第114話
●
認めなければならない、とベルクリス・ゴルマーは思う。
自分は、人殺しが大好きなのだ。
こうして鎖鉄球を振るい、敵兵を粉砕する。
鎖から伝わって来る手応えが、たまらなく心地良い。
頭蓋骨を、綺麗に破裂させる感触。
臓物を、骨格もろとも叩き潰す感触。
爽快だった。
この爽快なる感触に、手応えに、自分は誰よりも詳しい。
ベルクリスは、そう思っている。
人体を打ち砕く感触を、自分は知り尽くしている。
人体ではないものに鉄球が当たれば、すぐにわかる。目を閉じていても、違和感に気付く。
気付いた。
この者たちは、人間ではない。
甲冑をまとった兵士たち、のようではある。
行く手を阻んでいるので、ベルクリスは鎖を振るった。
鉄球が、その兵士たちを打ち砕いた。
人体を粉砕した手応え、ではなかった。
甲冑の中身は、人間の肉体ではない。
ヴィスガルド王国南部、クエルダ地方。
帝国時代の遺跡と思われる場所で、広い原野に、石の構造物の残骸が散在している。
逃亡中の領主バラリス・ゴルディアック侯爵を、ようやく捕捉出来た、ところであった。
バラリス侯の兵士たちが、こうして執拗に行く手を阻んでくる。
己の肉体を盾にして、バラリスを逃がそうとしている。
暴君でしかない、はずの人物に、そこまでの人間的魅力が実はあったのか。
ベルクリスの鉄球で打ち砕かれた兵士たちが、原形をほぼ失ったまま、のろのろと立ち上がってくる。
飛散した肉片が、虫の如く蠢きながら集まり繋がり、融合してゆく。
原形を、取り戻しつつある。
再生。
やはり、この兵士たちは人間ではなくなっていたのだ。
「道理で、な……手応えが、何か変だと思ってたんだ」
ベルクリスは呟いた。
父であり主君であるボーゼル・ゴルマー侯爵より、精兵の一部隊を預かり、これを率いて来た。
勇猛なるゴルマー家の兵士たちが、しかしベルクリスの背後で、明らかに怯んでいる。
当然であった。
鉄球で叩き潰しても死なない生物との戦いなど、経験がないのは無論、戦闘訓練で想定した事もない。
バラリス侯の兵士たちが、おぞましい再生の蠢きを見せながら、歩み迫って来る。
蠢く肉体の、あちこちを触手状に伸ばし、うねらせている。
垂れ下がった眼球でベルクリスを見つめ、まだ顎の繋がっていない口で、弱々しい声を発する。
「…………こ……ろして……」
「……ころして……くれぇえ……」
無言で、ベルクリスは鎖を振るった。
理解した。
この兵士たちは、暴君バラリス・ゴルディアックに、別に忠誠を捧げているわけではない。
ただ、死ぬ事だけを望んでいるのだ。
殺される事を渇望し、立ちはだかっているのだ。
鎖を引きずって飛翔する鉄球が、人ならざる兵士たちを粉砕してゆく。
飛び散った肉片が、這い集まろうと蠢きながら力尽き、腐敗しながら干涸らび、崩れて消える。
再生には、限界がある。それはわかった。
「……切り刻め、ぶち砕け」
ベルクリスは命じた。
「生半可な殺し方じゃ、こいつらを死なせてやれない。再生出来ないくらいまで細かく細かく、徹底的にやれ……こいつらをな、楽にしてやれ」
ゴルマー家の戦闘部隊が雄叫びを上げ、人ならざる兵団に挑みかかる。ぶつかって行く。
「……お見事です、ベルクリス嬢」
味方兵士が一人、長剣を一閃させながら言う。
人ならざる敵兵が、牙ある触手を生やし伸ばしたところであった。
襲い来るそれが、一閃で切断された。
「さすがはボーゼル侯の御息女であられる。剛勇無双、のみならず……怯んだ兵の心に火を点けるものを、お持ちのようだ」
「男要らずの総領娘殿が、いらっしゃる」
「ゴルマー家は当分、安泰ってわけかぁ!」
さらに二人の味方兵が、人ならざる敵兵に左右から斬りかかる。
二つの長剣が、閃いた、と見えた時には。
再生する敵兵の肉体が、再生不可能なまでに切り刻まれていた。
蠢き力尽き干涸らびゆく肉片を踏み潰し、蹴散らしながら、三人の味方兵は次なる殺戮に取りかかる。
人ならざる敵兵一体を、三人がかりで切り刻む。
それが、超高速で繰り返される。
「ぞっとするほどの連携攻撃……あんた方こそ、お見事だよ」
心から、ベルクリスは言った。
この三名は、ゴルマー家の兵隊ではない。
先日、突然現れて合流してきた、義勇軍を名乗る一団である。
ゲーベルと名乗る父子が指揮官で、ベルクリスが合流を受け入れざるを得ないほど、精強極まる戦闘集団であった。
指揮官ドルフェッド・ゲーベルも、その息子ゼノフェッドも今頃、この戦場のどこかで戦っている。
再生してしまう人外の兵士たちを、ひたすら粉砕し続けながら、バラリス侯爵の本陣へと迫っているはずである。
猛攻・乱戦の中、この三人がベルクリスと行動を共にする形となっていた。
一目で兄弟とわかる、三人の歩兵。
長兄は頭髪を剃り、次兄は髭を生やし、末弟は傷跡を残して、同じ顔にそれぞれ個性を持たせている。
