もう一度、見せてくれ……」
父は、腰の長剣を抜いた。
「もっと発現させ、開花させ……使いこなすのだ。大ギルファラルに劣らぬ魔法使いとなり、ゼビエル大老のお役に立て」
「あなた……あなたは……っ!」
僕を抱き締めたまま、母が叫ぶ。
「この子を! 御自身の、栄達の道具としか! 見ていらっしゃらないのですか!」
「ようやく、ようやくにして、ゴルディアック家に魔法使いが生まれたのだぞ! 大魔導師ギルファラルの力を受け継ぐ者が、私の息子として! この世に現れたのだ! ゼビエル大老もお喜びになる! 母親の貴様が何故、喜ばぬ!」
父が、斬りかかって来た。
母が、このままでは殺される。
僕は、力尽きている。
五百年前の御先祖から受け継いでいる、らしい力が、都合良く現れたりはしない。
血飛沫が、噴出した。
母、ではなく父の身体から。
黒い人影が、僕と母の傍らに着地した。
細い、長身。黒装束に包まれている。
その右手には短めの剣が握られ、抜き身の白刃からは少しだけ、血が滴っていた。
父の、鮮血。
「……申し訳ありません、奥方様。若君様」
黒装束の男が、母と僕に向かって跪いた。
少年だった。
八歳の僕より、ずっと年上である。
顔面にも覆面が巻き付いて、両目だけが露出している。
その目も、今は伏せられている。
「殺して、しまいました」
その言葉通り、父は死んでいた。
倒れ伏した大柄な屍から、血の汚れが床に広がってゆく。
「いかなる罰でも、お受けします……」
「……いえ。いいのよ、クロノドゥールさん」
母が、弱々しい声を発した。
「その人が亡くなって……ほっとしている私が、ここにいるわ。貴方を罰する資格なんて、ない……」
「……クロノドゥール、逃げるんだ。今すぐに」
僕は言った。
「お祖父様には、僕が話をする。何とか、取りなしておく。だから」
「その必要はない」
力強い、声と足音。
体格の良い、年配の男が一人、部屋に踏み入って来たところだった。
「こやつはな、テスラーよ。お前を遺してくれたのだ。愚かな息子の、唯一の功績よ」
僕の、父親の父親。すなわち祖父。
バルフェノム・ゴルディアックだった。
「私も、殺せとまで命じたわけではないが……」
「申し訳ありません、御主人様……」
「まあ良い、いずれ同じ事になったかも知れぬ」
自分の息子を、いずれ殺す事になっていたかも知れない。
バルフェノム老は、そう言っている。
「この愚か者はな、ゼビエル大老に取り入ろうと日々、くだらぬ工作に勤しんでおった。我ら旧帝国貴族を蝕む、最大の病巣が……あのゼビエル・ゴルディアックであると言うのに」
「お、お義父様……そのような……」
青ざめた母を見つめ、祖父は言った。
「すまぬ、カテリーネ殿。そなたに対する愚息の振る舞い、こやつの命で許して欲しい……始末は、私が付けておく。二人とも、出立の準備をするのだ」
この大邸宅には、もう居られない。
当然の事ではあった。
「つい先程、地方領主の地位を賜った。カテリーネ殿、そなたの郷里であるグルナ地方だ」
「お義父様、それは……!」
「まあ、何と言うか、王都から遠ざけられたという事だな」
一瞬、祖父は苦笑した。
「その方が良い。特に……テスラーよ。そなたは最早、ここにいてはならぬ」
「お祖父様……僕は……」
「何も言うな。わけのわからぬ力の事など、忘れてしまえ……と、いうのも無理かも知れぬが」
祖父が、僕の頭を撫でてくれた。
「お前の、その力には、私は何も求めておらぬ。期待しておらぬ……ゴルディアック家はな、大ギルファラルの呪縛からは、今や解放されなければならないのだ」
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テスラー・ゴルディアックは十八歳になり、クロノドゥールは二十四歳となった。
父ザイード・ゴルディアックの死から、十年。
早いもの、ではある。
この十年間。
テスラーは、生まれ持った魔力の鍛練に励んだが結局、魔法使いとしては先が見えなくなってしまった。
期待していない、と言った祖父バルフェノム・ゴルディアックは、慧眼であったとしか言いようがない。
