第116話
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「ほう」
石造りの大空間に、重々しい足音を響かせながら、ドルフェッド・ゲーベルは言った。
「貴様、あのベルクリス・ゴルマーと面識がある、どころか戦ったのか」
「……はい」
ガロム・ザグは答えた。
「自分は、負けました。生きていられたのは幸運です」
「あれに勝てる者など、そうはおらん」
足音は、重い。
だが。まるで肥えた猪のようなこの男は、動く時は恐ろしく身軽である。
仮に今ここで自分が牙剣で打ちかかったとしても、敏捷に対処されてしまうだろう、とガロムは思う。
「……そうか。やはり生きていたのだな、あの剛力令嬢」
ドルフェッドは、感慨深げである。
安堵している、のであろうか。
ゴルディアック家、大邸宅跡地。
地上は完全なる廃墟だが、地下の空間は、ほぼ無傷だ。
無数の石柱が立ち並ぶ、静謐の大空間。
そこを歩きながらドルフェッドは、とりあえず語り終えたところである。
ボーゼル・ゴルマー侯爵の叛乱。
その最前線の有り様を、実際に戦った者として。
「あの女が、そうそう死ぬワケはねえよな。父ちゃん」
ゼノフェッド・ゲーベルもいる。
この父子にとってベルクリス・ゴルマーは、言ってみれば戦友のようなもの、なのであろう。
私兵部隊を派遣したベレオヌス・ヴィスケーノ公爵に、何かしら政治的な思惑があったにせよ。
派遣された私兵隊は、南方の戦場で、かの剛力令嬢と生死を共にしたのだ。
同胞意識に近いものが生まれても不思議はない、とガロムは思う。
だが。叛乱者ボーゼル・ゴルマーの血縁者が存命である、となれば。
王国の体制側に身を置く人間としては、同胞意識など抱いている場合でもないだろう。
ドルフェッドが、立ち止まった。
「で……これか、ガロムよ。貴様の報告にあったのは」
「はい」
石柱ではない柱、である。
ぼんやりと発光し、この広い地下空間全域に、不吉な明かりをもたらしている。
それは柱であり、巨大な容器でもあった。
透明な円筒形。材質は硝子、に見える。
中身は、液体で満たされている。水ではなかろう。
その中で一人、眠りに就いている人物。
壮年の男、に見える。いや初老に達しているか。
閉ざされてなお、燃えるような眼光を感じさせる両眼。
液体中に広がる頭髪は、まるで獅子の鬣だ。
裸の肉体は、暴力的なまでに力強く、隆々たる筋肉には凶暴性が漲っている。
今にも覚醒して暴れ出し、この巨大な容器を、内側から粉砕してしまいそうである。
「……何でぇ、コイツは」
ゼノフェッドが睨み、牙を剥いた。
柱の中の人物と比べ、身体の大きさは、この男の方がいくらか上ではある。
ドルフェッドが、その名を口にした。
「建国王、アルス・レイドック・ヴィスケーノ陛下……で、あらせられると。ジュラードは、そう言っていたのだな?」
「はい。真実かどうかは、わかりませんが」
ガロムは言った。
「リオネール・ガルファと戦いながら、自分はここに迷い込みました。魔力で封鎖されていた、との事ですが……あのジュラードが、それを解いてくれたんです」
「この屋敷にいた、ゴルディアック家の有象無象どもは……だから、これの存在を知らなかったというわけか」
ドルフェッドが、柱の表面に手を触れる。
やはり硝子、に見える。しかし。
「おぅらッ!」
ゼノフェッドが、そこに大斧の一撃を叩き込んだ。
跳ね返された。
熊のような巨体をよろめかせ、ゼノフェッドは呻く。
「こ、こいつぁ……」
「……馬鹿力で破壊出来るものではない、という事だろうな」
ドルフェッドが言う。
硝子にしか見えない柱の表面は、全くの無傷である。
中身の液体は、いくらか揺らいだのであろうか。
建国王アルス・レイドック・ヴィスケーノ、であるらしい人物は、しかし閉ざした目蓋を微動だにさせず、眠り続けている。
ゲーベル父子と、ガロム。
三人とも、ここへ普通に歩いて来る事が出来た。
魔力による封鎖は、ジュラードによって解除されたままであるという事だ。
魔力の護りが失われる事はない、と彼は言ってはいたが。
ガロムは、訊いてみた。
「隊長、ジュラードは……あれから姿を消したまま、なのでしょうか?」
「最初から、いなかったかのようにな」
ドルフェッドは答えた。
「……大魔導師ギルファラル・ゴルディアックは、このアルス王を蘇らせるべく、様々に手を尽くしていたと。ジュラードは、そう語っていたのだな?」
「はい」
「……たまんねーよ。父ちゃん、そいつぁ」
ゼノフェッドが、呻く。
「死んじまった人間を、生き返らせる。んな事されちまったらよォ。俺ら、どいつもコイツもぶっ殺し隊……何のためにいンのか、わかんなくならぁな。ま、ベレオヌス公に逆らう連中なら、生き返ろうが何回でも皆殺しってもんだがよ」
