第117話
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「御苦労だったな、ベル」
父ボーゼル・ゴルマーは、労いの言葉をかけてはくれた。
だが、表情は暗い。
豪放磊落そのものの顔面が、今は陰惨な翳りを帯びている。
ヴィスガルド王国南部、ロルカ地方。
執政府ケルティア城にて、ベルクリス・ゴルマーは今、父であり主君であるボーゼルと合流したところである。
これまで、別働隊を率いていた。
王国南部の民を虐げる旧帝国系勢力、その領袖たるバラリス・ゴルディアック侯爵を、どうにかベルクリスが討ち果たしている間。
父ボーゼルは本隊を率いて進撃・転戦し、バラリス侯の支配下にある三つの地方を制圧していた。
メルセト地方、ゴスバルド地方、そしてここロルカ地方。
それぞれに領主がいて全員、バラリス・ゴルディアックの配下と言うか追従者のようなものであった。
ロルカ地方の執政府ケルティア城は、ベルクリスが到着した時にはすでに陥落しており、城主ゲルトー・レンドルフ侯爵が今こうして囚われの身となっている。
「い……命ばかりは、助けてくれるのだろう? ボーゼル卿……」
城壁の上、である。
磔台が二つ、設けられている。
その片方に、ゲルトー侯爵は束縛されていた。
「まさか……まさか、このような場所で領主を殺害する……などという凶行に及ぶ事はあるまい!? 民が、民が! 見ておるのだぞ!」
その言葉通り、城壁の下には、ロルカ地方の民衆数百人が群がり集っていた。
つい先日まで、自分たちの直接の支配者であった人物が、磔刑に処されつつある様を、じっと見上げている。
「その通り。俺はな、民に見せねばならんのだよ御領主殿」
ボーゼルは言った。
傍らに、同盟者ペギル・ゲラール侯爵が控えている。
ボーゼルの言葉を引き継ぐように、言う。
「ゲルトー・レンドルフ侯爵。貴公を、これより処刑する」
槍を持った兵士が二人、進み出る。
磔台に拘束されたまま、ゲルトーが喚いた。
「私は降服したのだぞ!」
「遅い」
ボーゼルは、切り捨てた。
「最初に、俺は言ったはずだ。南方の民を救い守るため、協力をして欲しいとな。降服勧告ではない、協力の要請だ。貴殿の、領主としての御立場。御本人及び御家族の、身の安全。全てを、このボーゼル・ゴルマーが保証する……と。然るにゲルトー・レンドルフ侯爵閣下、貴殿は何と応えたか?」
「許してくれ……お、お許しを……」
「山猿が、人の言葉を話すなと。帝国の威光を畏れ、山へ帰るが良い……と。偉大なる帝国貴族ゲルトー・レンドルフ侯爵閣下より、俺はそのような御言葉を賜ったわけであるが」
ボーゼルは、ゲルトーの顔を覗き込み、にやりと笑った。
やはり、陰惨な笑顔であった。
「……どうであろう。帝国の威光には、山猿を山へ追い返す程度の力はあったのだろうか? 果たして」
「…………わかった。誇りある帝国貴族として、ここは……潔く、死を受け入れる事にする」
ゲルトーは、呻いた。
「だが、ボーゼル卿……頼む、お頼み申す……私の、妻と子らの命だけは……」
「助けて、差し上げたかった」
ボーゼルの口調は、重く暗い。
父は今から陰惨な事をしなければならないのだ、とベルクリスは思った。
もう一つの、磔台。
赤ん坊を抱いた女性と、幼い男の子。計三人が、ひとまとめに拘束されていた。
ゲルトー侯爵の、奥方と子供たち。
赤ん坊は、母親に抱かれたまま状況もわからず、無邪気な声を発している。
奥方も、幼い子息も、覚悟は決めてしまったようである。青ざめたまま、目を閉じている。
母子三人、拘束されたまま、しっかりと抱き合っている。
じっと見つめ、ボーゼルは言った。
