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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第121話

「待って! 待って下さい!」

 ミリエラ・コルベムが、悲鳴に等しい声を発している。

「シェルミーネ様は、そんな事していません! それは、あの事件に関しましては、その」


 可愛らしい口を、やんわりと片手で塞ぎ、黙らせたいところである。

 このような状況でなければ。

 心から、シェルミーネ・グラークは、そう思った。


 ヴィスガルド王国、ゴスバルド地方。

 木立の多い原野にてシェルミーネは今、一人の剣呑なる男と対峙していた。


 兄アルゴ・グラークほど、ではないが巨体である。甲冑の下で、隆々たる筋肉が息衝いているのがわかる。

 立派な髭をたくわえた顔面は、ニヤリと不敵に歪み、獰猛さを見え隠れさせている。


「お聞きなさいな聖女殿。真相や真実なんていうものにはねぇ、そんなに意味は無いのよ」

 男は言った。


「こちらのシェルミーネ・グラーク嬢はね、健気な平民娘アイリ・カナンを虐めて苛めてイジメまくって、それでもアイリちゃんが全然へこたれないものだから自棄を起こして、最後にお馬鹿な自滅を晒した悪役令嬢……でなければダメなのよ、もう。それが全て。それ以外の物語は要らない、あってはいけない。そんなもの誰も読みたがらない。そうよね?」


「おっしゃる通りですわ、御領主様」

 細身の長剣を、シェルミーネは構えた。

 眼前の男には素手でへし折られてしまいそうな繊細な刀身は、およそ五百年前の、邪悪な魔力の塊である。


「あまりにも愚かしい自滅を晒したものですから私、実家を追い出されて彷徨っている最中ですの」

 シェルミーネの言葉に合わせ、いくつもの光の盾が、周囲で浮遊旋回をしている。


 こんな防護で、守る事が出来るのか。

 後方。

 ミリエラの小さな身体で庇われている、この無様で惨めで醜悪な生命体を。


 かつては、生きた人間であったもの。

 こんなものを、戦ってまで守る理由など、あるはずはなかった。


「落ちぶれた悪役令嬢……この世で最も惨めなるもの。それが私ですわ御領主様。惨めな生き物を、だから放っておく事が出来ませんの」

「その通り、惨めだからって放っとくワケにはいかないのよね」


 ゴスバルド地方領主マレニード・ロンベル侯爵が、右手の鞭を振るった。

 空気の破裂する轟音が、響き渡る。

 攻撃ではない、威嚇だ。

「惨めなものは……とっとと殺処分してあげないと、かわいそうでしょ?」


「……それなら貴方は、まず私を殺処分しなければ」

 シェルミーネが言いかけた、その瞬間。


 浮遊していた光の盾が、全て砕け散った。


 マレニードの鞭。今度は、威嚇ではない。

 うねる大蛇の如き一閃が、全ての盾を薙ぎ払い、粉砕していた。


 光の破片が飛び散り、降り注ぐ中。

 シェルミーネは駆けた。踏み込んだ。


 マレニードの巨体が、すでに眼前にある。

 細身の長剣を、シェルミーネは突き込んでいった。


 跳ね返された。


 マレニードの、左手の得物。

 刀身の短く分厚い剣が、細身の刃を弾き返したのだ。


 叩き落とされかけた武器を、シェルミーネは即座に構え直した。

 そして、斬り込む。突き込む。踏み込んで行く。


 細身の長剣が、様々な形にマレニードを猛襲した。

 斬撃、刺突、その中間。

 それら全てが、短く分厚い刀身に防がれ、弾かれ、火花を散らす。


 防戦一方のまま、マレニードは後退していた。

 逃げ、ではない。間合いを開くための、滑らかな体移動。


 踏み込んで追おうとしながら、シェルミーネは即座に断念し、跳躍した。


 直前までシェルミーネの身体があった所で、空気が破裂した。

 マレニードの鞭。轟音を伴う、空振りだった。


 その間シェルミーネは空中で、宙返りと共に長剣を振るっていた。

 馬の尾の形に束ねられた金髪と一緒に、細身の切っ先が弧を描く。


 斬撃の大車輪が、そこに出現していた。

 絶大な魔力で組成された、光の大車輪。


 それが射出され、マレニードを強襲する。


 左手の剣で、マレニードは迎え撃った。

 短く分厚い刃が、白い気の光を帯びる。

 そして、猛回転する斬撃の大車輪とぶつかり合う。


 烈しい火花が生じ、散り続けた。


 まるで牙を剥くように歯を食いしばるマレニードの首筋に、シェルミーネは長剣を突き付けていた。


 着地、と同時の踏み込み。

 たくましい首筋に触れる寸前で、細身の切っ先は止まっている。


「…………どういうつもり、かしら?」

 獣が牙を剥き、唸るように、マレニードは呻く。

「あたしに……命を一つ、貸したとでも?」


「確かに、この状況。勝ち負けを言うならば私の勝利、ですわね」

 シェルミーネは言った。

「アドランの帝国陵墓にて、とある御方より賜った……この剣のおかげで勝てたようなもの、ですわ」


「……確かに、凄い剣よね。貴女のそれ」

 猛回転し続ける光の大車輪を、左手の剣で受け止めながら、マレニードは苦しげな声を漏らす。

「ここまで凄い魔法斬撃、努力と修練だけじゃなかなか出せないわよねっ……だけど。便利な武器を求めるのは、戦う者なら当然の事。恥じる必要ないわ」


「なりふり構わず勝たなければならない戦いなら、ね。私も、この切っ先を止める事はありませんでしたわ」

 細身の長剣を、シェルミーネは鞘に収めた。


「大きな落ち度もなく、この地を見事に治めていらっしゃる御領主様のお命を、ここで私が奪ったところで……一体、誰が幸せになるのかというお話ですわね」


「……得をする奴は、いるだろうな大勢」

 人間ではない、無様で醜悪な肉塊と化した男が、どこに発声器官を残しているのか、流暢に言葉を発している。


「この地で厄介事を起こそうとしている連中に、してみたら……あんたみたいな強くて有能な御領主は、甚だ邪魔なんだよ。あんたが死ねば……そいつらは、大いに幸せになるだろうな……」