鎖を振るいながら、ベルクリスは訊いた。
「あんたたち、一体どこの兵隊さんよ?」
「通りすがりの義勇軍。そう名乗ったはずだが」
弟たちと共に三位一体の殺戮作業を淡々とこなしながら、禿頭の長兄イガム・オーグニッドが言った。
「バラリス・ゴルディアックら、南方の旧帝国貴族による暴政と搾取、許してはおけんと思ってな」
「民を救わんとするボーゼル・ゴルマー侯爵の志、俺たちは大いに感銘を受けた。感動した」
髭面の次兄ザム・オーグニッドが、そう言ってニヤリと笑う。
「……と、いう事にしておいてくれ。剛力令嬢殿」
「まあアレよ。旧帝国系のクソども生かしちゃおけねえってのは本当だぜ? 今は、いいじゃねえか。それで」
顔に傷跡のある末弟ドメル・オーグニッドが、言葉に合わせて長剣を叩き込む。
それが、とどめの斬撃だった。
バラリス侯の兵士が、また一人。切り刻まれ、再生の蠢きを見せながら力尽き、崩れ消える。
人ならざるものと化した兵士は、しかし大して減ったようにも見えず、寄生虫のような触手を伸ばして振り回し、際限なく襲い来る。
口々に、死を求めながら。
「殺せ……たのむ、ころして……」
「殺してくれぇええええ」
「死なせて……死なせて……殺してよう……」
ベルクリスは、鎖を振るうしかなかった。
粉砕と虐殺の手応えが、伝わって来る。
やはり、と思わざるを得ない。
これは人間を、人体を、砕く感触ではない。
怪物を叩き潰す、手応えだ。
容易く死んでしまう人間を、容易く死ねない怪物へと作り変えた者がいる。
暴君バラリス・ゴルディアックの陣営にだ。
そんな所にはいない、はずの者の名を、ベルクリスは呟いていた。
「…………お前じゃないだろうな、ルチア……」
●
「……なんて話を、信じるのかい? 御領主様」
武勇伝のつもりはないが、何やら会話の流れで、ベルクリスは語る事になってしまった。
ボーゼル・ゴルマーの叛乱、その現場の側から見た詳細を。
ヴェルジア地方、執政府リーネカフカ城。
露台で、簡単な茶会が行われているところだ。
「信じるさ」
領主メレス・ライアット侯爵が、腕組みをした。
「ルチア・バルファドールとは、戦った事がある。ゲンペスト城でね……彼女は、人間の屍を怪物に作り変えていた。同じ事が出来る者は、いるだろう」
「そうか……屍、だったんだな。あいつらは」
再生する、生ける屍。
あの兵士たちは、そんなものに作り変えられていたのだ。
暴君の陣営にいた、何者かによって。
「ゴルディアック家は、魔法使いの家系でもあるらしい」
メレスが言った。
「想像を絶する能力を持つ者が、いたとしても不思議はないと思う」
「魔法使いの一族、か……」
大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの名は、ベルクリスも知ってはいる。
魔法使いであったのはギルファラル本人のみで、その力を、彼の子孫は誰一人として受け継ぎはしなかったという。
「大魔導師ギルファラルの死後……およそ五百年後の現在に至るまで、ゴルディアックの家系に魔法使いは一人も現れていないという」
何かを思い出すように、メレスは語る。
「ただ……ゴルディアック家に仕える者たちの中に、少なくとも一人。恐るべき魔法使いがいるらしい。父が生前、その者と、いくらかの関わりを持っていたようだ。私は全く知らないが」
「シグルム侯が……」
「バラリス・ゴルディアック侯爵の背後に……その魔法使いがいた、という事は考えられないだろうか?」
「なるほど。ルチアじゃなくて、そいつが」
王国南部で暴政・悪政を行っていた、旧帝国系勢力。
彼らの背後に何者かがいた、のだとしても、それを調べ上げる余裕がゴルマー家にはなかった。
アラム・ヴィスケーノ王子の率いる討伐軍が、南方に迫っていたからだ。
そして、ゴルマー家は敗れた。
バラリス・ゴルディアックの背後に、何者がいたのか。
再生する屍の兵団を作り出せるほどの、一体何者が。
それは結局、明らかにならなかった。
「……なあ、メレス殿」
ベルクリスは、問いかけてみた。
「あたしは一度……南へ、戻るべきなんだろうか? どうもな、やり残した事がある気がしてならないんだ」
「お勧めは出来ないな。ボーゼル・ゴルマーの娘が、南へ戻る……災いの元にしか、ならないと思う」
「……はっきり言うなあ」
「今、王国南部を実質的に支配しているのはベレオヌス公なのだろう? ゴルマー家がやり残した事、何かあるのだとしても。それはもう、今の支配者に任せてしまうべきだと思う」
「敗者に、何かをする資格はない……か。まあ、そうだよな」
南方の民は今、旧帝国系貴族の支配下にあった時よりも、ずっと豊かで安定した暮らしをしているという。
それが本当なら、ゴルマー家に出来る事など何もないのだ、とベルクリスは思った。