「この城を攻める前、俺は言ったぞ。ゲルトー侯爵、貴公にだ……降服しろと。降服すれば、御家族のお命までは取らぬと」
「…………バラリス侯が、必ず……助けに、来てくれる……そう、思っていたのだ」
ゲルトーが、どうにか聞き取れる声を発する。
ベルクリスは、言葉を投げた。
「悪いなあ。あのバラリス侯爵さん、それどころじゃなかったんだよ。あんた方を見捨てて逃げて……本当、逃げ足の速さは大したもんだった。あたしもな、うっかり取り逃がしちまうとこだった」
「よくぞ追い付いて、仕留めてくれたではないか。ベルよ」
ボーゼルが言った。
「仕留めきれずとも仕方がない。最悪でも、こちらの戦線に合流させずにおいてくれれば良い、と。そう思っていたのだがな」
「……ある人たちの、おかげなんだよ。親父殿」
正直に、報告しなければならない。
「とんでもなく強い、義勇軍さ。その人たちがいなかったら間違いなく、バラリス侯爵を取り逃がしてた」
「ふむ。連れて来たのか? その義勇軍を」
「城の外で、待ってもらってる。会って欲しいんだよ、親父殿に」
「わかった。では、こちらを手早く済ませてしまおうか」
「ボーゼル卿!」
ゲルトーが、悲鳴を上げた。
「貴公に恥を知る心は無いのか! 人として当然あるべき慈悲は! 道義は! 何も持ってはいないと言うのか!」
「なあ御領主殿。俺はな、戦を始めたのだよ。死ぬのは屈強な男ばかり、女子供は無事でいられる……そんな戦が、あるとでも思っているのか」
ボーゼルは言った。
「貴公はな、御家族を助けられるという時に、その選択をしてくれなかったのだよ。もはや、どうにもしようがない」
「ボーゼル卿、頼む!」
「敗れたところで、己一人が死ねば済む。最悪でも、自分の家族は生き残る事が出来る……それでは今後、俺に刃向かう者が後を絶たぬ」
「……待って、くれないか。親父殿」
ベルクリスは、声を上げた。
「あれを見て欲しい……気付いては、いるのかも知れないけれど」
城壁の外側を、ちらりと見る。
父の視線を、そちらへ導く。
ロルカ地方の民衆。
城壁の上で今まさに執行されつつある処刑の様を、じっと見上げている。
声を、発しながらだ。
「ボーゼル様! わしらの御領主を、どうかお助け下さい!」
「ゲルトー侯爵閣下は、いい人なんです本当は! だから殺さないで!」
「それは確かに、バラリス侯爵の言いなりになって色々ひどい事もしましたけど……」
「本当は、お優しい方なんですゲルトー様は! バラリス侯爵がいなくなったら、優しい御領主様に戻ってくれます!」
「せめて、せめて! 奥方様と、お子様方だけは! どうか、お助け下さいませ!」
このゲルトー・レンドルフという人物は、少なくとも、数百名の民からは助命嘆願が起こる程度には、ましな君主であったようだ。
「聞け、民よ」
ボーゼルの声は、さほど大きくはない。
それでも、数百人の民衆は静まり返った。
「このボーゼル・ゴルマー、確かにお前たちの救済を掲げて戦を起こした。が、お前たちを甘やかすつもりはない。ゴルマー家に刃向かう者が、いかなる末路を辿る事となるか……見届け、覚えおくが良い」
「あたしが、やる」
ベルクリスは言い放ち、鎖を鳴らした。
父親直伝の、鎖鉄球。
ゲルトー侯爵を家族もろとも、一瞬で死なせてやれる。
「……親父殿は、英雄だ。ここの民衆にとって、英雄じゃなきゃいけない。命令も、するな。あんたが命令する前に、あたしが勝手に殺したんだ」
ベルクリスは、鎖を振るおうとした。
その時には、磔台は二つとも砕け散っていた。
ゲルトー侯爵も、奥方も子供たちも、跡形もなくなっていた。
自分では、こうはいかない。
