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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第120話

 母のために今更、出来る事などない。


 この無惨な男に対し、慈善の真似事をしたところで、母に何か届けられるわけではないのだ。


 母は、死んだ。


 あの痛まし過ぎる最期を遂げた時の母と、この男は、同じような有り様を晒している。


 もはや人間ではない。

 巨大な臓物を露出させた肉塊。

 そう表現するのが、最もふさわしいか。


 そんな姿でありながら、人の原形のようなものが微かに、確かに、感じられるのだ。


 滑稽な事に自分ミリエラ・コルベムは今、そうなってしまった男を、救おうとしている。守ろうとしている。


 母を救う真似事をせずにはいられない、愚かな少女を今、シェルミーネ・グラークが守ってくれているのだ。


「あのジュラード殿が、貴方がたという道具を用いて一体、この南方の地で何を為さんとしておられるのか……全て、お話ししていただきますわよ」


 いくつもの光の盾を周囲に浮かべたまま、シェルミーネは言い放った。

 周囲の木陰から姿を現しつつある、灰色の男たちに向かってだ。


 ヴィスガルド王国、ゴスバルド地方。


 木立の多い原野で、シェルミーネとミリエラは今、灰色のローブに身を包んだ男たちに取り囲まれている。


「死せる人間を、生き返らせる……そのための一体、何を」


 シェルミーネの言葉に、灰色のフードで素顔までも隠した男たちが、口々に応える。


「……ふん。我らが偉大なる導師ジュラードの大望を、そこまで知っているとはな」

「いかにも。我々は、生死の境を超える試みに、全てを捧げているのだ」

「その男は、この大いなる試みの産物である。引き渡してもらうぞ」


 人の原形を微かにとどめた、この醜悪な生命体を、灰色の男たちは捕縛・連行せんとしているのだ。


 それをさせない理由など、ミリエラにもシェルミーネにも無い、はずであった。


「ほう、貴様……シェルミーネ・グラークではないのか?」

 灰色の男の一人が、気付いたようだ。

「ならば。大皇妃陛下より賜った物が、あるはずだな」


「……これの事、ですわね」

 腰に吊ったものを、シェルミーネは左手で軽く撫でた。

 鞘を被った、細身の長剣。

「貴方たち……私の動きを、探っていらっしゃるの? 殿方が大勢で小娘一人を。何とも、まあ」


「その剣はな、ヴェノーラ・ゲントリウス陛下の御力そのもの……令嬢の玩具ではないのだよ」

「我らが有効に用いてやる。よこせ、小娘」

「我々は、魔王ヴェノーラ・ゲントリウスの黒魔法を受け継ぎ、後世に伝えてゆく者。その剣は、我らが管理せねばならぬ」


 言葉に合わせ、男たちの頭上や眼前で、炎が渦巻き、雷雲が生じてバチバチと発光し、冷気が固まって氷の矢を生成する。


 攻撃魔法。

 この男たちの号令ひとつで、一斉に放たれるだろう。


 光の盾を周囲で旋回させながら、シェルミーネは溜め息をついた。


「ヴェノーラ陛下も、罪な御方……ですわね。偉大すぎるあまり、お馬鹿な追従者を大量に生み出してしまわれて。後世の私たちが大いに迷惑しておりますわ」


「痴れ者の小娘が……!」

 男たちの攻撃魔法が、一斉に放たれる……かと思えた、その時。


 空気が、破裂した。

 言葉で表現するとしたら、それが最も近い。


 凄まじい音が響いたので、ミリエラは、両手で耳を塞いだ。


 その間。灰色の男たちは、砕け散っていた。


 三人、五人と、衝撃に打ち据えられて原形を失い、様々なものを空中にぶちまける。

 放たれる寸前だった攻撃魔法が、消滅する。


「何者……!」

 一人が、言いかけて破裂した。


 灰色のローブの切れ端、肉片、体液の飛沫。

 様々なものを蹴散らして、蛇が空中を泳いでいる。


 蛇、に見える。

 否、それは鞭であった。


「誉めてあげるわ、死に損ないの敗残兵ちゃん」

 ずしりと重く、どろりと粘性のある、男の声。


「とっととねぇ、殺処分しても良かったのよ? だけどまあ、めんどくさい思いをしてまで生かしておいてあげた……そのおかげで、釣れたわ」


 甲冑姿の、大男である。

 鎧を内側から圧迫するほどに筋骨隆々たる巨体が、果たして今まで、どこに潜んでいたものか。

 いつの間にか出現し、歩み寄って来る。


 力強い右手で、太く長大な鞭を環状に束ね、握っている。


 髭の似合う厳つい顔面は、紳士的であり、凶悪そうでもあった。


 死に損ないの敗残兵、と呼ばれた男が、人の原形を微かにとどめた肉体を震わせて呻く。

「…………マレニード・ロンベル侯爵……そう、か。俺は、やはり……泳がされて、いたんだな」


「長保ちのする実験体……その実験をしている連中がね、いずれ興味を持って集まって来ると思ったのよ」

 紳士的に見えなくもない髭面が、ニヤリと冷酷に歪む。


「ゴスバルド地方の民を脅かす、不穏分子の群れ……さすがに全員ではないようだけど。コソコソ逃げ隠れて悪事を働く連中を、よくぞ! これだけ集めてくれたわね。誉め言葉くらい、あげてもいいわよ」