「この地で厄介事を、起こそうとしていらっしゃる方々」

 シェルミーネは、片手で顎に触れた。

「……そういう問題が、ありますのね。やはり、この地方にも」


「…………ふんっ、ぬがぁあああッ!」

 マレニードは、左手の剣を振り抜いた。

 猛回転していた斬撃の大車輪が、砕け散った。


 シェルミーネは、惜しみない拍手を贈った。

「お見事!」


「…………ねえ悪役令嬢。貴女たち、宰相閣下の御命令で来てるワケよね? こんな南の方まで」

 マレニードが、ぎろりと睨んでくる。


「何。あたしたちの仕事を粗探しして、宰相様に言いつけちゃう? ふふん。マレニード・ロンベルは、これこれこういう失敗をしてますから死刑にしちゃいましょうって言うね」


「そんなお仕事なら、私やミリエラさんでなくとも出来ますわ」

 シェルミーネは言った。


「私たちはね、宰相閣下より、そこそこの裁量権を賜っておりますの。行く先々で起こる問題に関しては、見て見ぬふりは自由、介入も自由。その結果、命を落としても自己責任……宰相閣下はね、私たちを守っては下さいませんわ。私に何か無礼を働いたところで、怒るのは私だけ。宰相閣下より処罰を賜る事はありませんから御安心なさいませ。あ、もちろんミリエラさんへの無礼は許しませんわよ」


「……ふん、なるほど。宰相閣下の威を借りるつもりはないと、そう言いたいわけね」

「お話を……聞かせて下さいませ、御領主様。私がお話を聞こうとした方々は、貴方が皆殺しにしてしまわれましたわ」


 ミリエラに庇われている、醜悪な肉塊に、シェルミーネは眼差しを向けた。

「何故……このような事が、起こっておりますの?」


「こいつらは……バラリス・ゴルディアックの、残党よ。生き残りと言うか、死に損ないと言うか」

 マレニードが語る。


「こういうものを作る連中が、いたのよ。今もいるわ。片っ端から狩り出して殺処分しているところよ……首を突っ込む気があるなら、手伝いなさいシェルミーネ・グラーク」


「そうする事に、なりそうですわね。ただ、その前に」

 シェルミーネが言いかけた、その時。


 バラリス・ゴルディアックの残党、であるらしい男が、動いた。

 露出した臓物を蠢かせて這いずっている、ような異形の肉体が、信じ難いほど敏捷に躍動し、マレニードを急襲する。


 いや、違う。

 庇っていた。


 無様で惨めで醜悪な肉塊、としか表現しようのない身体が、ゴスバルド地方領主の巨体を突き飛ばしながら、激しく潰れて原形を失った。

 マレニードを狙って飛来したものに、叩き潰されていた。


 巨大な、錨である。


 潰れた男の肉片が、それに付着しながら言葉を発している。

「……俺は、な。兵士だったんだぜ? 民衆を、守る……ために戦う……最初の頃はな、そんなつもりでいたんだ。残念ながら……仕える主を、間違えてしまった……」


 飛び散った無数の肉片が、虫の如く這って集まろうとしながら、力尽きて干涸らび、崩れてゆく。


「マレニード・ロンベル……この地の民には、あんたが必要だ……しっかり仕事しろよ、くそ領主が……」

 錨にこびりついていたものが、剥がれ落ち、崩壊し、跡形も無くなった。


 マレニードは突き飛ばされて即座に起き上がりながら、呆然としている。


 青ざめたミリエラを背後に庇ったままシェルミーネは、地面に突き刺さった錨を観察した。

 太い鎖を引きずって、飛来した錨。


 その鎖を、目で追った。

 巨大な鉄の塊から、鎖は伸びている。

 錨の、恐らくは射出装置。


 それは、一人の男の右腕だった。


「……上手くいかないもんだな。まさか、そんな伏兵を用意していたとは」

 細めの長身を、黒装束で包んだ男。


 巨大な錨の射出装置が、右腕から分離してズシリと地面に落ちる。

 鋼鉄の義手、であった。

 右腕の肘から先を、男は失っている。


「マレニード・ロンベル侯爵……ベレオヌスの手先として、この地を統べる者。お前さんには、死んでもらう必要がある」


 言いつつ男は、もう一つの義手を、すでに装着していた。

 単なる鉄塊にしか見えない、金属製の前腕。

 その内部に折り畳まれていた刃が、ジャキッ! と音を立てて出現する。


「王国南部の地を……しかるべき支配者の手に、取り戻す」


「……クロノドゥール殿、でしたわね。確か」

 シェルミーネは、名を呼んだ。

「しかるべき支配者、とは……貴方の御主君バルフェノム・ゴルディアック侯?」


「……バラリス・ゴルディアックのような出来損ないで、旧帝国貴族を判断するなよ」

 クロノドゥールは言った。


「バルフェノム様が必ずや、ゴルディアック家の威光を復活させる……帝国の時代が再び、来る。邪魔はさせない」

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