呆然と、ベルクリスは思った。
自分の一撃では、惨たらしい肉の残骸が残ってしまう。
血まみれの流星が、宙を舞った。
鮮血が付着した、鉄球。
鎖を引きずり、ゆったりと飛翔している。
その鎖は、ボーゼルの力強い右手に握られている。
「……なあベルよ。花嫁選びの祭典、あっさり脱落し逃げ帰って来た負け犬よ。お前どうせ、どこへも嫁には行けんだろう」
ボーゼルは言った。
「だから、お前は俺の跡を継げ。ゴルマー家の総領娘よ、お前がヴィスガルド王国を統べる女王となるのだ。お前の方が俺よりも、民衆と上手くやってゆける」
血まみれの鉄球を、ボーゼルは眼前にぶら下げた。
「それまでに……こういう事はな、俺が終わらせておいてやる」
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「……血生臭い話ばっかりで、本当にごめん」
ベルクリスは、頭を下げた。
「大丈夫だった? イレーネさん」
「……平気よ。血生臭いお話なら、私たちライアット家も負けてはいないわ」
ヴェルジア地方、執政府リーネカフカ城。
露台で、ベルクリスは茶を振る舞われていた。
領主母子と、卓を囲んでいるところである。
「私の方こそ……貴女に、辛いお話をさせてしまって」
領主の母君イレーネ・ライアット夫人が、言った。
「……辛い事ばかりで、本当に……よくぞ生き延びて下さったわ、ベルクリスさん」
「あたしには、親父譲りの腕っ節がある。悪運もあった。自分一人、生きるだけならね。そう難しくはなかったよ」
あんたの方こそ、辛い事ばかりだったのではないか。
ベルクリスはイレーネに、そう訊いてしまうところであった。
それに近い話は、ここに逗留している間、何度かした。
シグルム・ライアットという、英傑として名高い人物に嫁いでしまったせいで、この女性は、しなくとも良い苦労を随分としたようである。
その夫妻の子息、ヴェルジア地方領主メレス・ライアット侯爵が、感慨深げに声を漏らす。
「ボーゼル・ゴルマーの叛乱……その当事者から、詳細な話を聞く事が出来た。思いもかけぬ幸運であった、と思う」
「楽しんでもらえたなら、何よりだ」
「さあ、果たして楽しんで良い話であるのかどうか……」
「笑い話さ、もう」
ベルクリスは、空を見た。
あの父親は本気で、この王国を支配する気でいた。
そして。腕っ節しか取り柄のない一人娘を、女王の座に据えるつもりでいたのだ。
(笑い話にしか、ならんだろ。なあ親父殿……)
「……ちょっと長く、ここでお世話になり過ぎた」
ベルクリスは言った。
「そろそろ、お暇しようと思う。旅の支度は、もう整えてあるんだ。明日にでも出て行くよ。本当に……お世話になりました、ありがとう」
「そうか、行かれるのか」
メレスは、引き止めようとはしなかった。
イレーネは、名残惜しそうにしてくれている。
「……また、お会いしたいわ。誰かとお喋りをするのが、こんなに楽しいなんて思わなかったから」
「元気でね……としか、イレーネさんには言えないな。本当、身体に気をつけてよね」
壊れてしまいそうに細い手を、ベルクリスはそっと握った。
メレスが、椅子から立ち上がる。
「我が領内の荒仕事を……貴女には、随分と押し付けてしまったな」
「ただ飯喰らいは、したくなかった。それだけさ」
「やはり……南に、帰られるのか?」
「ちょっと色々、見届けなきゃならない事があると思う。ただ、その前に」
西の方角を、ベルクリスは見つめた。
ここヴェルジアの西に隣接しているのは、ヴィスガルド王国最西の地ドルムト地方。
シェルミーネ・グラークの出身地である。そして。
「アイリのお墓に、挨拶を……ね」