ただ、魔力はある。
世の、魔法使いと呼ばれる人々と比べれば微弱なもの、とは言え魔力である。
活かさぬ手はない。
そう思い、作り上げたのが、この筒だ。
片手で握り込める大きさの、金属製の筒。
クロノドゥールの右腕から今、排出されたものである。
それをテスラーは拾い上げ、破損がない事を確認した。
もう一度か二度は、使う事が出来そうだ。
この筒に、テスラーが己の魔力を注入する。
その魔力が、クロノドゥールの義手の内部で爆発し、大型の錨を射出するのだ。
射出された錨が、よくわからぬ生き物を直撃・粉砕したところである。
ゴスバルド地方領主マレニード・ロンベル侯爵を庇い、飛び込んで来た生き物。
庇われたマレニードは、全くの無傷である。
テスラーは、唇を噛んだ。
「……すまない、クロノドゥール」
「何を言ってるんだ若君様。錨は、ちゃんと狙った所へ飛んでくれた。完璧な調整だよ」
クロノドゥールは、言った。
「……あんな動く盾を用意されたのが、俺たちの想定外ってだけの話さ」
「盾も、標的も、もろともに粉砕する事が出来なかった。爆発力が……僕の魔力が、貧弱だから」
「駄目だぜ、欲張り過ぎたら。それにしても」
クロノドゥールは、標的に話しかけていた。
「……上手くいかないもんだな。まさか、そんな伏兵を用意していたとは」
巨大な鋼の義手が、クロノドゥールの右腕から分離してズシリと地面に落ちる。
錨の、射出装置。
クロノドゥールが、小声を発した。
「……すまん。頼むぜ、若君様」
「任せてくれ」
もう一つの義手をテスラーは、クロノドゥールの前腕なき右腕に素早く取り付けた。
その間。
錨の射出装置には、テスラーの引き連れて来た者たちが集まり、鎖の巻き上げ作業を行っている。
バルフェノム・ゴルディアック侯爵配下の、技術者たちである。
大型の取っ手を装置にはめ込み、回し、鎖を巻いて錨を引きずり寄せる。
その作業に、人数を必要とする。
改善の余地は大いにある、とテスラーは思う。
「マレニード・ロンベル侯爵……ベレオヌスの手先として、この地を統べる者。お前さんには、死んでもらう必要がある」
そんな事を言いながら、クロノドゥールは標的に歩み近付いて行く。
テスラー、及び技術者たちを、守る格好でもある。
この十年間。本当に、様々な事があった。
その様々の中で、クロノドゥールは右腕を失ってしまった。
義手の開発に、バルフェノム侯は資金を惜しまなかった。
現在いくつかあるクロノドゥールの義手は全て、テスラーが図面を引き、この技術者たちが造り上げたものである。
「王国南部の地を……しかるべき支配者の手に、取り戻す」
言いつつクロノドゥールは、義手の内部に折り畳まれていた刀身をジャキッ! と出現させていた。
「……クロノドゥール殿、でしたわね。確か」
マレニードの傍らに佇む女性が、言った。
長い金髪を、馬の尾の形に束ねた、若い女剣士。
マレニードの味方、か。
どこかで見た事がある、かも知れないとテスラーは思った。
「しかるべき支配者、とは……貴方の御主君バルフェノム・ゴルディアック侯?」
「バラリス・ゴルディアックのような出来損ないで、旧帝国貴族を判断するなよ」
クロノドゥールが、会話の相手をしている。
「バルフェノム様が必ずや、ゴルディアック家の威光を復活させる……帝国の時代が再び、来る。邪魔はさせない」
(君は……それで、いいのか。クロノドゥール……)
言っても仕方のない事を、テスラーは心の中で言った。
(僕は……自分の乏しい魔力を、役立てるための道具を作りたかった。そのために、物作りの知識と技術を学んできた。それを活かせると知って……君が右腕を失った時には、密かに喜んだものさ)
乏しい魔力ではあるが、使い果たしても休息すれば回復する。
この筒が複数あれば、いくらでも貯めておく事が出来る。
無限の力。
それを、クロノドゥールが使いこなしてくれる。
いずれは、錨を射出する、以上の事が出来るようになるだろう。
妻に暴力を振るう夫を、吹っ飛ばす……以上の事も。
(祖父、以上に僕が……君を、便利な道具として使っている。それで、いいのかい? クロノドゥール……)