「マレニード・ロンベル……野良犬から成り上がった飼い犬が! 人語で、世迷い言を吐くかっ!」

 灰色の男たちが、激昂する。


 シェルミーネに向かって放たれる、はずであった攻撃魔法が全て、マレニード・ロンベルと呼ばれた大男を猛襲した。


 火炎の渦、電光の筋、氷の矢。


 襲い来るそれらに対し、マレニードの巨体が猛然と踏み込んだ。


 右手に鞭を束ね持ったまま、彼は左手で、光を抜き放っていた。

 短めの剣。

 厚みのある刀身はしかし、この大男が振るえば人体を両断するだろう。


 その刃が、淡く白い、気力の輝きを帯びている。


 白色光の弧を描く斬撃が、火炎の渦を裁ち切り、電光の筋を切り砕き、氷の矢を粉砕する。

 火の粉が、電光の飛沫が、氷の破片が、飛散しながら消滅する。


 そして、鞭が伸びた。


 環状に束ねられていた鞭が、空中に解き放たれて蛇と化した。

 ミリエラには、そう見えた。


 大蛇の乱舞が、灰色の男たちを、人ではなく物のように打ち砕いてゆく。


 左手の剣、右手の鞭。

 筋骨たくましい大柄な甲冑姿が、軽やかに躍動して攻防一体の戦技を披露する。


 ミリエラは、思わず見入った。


 それは血生臭い戦技でありながら、豪壮美麗なる舞踏でもあった。


(こんな……こんなふうに、綺麗に……人を、殺せる。そんな人なら……人の命が軽く見えてしまうのも、当たり前……かも知れない……)


 そんな事をミリエラが思っている間。

 灰色の男、最後の一人が、大蛇の如き鞭の一撃で粉砕され、飛び散った。


 助かった、とミリエラは思えなかった。


 この蛇使いの巨漢が出現した事によって自分たちは、より危険性の高い状況へと追い込まれたのではないか。


 そう思っても、感謝はしなければならない。

「……あの……ありがとう、ございました」


「今アナタが思っている通りよ? 小さくて可愛らしい聖女さん」

 ニヤリと歪む髭面が、ミリエラに向けられる。


「そう。あたしはねぇ、か弱いお嬢ちゃん方を助けてあげたワケじゃあないのよ。お気をつけなさい? アナタたち、まだ全然助かってないんだから」


「マレニード・ロンベル侯爵閣下……ゴスバルド地方の御領主様で、いらっしゃる?」

 シェルミーネが言った。


「御自らが単身こうして現場にお出ましになり、武勇を振るわれる……軽率の誹りは、甘んじて受けられると」


「この連中が相手だとね。下手に人数を使っても、人死にが増えるだけなのよね」

 灰色のローブの切れ端がこびりついた、人体の残骸。

 大量のそれらを、マレニードは一瞥した。


「……バラリス・ゴルディアックの後ろにいた連中よ。ボーゼル・ゴルマー侯爵も、アラム・ヴィスケーノ王子も、こいつらを皆殺しにする事は出来なかった」


「だから今、現役の御領主様が苦労をなさっている、というわけですのね。頭が下がりますわ」

「お仕事ですから」

 マレニードは、広い両肩を微かに竦めた。


 その眼差しが、ミリエラとシェルミーネを迂回する。

「と……いうわけでね、お仕事の仕上げよ」


「何を……」

 死に際の母、と同じ様を晒している男。

 その痛ましいほどに醜悪な姿をミリエラは、マレニードの眼光から庇った。

「なさる、おつもり……ですか……」


「おどきなさい、小さな聖女殿」

 マレニードは告げた。


「あたしの鞭はね、アナタを避けて、その無様な肉の塊を打ち砕く事が出来る……けれど、そこにいると汚れるわよ? いろんなモノ飛び散るんだから」


「……用済み、というわけですの?」

 シェルミーネが、無様な肉の塊と呼ばれた男もろとも、ミリエラを背後に庇ってくれた。

「用済みなら、放っておいて差し上げても……良いのでは、なくて?」


「ねえ悪役令嬢シェルミーネ・グラーク。貴女がリアンナ・ラウディースを殺したのは何故? 役立たずの用済みになったから、じゃあないのかしら?」


 マレニードの笑顔が、牙を剥くように獰猛な歪み方をした。

「用済みは、早急に始末するもの。違うかしら」


「…………違いませんわ」

 言いつつシェルミーネは、細身の長剣を抜いた。


「そう、私はリアンナを……役立たずの用済みとして、始末いたしましたのよ。アイリ・カナンを殺せなかった無能者。おかげで私の上昇婚も、グラーク家の栄達も、台無しになってしまいましたわ」

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