「実際、我々はそれをした。南の戦場でも、この屋敷でもな。死に損ないどもを、大いに殺処分したのだ」
眠れるアルス王を見据え、ドルフェッドは言った。
「この建国王が今後、あれらと同じものと化して暴れ出す……可能性は、充分にあるという事だ。両名、心しておけよ」
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村が一つ、地上から消え失せていた。
村人の屍を肥やしに育った雑草が、森林の如く生い茂り、人家の残骸をも侵蝕している。
そんな場所に、いくつもの人影が佇んでいた。
灰色の、影。
虐殺された村人たちの霊魂、のようでもある。
だが、発せられているのは肉声だ。
「イルベリオ・テッドが、死んだようだな」
「……惜しい事をした。我らと、行動を共にしておれば」
灰色のローブに身を包み、フードを目深に被って素顔を隠した男たち。
霊魂、ではない。
死霊にも似た雰囲気をまとう、生身の人間たちである。
「あの男は、優し過ぎたのだ。ヴェノーラ・ゲントリウスの黒魔法、その邪悪さと危険性に耐えられなかった」
「……だが。優しくとも、狂気を捨てる事は出来なかった」
クエルダ地方。
前領主バラリス・ゴルディアック侯爵によって殺し尽くされた、村の一つである。
灰色の男たちは、そこに集い、死せる同志イルベリオ・テッドを偲んでいた。
「見つけてしまったのだよ、イルベリオは」
「ヴェノーラ・ゲントリウスの後継者を……魔王の、原材料を」
納税の滞りがあった、わけではない。
ある日。この村の麦畑に、領主バラリス侯を模して作られた、と思われる案山子が立っていた。
だから、村人全員に死刑が課せられたのだ。
バラリス侯爵自らが兵隊を引き連れ、死刑を実行した。
その兵隊によって村人たちは、老若男女の区別なく殺戮されたのである。
「ルチア・バルファドールは確かに、稀なる素材……ではある、が」
「大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの力……その、ほんの一部を取り込んだだけで、人間の形を失ってしまった。あれでは、な」
「あの異形化が限界にまで達したところで到底、かの大皇妃と同じ存在には至らぬ。遠く及ばぬ」
「故に我らは、別の手段を執らねばならん」
「ヴェノーラ・ゲントリウスの黒魔法を、受け継ぎ、高め、究めてゆくために」
その案山子が、それほどまで領主に似ていたのか。
案山子を立てた村人に、領主への悪意があったのか。
それは、今となってはわからない。
バラリス・ゴルディアックという君主にとっては、あらゆる物事が、処刑を執り行う正当な理由となり得たのだ。
「全くの無駄死にであったな、この村の人々も」
「あのバラリス・ゴルディアックという男……我々にとっては、実に無意味な実験体であった」
「それは、終わった今であるから言える事。あのバラリスという男……有象無象のゴルディアック家にあって、確かに希有な人材ではあったのだ」
「能力も才覚も、まるで無い……が、残虐性だけは抜きん出ていたものだ」
「ゴルディアック家に人徳者などおらぬ、が……あそこまで残酷残忍な者もおらぬ」
「ゆえに我らの手で、狂気を極めさせてみたのであろうが。人の道というものが仮にあるとしたら、それを踏み外してもらわねばならぬ。結果、目覚める……かも知れぬ。ゴルディアックの血筋、その本質に」
「大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの血筋……か」
「同じ血を引く者の肉体に、かの大魔導師は魂を宿らせる……子孫の何者か、として転生を遂げる。我らは試さねばならぬ」
「バラリス・ゴルディアックは結局のところ……はずれ、であった。人外の残虐を極めたところで、何かに目覚める事はなかった。何者でもなかったのだな、あやつは」
「次だ。他に、誰かおらんのか。ギルファラル・ゴルディアックの血を引く者どもの中に」
「……私が目を付けている者が、一人いる」
「ペギル・ゲラール侯爵の、孫娘か」
「ゴルディアック家との、離縁は成立している。が、血筋から逃げる事は出来ん……フェアリエ・ゲラールは紛れもなく、大魔導師ギルファラルの末裔なのだ」
「追い込む、にしても。やり方は、考えねばならんな?」
「さよう。愚か者のバラリスのように、ただ狂気に走らせるだけでは駄目だ」
「ここヴィスガルド南部の情勢、未だ混沌として定まらぬ。静まらぬ。安定せぬ。それを利用すれば、いくらでも、やりようはある」
「全ては」
「そう、全ては」
「偉大なる同志ジュラードの、導きのままに」




